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第五章
052:走り出す、運命
「オルグさーん。お入りくだせえ」

町はずれの診療所には、今日も様々な種族の老若男女が訪れている。受付のチェムカは灰色の髪を三つ編みに結わえ、右肩に垂らしたいつものスタイル。白のブラウスに萌黄色のスカート、足元は底がフラットになっていて歩きやすそうな靴。名を呼ばれた男性が足を引きずりながら診察室に入ってゆく。チェムカは扉を開いて支え、そばかすの散った愛嬌のある顔で患者に笑顔を向ける。

「ああ、オルグさん。足の具合はいかかですか?」

その部屋にいたのは身なりに無頓着な長身の医師ではなく、寸分の隙もない程に整頓された雰囲気を醸し出す青年だった。緑がかった髪はきちんとセットされており、プレスの効いたブラウスに黒のベストと黒のズボン。丈の長い上着を、ぱりっと着こなしている。瞳は髪と同じ深緑。

「あれ、先生はどうしたんだい?」

「ラディス様は所用で数日間外出中ですので、私が代診しております。すみません」

「いやあ、良いんだよ。クレイさんなら間違いねえ」

男性は訳を聞いて納得顔。クレイはてきぱきと診察を進めてゆく。

「だいぶ良くなりましたね。あと四日程で、添え木も外せます」

「本当かい!?ああ、良かった!これでやっとまた仕事ができる!ありがとよ!」

クレイはぎこちない笑顔を作って患者を送り出した。

「…クレイ。もうちっと自然な笑顔ができんのけぇ?」

チェムカが言った。

「診察は完璧なんだけっども、愛想が足らんわ」

「…私はそれが苦手なのです」

クレイは感情をそのまま表に出したり、愛想笑いをする事が出来ない。

「まあ、んだな。人間出来不出来があるもんだべ」

何となく慰められてクレイは苦笑した。このまま、ここの主が帰るまで何事もなく数日が過ぎる事を祈るのみだ。
現在、この町はずれの診療所にはクレイとチェムカ、ニコルの三人しかいない。主のラディスは、つい先日港町シャルナンへ出張診療に出掛けていった。護衛のリィンはというと、その一日前にロガートとの国境沿いの村へ定期視察に向かう帝国軍と行動を共にしている。話の始まりは三日前に遡る。

◇◇◇◆

夜も深まり、リィンとクレイは既にそれぞれの寝室に入って就寝準備にかかっていた時だった。玄関の呼び鈴が夜の闇に響く。

「…誰かな」

リィンが怪訝そうな顔をして廊下へ出る。クレイもそれに続き、書斎の方からラディスが歩いてくるのが見えた。

「俺が出よう。お前達はもう休め」

しかし来訪者は、何か余程の緊急事態がない限り、このような時間に訪れる事のない人物だった。

「こんな時間にすまない。ラディス、折り入って相談があるのだが」

堅苦しい挨拶を抜いて、相手は砕けた口調でラディスに話しかけた。急いでやって来たのだろう、その格好は物々しい。ベージュのマントの下は鮮やかな紺色の軍服。ルキリアの青い瞳、金の短髪。
現れたのはルキリア帝国軍の元帥であり現国王の子息、アルスレインと、彼の腹心の部下であるウォルハンド大佐の二人だった。

「居室で良いか」

「ああ」

ラディスが先に立って居室へと向かう。リィンとクレイは緊張の面持ちで顔を見合わせた。

「そうだな、クレイとリィンにも同席してもらいたい」

アルスレインは二人に視線を投げて言った。
彼が持ち込んだ相談とは、明朝出立する定期視察にリィンを同行させたい、という内容だった。
居室のテーブル席にラディス、アルスレインが座り、クレイは茶を淹れて青い瞳の二人に出してから壁に控えた。ウォルハンドはというと、部屋の中には入らずに扉の外で待機している。

「何で、僕?」

ラディスの脇に立つリィンが、あからさまに眉根を寄せて呟いた。

「この定期視察は毎年行っているものだ。ロガートはいまだにどの国とも平和条約を結んでいない。レーヌ国に対してだけは、不可侵協定を結んでいるが…。あの国との国境沿いにあるゲムの村は、今もって重要な拠点であるのだ」

アルスレインは真っ直ぐにリィンを見据えて説明する。

「この視察は私が全責任を担い、少数の部下を連れてゆくのが決まりだ」

「…元帥が直々にする仕事かな」

リィンがもっともな疑問を口にした。

「私には敵が多い。宮殿内部にも、この私が帝国軍の元帥という地位にいるのを良く思っていない者達がいる。この仕事は私が元帥として君臨する為にも必要なものなのだ」

「どういう事?」

ラディスが引き継いで説明を続ける。

「ルキリア皇族は案外腐る程いるもんだ。カイエリオスの直系の跡継ぎはアルスレインだが、当然の事ながら親戚親族の類は多い。第二から第十五まで王子はいる。宮殿に充満するのは、権力に執着した奴らが吐き出す悪臭だ。血の繋がった者達の権力争い程醜いものはないな。
 毎年、アルスレインとその配下の者達をまとめて、危険な視察へ送り出す。あわよくばそこで殺してやろうと企んでな」

「…父はそれも承知している。しかし父の権限を行使して中止にするのは逆効果だ。それにこれくらいの事で潰れるようなら、それまでの事。これを逆手に取って、私は力をつけていかねば」

斜めに腰をかけて足を組んでいるラディスが、こめかみを押さえて言った。

「誰の提案だ?」

「…ガズナイル長官だ。護衛としてのリィンの存在は、我々皇族の者達の間でも有名だ。今回、視察に護衛としてリィンを同行させてはどうかと提案してきたのだ。イリアス族のお手並み拝見といったところだろう。何かの思惑があるのは分かっている。しかし私は敢えてその提案に乗ろうと思う。うまくいけば、その後の道が開けるはずだ」

「博打だ」

「分かっている」

「ケイロスは?」

「賛成している」

「人数は?」

「八名前後」

「足りないな。増やした方が良い」

「分かった」

二人は真剣な面持ちで短い言葉を交わしてゆく。何も差し挟めないような緊張感。

「僕、行くよ」

リィンの凜とした声が響いた。

「本当かい?いやあ、良かった!」

アルスレインが立ち上がって、リィンに笑顔を向けて握手を求めた。リィンは素直に右手を差し出す。

「安心してくれ。君の安全は保障する」

「…リィン」

ラディスが長い指でこめかみを押さえたまま、低く呟いた。

「僕の事は僕が決める。良いだろ?」

リィンが屈託なくラディスを見下ろして言った。

「お前なあ、分かっているのか?それがどういう事か…」

「もう決めた。僕は行く」

「ラディス、頼む」

リィンとアルスレインが二人して輝く瞳をラディスに向けた。彼は目を閉じて腕を組み、黙している。

「ラディス」

ゆるりとラディスがリィンを見上げる。リィンが朗らかに笑って、言った。

「僕を信じろ」

◇◇◆◆

荒涼とした平野を一列で走る。帝都ベイルナグルを出て一日中走り続け、ようやくこの平野に辿り着いた。目的地に到着するまでは、町や村には一切立ち寄らずに野営で過ごす為、皆それぞれ馬に荷を積んでいる。

「お前って本当、物好きだな」

前を走るウィリアムが、馬の手綱を緩めてリィンの隣に並んだ。赤毛の短髪が風に揺れている。

「普通、こんなの志願して同行するか?化け物って変わってるんだな」

「あんたはどうなんだよ」

先頭はアルスレインの白馬、次に政府要人のケイロスという男性とその部下二名に続き、リィンとウィリアム、後続に若い軍人が十数名、殿がウォルハンドという隊列で荒野を走る。
リィンはいつもの暗い臙脂色のマントでフードをかぶり、その下にはニコルに仕立ててもらった服に身を包んでいた。
これはニコルが、リィンが女性だと知ってすぐに、もっと動きやすくて機能性の高い服にした方が良いと仕立屋と相談してこしらえてくれたものだ。緑のベストは生地が丈夫なものに変わり、ブラウスの下に布を巻き付けなくとも女性用の下着で何の不安もなくなった。黒のズボンはリィンの細い足に合う、伸縮性のある素材で細身に出来ている。足元は乗馬用の拍車がつけられた、脛まである茶革の長靴。これで随分と動きやすくなった。
隣を走るウィリアムはベージュのマントに帝国軍の軍服を身につけている。視察という名目なので、皆軽装備で武装はしていない。リィンも着るように言われたが断った。それはそうと、何故シーカーの手下であるウィリアムが、この視察に同行しているのか不思議でならない。

「どうしてシーカーが違法まがいの事をしても取り締まりに引っかからずに、北の町を仕切っていられるか分かるか?」

リィンは興味もなかったが、無言で先を促した。ウィリアムは得意そうに胸を反らせて続ける。

「力と知恵があるからだ」

「要するに、こういう時に部下を送り込んで次期国王のアルスレインに取り入ってるって事?」

「…けっ。生意気な奴だな」

「あんたも大変だね」

「俺は強いからな!シーカーの第一の部下として同行してる。お前は?化け物」

「…いちいち化け物って言うな」

決まっている。ラディスを護る為だ。
まさかこの自分が、ルキリア皇族に手を貸す事になるとは。イリアス族を迫害していたルキリア族を護るとは想像もしていなかった。しかし全てはラディスにとって、どうかというだけの事。
ルキリア帝国軍の元帥、アルスレインはいずれ国王になる人物だ。そしてラディスの見据える将来を、我が将来として動いている。彼が存在する事によって、トワ妃のラディスに対する執拗な攻撃も和らいでいると以前にクレイが言っていた。アルスレインはラディスの味方であり、そのアルスレインの仲間である者達もこの先を考えれば絶対に失ってはならない存在なのだ。

「ラディスを護るのは、この僕だからだ」

「ふん。まあそんなこったろうとは思ったけどな」

頭上高く、鳥が鳴いた。見上げると大きな翼を広げた黒鳥が大空を旋回している。二ナルグ(=二メートル)はあるかと思われる大きな鳥だ。

「おっと。来た来た」

ウィリアムは片手で懐を探り、銀色の鳥笛を取り出して口にくわえた。人間には聞き取れない音が大きな黒鳥を呼び寄せる。鳥は急降下し、あっという間にウィリアムの肩に止まった。馬上で不安定な為、何度か羽をばたつかせる。

「てて。顔に当たるっつうの」

足に括られていた紙片を外すと、黒鳥はすぐに大きな翼を広げて空へと戻っていった。すかさずにウォルハンドがウィリアムの隣に馬をつけ注意をする。

「貴様、勝手な事はするなとあれ程言っただろう」

「うるひゃいな」

口で紙片の端を押さえ、片手で器用に広げてゆく。どれどれ、と言ってウィリアムはその紙きれを眺めた。

「それ、何だよ」

「これは俺専用の≪早馬≫みたいなもんだ。毎年ゲムの村には行くからな、鳥に覚えさせたんだ」

ウィリアムはまた自慢げにぺらぺらと解説をする。
≪早馬≫とはルキリア国中に点在する連絡拠点の事だ。周辺の村や町で異変が起これば、要所で駐在している軍へ伝達係が走る。選りすぐりの足の速い馬を使っている為にその名がついた。

「俺はシーカーの後を継ぐ男だぜ。例え自分がその場を離れていても、北の町の動向は逐一知れるようにしているのさ。…ふ〜ん。ほほう。こりゃあ」

にやにや笑いながらリィンを見やるウィリアム。

「何だよ。気持ち悪いな」

「ルキリア一の歌姫ネルティエが、毎年恒例のシャルナンでのコンサートに出かけた」

「ふうん?」

「当たり前だが一人じゃないぞ。三人の従者と護衛のグレイアが同行してるそうだ」

それが何故ウィリアムのにやにや笑いに繋がるのか分からない。

「それに今回はラディスも一緒だ」

「は!?」

「どうやらちょうど出立する日が同じだったみたいだな。まあ腕の立つ護衛は多くいる程安心だ」

ぽかんと口を開けて、リィンは少年の面差しを残したウィリアムの顔を凝視した。

何で、よりによって僕のいない時に。
しかもグレイアと!

「ラディスの奴!僕に何も言ってなかった!」

ぶはは、とウィリアムが声を上げて笑った。お前ってホントにラディスの護衛かよ?
リィンの耳には彼のからかいの言葉も入ってこない。あのグレイアと一緒だって!?

こんな視察、さっさと終わらせて帰らなければ。

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