――大艦巨砲主義。
それは日露戦争時最大の海戦であった日本海海戦から得た教訓。
頑丈で高性能な巨艦に敵艦を粉砕する巨砲を搭載した戦艦が海軍戦力の全てを握るという考え方。
世界各国はこの考え方を筆頭に次々に大型で強力な戦艦を建造した。
それは世界三大海軍国である日英米も同じだった。
日本は当初大艦巨砲主義よりも高速戦可能な巡洋戦艦優勢を重視したが、巡洋戦艦は自艦よりも弱い艦には強いが、同等以上の相手では苦戦してしまう事が判明し、大艦巨砲主義に方針を転換させた。
世界海軍国全てが大型戦艦を建造し、他国よりも高性能な戦艦を目指して建造を続けた。
だが、大艦巨砲主義体制はあっけなく終わりを告げた。
一九四〇年代に起きたわずか四年の戦いの間に、時代は戦艦優位時代から航空機優位時代に転換した。
太平洋戦争の始まりを告げた日本海軍による真珠湾攻撃。これが航空機時代の幕開けだった。
アメリカを始め世界各国は次々に新鋭航空機の開発に着手し、戦争に投入した。
だが、航空機時代の幕開けを自ら起こした日本は大艦巨砲主義を捨て切れず最後までそれを貫いた。
――それが、自らの首を絞める結果になるとも知らずに・・・
国力で圧倒的に劣る日本は最初こそは優勢に戦局を進めたが、ミッドウェー海戦、ソロモン海戦と敗北し、次第に超大国アメリカに押され始めた。
破壊されても補充の利かない日本に対しやられてもそれ以上の兵器を投入できるアメリカは開戦初期の数倍強力な戦力を持ち、日本兵器を上回る高性能な新鋭兵器で日本を押し続け、ついに日本は本土近海まで敵の手に落ちてしまった。
太平洋戦争最後の年である一九四五年はもう日本に自らを守る力などほとんど残ってはいなかった。
日本本土上空は敵機が悠々と飛び回り、東京を始めとして、大阪、神戸、横浜、仙台、名古屋と次々に大都市や地方都市が空爆され、瓦礫と化した。
街も人も、森も山も、何もかもが敵機からばら撒かれる焼夷弾で焼き払われ、全てが燃え、空を不気味なオレンジ色に染めた。
そんな日本に微塵も勝機が残されていなかったこの頃、前時代の象徴だった残存日本戦艦は日本最大の海軍都市である広島県呉市の広島湾に碇を下ろして停泊していた。
傷ついた体を寄せ合うように、残存日本戦艦三隻――戦艦『榛名』『伊勢』『日向』は呉の海にその身を浮かべていた。
正確にはもう《戦艦》という艦種ではなく、《予備艦》に指定されていた。予備艦と言っても、実際は本土防空用の浮き砲台であった。
もう一隻残っている戦艦『長門』は神奈川県横須賀湾に停泊しているのでここにはいない。
そのうちの一隻、戦艦『榛名』の防空指揮所に一人の少女が日差しの強い夏空を見上げてたたずんでいた。
長いポニーテールを風に流した少女はどこか不機嫌そうに蒼穹の空を睨み付けていた。
彼女の名は榛名。この戦艦『榛名』の艦魂である。
艦魂とは艦艇に宿る魂の化身で、古今東西どこの海でも語り継がれている精霊のような伝説の存在。
そんな榛名の頭には痛々しく包帯が巻かれていた。
一ヶ月前、『榛名』は敵機の空爆を受けて爆弾一発を被弾したのだ。艦が傷つくと艦魂も傷つく。
しかも日本にはもう傷ついた艦体を修理するだけの力は残っておらず、『榛名』は青空の下傷ついた艦体を晒していたので、その艦魂である榛名の傷も治っていないのだ。治っていないとは言ってももう一ヶ月過ぎているので痛みはない。
じっと空を見続ける榛名の表情は不機嫌そうにゆがんではいたが、その瞳にはかつての勇ましい輝きはほとんど失われていた。
元々彼女は金剛型戦艦四姉妹の三女であったが、今はもう彼女を残して三人は戦死した。他にも多くの仲間を、彼女は失っていた。
彼女の宿願だった日本の勝利も、今はもう叶わない。
彼女が戦い続ける――生き続ける理由は、もうなくなってしまっていた。
「姉貴・・・姉さん・・・霧島・・・」
今はもういない姉と妹の名を、力なく小さくつぶやいた。
いつも強気でいる彼女は、決して強い女の子ではない。ただ、無理して強がっているだけ。そんな榛名を支えてくれる姉妹は、もういないのだ。
不機嫌そうに揺れていた彼女の表情はいつの間にか悲しげな表情に変わっていた。視線も蒼穹の空から床に移っていた。
うつむく榛名。その時、彼女の後ろが光り輝いた。次の瞬間、光り輝いた場所にはあどけない顔立ちをした少女が一人立っていた。
「榛名ぁ」
その声に榛名は振り返った。その瞬間、いつののような不機嫌そうな顔で少女を見詰めた。
「あ? 何だ日向か」
彼女の名は日向。伊勢型戦艦二番艦・戦艦『日向』の艦魂である。
日向はそんなぶっきら棒な榛名を見詰め天使のような笑みを浮かべた。
「榛名。傷はもう大丈夫?」
「もう平気だ。金剛姉妹三女のこの俺がこんな事でくたばる訳ねぇだろ」
「それもそうだね」
そう言って笑みを浮かべ続ける日向に、榛名は自然と笑みを浮かべた。
すると、榛名はフッと不機嫌そうに顔をゆがめた。だがその頬はどこか赤く染まっていた。
「伊勢はどうしてるよ?」
榛名んその質問に、日向パアッと天真爛漫な笑みを浮かべた。
「もうすっごく喜んでるよ! 何たって一ヶ月ぶりに会ったんだもん!」
「あいつももっと会いに来ればいいのによ」
「それは無理だよ。長谷川君は今は呉鎮守府に務めてるんだから。仕事上でしかこうして艦には乗れないもん」
「そ、それはそうだけどよ・・・でも・・・」
どこか納得のいかない榛名に、日向は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「榛名も会いに行けばいいのにぃ」
「ば、バカヤローッ! 何で俺があんな奴に・・・っ!」
顔を真っ赤にして榛名は怒り、日向にそっぽを向ける。そんな榛名の反応を見て日向は唇を尖らせる。
「もう、榛名は素直じゃないなぁ」
「やかましいっ!」
榛名は怒鳴り、日向の髪を引っ張った。
「いいい痛いよぉっ! 離してぇっ!」
「ダメだッ! まったく、お前いつから扶桑みたいな奴なったんだ」
扶桑とは扶桑型戦艦一番艦・戦艦『扶桑』の艦魂で伊勢や日向の義理の姉(伊勢型戦艦は扶桑型戦艦の発展型)である。人を(特に伊勢を)からかうのが好きで、ちょっとやり過ぎな所もあったが、優しく温かい女性だった。だが、そんな彼女も去年レイテ沖で戦死した。
日向は顔を真っ赤にして肩で息する榛名を見てケラケラと笑う。
「だって榛名ってからかうとおもしろいんだもん」
「・・・テメェ、俺はテメェよりも年上だって事忘れてねぇか?」
榛名は三〇歳で日向は二七歳。外見はお互いともかくとして、二人とも日本海軍艦魂の中では古参組に入る年を持つ長者だ。
日向は優しげな笑みで大きくうなずく。
「うんっ! 榛名は今年で三十路だもんね」
その瞬間、ただでさえイライラしていた榛名のこめかみで、何かがブチンッとすさまじい音を立てて断裂した。
「あああああそうだよっ! 俺は今年で三十路だぁっ! 三十路岬でも歌ってやろうかゴラァッ!」
「痛い痛いッ! ごめんなさいごめんなさいっ! もう言わない! もう言わないからぁっ!」
殺意たっぷりの怒気を大放出しながら怒り狂う榛名から日向は逃げようとするが、ガッチリと髪を掴まれて逃げられない。
グワシッと頭を掴まれ、無理やり日向の頭が榛名の真正面に向けられる。
「ひいっ!」
そこには、鬼神がいた。
「ひゅぅうぅがあああぁぁぁっ!」
「ギィャアアアアアァァァァァッ!」
少女の悲鳴と鬼神の咆哮は、静かな呉中に響き渡った。
日向が絶叫した頃、『榛名』から少し離れた所にいた『伊勢』の一室で戦艦『伊勢』の艦魂が椅子に腰掛けて嬉しそうに笑っていた。
「そうですか、今は書類仕事を」
そんな嬉しそうに笑う彼女に机を挟んで対面するように椅子に座っているメガネを掛けた少年が微笑んだ。
「大変だよ。毎日毎日書類と格闘。海の上にいた頃が懐かしいよ」
そう言って微笑むのは今年の春に沖縄海域に対する特攻作戦中に敵機の攻撃を受けて沈没した戦艦『大和』の元航海士にして今は呉鎮守府に務めている――長谷川翔輝航海少佐だ。
翔輝は嬉しそうに笑みを浮かべる伊勢を見詰めた。
「伊勢は変わらないね」
「それはいい意味ですか?」
「さあ、それはどうだろ?」
「んもう、いじわるしないでくださいっ」
むぅと頬を膨らませて怒る伊勢を見詰め、翔輝は笑みを浮かべる。
笑顔を浮かべる彼を見詰め、伊勢はほっと安心した。
大和が死んだ後、彼はずっと元気がなったが、最近はゆっくりだが徐々に回復してきていた。
まだ彼の笑顔には昔のようにみんなに元気を与える力は弱いが、それでも笑えるようになった彼を見て伊勢は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「伊勢の方はどう?」
「私ですか? 相変わらずこうして生き恥を晒していますよ」
「そういう言い方しないの」
少し怒ったように言う翔輝を見詰め、伊勢は唇を尖らせる。
「そんな事言っても事実ですし、兵達もそう言っていました」
戦わない兵器は役立たずな存在でしかない。戦わずしてただ浮かんでいる今の日本戦艦は確かに死にそびれて生き恥を晒しているのかもしれない。だが、翔輝はそうは絶対に思わない。
「今こうして生きている事に、理由なんてある?」
その言葉に伊勢は沈黙する。
大切な者を何人も失いながらも数々の修羅場を生き抜いてきた翔輝の言葉には一つ一つの単語に重みがあった。
「今君はこうして生きている。生きられなかった奴らは大勢いるのに、今お前はここでちゃんと生きてる。それは素晴らしい事だと思う」
「それは、そうですけど――」
そう言って、伊勢は悲しげな瞳で翔輝を一瞥し、うつむく。
「――私は、戦艦ですから」
その言葉に、翔輝は心をわし掴みにされたような恐怖を感じた。
「私は戦艦。人を殺す為に生まれた、兵器なんです。そんな私が、戦う事もできずにこうして浮かぶだけ。それは私の存在意義を矛盾させます。今日本は戦争をしているのに、その為だけに生きる戦艦である私が、戦う事ができないなんておかしいじゃないですか。心を持つ私達艦魂は、確かに人のように感情を持ち、ある程度の範囲内では自分の為、人の為に生きる事はできます。しかし、所詮艦魂は軍艦の一部。兵器です。私達艦魂は戦の中で生きる戦姫。どうしようと、兵器でしかない私達は、兵器という呪縛から逃げる事は・・・できないんです・・・」
伊勢の言葉に、翔輝は何も答えない。
――自分には、彼女を励ます言葉はないのだ。
彼女の言葉は事実。
彼女は艦魂で、艦魂は兵器の魂。兵器は戦う為の物。艦魂が望もうとも拒むとも、兵器に変わりはない。
兵器は戦わなければ必要がない。
兵器は戦いの中でしか輝けない。
戦いの中で生きる戦姫である艦魂は最期の時まで戦い続ける責務を負った艦の魂。
伊勢は真剣な瞳で翔輝を見詰めた。
「戦わずして座して死ぬなど、帝国海軍軍人として天皇陛下に申し訳がありません。そう考えると、私は大和がうらやましい」
「伊勢・・・っ!」
「怒らないでください。不謹慎な事を言っているのは自分でもわかっています。でも、私は艦魂です。戦わずして座して死ぬくらいなら、例え成功する可能性が一パーセントでもある戦場で戦い抜いて死にたい・・・このまま日本が負けたら、私達は解体処分されます。そんな死に方、武士として耐え難い屈辱なんです」
伊勢の真剣な言葉に、翔輝は彼女が誰かを思い出した。
彼女は伊勢型戦艦一番艦・航空戦艦『伊勢』の艦魂。大和魂を胸に秘めた生粋の日本人で、武士であり侍だ。そして何より、彼女は天皇陛下に忠誠を誓う帝国海軍軍人。
いつも笑顔で優しげな彼女も、国の為に戦う帝国海軍軍人なのだ。
「日本が戦い続ける限り、私は戦います。それが私達艦魂の宿命であり責務です。そして、死んでいった者達へのせめてもの償いとなり、愛する祖国を守る事にも繋がりますから」
「伊勢・・・」
真剣な顔で翔輝を見詰める伊勢だが、フッと小さな笑みが灯るとそれは全体に広がり、柔らかい笑みとなった。
「――って、いつの間にか暗い話になってしまいましたね。もっと楽しい話をしましょうよ。一ヶ月ぶりの会話なんですから」
伊勢の言葉に、翔輝は「そうだね」と言って小さく微笑む。
「伊勢。最後に一つだけ言わせて」
翔輝は優しい、本当に優しい笑顔で伊勢を見詰めた。
「僕は君の味方だからね。辛い事や、悲しい事があったらいつでも言って。会いに来る事は難しくても、支える事は、できるから」
翔輝の言葉に、伊勢は最高の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。少佐」
翔輝と伊勢はそれから一ヶ月分の会話をし続けた。
いつまでも笑顔を絶やさない伊勢を見て、翔輝は微笑んだ。
満足過ぎて気絶した伊勢を日向に後を任せた後、翔輝は『伊勢』の甲板で一息ついていた。
「・・・ふぅ」
「何暗い顔してんだよ」
呆れた声に振り向くと、そこには声と同じで呆れた顔をして仁王立ちしている榛名がいた。
「榛名。久しぶりだね。けがの調子はどう?」
「あん? んなのとっくに平気だっての。俺を誰だと思ってるんだよ。ったく、テメェらはそろいもそろって心配性なんだからよ。逆にこっちが疲れちまうぜ」
「ははは、それだけ榛名がみんなから愛されてるって証拠だよ」
「そいうもんなのか?」
「そういうものだよ」
「ま、そういう事にしといてやるよ」
「素直じゃないね」
「うるせぇっての」
唇を尖らせて返すと、榛名は翔輝の横に立ち、そっと空を見上げた。その先に広がる蒼穹の空には一機の飛行機も飛んではおらず、清々しい蒼の世界だった。
「仕事は順調か?」
突然話し掛けられて翔輝はびっくりするが、すぐに返答する。
「なんとかね。でもずっと海の上にいたから、陸での仕事っていまだに慣れないんだよね」
「ま、そのうち慣れるさ。気楽にやってなって」
そう言って小さく微笑む榛名を見て、翔輝は思った。
「榛名、大人になったね」
その言葉に榛名の眉が不機嫌そうにゆがむ。
「んだ? それって今まで俺がガキっぽかったって事かよ?」
「ち、違うよ! ただ、そう・・・金剛さんに近づいたって感じ」
「姉貴に?」
首を傾げる榛名に翔輝は慌てて説明する。
「う、うん。何か、今まではただ闇雲に暴力を振るってただけだけど、今は違う気がする。金剛さんのように暴力の中にも何か意味があるみたいな、榛名の中で強い柱ができた、そんな感じがするんだ」
翔輝の言葉に榛名は再び首を傾げる。
「テメェの言ってる意味、全然わかんねぇんだけど」
「あ、そう・・・」
少しわかりにくい説明だったかもしれないが、榛名の頭の方は相変わらずらしく、何一つ通じてない様子だった。
翔輝が横でため息しているのに気がついていないのか、榛名は蒼い空を見上げる。そんな彼女の瞳は、力強い炎が宿っていた。
金色に輝く炎はまるで、かつて姉にあった炎のように勇ましく、可憐なものだった。
「長谷川」
「何?」
「――死ぬんじゃねぇぞ」
「え?」
驚く翔輝を、榛名はしっかりと見詰めて言う。
「死ぬなって言ってんだ。テメェはこの戦争でなんとしても生き残れよな。それが俺達の願いであり、死んでった仲間の想いであり、大和の幸せなんだからよ――テメェが死んだら、悲しむ奴が大勢いるだろう?」
榛名の言葉に、翔輝はうなずく。
もちろん死ぬつもりなど考えていない。自分は大和に生かされた。この命は自分一人だけのものではない。安易に捨てる事などできないしするつもりもない。
「当たり前だ。死んでたまるか」
「その意気だぜ」
榛名はニカッと笑うと、翔輝も嬉しそうに笑みを浮かべた。その時、
「お兄ちゃあああぁぁぁんっ!」
遠くから女の子が数人駆けて来た。先頭を走るのは空母『隼鷹』の艦魂で、その後ろから空母『天城』『葛城』『龍鳳』の艦魂と連合艦隊最後の旗艦を務めた軽巡洋艦『大淀』が続いている。
「みんなっ!」
翔輝は嬉しそうに笑い、隼鷹達に向かって駆け出した。
隼鷹は泣きながら翔輝にピョンと抱き付いて抱擁を交わす。そんな嬉しそうな先輩の姿を見て他の空母艦魂や大淀も嬉しそうに微笑む。
そんな翔輝達を遠くから眺めていた榛名は小さく微笑み、どこまでも蒼い空を見上げた。
「姉貴。今、天国で何やってんだ?」
返答はない。
風が吹き、榛名のポニーテールをゆらゆらと揺らすだけだったが、それはまるでいつまでも自分を見守っている姉の想いのように榛名は感じた。
翔輝は仕事上の都合で乗艦したその日に退艦した。
伊勢と隼鷹は泣きそうな顔で翔輝を見送り、日向以下他の艦魂は手を振って見送り、榛名は軍帽を振って見送った。
離れていく翔輝を乗せた内火艇を見詰め、榛名は小さく微笑んだ。
日本最大の海軍都市である呉は多くの日本残存艦艇を収容しており、米軍は呉を最優先攻撃目標と定めていた。
そして、一九四五年七月二八日、米軍空母部隊から発進した一〇〇〇機を超える敵機が呉に来襲した。
空襲警報が鳴り響き、呉中の人々が防空壕に逃げ込むと、海の向こうに無数の黒い点が出現し、それは次第に大きくなって機影となる。
ゴオオオォォォ・・・と空気を伝わって敵機のエンジン音が警報よりも大きくなっていく。
榛名は迫る敵機を睨み付けて不敵な笑みを浮かべる。
「どうせもう俺は燃料不足で動けねぇんだ。だったら、被害なんか気にしねぇでひたすら撃つッ! 撃って撃って撃ちまくって敵機を一機でも多く道連れにしてやるぜッ!」
榛名は軍刀を抜いて迫る敵機を睨み付ける。
右舷方向から迫る敵機に対し、『榛名』の三五・六cm全主砲四基八門が右舷に砲身を向けて敵機を睨み付ける。
旋回、仰角を決めると、榛名はニヤリと不気味な笑みを浮かべ、
「これでも食らいやがれッ! 鬼畜米英ッ!」
戦艦『榛名』の全主砲が一斉に火を噴き、必殺の対空砲弾――三式弾が天空に向かって放たれた。
密集していた敵機群の中央で炸裂した八つの大輪花はまわりの敵機に無数の焼夷粒子をバラ撒いて十数機の敵機を撃墜した。
「うっしゃーッ!」
榛名はガッツポーズして喜ぶと同時に「次弾装填急げッ!」と叫ぶ。
迫る敵機を睨むと、後方から爆音が響き、次の瞬間、敵機群のあちこちで多くの大輪花が咲き誇り敵機を撃墜した。
それは戦艦『伊勢』『日向』の砲撃であった。
「榛名さんッ! 例えこの身を失ってでも呉は何としても守りますよッ!」
「長谷川君の故郷離れた所に浮いている『伊勢』と『日向』の防空指揮所に立っている伊勢と日向が叫んだ。その声に榛名は不敵な笑みを浮かべる。
榛名は防空指揮所の上で仁王立ちすると、まわりに停泊している全残存艦艇に向かって叫んだ。
「全艦各自の判断で敵機群を殲滅しろッ! 一機たりとも撃ち漏らして市街地に向かわせんじゃねぇぞッ! ここは、呉は長谷川の故郷であり俺達の最後の砦だッ! 死守しろッ! 俺はテメェらを信じるぞッ!」
その咆哮と共に、『榛名』のマストにZ旗が揚がった。それを見て艦魂達は『おおおおおぉぉぉぉぉっ!』と咆哮し、迫る敵機に牙を向いた。
戦艦三隻を筆頭に続いて巡洋艦達が砲撃を開始。さらに呉中に設置されている防空砲が一斉の砲撃を開始した。
さらに迫ると駆逐艦の主砲と空母の高角砲と噴進砲が一斉に砲撃を開始した。さらに迫ると全艦艇の対空機銃と呉中の対空機銃が火を噴いた。
すさまじい対空砲火の中敵機は機体を次々に裏返して急降下して来る。
グオオオオオォォォォォンッ! とすさまじい急降下音が響くが、重油のない艦艇は動けず、より一層対空砲火が激しさを増した。
だが、いくらすさまじい弾幕を張ったとしても、動けぬ艦艇など恰好の獲物。次々に同志が爆発するのを榛名は悔しそうに睨む。
もう近距離戦になってしまった為主砲は使用不能。残るは高角砲と機銃が迫る敵機を撃ち落すだけ。
ドゴンッ! ドゴォン! ドゴオオオォォォンッ! というすさまじい爆発音に驚いて振り向くと、『天城』が火炎を纏って巨大な黒煙を上げて左に大傾斜してしまっているのが見えた。
「くそっ!」
続いて爆音が響き、遠くで重巡洋艦『青葉』が大爆発した。
榛名は悔しげに唇を噛み、憎き敵機を睨み付けた。
「コノヤロオオオオオォォォォォッ!」
怒り狂う榛名だが、敵機の目標は軍港施設と停泊艦艇だ。ならば戦艦も例外ではない。敵機は次々に『榛名』に向かって急降下した。
今までの経験上この瞬間艦長が回避行動を命令するが、燃料がないので動かない今はその艦長も防空指揮所にはいず、迫る敵機を回避する術は何もなかった。
敵機は次々に爆弾を投下した。
榛名は顔を真っ青にして迫る無数の爆弾に恐怖した。
次の瞬間、榛名は自分の体が真っ赤に染まったのを見て絶叫した。
『榛名』に続いて敵機は『日向』にも攻撃を開始した。
日向は迫る敵機に恐怖して顔を真っ青にした。
「こ、来ないでッ! 来ないでえええええぇぇぇぇぇっ!」
高角砲と甲板のあちこちに設置された機銃が迫る敵機を撃ち落すが、敵機は恐れずに急降下し続け、次々に爆弾を投下して来る。
「ひゃあっ!」
自分のまわりに無数の水柱が上がり、至近弾が炸裂すると、日向の体に無数の擦り傷が走る。
悔しそうに敵機を睨み、そこに向かって高角砲が火を噴いて二機の敵機を撃墜する。
「お姉ちゃんだってがんばってる! 私だってやる時はやるんだもん!」
日向が剣を振るうと、主砲が四方八方に一斉射撃を加える。
あたりに無数の大輪花が炸裂するが、敵機は構わず第二派が爆音を響かせて急降下して来る。
「こ、来ないでえええぇぇぇっ!」
高角砲と機銃が攻撃するが、敵機は無情にも次々に爆弾を投下する。
迫る無数の爆弾を見て日向は絶叫した。
「いやあああああぁぁぁぁぁっ!」
次の瞬間、『日向』は無数の水柱のカーテンに包まれた。
最後に残った『伊勢』にはさらに敵機は迫る。
防空指揮所で恐れず敵機を睨み付ける伊勢は軍刀を振り回し、切り落とした敵機に機銃が集中して撃墜する。
すでに彼女は二〇機近い敵機を撃ち落していた。
だが、すでにもう三発を受けて真っ赤に染まった体を必死に奮い立たせて伊勢は戦い続ける。
「負けないッ! 私は負けられないのよッ!」
口の中の血を全部吐き出して伊勢は叫んだ。
満身創痍の『伊勢』は全主砲の砲身を限界まで上げると、上空を飛び回る敵機に向かって一斉射撃した。
天空に咲き誇る大輪花を見詰めて伊勢は悔しそうに唇を噛む。渾身の一撃だったのに敵機がほとんど撃墜できなかったからだ。
艦中の高角砲と機銃が代わって一斉射撃をして弾幕を張って敵機を次々に撃墜するが、敵機は爆弾を次々に投下して応戦する、
甲板で無数の爆発が起きて伊勢は絶叫して真っ赤に染まったが、決して倒れる事はなかった。
肩で息をして何度も吐血し、髪も顔も服も血で真っ赤に染まっていた。
さらに爆弾が命中し、伊勢は噴き上がる黒煙の中でふらふらと立ち続けるが、もうすでに彼女の瞳は焦点が合っていない。
今にも倒れそうな伊勢だが、諦めずに剣を振り回す。
――だが、もう伊勢は限界であった。
続いて敵機二〇機以上が一斉に急降下して来るのを見た後、『伊勢』はまばゆい光に包まれ、そこで伊勢の意識は途絶えた。
散々日本艦艇を破壊し尽くした敵機は悠々と去って行った。
呉は無数の黒煙と炎が上がり、悲惨な状況だった。
つい数時間前までは何も問題なく浮いていた艦艇はもうもうと黒煙を上げている。
ある艦は黒煙と炎を上げ、ある艦は横転し、またある艦は大破着底して甲板が海面よりも低くなっていた。
戦艦『榛名』『伊勢』『日向』はどれも二〇発以上の命中弾を受けて大破着底していた。
すさまじい火災も起こして燃える三隻の消火は半日近く続いた。
夕方、ようやく消火を終えた『榛名』のバラバラになった防空指揮所で榛名は真っ赤に染まってぐったりと倒れていた。
口の中の血を吐き、悔しげに小さな声を出す。
「・・・くそぉ・・・まだ・・・倒れる訳に・・・いかねぇのに・・・っ!」
必死に体を起こそうとするが、すさまじい激痛に立てず、いつまでも悔しげに蒼い空を悔しげに睨み付けた。
日向も自分の防空指揮所に倒れていた。
甲板が完全に海中に没した『日向』はもはや完全に航行不能となっていた。
夏用の白い軍服は自らの血で真っ赤に染まり、顔も流れ出る血で真っ赤に染まっている。
「・・・痛い・・・痛いよぉ・・・」
涙を流しながら辛い激痛にひたすら耐える日向は、自分と同じように大破着底して甲板を海中に沈めて右に少し傾斜している『伊勢』を見て泣きながら笑みを浮かべた。
「・・・お姉ちゃん・・・私、がんばったよぉ・・・」
自らの体を犠牲にして一つの街を救った少女は、すさまじい痛みの中静かに目を閉じて気絶した。
心地よい風が、意識を失った日向の頬を撫で、柔らかな髪をそよそよと揺らした。
血と焦げくさい臭いがいまだ漂う中、破壊し尽くされた『伊勢』の防空指揮所で伊勢は自らの血で真っ赤に染まってぐったりと倒れていた。
伊勢は夕日に照らされてオレンジ色に輝く呉の街を見た。
呉の街は敵機の数に対して被害はたいした事はなかった。敵機の目標が軍港施設や停泊艦艇に集中していたせいもあるが、自分達が守り抜いたという思いが彼女の全身を蝕む痛みを幾分か和らげた。
「・・・少佐・・・少佐の故郷・・・守りましたよ・・・」
そう言って伊勢は小さく微笑む。
この街は自分が愛する大切な人の故郷。何が何でも守りたいと思って、死に物狂いで戦い抜いた。その努力で、呉の街は夕日を浴びて美しく華やいでいた。
今にも落ちそうなまぶたを必死に開けて自分の守った街並みを見詰めていると、『伊勢』の停泊している岬に向かって誰かが走って来た。その人影を見て、伊勢は小さく微笑む。
「・・・少佐・・・」
その言葉を最後に、伊勢は気を失った。
呉湾海戦と呼ばれる戦いは終わった。
完全に劣勢な日本海軍の各艦艇は燃料不足で動く事はできなかったが、陸の対空部隊と協力して身を挺してすさまじい弾幕を張って呉の街を守り抜いた。
被害は戦艦『榛名』『伊勢』『日向』大破着底。重巡洋艦『青葉』大破。空母『天城』大破横転の他、残存艦艇もかなりの損害が出てしまった。
夕暮れにオレンジ色に照らし出される呉の街に、傷ついた体を隠す事もできず、かつて栄光を築いていた連合艦隊の残存艦艇は浮かんでいた。
夕暮れにオレンジ色に染まる呉の街はほとんど被害はなかった。
一〇〇〇機以上の敵機に襲われたのにほとんど被害がなかったのは自らの命を盾として戦い抜いた戦姫達のおかげだった。
戦後、大破着底状態で放置されていた戦艦『榛名』『伊勢』『日向』は引き上げられて解体された。
大艦巨砲主義時代に生まれた彼女達は、戦艦として生まれ、戦艦として最後まで戦い抜いて死んだ。
その戦姫達は幸せだったのかは、彼女達しか知らない事だ。
三人の英霊は今も永遠の眠りの中にいる。 |