第二十四話 スキル:退魔
新たな侵入者の気配を察知して魔樹の根・枝が橙也を狙い蠢く。
レディアの時と違って、捕まえてじっくり捕食するつもりなどない。先端をとがらせた枝や根で貫こうと勢いよく飛ばしてくる。
橙也は飛んでくる槍のようなそれらを、身体強化で底上げした肉体を駆使して避け続ける。
いくつか頬や太腿にかすり身震いする。
一歩間違えれば大怪我では済まない、クラスメイト達やレディアが傍にいてくれたダンジョンの時とはわけが違う。
ガルド達ははるか後方、ここにいるのは自分一人しかいないのだ。
明確で圧倒的な死が自分に集中して迫ってきているのだ。
それでも橙也は歩みを止めるわけにはいかなかった。
もう決めた。
目の前の少女を救おうと、あれだけボロボロになってでもここに住む人々の為に戦った彼女を、自分なんかよりもはるかに勇者と呼ぶにふさわしい魔王様を死なせたくはなかった。
この想いが一時の熱情であろうとも、周りから蛮勇と笑われようとも、後から後悔してしまうとしても。
だがそれは決して今ではなく―――
魔王を救うために勇者は戦う。
ギギギギチギチギチギギギィイイイイィギイイイイイイイイイイイ
そんな彼の行動を嘲るか、それとも苛立つかのように、魔樹は大きな軋みを上げる。
その瞬間に、これまでこの大木が散布し続けたウイルスに変化が生じた。
いままで御秩序にばら撒かれていた、それらは集まって夜空を覆い尽くしてしまった。
星を輝かせていた夜は濁り汚濁を渦巻かせる闇となり、その闇は生き物のように蠢き、奔流し、一気に雨のように降る……というのは生ぬるい。
上方向から一気に押し寄せてきた。
「……へ?」
「逃げろ。トーヤ!!」
レディアの絶叫が聞こえてきたが、もう遅い。
散布されやすいように粒子となっていたソレラは液体となり、そのまま球体として橙也を囲う。
ゆっくりと確実に体を浸食されていくのが分かる。
体中が燃えるように熱い。
悪寒が止まらない。
吐き気がこみ上げてくる。
頭が割れるように痛い。
体を動かそうとすると骨が軋みをあげる。
呼吸をするだけで、咳と共に、口から血や吐瀉物が出る。
目が見えない。耳が聞こえない。
体だけではない。ソレは心にも忍び寄ってきた。
敵意と悪意。
この病には感情がある。
暗い怖い痛い暗い怖い痛い暗い怖い痛い暗い怖い痛い暗い怖い痛い暗い怖い痛い暗い怖い痛い暗い怖い痛い暗い怖い痛い―――
辛いよね。痛いよね。苦しいよね可哀相に・・・・・・だから早く死ねよ。
そうだ死のうよ。早く死ね。さっさと死ね。なんで生きてるんだよ。迷惑なんだよ。
汚物が。虫め。糞が。
キャハハハハハハハハハハハハハハアアアアアアアアアアアアアアアアア!
「お前が元凶か」
そこからポツリと橙也の声が暗い闇の中に響いた。
最初は怖かった。痛みに耐えきれず何度も大声を血反吐を吐きながら叫んだ。
だがこの汚濁した病という闇は橙也の底の底まで侵しきれなかったのだ。
瀕死の状態にあって橙也は本能でそれ気付き、心臓を中心に体中の脈という脈に魔力を張り巡らせる。
循環されて巡り巡る魔力が浸食していたウイルスを消滅させていく。
いやそれだけにとどまらない。
橙也は体外のウイルスにも脈を広げる。ウイルスを構成する瘴気と歪な魔素。
それらを取り込み構成し放出していく。
少しづつ組み替えられていく。
母体である魔樹は主から与えられた意志が恐怖を覚え、閉じ込めていた球体が解け崩れ、出てきた橙也が真っ直ぐこちらを見据えてくる。
「これが俺にしかできない固有の能力なのか。勇者なら全員できる能力なのかしらないが……」
手に携えた日本刀を突き付ける。
「今お前を倒せるって分かっただけで十分だ」
そのまま突進する橙也。
ギッギッギギッギギギギギギギ!!
再び枝や根を伸ばし応戦しようとする魔樹。だが届かない。伸ばす前にそれらは焼けて燃えてしまうからだ。
「こっちを忘れるなよ、ウドの大木」
レディアだ。彼女は血や魔力を吸われながらも己に炎を練りこんでいた。本来なら自分の命と引き換えに自爆魔法を発動させるためのものだったが、あの馬鹿の為にも容易に死んでやることはできないらしい。
「体内はボロボロ。もう核を動かすことはできまい?トーヤ!右上にその刃を突き入れろ!それだけでこの大木には効果覿面だ!」
「……了解!」
その刀の刃は思っていた以上にもスルリと大木の中に入っていた。
…………ッ!!
響き渡る樹妖の断末魔。
石のように灰色に変色し、大きな亀裂が入り、崩れていく大木。
橙也は天を突きあげるほど大きな大木の崩壊に巻き込まれてそうになるが、それをレディアがキャッチした。
「意気揚々と助けに来といてお姫様抱っことかマジだせぇ」
「へらず口を叩けるなら上等だな。それにしてもお前にその刀を渡したのは正解だったようだな……助かったよ」
レディアは傷だらけの上に魔力欠乏による疲労が酷いようだが、少なくとも命に別状はないようであった。
「それとも、これもおじい様の計算か?」
薄れゆく意識の中、橙也はレディアが忌々しそうに呟いていたのを聞いた。