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第三章
036:時は止まらずに、紡ぐ
「ラディスがここに来た時、確か彼は八歳だったと思うが、とてもそうは見えなかったよ。身体は痩せすぎていて背も低かった。栄養が足りずに成長が止まっていたんだろう。しかし内面には幼い部分がまるでなかった。
 じっと私を見つめる青い瞳は、人の本質を鋭く観察しようとしているかのようなものだった」

この時既にラディスは自らの生い立ちを知っていて、それをジェイクに語って聞かせた程だった。ジェイクは愕然とし、彼に激しい同情を覚えた。当時四つだったユマと対して変わらないラディスは、ジェイクにしてみれば守るべき幼い子だ。しかし目の前の少年は全てを達観しているようでもあったし、全てを諦めているようにも見え、子供らしい所なんて一切ないように感じた。

「彼はここに来てすぐに、医者になりたいと言った。その為の勉強がしたいとね。ラディスはティルガの事を命の恩人だと言ったよ。今でも尊敬している」

リィンはどきりとする。
ラディスが医師を目指したのは、ティルガの影響だ。

「私はその通りにさせてやった。彼は次々と要求を増やしていってね、まるで遠慮がなかったよ。剣を習いたいと言ったり、今通っている学校はレベルが低いから替えて欲しいとかね」

「ラディスって、そんなちっちゃい時から偉そうなの」

リィンが呆れたように呟くと、ジェイクがああ、と笑った。

「だがユマといる時の彼には、やはり子供らしい所もあったよ。本当の妹みたいによく可愛がってくれた。ラディスは十二になった頃、レーヌに留学した。それ以前からずっとレーヌの大学校へ入りたいと言っていたんだが、私がそれを良しとしなかった。
 彼は何に対しても一生懸命で、剣もすぐに覚えたし勉学も常にトップでどんどん飛び級していった。神童と噂された。でもね」

私には生き急いでいるように見えたんだ。小さな子どもなのにね…。

「今のラディスを見ていると、ティルガを思い出すよ」

リィンは無言でジェイクを見つめた。

父様はひどい事をした。
こんな優しい人に、過酷な事を頼んだ。

ジェイクの辛さは計り知れないだろう。彼は見守る事しか出来ない。茨の道をゆく彼らの人生を。黙って見守りながら支援する事にだって、とてつもない強さが必要だ。

「ジェイクさん」

ジェイクがリィンを見やる。ブラウンの瞳は慈愛に満ちている。

「ありがとう」

リィンはぺこりと頭を下げた。

「あなたがいなければ僕はここにいなかったと思います。あなたがいなければ父は孤独だったし、ラディスも一人ぼっちのままだった。あなたの優しさがなければ、全てが成立しなかったんです」

真っ直ぐにジェイクを見つめる赤茶の瞳。

綺麗だ、と思う。それに強い心を持っている。見つめていると涙が出そうになる。ティルガを思い出す。シルヴィが重なる。その子がこんな風に言ってくれる時が来るなど、想像もしていなかった事だ。

「…お礼を言うのは私の方だよ」

リィンとジェイクは静かに微笑み合った。

「リィン!」

扉を開けてユマが入って来た。白のブラウスに繊細なレースのついたロングスカート。ブラウンの巻き毛が肩で揺れる。にっこりと笑っている頬に、可愛らしい笑窪が浮かんでいる。部屋の空気が一変して華やかなものに変わった。リィンは少し身を固くして、椅子から立ち上がる。

「ユマさん、先日は、本当にごめんなさ…」

「お父様ったら、私をお使いに出してリィンを一人占めにしていたのね。ずるいわ」

「はは。お前も随分会いたがっていたからね」

「はじめまして、リィン」

ユマはリィンより少し背が高い。彼女はリィンの肩に手を置いてにっこりと笑った。リィンは会ってすぐに謝ろうと思っていたので、出鼻をくじかれておろおろした。

「私の部屋へ行きましょ」

有無を言わさずユマはリィンの腕をとって歩き出す。振り返るとジェイクは優しい笑みで手を振っていた。

「体調が良い日はね、父の仕事を手伝っているの。といっても簡単な事務仕事だけなんだけど。私も良い年なんですもの、家を出て自立したいわ」

ユマは話しながら慣れた手つきで茶を入れている。彼女の部屋に場を移し、リィンは二杯目のお茶に呼ばれていた。

「ユマさん、あの…」

「さあどうぞ!クッキーもあるのよ。私が焼いたから、形は不格好だけれど。味は保証するわ。毒見済みですもの」

にこにこと微笑みながらユマがティーカップを目の前のテーブルに置いて、リィンと向かい合わせの椅子に座った。長いまつげを伏せてゆっくりとカップを傾けるユマに、おそるおそる話しかける。

「僕、謝らなければいけないと思って今日来たんです」

「リィン、良いの。とっくに忘れたわ」

ブラウンの瞳がリィンに向けられる。その言葉は本心からのものであり、その瞳は相手をいたわるような優しさに溢れていた。彼女の愛らしい顔を見ているだけで、心がほんわりと温かくなってゆくようだった。

「ユマさん…」

「さん、はいらないわ。それに敬語もなしよ。ね?」

「ありがとう」

自然とリィンも微笑む。
優しくて柔らかい人。そんな印象を受ける。

「ねえリィン。あなたの話が聞きたいわ。今ラディスの所に居るんでしょう?しかも護衛なんて!危なくないの?」

ユマが乗り出すようにして聞いてくる。心配しているというよりは興味津々といった感じで、目がきらきらと輝いている。

「そ、そうだね。えーっと、ユマはベイルナグルの北地区には行った事ある?」

「ええっ!ないわよ!だって北の方は治安が悪いからって、父は近寄らせてもくれないのよ。ラディスだって連れ行ってはくれないわ。で、どうだったの?」

ユマが楽しそうに話を聞いてくれるので会話が弾んだ。彼女が淹れてくれたお茶も美味しかったし、少し形が奇抜だったけれどクッキーもとてもおいしかった。

「ありがとう、ユマ。君ってとても、何て言うか、良い人だ」

席を立ちながらリィンは言った。

イリアス族だからって軽蔑せず特別扱いもしないし変に心配もしない。リィンの方が年下だけれど、それさえも感じさせない。とても自然に接してくれる。
まるで昔からの友達みたいに。

「私の方こそ。何だか不思議ね。リィンと話しているととっても楽しいし、何年も一緒にいる友達みたい。あっ!ちょっと待ってて」

ユマも席を立ち、鏡台の方へ歩いてゆく。何かを探しているようだ。それからリィンの元へ戻って来て、手に持っていたものを差し出した。

「リィン、また一緒にお茶しましょうね」

「ユ、ユマ…。これって」

リィンに差し出されたのは繊細な細工が施された髪飾りだった。金色の可愛らしい花をあしらった綺麗な髪飾り。中心には白い宝石が嵌め込まれている。

「ラディスからリィンの事、ちゃんと聞いてるわ」

ユマの優しいまなざし。
リィンはおずおずとその髪飾りに触れようと手を伸ばすが、途中で思い直して首を振った。

「こんな高価なものもらえないよ。それに…僕には必要ないものだ」

遠慮したリィンの腕を掴み、ユマは無理矢理に髪飾りをリィンの手の平に乗せた。困惑して彼女を見る。

「…髪を伸ばして、この髪飾りをつけられる日がくるわ。今は無理でも、きっとよ。それまでとっておいて。ね?」

口元は微笑んでいるが、目が真剣だった。

「ユマ…。ありがとう」

リィンの心にじんわりと温かいものが広がる。その温かみは希望と呼ぶのかもしれない。女性らしいユマの心遣いが嬉しかった。
玄関先でジェイクとユマに見送られる。

「またいつでもおいで。ラディスも引っ張ってきてくれるとありがたいな。あいつはちっともここに寄りつかないから」

ジェイクがリィンに言い、それからユマと視線を交わして笑った。温かな親子。これがラディスの家族。

「また来ます、必ず」

言いながらユマを見つめる。素敵な人。
ラディスの大事な、ひと。

「僕、ラディスの護衛として頑張ります。ラディスを必ず護ります」

どんな危険からも、ラディスを護る。
僕の『力』はその為にある。
彼の大事なひとがユマで良かった。好きになれる。

きっと、二人を護ってゆける。

ユマは一瞬目を大きくしてから眩しそうにリィンを見て言った。

「…ありがとう。リィン」

◇◇◇◆

去ってゆく小さな背中を見送るジェイクとユマ。

「お父様、リィンってとっても可愛くて良い子なのよ。私もう好きになっちゃったわ」

「そうだね。それに強い子だ」

ラディスの事はずっと気がかりだった。彼は幼い頃からずっと、自分の信念を曲げずに一人で戦い続け、差別と偏見で歪んだ世間に大きなうねりを起こした。最近でこそ彼の味方が増え始めているが、それでもまだ危険である事には変わりない。今でも全ての攻撃をたった一人で受け止め耐え続け、その歩みを決して止めない。ジェイクの手助けも何度となく断り、それでもどうしてもと無理を言って、資金の援助だけはしている状態だ。
その彼の傍にリィンがいてくれたら心強い。今までにいなかったからだ。何の計算も打算もなく、真っ直ぐに彼を護ると言ってくれた人が。
しかしリィンにしてみたら、彼を選ぶ事こそが熾烈な運命の始まりなのではないか。
ティルガとシルヴィの面影を宿すイリアス族の子。ティルガの意思を受け継ぐ≪黄金の青い目≫を持つ子。何かの運命を感じずにはいられない。

ティルガ、私はどうしたら良いのだろうか。

どうしたら私の息子と、君の娘を支えてやれるだろうか。




願わくば彼女が、彼と共にあらん事を…






【第三部・完】
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第四部からはストックがない状態から書き始めますので、更新ペースががくんと落ちると思います。
ああ、数少ない読者の皆様!おで頑張ります!
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