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作:北加チヤ


 ワタクシは、名前を忘れてしまったようです。
 ワタクシが何なのかとても大切なことだと思うのですが、どういうわけか思い出せません。

 ああ。とても……とても重要なことです。

 こうなればワタクシが何なのか、考えてみるしかありません。
 忘れてしまったのは名前だけのようですから、考えていけばわかるかもしれません。ワタクシは、ワタクシの特徴についてははっきりと憶えているのです。
 あなたも、一緒に考えていただけますか? そうしたらきっと、思い出せる気がするのです。









 ワタクシはおそらく、あの白い雪のようなものだと思います。
 はらはらと空の高い所から舞い降りて、地上へとワタクシ自身を運ぶことが役目ですから。それは雪というものによく似ておりますでしょう。人に触れると溶けてしまうのも、ちっぽけでそう気に留められないこともようく似ております。

 しかしながら、ワタクシは雪ではないようです。
 雪は冷たいものですし、世界中のどこにでも降るものではありません。空から降るのに、季節や天候に左右されます。それはワタクシと大きく異なるのです。
 ワタクシは温かいものでできています。それに、世界中どこでも行き来することができますし、雨の日であろうと、雷の鳴る日であろうと、好きな時に好きなところへ行くことができるのです。


 それではワタクシは、あの自由な風でしょうか。
 目に見えず手に触れることができない、姿形のない風。それはワタクシにようく似ております。
 ワタクシに形は有りません。ワタクシは手も足も、目も耳も、体と呼べるものを何一つ持っておりません。ワタクシは見ることができないもので出来ているのです。
 そのため、人間達はワタクシの存在を感じ取るのだそうです。目ではなく、心で探すのだそうです。そうすれば見えなくても分かるのだそうです。
 けれど中にはワタクシを知っていても、感じることが出来ない人もいるそうです。同じように心で探すのですが、見逃してしまうのだそうです。ワタクシが存在する事が分からないのだそうです。
 それは何だかとても、悲しいことです。

 風はワタクシにとても似ておりますが、どうやらワタクシは風ではないようです。
 なぜならワタクシは、誰にでも平等に接するものではないからです。ワタクシには好きなもの、嫌いなものが有ります。ですから嫌いな場所……嫌いな人の所へ行くのは嫌なのです。
 ワタクシの嫌いな人。いつも怒ってばかりいたり、暴力をふるう人は嫌いです。誰かを傷つけても気にしない人、周りに迷惑をかけても気にしない身勝手な人は嫌いです。また、泣いてばかりいる人、人のせいにしてばかりで自分を省みない人は苦手です。
 ですから、ワタクシはなるべくそういう人を避けて通ります。間違ってそういう人に降りてしまった時は、すぐに逃げ出します。どうしても居心地が悪いものですから、仕方ありません。
 そしてそういう方々には、ワタクシを感じ取れない人達が多いのです。一緒に居ても寂しいだけですから、やはりワタクシはそこを去るしかないのです。


 もしかすると、ワタクシは光かもしれません。
 光は温かいものでできていますし、形がありません。それに空から地上へそそぐものです。
 生き物を育み、豊かさを与えるものです。そしてとてもキラキラしています。
 ああ、とても。とても良く似ております。
 ワタクシは命を育むものです。命のないところには、行くことができないものです。そしてとても暖かく、キラキラしたものです。
 あの空の一番星に良く似ていると、どなたかがおっしゃってました。とても近くにあるものだけれど、手を伸ばして掴み取ろうとするには遠すぎるのだそうです。

 ワタクシは光によく似ています。
 ……けれど、違いました。残念ですが、ワタクシは光ではないようです。
 なぜなら光は作ることができるからです。ワタクシは誰にも作れないものなのです。どんなにお金をかけても、どんなに頭の良い学者でもワタクシを作ることはできないのです。
 たくさんの方が、ワタクシを欲しがりますが、ワタクシはどこかから持って来ることができるものでも、誰かから奪って自分のものにすることが出来るものでもありません。


 では、時でしょうか? ワタクシは、チクタクと規則正しく流れる時なのでしょうか?
 いいえ、違います。
 なぜなら時は、分け与えることができないものだからです。そう、ワタクシは誰かに分け与えることができるものなのです。奪うことは出来なくても、譲ることはできるのです。
 そして大きく育てたり、逆にすり減らしてしまったりするものなのです。









 だんだん、難しくなってまいりました。これは、まるでなぞなぞのようです。
 ワタクシが何なのか、皆さんご存知のはずなのです。そしてワタクシ自身も、ワタクシの名前を存じているはずなのです。
 そう、どこかで誰かが呼ぶのを聞きました。それはそんなに昔のことではないと思います。もしかすると、それは一ヶ月前かもしれません。いやいや、違います。昨日? それとも今日でしたか?

 ……わかりません。

 けれど確かに、どなたかワタクシを呼んだはずです。それは間違いありません。




 ワタクシが、ワタクシの名前を忘れてしまったのには理由があると思います。ワタクシは、ワタクシの名を呼ばれるのは好きでした。たくさん名前を呼ばれることが、とても嬉しかったのです。
 けれど、ワタクシの名前は大きな矛盾を抱えていました。そのため、名前を呼ばれることをただ喜んではいられませんでした。
 実はワタクシでないものが、ワタクシの名前で呼ばれることがあるのです。それは偽ものなのですが、多くの人はそれが偽ものではないと思っているのです。
 そしてそのことが、たくさんの人を苦しめ、悲しませていました。

 ワタクシに名前がなかったら……そんなことを考えたのです。とても、愚かで滑稽なことだとはわかっております。ですが、もしそうならばもっとちゃんとワタクシのことを解っていただけるような、そんな気がしたのです。
 皆さんがワタクシの名で呼んでいるものが偽物だと気付いて欲しかったのです。ワタクシの存在を忘れて、偽ものばかりがもてはやされるのが、とてもとても……寂しかったのです。









 ああ。今日は何日でしたでしょうか?
 ……はい。12月25日ですか?
 この日は確か、そう。クリスマスというものですね……

 ワタクシ少しですが、思い出したのです。ワタクシの名前をどこで聞いたのか。たくさんの場所で、たくさんの人が言っていたように思います。ですから記憶が混乱していたのですが……一つ。とても鮮明に憶えている場面があったのです。
 そこで確かに、ワタクシは名を呼ばれました。

 あれは赤い屋根の一軒家でした。周りは雑木林に囲まれていて、家の窓からもれる灯りが、真っ白な雪のスクリーンに影を映しておりました。
 影は全部で5つです。大きな影が2つと、小さな影が3つ。それはこの家に住む家族の姿でした。両親と、3人の子供達。子供達は皆男の子でやんちゃ盛りでした。クリスマスということもあって、おれはもうとてもはしゃいでおりました。
 テーブルの真ん中にはクリスマスケーキが置かれていました。新雪のように真っ白な生クリームの上に真っ赤なイチゴとサンタクロースの砂糖菓子がのっている、それは可愛らしいケーキです。そしてお母さんが作ったのでしょう、おいしそうなごちそうがたくさん。鶏の唐揚げとミートボール、野菜たっぷりのサラダ、熱々のスープ、真っ白なご飯。
 一番上のお兄ちゃんがろうそくを1本1本丁寧にケーキにさしていました。全部で6本。ろうそくをさし終わると、お父さんがライターでろうそくに火をつけました。6本のろうそくに灯った小さな炎。火というものは気性が荒く、とても恐ろしいものなのですが、なぜでしょう? このろうそくの火はとても優しい気が致します。
 3人の子供達はケーキの前に座ってくすくすと笑っておりました。何か面白いことがあるようです。

「電気、消すわよー」

 おかあさんがパチリと電灯のスイッチを切りました。すると6つの小さな炎が、暗い部屋の中を幻想的に照らし出しました。

「いっせーのー、せ」

 ふうっと3人の子供達が一斉に息を吹きかけて、ろうそくの火を消しました。そして家族は楽しそうにパチパチと拍手をすると、口々に祝いの言葉を述べました。

「メリー・クリスマース」

「メリー・クリスマス」


「――」

 この時です。この時、ワタクシは名前を呼ばれるのを聞いたのです。
 パチリとおかあさんが再び電灯をつけると、皆にこにことそれは嬉しそうに微笑んでいました。
 メリー・クリスマス……
 ワタクシは家族の笑顔を見て、満たされていくのを感じました。この家の空気が暖かいのは、暖房が入っているからだけではないでしょう。皆がとても――から……

 ……から?


 ……ああ、そうです。ワタクシの名前。思い出しました。ワタクシ、やっと思い出しました。









 ワタクシは愛に近いものです。愛にひかれ、愛のあるところへ行きます。
 愛はワタクシのエネルギー源なのです。ワタクシは愛を食べて育ちます。空から舞い降りた時はたったひとかけらの小さな……誰も気にかけないようなつまらないものなのですが、愛を食べて育つことでキラキラとしたそれは美しいものへと変わるのです。


 ワタクシは美しい言葉から生まれます。優しい言葉、嬉しい言葉、人の心を豊かにする言葉から生まれます。

「ありがとう」

 世界のどこかで、誰かがいったそんな一言から生まれます。目には見えない小さな光の粒が、美しい言葉には含まれているのです。その光の粒は、空気に触れると風船のように膨らみます。そして風に乗って、ふわふわと空のとても高いところまで上がっていくのです。空のてっぺんと呼ばれるところです。
 そこは世界中を見渡すことができる、とてもとても高い場所です。周りはなにもない空。ワタクシしかいない寂しいところです。実はワタクシはとても寂しがり屋なのです。ですからワタクシはそこに長く留まらず、またすぐ地上へと、誰かのところへと降りるのです。
 はらはらと。上ってくる時に使った風船を落下傘にして、ゆっくりと降りていくのです。私の役目を果たすために、再び地上へ行くのです。

 ワタクシの役目……そうです。
 『幸せ』というのが、ワタクシの名前です。


 ワタクシはいつも、人のそばにいます。目に見えなくても、いつもそこに存在します。ワタクシの存在がわからない人たちは、自分達は『不幸せ』だといいますが、ワタクシはそういう方々のそばにも確実に存在するのです。ワタクシが嫌いな人たちのもとを去るときも、ほんの少しかけらを残して行くのです。いつか本当の『幸せ』に気がつく時を信じて『希望』を残して行くのです。




 人は『幸せ』は手に入れるものだと言います。それも確かに、真実の一部です。
 夢を描き、突き進むこと。そして目の前のまぶしい世界を恐れずに、前を向いて歩き続けること。夢や希望や向上心は、命を育む力となります。それらはこの世界に必要なものです。ワタクシを呼び寄せる大きな力となります。
 けれど気をつけなければいけません。前ばかり見ていないで、時には後ろを振り返ることも必要です。そうすれば気付くはずです。ずっと自分の背中を押してくれていた人のありがたさに。
 ですから、前だけではなく後ろに。そして時には傍らに居る人に笑顔で挨拶をしてください。そしてその両手で優しく抱きしめてください。ワタクシには感謝の言葉をかけるための口も、愛しさを表すための両手もありません。けれど人はそれらを持っています。誰かを助け起こすための強い手、相手の痛みを聞くための耳、誰かを楽しませるための笑顔……とても素敵なものばかりたくさん。

 ワタクシはあなたを愛する人たちの姿を借りて、いつもあなたのそばにいます。あなたが悲しい時も、苦しい時も、どんなに年をとっても。ワタクシはいつでもそばにいるのです。
 ですから忘れないで下さい。ワタクシが忘れてしまっても、あなたは憶えていてください。
 ワタクシのこと。




 そろそろワタクシ、行かなければならないようです。どこへ行くのかは分かりません。けれど、とてもすてきな予感がします。そう、とても。
 また、いつか。こうしてあなたと話すときが来るでしょうか?
 先のことはワタクシには分かりません。けれど、そうですね。きっとまた会えるような気がします。空は高くても繋がっているのですから。
 またいつか、会いましょう。
 では、その時まで。


 ……ああ。言い忘れていました。


 メリー・クリスマス。






概念に感情を持たせたら、不思議世界ができあがりました。この作品をよんでくれたすべての方に、感謝を捧げます。あなたの、幸せが豊かなものであるように。メリークリスマス。
よかったら、感想いただけるとうれしいです。













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