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第二章
016:ビーダの腕輪
瞳を閉じて深呼吸を繰り返す。

1 2 3 …

それから真っ暗な虚空にイメージを作り上げる。
瞼の裏に、無数の白い糸が乱舞している。意識を集中させて、その糸の一本を別の一本と同化させる。それを繰り返し、糸は紐状の太さになり自在に動く大蛇になり、全てが集約し龍になった。龍は猛りながら一回転し、白の珠になる。闇の中に浮かんでいる珠は、次第に色を変化させてゆく。

白 黄色 桃 …

徐々に赤みが増し、燃えるような紅に変わる。

ゆっくりと瞳を開けた。
目の前にグラスが浮かんでいる。
深紅に揺らぐ瞳で、リィンがそのグラスを見つめる。口を一文字に結び真剣な表情。

意識的に『力』を発動させて、訓練をしている最中だ。連続的に緩慢な『力』を使う事はかなりの困難で、『力』を使いこなす為には不可欠な訓練である。これをする事によって加減の仕方や、突発的に爆発的な『力』を操る事も可能になるのだ。

昼過ぎからの診療がない為、ニコルとチェムカは既に帰宅している。リィンは一人居室で小ぶりなグラスと向き合っていた。

グラスが宙に浮いたままゆっくりと左へ移動し、リィンも身体の向きを少しずつ変える。

突然、目の前の扉が開いた。

リィンがはっとした瞬間に『力』がぷつんと途切れる。グラスが、すっと垂直に落下した。反射的に両手を前に突き出し、何とかそれを受け止める。
深いため息を落とし、扉を見やるとクレイが顔を覗かせていた。

「ラディス様が呼んでおります。診察室へ」

「…分かった」

長い廊下を足早に通りすぎ、診察室の扉をノックする。

「入れ」

ラディスの声。
しかし扉を開いてみると、目の前に立っていたのは別の男性だった。

「わお。本当にイリアス族だ」

その男性が、感嘆の声を上げてリィンに近づいてくる。高価な上着を羽織り、ブラウスに吊りズボン、茶の革靴。金色の髪はくせが強く、ふわふわとしている。紺色の瞳。その身なりからしてルキリアに連なる貴族のようだ。
リィンは壁際に追い詰められ、相手はにんまりと笑って壁に片手をついた。
背はそれ程高くはないが、小柄なリィンと比べたら頭一つ分は高い。

「君がリィンだね。初めまして。僕の名はエンポリオ」

整った顔立ちをしているが、何故だかキツネを連想させる。
リィンは警戒しながら黙って会釈を返した。
するとエンポリオは満足そうに微笑んで、顔を近づけリィンの耳元で囁いた。

「へぇ。かわいいね。男にしておくのがもったいないくらいだ」

リィンは面食らって横へ飛びのいた。
部屋の奥に視線を向け、診察台の傍の椅子に座っているラディスを見つけて叫ぶ。

「ラディス!何の用だよ!」

「あらら。真っ赤になっちゃって」

にやにやと笑うエンポリオを無視して、リィンは赤い顔でラディスを睨みつける。

「おい、からかうのはその辺にしておけよ。こいつは意外と凶暴なんだ。『力』で吹っ飛ばされるぞ」

「はは。良いね。エキセントリックだ」

ラディスはため息をつきながら手招きをした。エンポリオに警戒しながら早足でラディスの元へ行くと、流れるような動作で、瞳孔をのぞき脈を測られる。そのまま右手を掴まれ、ラディスが手に持っていたブレスレットがカチリと音を立ててリィンの右腕に収まった。深い闇のように黒い。肌ざわりからして鉱物で出来ているもののようだ。

「これはビーダという鉱石で出来ているブレスレットだ」

「ビーダ?」

「かつてイリアス族が奴隷だった頃に大活躍していた首輪さ」

エンポリオがさらりと言い、それを聞いてリィンが気色ばんだ。

「どういう事だよ!」

「落ち着け。作り方は真似ているが、全くの別物だ。当時イリアス族を拘束する為に使用されていたものは、『力』を発動させた時に人体に多大な損害をもたらすものだった。要は『力』を使った時に外へ向かわずに跳ね返って、自らの内で暴発するような仕組みだ」

じっと漆黒のブレスレットを睨みつける。

これが、母様の首に巻きついていたのか。人の権利や心を、踏みにじる為ものだ。

「しかしこれは俺が改良を加えたものだ。従来は『力』を内にため込むものだったが、これは違うぞ。『力』を安全に外へ逃がすようにする為に、また別の鉱石を混ぜて加工したものだ」

「っていう事だけどねえ。まだ試作品さ。実験段階ってやつ」

エンポリオの言葉に絶句する。

「…え?」

「ラディス、君って案外酷い奴だよねえ」

リィンが目の前のラディスを見ると、彼は美麗な笑顔を向けていた。口角だけを上げて作る神々しいまでの微笑み。

嫌な予感がする…。

「こんな所にうまい具合に若いイリアス族がいて、その若者が治験を買って出てくれるなんてなあ」

「ちょ、ちょっと」

ラディスがリィンの両肩に手を置いて続ける。

「偉いぞ、リィン。じゃあ早速『力』を発動させてみてくれないか」

「このブレスレットが失敗作だったらどうするんだよ」

もし、発動させた『力』が内側で暴走したら、リィンはひとたまりもない。

「その時も大丈夫だ」

「どうして」

「目の前に腕の良い医者がいるだろ?」

何をどう言っても、逃げられそうにない。
リィンはため息をついて二人から距離をとり、部屋の中央に立つ。ラディスとエンポリオがリィンを見守っている。

「いくよ」

そう声をかけて、ラディスに向かって『力』を発動させた。どうせなら道連れだ。
赤茶の瞳が揺らいで深紅に変化する。確実に、『力』が発動した。身体から熱の伴う圧が放射されている感覚がある。しかし目の前のラディスには何も起こらない。
『力』を思い切り発動させて、一旦止める。それを何度か繰り返し、五度目でリィンは肩で息をしながら、手近にあった椅子に倒れこむようにして座った。
集中的に強い『力』を使い続ける事は、精神的にも肉体的にも、大変な作業なのだ。

「もう…限界だ」

「とりあえずは、成功だな」

ラディスは詰めていた息をふっと吐き出した。リィンの細い腕をとり、懐から小型の時計を取り出して脈を測る。
傍らに立つエンポリオが小さな声で呟いた。

「紅い瞳に透けるような白い肌。素晴らしい。神秘的だ。こんなに美しい種族は他にいないね」

その時、唐突に診察室の窓ガラスが割れた。ベッドの側にある窓だ。リィンは素早く立ち上がる。真っ白なベッドのシーツの上に、ガラス片に混じって異物が落ちているのが見えた。ごつごつとした大きな石だ。リィンは表情を固くする。投石。誰かが意図的に、この部屋の窓に石を投げ入れたのだ。

「追わなきゃ」

「放っておけ」

ラディスは席に戻り、記録をつけながら目も向けずにいる。

「でも…」

「こんなもんは可愛い方だ」

腑に落ちないまま、また椅子に座り直す。

「そうそう。ねえリィン、この診療所はね、僕が知っているだけでも四回、建て直してるんだよ」

気づくとエンポリオがすぐ傍にいて面白そうにリィンの顔をのぞきこんでいた。

「え!」

「火をつけられたりね、色々。でも決まって診療のない時なのさ。単なる嫌がらせだね。ただ、それでも大変だったよねえ、クレイ」

言いながら彼は背後を振り返った。
いつの間にか、クレイが扉の前に控えている。

「ええ。ラディス様の書斎にある膨大な蔵書の避難には、毎度骨がおれます」

「そうだった。大事な書物を燃やしやがって。けしからんな」

「ねえ、そんな事よりさ、リィン。僕と美味しいお茶でも飲まないかい?」

エンポリオがリィンの肩に手を置いて笑顔で誘ってきた。

「エンポリオ、いつまで遊んでいるつもりだ。さっさと仕事に戻れ」

「じゃあさ、僕の仕事場見学に来ないかい?」

なおも彼はリィンに顔を近づけて目を細める。やはり、キツネに似ている。

「エンポリオさん、馬車を待たせておりますのでお早めに」

二人に言われ、盛大なため息をついて肩をすくめる。

「はいはい、分かりましたよ。ラディス、君はずるいな。クレイといいリィンといい。どっちか僕にくれても良いじゃないか」

クレイに促されエンポリオはやっと部屋を後にした。

「何だか変な人だな…」

リィンは素直な感想を口にする。

「気をつけろよ、あいつは女だろうが男だろうが関係ないからな。変態だ」

「あの人の仕事って?」

「製薬会社の責任者だ。あいつは見ての通りの貴族でな、仕事は出来ないが金は腐るほどある。資金援助の見返りに、その座についている」

以前にニコルが言っていた、ラディスも席を置く研究施設の事だろう。

それより、とラディスが続ける。

「お前、自分の『力』の事は知っているか?」

リィンは質問の意味が分からず、ラディスに目を向ける。彼は机に浅く腰かけ、腕組みをしてリィンを見下ろしていた。

「そりゃあ、知ってるよ。今更そんな…」

「シルヴィやゼストは、『力』の事について何か言っていたか?」

思いがけない程真剣な眼差しが向けられている。鮮やかな青の瞳が、鋭く観察する。リィンは記憶の糸を辿り、そういえば、と言葉を紡いだ。

「母様がずっと昔に言ってた。本当の『力』は人に知られてはいけないって。でも、『力』は『力』だろ?あんまり頻繁に使うなって意味だと思うけど…。それがどうしたの?」

ラディスが視線を外す。

「そうか。それなら良い。そのブレスレットは当分の間外さないように。『力』を使う時は、中央の窪みを強く押せば腕から外れるからな」

「え…うん」

これ以上話す事はない、とでも言うように彼は背を向けてしまう。リィンは訝りながらも席を立った。

部屋を出て廊下を歩いていると、クレイがこちらへやって来るのが見えた。

「リィン。薬が届いたので配達するのを手伝ってもらえませんか?」

「うん」

「玄関で待っていてください。とって来ますので」

リィンは居室にかけてあったフード付きのマントを羽織り、玄関口に立った。やはり外出する時にはこれをしていた方が、何かと具合が良いのだ。自分の右腕に嵌められたビーダ石のブレスレットを見つめる。触れるとひんやりとしてすべすべしている感触が伝わってきた。漆黒の腕輪。

ラディスはこれをイリアス族の人々の為に作ったのだ。
感情や意志で『力』を発動させるイリアス族にとって、その制御の仕方を訓練するのは当然の事だ。しかし誰しも初めから完璧に使いこなせるものではない。『力』の制御の未熟さから、故意ではないにしろ人を傷つけてしまうという事態もある。
最悪の場合、犯罪者になってしまう事もあるのだ。
イリアス族は元来争いを好まず温厚な種族なのだが、世間の風潮が変化しない理由はここにもあるのだろう。
リィンにも良く分かる。人を傷つけてしまわないように、いつも気を抜かずにいるがそれでも不安に思う。だからこそ、今までは人との関わりを極力避けて生活していたのだ。
きっとこのブレスレットが完成したなら、イリアス族の人々はもう少し伸び伸びと、暮らす事が出来るだろう。

普通の人と変わらない生活。

当たり前の事が、どれだけ幸せな事か。きっと多くの人達は、それが幸せだと気付かずに生きている。

クレイが両肩に一つずつ大きな鞄を下げて廊下を歩いて来る。丈夫で軽い麻の生地で出来ているその鞄は、少し膨れていた。いくらか軽そうな方をリィンに差し出す。ずしり、と重みが手の平から伝わった。

「リィン、馬は?」

「乗れるよ」

「よろしい。では、行きましょう」
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