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第三章
024:真夜中の来訪者
ゆっくりと鍵穴に針金を通す。
この針金は複雑に曲がっており、彼が幾度となく試行錯誤を繰り返した結果、今の形に収まっている代物だ。

焦るな。

右手で持っている針金で内部のシリンダーを固定し、左手でまた別の形をした針金を鍵穴へ差し入れる。
僅かに抵抗感のある感触。

いける。

徐々に手首を返すと、それに反応して内部の仕掛けがゆっくりと彼に従う。

玄関の施錠が開いた。

彼は満足げに鼻から息を吐き出して腰を伸ばす。

「さて、本番はこれからだ」

気配を断ち、診療所の内部へ滑り込んだ。深夜の診療所に一瞬だけ月明かりが入る。ここの主は油断ならない。彼はその事を重々承知していた。
足音を立てずに、しかし素早く滑るように階段を駆け上がる。壁を背にして周囲の気配を探る。
そのままの体勢でたっぷり三十を数えてからまた動き出す。目の前に寝室の扉が見えてきた。ここからが肝心だ。右手を一度ぐっと開いてほぐしてから、扉の取っ手を慎重に掴んだ。物音ひとつ立ててはならない。中にいるあいつが起きてしまうからだ。

無音のまま扉が開く。

開いた隙間から内部の様子を伺おうと視線を巡らす。

真っ暗だ。何も見えない。

どうも様子がおかしい。彼は無意識に呟いた。

「おかしいな…」

「何がだ」

扉のすぐ前にラディスがぼさぼさの頭のまま、彼を見下ろしていた。

「うおっ!!」

「…相変わらず良い趣味をしているな、ミッドラウよ」

ミッドラウと呼ばれた男性は折り曲げていた長身を伸ばして、にんまりと笑った。背はラディスとさほど変わらない。

「何だよ、寝てなかったのか」

「寝てたさ。たった今誰かさんに起こされたがな」

言いながらラディスは室内に戻りランプの灯をともす。

「どこから気づいた」

「真夜中にあんな大きな幌馬車を、家の前に止めたところからだ」

ミッドラウは豪快に笑った。

「とんだ失態だぜ。俺もまだまだだな!」

「…静かにしろ。まだ夜中だ」

ふとベッドを見やると、誰かが寝ている気配がある。柔らかそうな栗色の髪がのぞいていた。
ミッドラウは目をむき口をあんぐりと開けて驚いた。

「…お前、変わったなあ!今までここには一度も女を連れ込んだ事なんてなかったろうが」

この医者とは今よりももっと若い頃に、一緒になって派手に遊んだ悪友の間柄である。

彼の容姿は通りを歩いただけで女性達を虜にし、夢中にさせた。喧嘩も女遊びも周囲が真似できないくらいにやらかしたものだ。今でもその当時を思い出すと、ミッドラウは胸のすく思いがする。しかしそんな無茶をしていたのも僅かの間だっただろうか。
全ての用意が整い、彼がこの場所に診療所を開いてからぱったりとその遊びを止めてしまった。それ以降はいくら誘っても乗ってこない。びっくりするくらい、はっきりとしていて豪胆な奴だ。それがこうも簡単に、ここでよろしくやっているとは。

まさか…。

「まさか、結婚でもしたか」

「いつこっちに着いた」

ラディスはミッドラウの言葉を無視して質問する。

「…今さっきだ。お前の枕元に立って脅かしてやろうと思ったのにな。つまらん。その上俺の知らないうちに結婚までしやがって、この裏切り者」

「面倒な奴だな。色々と勘違いしてるぞ。まあいい、明日出直せ」

「言われなくてもそうするさ。馬車は預かってくれ。町にいる俺の恋人に慰めてもらうとするか」

ミッドラウには様々な街ごとに、恋人がいる。

「それと、この家の鍵は軟弱すぎるな。替えた方が良いぜ」

「…そのようだ」

◇◇◇◆

「大きな馬車が診療所の前に止まってるね」

リィンは日の光に照らされた窓の外を見ながら、ニコルに話しかけた。
洗い物をしていた手を止めてニコルが楽しそうに答える。

「ああ。どうやら昨日の夜にミッドがこっちに着いたみたいだね」

「ミッド?」

「ミッドラウ。四大陸を自由に行き来するベテランの運び屋で、先生のお友達だよ」

「運び屋?」

「そう。あの幌馬車の荷台には色んなものが詰まってるんだよ。見た事もない異国のものとか、たっくさんね」

リィンの瞳が興味津々に輝く。素直な反応にニコルは微笑んだ。

「夜には来るんじゃないのかね。さあさ、今夜はごちそうを用意しなきゃね、リィン」

「うん!」

運び屋という職業が世の中にあるというのはリィンも知識として知っていた。旅を繰り返し行商をする商人との違いは、自らの売買を目的とせず、依頼主の依頼によって成り立っている点だ。様々なものを国から国へ安全に運び届ける使命を持った運び屋は、百戦錬磨の戦士のような人物と聞く。
届ける品は金銀財宝から一通の手紙、薬品や武器など多岐にわたり、原則的に成功報酬制の厳しい世界だ。

世界中を飛び回る人物なら、世界に散らばっているイリアス族の人々とも出会っているかもしれない。

リィンは急いでテーブルを片づけ、洗濯をしにぱたぱたと走っていった。

◇◇◆◆

「…すげえな!このビーダの腕輪がこんなにボロボロになるなんて」

夜になりランプの灯が入った診察室の奥の部屋で、ミッドラウが大きな声を上げた。ブレスレッドを灯にかざしたりして、まじまじとそれに見入っている。

「イリアス族の『力』ってのは想像以上だな」

「その通りだ。それでまたブレグロの原石が欲しいんだが、最短で何日かかる」

ラディスは腕を組んで聞いてくる。すぐにでも次の試作品を作りたいらしい。ビーダは簡単に手に入るのだが、ブレグロの原石となると話は別だ。

「あいつはザイナスの奥地でないと採れない貴重な鉱石だぜ。あそこは交通の便も悪ぃからな。この俺様が今すぐに取って返しても二十数日はかかるだろう。それに、取って返す気もないから更に三十日程かかるな」

「倍払おう」

ミッドラウは大きな胸板をのけぞらせ、わざとらしく言い放った。

「このミッド様は金では動かんのだ、友よ」

それからラディスの肩に腕を回し、囁く。

「また美女揃いのハーレムを作らないか。それなら受けてやっても良いぜ」

「あきれたな。まだそんな事をやってるのか」

「くく。まだまだ飽きないね」

そこへクレイが扉を開けて入ってきた。

「ラディス様、ミッドラウさん、皆がお待ちですよ」

「そうだった、久々にニコルのウマい料理が食えるんだな!やべ、涎がたれそうだ!行こうぜ、クレイ」

ミッドラウは今度はクレイの肩に腕を回し、彼を連れて歩き出す。彼のその強引さは相変わらずで、クレイは苦笑を洩らした。
褐色の肌に鍛えられ引き締まった身体。肩まである黒髪はいつも一つに束ねられており、眉の太い精悍な顔立ちは、確かに女性に人気がありそうだ。今は異国の装いで胸の大きくあいたブラウスに、幾何学模様の腰巻、麻のズボンに先のとがった革靴。彼らしい奇妙な格好をしている。
廊下を途中まで行ったところでミッドラウが感慨深げに呟いた。

「それにしても驚いたぜ。久々に会った悪友が、まさかそっちの趣味に目覚めていやがったなんてなあ。…女遊びに飽きた奴は、次に女を育てたがると聞いた事があるが。まさか男で、その上イリアス族なんてな」

クレイは沈黙する。ミッドラウは何か色々と、勘違いをしているようだ。

いやあ、やっぱあいつはタダもんじゃないぜ。すげえなクレイ、お前も苦労するだろ。

それから賑やかな夕餉が始まった。

◇◆◆◆

夜も深まり、既にラディスとミッドラウは酒を酌み交わしている。ミッドラウはあらかたの料理を豪快に片付け、興味深い話をし、愉快に笑った。チェムカとニコルは彼が土産に買ってきた鮮やかな青色のスカーフを手に、喜んで帰っていった。それを送り届ける為にクレイとリィンがそれぞれ付き添って部屋を後にした。

「どっちにしろ驚くじゃねえか。あんな可愛い顔した僕ちゃんを護衛に雇ってるなんて、どういう風の吹きまわしだ、ラディス」

度の強い酒をガブリと飲んで、ミッドラウはラディスを睨みつける。椅子に座りながら片膝をついていて、決してマナーが良い方だとは言えない。

「不本意ながらそうなった。それに案外あいつは強いんだぜ。イリアス族ってのはそんなもんだ」

「馬鹿いうな。お前程の男が。護衛なんていらねえだろ、実際」

「クレイが心配症でな」

「ふん。あいつはお前に惚れこんでやがるからな。あんまり心配してるとハゲると言ってやれ」

「何度も言ってるんだがな。最近確実に老けこんできてる」

「…何の話をなさっているんですか」

二人が振り向くと、帰って来たクレイが少しだけ眉間にしわを寄せて立っていた。

「私は先に休ませていただきます」

「ああ」

「ちょっと待て」

ミッドラウが片手をあげて制する。

「大事な伝言をことづかってるんだ。まずクレイよ、ソアがお前に会いたがっていたぞ。ほれ、手紙だ」

懐からよれよれになった手紙をクレイに手渡した。

「…レーヌに寄ったのですか」

「ああ。それから、これが重要だ。ラディス、いつまで待たせるつもりだ?」

ラディスはそれを聞いて、ため息をついた。

「まだ無理だ。当分動けそうにないと言ってくれ」

「それは直接本人に会って言うこったな。お前、殺されるぞ。そう言って何年待たせてる?」

「やっと軸が出来上がったところだ。まだこの町を出るわけにはいかない」

「そんな言い訳がシャウナに通用すれば良いがなあ」

「シャウナ様は何と?」

クレイが神妙な顔をしている。

「状況は悲惨だ。悪化する一方らしい。それに、最近ロガートの動きも怪しいしな」

ミッドラウは真剣な表情を作って、ラディスに告げた。

「そのうちお前はあちらさんからも、命を狙われるだろうな」

ラディスは涼しい表情のまま、グラスを傾ける。

「俺の命はいくつあっても足りんな。恨まれる事が多すぎる」

「分かってるんなら少しは大人しくしたらどうだ。この頑固者めが」

「残念ながら愚鈍な雑魚を恐れている暇はない」

「ラディスは僕が護る」

扉の前にいつの間にかリィンが仁王立ちしている。
凛々しい表情。

「どんな奴らが来たって、僕があんたを護る」

ミッドラウは呆気にとられてポカンと口を開いた。

「子供は寝る時間だぞ」

ラディスはリィンに見向きもしない。

「こ、子供扱いするなって言ってるだろ!」

「…クレイ」

「さあ、リィン。明日も早いですから」

クレイに肩を掴まれ、むっとしながらもリィンは従った。しかし部屋を出る寸前に、言い放った。

「僕は本気だからな。きっとずっと強くなる。そのうちあんたは僕に感謝するようになるさ!」

ばたん。
茶色の木目模様の扉を見つめるラディスとミッドラウ。一拍遅れてミッドラウの大きな笑い声が響き渡った。

「ぐっあっはっはっは!ひー!こりゃ…参るな!は、腹が痛てぇ…かっかっか!い、いてて」

ラディスはそんな彼を無視して淡々と酒を飲み続けている。
身体を折り曲げてテーブルを叩きながら笑い転げていたミッドラウは、やっと体勢を立て直した。酒の入っている瓶を鷲掴み、そのまま口をつけてごくごくと飲み干した。

「…はあ。死ぬかと思ったぜ」

「そのまま死んだら良かったのにな」

「お前なあ、それでも医者か。心臓マッサージぐらいしてくれるだろうな」

「大丈夫だ。良い葬儀屋を知ってる」

「くっく…。立派な護衛を見つけたな、ラディス」

「ああ。嬉しくて涙が出そうだ」

「なあ、明日あいつ貸してくれ。どうせお前は明日もここに張り付けだろ。俺は≪配達≫があるしな」

ラディスが横目で彼を見ると、ミッドラウはにやりと不敵な笑みを返してきた。

「…何を考えてるか知らんが、好きにしろ」

「OK。じゃ、そうさせてもらうぜ」

夜は更けてゆく。
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