悪女?
六月のギフトショーに向けて、仕事は忙しさを増して行った。
人件費削減とやらで短気バイトは雇えない。最小限の人員で、ブースの立ち上げをしなくてはならない。
平常の業務にプラスアルファーだ。
有明のビッグサイトで行われるギフトショーは、全国規模の展示会だ。クローズドで行われるが、毎回華やかに開催され、一種お祭りのような雰囲気を醸し出す。
バイヤーも至る所から訪れる。新規開拓のチャンスもあるわけだ。
今日も残業だ。目眩は軽くはなったが、まだ治まりはしない。床はふわふわとウレタンのよように頼りない。
駿は時々デスクに肘を突き、目頭を押さえる。それで目眩がどうなるわけでもないのに。
フェイク眼鏡の菫がダイジョブ?と心配そうに覗く。
「それよか、胸開けるのしばらく止めといた方がいいよ。目のやり場に困るから。キスマーク。まだずいぶん目立つよ」
油断していた。駿は慌ててシャツのボタンをひとつよけいに閉じた。
「みんな目敏いから、何でも噂になっちゃうよ」
柊がむやみと残していった唇の跡は、駿の皮膚に沈着し、鮮紅色が色褪せるに連れもどかしさばかりが増してゆく。
駿が部屋に戻った頃をみはからって、柊から毎日のように電話が入る。声を聞くと嬉しい。
柊の声と供に流れてくるBGMや、客のさざめくような笑い声。駿の耳に届く柊の背景の賑やかさが、自分とはかけ離れた何処か遠くにから聞こえて来るように感じられる。
肌を合わせたことすら、ほんとうなのかと疑わしくなってくる。
――そばにいたい。
それが叶わないのが辛いパソコンのディスプレイに向かい、自分専用のファイルをクリックする。四月度の営業成績は悪くない。五月度もこのまま走れ。
柊のいない此処が今の自分の在処だと心してかかれ。浮ついていると柊に笑われかねない。
真璃との離婚や店の改装などでごたついたせいで、柊は今年、新作カクテルのコンペティションに参加することを断念した。それを側で思いやることすら出来ない。
まして、体調を崩しているという柊の母親の心配など、いくら電話で言葉を並べても、どれほども伝わらないような気がしてならない。
柊の表情が見えない分だけ不安に心が揺れる。それに自分のことで柊に心配をかけたくない。
そんなことを考えていると、遠く隔たる距離に切なさが二乗する。
「駿く〜ん。電話。返品がどうとか言ってる。例のショップ」
「またですか? あれだけ言ってあるのに、電話こっちに回して下さい」
こんな時期になって、冬物の返品交渉だ。
「はい、お電話ありがとうございます。担当のの広瀬です。……その件ですが、発注頂いた商品原価の合計三十パーセントでお願いします。……ええ、前任者はともかく、そういうことになってますから」
新しい商品の投入を条件に、次回ショップをラウンドする時に返品を受け取るという約束で、電話を切る。
「菫さん、ストラッブ十本、できるだけ派手でジャラジャラしたやつ。それからメタリックの財布とシガレットケースは五セット、ピッキングしといて下さい。あの店はエロカワ系が売れるから」
「ピッキングしたら、確認しといてね。駿君はこだわるから」
「参ったなあ。尾崎さんは何でも有りでゆるいから、後任はやりにくいよって言われてたけど、そのとおりだ」
駿は事務椅子の背にもたれかかって、天井の蛍光燈を見上げた。
駿の喉元にまで記された刻印は、隠しようがなかった。
菫が寄り添ってくる。駿の染めていない漆黒の真っ直ぐな髪を指先で触る。
「想いが叶ったみたいね 」
「どうかな…」
「でもなんだか辛そう」
「そう見える? 」
「無理してるかな…」
「無理なんかしてない。在るがままだし」
菫の優しい白い指先が嬉しい。
――女の子って、こんな生き物だっけ?
真璃と危うくキスをしかけた時に、感じたものと少し似ている。駿は自分が柊にとって、そんな優しい生き物になれるのだろうかと心もとなくなった。
「菫さんって、優しんだね」
「駿君見てると、母性がトキメクのよ。守ってあげたくなっちゃう」
「母性ですか。僕にはあるかな」
「男の人にだってあるんじゃないの。誰かを慈しみたいって気持ち。相手が男でも女でも関係なく」
「それって、慰めてるんですか? 愛は普遍だって。そんな綺麗事じゃないですよ。たかが恋愛じゃないですか。それに、まだわからなないんだ。たまたま好きになった人が男だったのか、それとも男しか好きになれないのか」
「たまたま男に時めいたって、抱かれてしまうなんて普通じゃないな」
駿と菫はその声にはっとして、居住まいをただすと、パソコンのディスプレイで表情を隠した。
「慌てなくてもいいじゃないか。吹聴はしない。そんなチャラい男じゃないよ、俺は」
他で煙草を吸っていた尾崎が、紙コップの珈琲を片手に戻って来たのだった。
「ゆるくて悪かったな」
駿はすいませんの言葉が掠れたまま、喉に張り付いた。
「まあ、人間いろいろだ。偏見もってる奴らもいるから、不用意な会話は慎めよ。それでなくても、駿は充分怪しい」
「やっぱり、そう思いますか」
菫が尾崎の発言の尻尾を捕らえて食い付く。
「駿は、普通すぎて目立たないくらいだが、どこか気配が違う。それそれが何だかやっと分かった。俺も同類だからな。鼻が利く」
駿は星が吸い困れてゆくディスプレイに視線を落としたまま、険しい表情を崩さない。
「からかって面白いですか」
「そうよ。冗談きついわよ。尾崎さんは奥さんも子供もいるじゃないの」
「ゲイがばれてすったもんだあった末だ。今じゃ、配偶者公認で恋人と付き合ってるよ。相手はもちろん男だ。家庭も大事にするって条件付でね」
デスクに寄り掛かって喋る尾崎の手が、駿の顎に伸びた。
「ずいぶん狂おしく抱かれたもんだな。最後までいったか? 」
尾崎がその手を駿の肩に置いた。駿は返事をしない。
なんだか、柊と愛しあっている姿を覗き見されているようで、いい気持ちはしない。
「まだのようだな。それは懸命だ。抱かれる方はそうとうきついぞ。抱く方だって、精神的にきつい。かわいい奴を痛め付けるんだからな」
菫が尾崎の顔をじっと見ている。そして、尾崎さんて意外と素敵なんだと呟いた。
「何が素敵だ……。配偶者も恋人も、表面穏やかにしてるけど、内心は修羅場だ」
尾崎は大仰に伸びをし、デスクに散らかっている書類を片付け始めた。
「さあ、帰るぞ。残業はほどほどにしておけ。能力が問われる」
そして付き合えと、駿を半ば強引に酒に誘った。
「腐女子は、さっさと帰れ」
「言われなくても帰りますよ。でも腐女子なんて、尾崎さんからは言われたくな〜い」
「駿、こいつには気をつけておけよ。ブログのネタにされるぞ」
尾崎はくったくなく笑った。
「腐女子ってなんですか」
菫に尋ねる。
「駿くんって、何も知らないんだ。そこがまた可愛いいんだけど」
菫はペロリと舌をだした。
「駿に惚れても無駄だぞ。女には不毛の領域だ。それにこいつ以外と悪女だぜ」
尾崎が軽く返す。駿は悪女と言われて、なんだそれと思う。
「うまいこと言いますねえ。う〜ん言い得て妙って感じ。駿くんは悪女なんだ」
「それも性悪のな。こいつ自分で何も分かっちゃいないから」
尾崎はなんだかうれしそうに喋る。
「性悪って言い方、あんまりじゃないですか」
駿が眉をしかめる。
「菫、ほら見とけ。駿のイッタ顔だぜ」
「やだ、そんなこと言ったら、妄想しちゃう」
やめてくださいよ。なんて言えなくて駿は下を向いた。
「お疲れ」
すぐ先の交差点。右へゆく菫と別れ、
「こっちだ」
と尾崎は横断歩道の青の点滅を急いで渡る。
駿は先を行く尾崎との間隔が離れてしまわないようにに歩く。柊や夕也に対する自分のポジションに似ている。
何かの意図なんだろうか。尾崎から性悪と言われたのと、葉月からいつも浴びせられている視線が同じだ。
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