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微笑みパズル
作:笹竹颯夜


 空がいまにも泣き出しそうな梅雨の日の昼下がり。
 約束の時間より少し早くついてしまった私は空色のベンチにこしかけて待つことにした。
 目の前の池はグレイにくもり、揺れる白い蓮のつぼみが鮮やかに見える。

 ――明日は晴れればいいけど…。

 空を見上げて私は思った。
 明日は私の…、


 ――あら?どうしたのかしら?

 ひとりの小さな女の子が泣きながらこちらに歩いてくる。

「ねえ、どうしたの?」

 私はベンチから立ち上がり、そばに行って声をかけた。
 女の子はうさぎのぬいぐるみを小脇に抱き、両手で目をこすりしくしく泣いていた。きれいな三つ編みを結い、ピンクのリボンで止めているかわいい女の子だった。

「おうちがわからなくなっちゃったの…」

 消え入るようなか細い声で女の子は言った。

「迷子になっちゃったのね?」

 ピンクのリボンを揺らして、コクン、と女の子はうなずいた。

「おうちはこの近くなの?」

 女の子はまたうなずいた。そして、

「ママに会いたい…」

 と、うつむいた。

「そっか、ママに会いたいのか。じゃあ、お姉ちゃんがおうちまで連れて行ってあげる」

 私は女の子の小さな手を握った。
 その時、心の奥の方でキュッと懐かしい痛みを感じたのだ。




 ――ママと手をつないで帰ろう。


 聞き覚えのある優しい声が耳の中で響いた。

『こんなところにいたのね。心配したわよ』

 エプロン姿の母が目の前に立っていた。寒い冬の日の夕方のことだ。
 私は父にしかられて家を飛び出してしまったのだ。行くあてもなくたどりついたところは、いつも友達と遊んでいる公園のブランコだった。寒くて心細くて寂しくて泣きながらひとりでキコキコとこいでいたのだ。

『風邪をひいたら大変!さぁ、帰ろう』
『やだ!パパに会いたくないもん!』

 本当は暖かい家が恋しかったのに、私はそう強がりを言った。

『パパがね、ごめんねって謝ってたよ』

 母はくすくす笑った。

『本当に?』
『本当よ』
『どうして?私が悪いのに』

 私は急に胸が苦しくなった。

『そう思ったら、あなたもパパに謝ったら?ごめんねって言葉は魔法の言葉なのよ!』
『魔法の言葉?』
『そう。仲直りができる魔法の言葉』
『…うん、パパに謝る』
『じゃあ、ママと手をつないで帰ろう!』

 母は優しく微笑んで私の手をひいてくれた。
 その手がとてもあたたかかったから、私はすごく安心したのだった。

 小学校1年生だったの時の出来事―――。





 私はふと蘇ったなつかしい想い出をかみしめ、女の子の手をひいて歩きだした。
 女の子の小脇のうさぎとピンクのリボンがゆさゆさと揺れている。

「そのうさぎちゃん、かわいいね。お友達なの?」
「うん!ミミちゃんはサンタさんがくれたお友達」

 女の子は顔を上げて答えてくれた。

「サンタさんか、いいなぁ」
「お姉ちゃんのところにもサンタさん来るでしょう?」

 小首を傾げながら女の子は言う。

「うん。昔は来てくれたよ」
「今は来てくれないの?」

 女の子は心配そうな顔をして私を見た。





 私はずいぶん大きくなるまでサンタクロースを信じていた。
 サンタへの夢を打ち砕かれたのはクリスマスを目前にしたある日の、クラスメートの男の子の一言だった。

『お前、まだサンタクロースなんか信じてるのか?そんなのいるわけないじゃん!』
『うそっ!だってうちには毎年ちゃんとプレゼントを持ってきてくれるよ!』
『それはとーちゃんとかーちゃんがくれるんだよ。バッカだなぁ!』

 頭の中が真っ白になる思いだった。
 家に帰ってさっそく母を問いつめたのだ。

『ママ、サンタクロースがパパとママだって本当なの?サンタはいないって本当なの?!』

 問いつめながら涙が出てきた。
 もう、この時の私は男の子の言った言葉を信じていたからだ。信じたくはないけれど、信じていたのだ。

 サンタクロースはいないんだって…。

『サンタクロースはちゃんといるわよ』

 母はそう言って微笑んだ。

『うそよ!本当はパパとママがプレゼントをくれるんでしょう?』
『パパとママがどうしてプレゼントをあげると思う?』
『わかんない…』
『あげたくなっちゃうからよ』

 母は私の髪を優しく撫でてくれた。

『クリスマスになるとね、どういうわけかあなたにプレゼントをあげたくなってしまうの。それはお誕生日のプレゼントをあげたい気持ちとは違うのよ。クリスマスだけの不思議な気持ちなの。ママはね、これは絶対にサンタさんの力だと思うのよね。赤い服を着て白いお髭のサンタさんはいないのかもしれないけれど、"サンタクロース"っていう、目には見えないけど、優しくて不思議な大きな力はあるんだって思うのよ』

 母はまたニッコリと微笑んだ。

『サンタクロースはパパとママが子供にプレゼントをあげたくなっちゃう力なのね…』

 私は溢れる涙をぬぐった。

『そうよ。だから、うちにはこれからだってずっとサンタクロースは来てくれるんだからね』
『うん!』

 私は母に抱きついた。母の優しい微笑がサンタクロースなんだな、と、この時にわかったような気がした。





「サンタさんは今もちゃんと来てくれるよ」
 
 私が笑うと、女の子も安心したように笑った。
 大人になった今はもうプレゼントはないけれど、あの時の母の微笑みは、いつまでも私のサンタクロースなのだ、と思った。

  忘れかけていたサンタクロースの記憶――。
  今、思い出せてよかった。





「お姉ちゃん、雨が降ってきた」

 女の子が空を見上げながら言った。

「ほんとうだ…」

 とうとう空が泣き出してしまった。明日の天気は大丈夫かしら?
 ポツポツと降りてきた雫が私と女の子をしっとりと濡らす。
 私は女の子を自分に引き寄せて、持っていた黄色い小さな花模様の傘を開いた。
 すると、また心の奥で言葉に出来ない痛みを感じたのだ。



  ――傘を買いに行こう!お花がいっぱいついた傘を買いに行こう!


 また、母の声――。

 好きだった男の子が遠くの街に行ってしまい、私の初めての恋が終わってしまった日。
 その男の子とは同じクラスで席もとなり同士だった。好きとか恋とか、という気持ちに気がつく前に友達として気が合って、家族で旅行などに行くと、お互いにお土産を買ってきたりしていた。

 私と男の子は交換ノートもしていた。
 だいたいその日にあったことをつらつらと書くだけの簡単な内容だったけれど、気がつくと私はその男の子のことが好きになっていた。男の子がお土産で買ってきてくれたペンダントを大切に首にさげたりして。

『さよなら』

 …って、突然男の子が引っ越してしまった日、私は今まで交換していたノートやペンダントを捨てようとした。

 見るのも辛かったから。
 でも、捨てるのも辛かった。

 部屋のゴミ箱の前でノートとペンダントを抱き締めながら泣いているとき、そっと母が来て言ったのだ。

『捨てることはないじゃない』
『だって見ると辛いし思い出しちゃうもん…』
『今はそうね。だけど、ちょっと時間がたったらそれは素敵なたからものになるわよ』
『たからもの…?』
『そう。だって、その男の子のことが好きだったんでしょう?人を好きになる気持ちってとっても素敵なことなのよ。その想い出を捨てちゃうことはないわ。大切にとっておいてあげて』

 母の優しい微笑みを見たとき、私は声を張り上げて泣いた。
 泣いても泣いても涙があふれた。

『困った雨降りさんね。そうだ!傘を買いに行こう!』
『傘…?』
『そう!お花がいっぱいついた傘!どしゃぶりの雨だって大丈夫!晴れたらきっとお花畑になるから!ね?』

 私は母と一緒に花模様の傘を買いに行き、それをさして帰ってきた。

 とても晴れた日だったけれど――。





「あっ、ママだ!!」

 女の子が突然握っていた私の手を離して走り出した。
 女の子のママもこちらに走ってきた。

「どこに行ってたの?心配したわよ」

 女の子のママは女の子を抱きしめて優しく言った。

「ママ、会いたかったよぅっ!」

 ママの胸の中でわんわん泣く女の子の三つ編みで揺れるピンクのリボンに、雨粒の点々が染みていく。
 この女の子もきっとこれから、ママに優しい微笑みのピースをもらい、それをひとつひとつ繋ぎながら大人になっていくのだろう、と思ったら何故か涙があふれてきた。

「お姉ちゃんどうしたの…?」

 私を振り返った女の子が心配そうに首をかしげた。

「ううん、なんでもないよ。ママに会えてよかったね」
「ありがとう、お姉ちゃん!」


 女の子とそのママに手を振って見送られ、私は来た道を戻り始めた。
 もう、約束の時間は過ぎてしまっている。
 ベンチの近くまで戻ると、彼がキョロキョロしながら立っていた。




 彼を初めて両親に紹介した時、父はむっつりと黙り込んでしまった。
 一言も口を利いてくれない父を心配して、私が母の顔をチラッと見ると、母はいつものように微笑んでくれた。

 ――大丈夫。

 母の目がそう言っていた。

『人に愛される娘に育ってくれて嬉しいわ。ね?お父さん』

 黙っていた父も、母の言葉にゆっくりとうなずいたのだった。
 母はまた私を見て微笑んだ。


 母の微笑みのパズル――。

 たくさんの微笑みに育まれて私は大人になった。
 そして…。



「あ、来てたのか」

 彼が私に気がついてこちらに走って来た。

「いないから心配したよ。僕も少し遅れちゃったから帰っちゃったのかと思って」

 頭をかきながら彼は笑う。
 私は花模様の傘を投げ出してそっと彼の胸に顔をうずめた。
 涙があふれて止まらなかった。

「どうしたの?何かあったの?」
「ちょっと、ホームシックになっちゃった…」
「ええ?もう?」

 彼は少し戸惑ったように言って、それでも私を優しく抱きしめてくれた。

「私、今日は早く帰るね。お母さんに手紙を書きたいの…」

 彼は私の目をじっと見つめ、うん、とうなずいた。 
 雨はまだしとしと降り続いている。彼がそっと傘を差し出してくれた。

 明日はきっと晴れますように…。


 ――だって明日は私たちの…。















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