二人の絆
朝、明は飛び起きた。
寝過ごしてしまったのだ!
氷雨が、いない。
明は、うろうろと小屋の中を、歩き回った。
「氷雨っ、どこ?氷雨ーっ」
外は、雨が降っている。
ひどい土砂降りだ。
「おいてくなんて…ひどい」
寝床に座りこみ、ぐずる明。
壁に、氷雨の枕を叩きつけてやる。
「明、ヒマしてないかい?にぎりめし、持ってきたよ」
そんな時、暖簾をくぐって顔を出したのは、瀬那だった。
「ねえ瀬那、氷雨…見なかったか?目が覚めたら、いなかったんだ」
「ああ、さっき見たよ。疾風たちと一緒に、狩りに行くってさ」
「狩り、なんのだ?まさか、人間の…」
顔色を、変えて驚いた明に、瀬那は笑った。
「ああ、違うよ…今回は別物さ、烏兎の群れを追ってるんだ」
烏兎、と聞いた明の顔色は、みるみるうちに青ざめた。
名のとおり、黒い、兎の形をした妖魔だ。
外見に騙されて近づくと、ひどい目に遭う。
烏兎の爪と牙には、猛毒があるのだから。
「あっ、こら…明、どこ行くね!外は危険だっ」
飛びだそうとした明を、瀬那は、慌てて捕まえた。
「だって!」
「氷雨も、奴らに噛まれるほど、バカじゃないさ…ね?明、中に戻ろう」
「瀬那、だけど…やっぱり心配だよ」
「明〜?」
片眉を上げる瀬那。
「ごめん…今の瀬那、なんか…氷雨に似てた」
俯く明に、瀬那は、ため息をついた。
「少し冷えるし、白湯を入れましょうね、暖まれば…気も落ちつくさ」
「うん…」
明は窓から、白く濁った空を、見あげてから涙を拭った。
(氷雨、大丈夫だろうか?早く、帰ってきて)
「チッ!ちょこまかとっ、兎の分際で…」
地面は、雨のせいでぬかるみ、視界も、あまりよくない。
泥に、足を取られないようにしながら、立ち回りする氷雨。
泡を噴いて、襲いくる烏兎の顎を砕き、首を折る。
「疾風!平気かっ?」
「ああ、俺も、他のヤツらも平気だ…そっれにしても、ひでぇなぁお前、これじゃ…毛皮もとれやしない」
「知るか、こいつらが来るからだ」
「一匹くらいは残してやりな、明に、持ってってやりたいんだろ?」
「ああ…とにかく、ここ切り抜けるぞ!」
「おうっ!」
「明?ホラ、白湯だ…おあがり」
椀を差しだす瀬那に、氷雨の顔が重なって見え、明は、慌てて頭を振った。
「どうしたんだい?」
「瀬那、やっぱり、氷雨と似てる」
「そりゃぁ、親子だからねぇ」
さらりと言って、白湯をすする瀬那。
「え゛っ!おっとと…」
椀を落としそうになり、明は慌てた。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「言ってないない、瀬那が、氷雨の母さん!?」
「そうだよ。雨…強くなったね、いやな雨だ」
「瀬那、雨降りはキライなの?」
「好き、とは言えない。どうしても思い出しちまうのがあってね…あいつが、あいつって、氷雨の父親なんだけどね、こんな雨の日に、烏兎狩りに行って、冷たくなって帰ってきた。烏兎に噛まれて、即死だった」
「氷雨、大丈夫だろうか?そんなの、あたし…やだ」
「明…あの子は大丈夫、絶対に戻ってくるよ。母親のあたしが言うんだ、間違いない」
「瀬那…」
「それはそうと、明…子供はまだかい?みんな、聞きたがってるよ」
「こっ子供!?氷雨の!?」
明は、湯気を出して赤くなる。
「恥ずかしがらなくたって、いいじゃないか、一緒に棲んでるんだし、そんなのがあったって、当たり前だろ?」
「う、う〜ん」
「おや、雨が止んだみたいだねぇ、すぐに戻ってくるよ。よかったね、明」
「うん!」
子供の問題だけが、明の中で、尾を引いていた。
一方、氷雨たちは、川辺で足を洗っていた。
「明のヤツ、喜ぶかなぁ?食いモンか、花の方がいいんじゃねぇか?」
「牙は抜いてあるし、心配ねぇよ。俺が言うんだから、信じろ」
「はぁ、胡散臭いが…信じてやろう。おいうさ公!明にケガさせたら、ただじゃおかねぇぞ、うさぎ鍋か、襟巻きにしちまうからなぁ」
もこもこ、と暴れる革袋を、軽く叩いて、氷雨は言った。
「それじゃ、雨もあがったことだし…帰るわ。明、早く孫の顔を見せておくれよ?」
「瀬那ぁ…それ、もういいからぁ」
げんなり、と項垂れる明。
「ん、なんの話だ?二人して」
ひょっこりと、顔をだした氷雨に、瀬那は目を丸くした。
「氷雨、なんだいその格好…子供みたいに、泥だらけで」
「明、たーだいま…ホレ、土産だ」
氷雨は、がなる母親を素通りして、明に、革袋を渡した。
「ありがとう、なあ氷雨…なんだ?中身」
「まぁ、開けてみろよ」
「う、うん…」
(なんだろう…嬉しいけど、蛇とかだったら、殴ってやろうか)
袋の口をゆるめると、ふるるっ、と身震いして、子烏兎が出てきた。
革袋が、落ちた。
「うっ、烏兎!?」
明は、瀬那の後ろに隠れてしまう。
「氷雨!?あんた、なに考えてるんだい!見なっ、明が怖がってるじゃないか!」
「喜ぶかと思ったんだがなぁ」がしがし、と頭をかきむしる氷雨。
氷雨は簡単に、調子者の疾風を信じた自分を呪った。
(疾風のヤロウ…ただじゃおかねぇっ!)
「こんなモン、誰が喜ぶかい、このばか息子っ!」
氷雨の耳をつまんで、吼える瀬那。
「あ…こっち来た、烏兎」
栗鼠のような獣が、明に近づこうとしていた。
「えっ、ええっ!あ、あたしゃもう行くよ、じゃあねっ」
堪らなくなった瀬那は、そそくさと小屋を出て行った。
「あっ、逃げたなババァ」
子烏兎は、じりじりと明と距離を詰めていく。
「おいで、おいで?お前、カワイイね、おいで」
子烏兎の、赤い瞳が、明をじっと見あげる。
「明、大丈夫なのか?」
「うん、こいつ…カワイイ。名前、つけてもいいか?」
耳を押さえながら、おそるおそる聞く氷雨に、明はにっこりと笑った。
「名前ね、いいぞ。よかったな、チビ助」
「キイキイ…」
差しだした明の手に、子烏兎は、小さな鼻面を擦りつけた。
「珍しいな、烏兎は、かなり懐きにくいんだぜ?」
「でも、カワイイ…ありがとう氷雨」
にっこりと笑う明に、氷雨は頬を掻いた。
「お、おう」
「ふかふかしてて、暖かいね、お前」
頬ずりする明、子烏兎も、懐いてるようだ。
はぶんちょの氷雨。少し、複雑な気分である。
なにやら悔しいので、明を抱き寄せて、炉端に座った。
「明…こっちこいよ」
「うん…」
子烏兎は、明の膝の上で、毛繕いしている。
「名前、決まったのか?」
氷雨は、子烏兎の小さな頭を、くしゃくしゃと撫でた。
「なにがいいだろう?なあ、氷雨」
「名付けって、案外難しいもんだな」
「ヨミ、闇をもじって…どうかな、まっ黒だし」
「いいんじゃねぇか?お前がいいなら」
「おいで…お前の名前だよ」
明は、ヨミを宙ぶらりんに抱きあげて、笑った。
日没後、明は、ぴょんと外へ飛び出した。
「はぁ、雨あがりは、空気がいいなー」
「散歩、しないか?久しぶりに」
「うん、行こうっ、ヨミもおいで!」
「キュン!」
夜空は、雲一つなく澄み、月が出ている。
「こら明、あんまり先行くな…はぐれる」
「大丈夫、今は、ちゃんと鼻が利くから。それより、ヨミがいないんだ」
「心配すんなって、すぐ戻ってくるさ」
「氷雨ぇ…」
心配そうな明を、氷雨は抱き寄せてやる。
二人は、村はずれにある、崖の上にいた。
「今朝は、悪かったな?一人にして」
明は、氷雨に抱きついて、首を振る。
「謝るな、寂しかったけど…今いるから、いい」
「なに泣いてンだよ?」
「な、泣いてないぞ…ばか」
明は、ごしごしと目を擦ってみせた。
「明、すまなかった、一人にして」
氷雨は、明の涙を、唇で拭ってやる。
「くすぐったいよ…氷雨ぇ」
「そばにいる、だから…もう、泣くな」
「うん、う…ん」
「好きだ…明」
(やわらかい、こいつは、なんて柔らかいんだろう)
氷雨は思った、このまま、攫ってしまえたら、どんなにいいだろうか。
けれど、それは許されないのだ。
「う…ん」
やがて二つの影が、一つに溶け合って、消えた。
「もう、離さない…一生、ずっとな」
「嬉しい…」
「…愛してる」
「ひ、さめ…」
うす青い荒野を、風が、撫でていく。
月が、見ていた。
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