トワイライト 1
長い石段を昇っていくと、その先に妙正寺の山門が、ひっそりと佇んでる。石段の左側には竹林が広がり、また向こうに別の寺の山門が見える。右側には陽当たりの良い墓地があり、その向こうにまた寺がある。
山麓の斜面に築かれたこの寺は、城壁のような石垣を裾に抱いている。漆喰で塗られた白い塀から、桜がたっぷりと薄桃色の花房を付けた枝を伸ばしている。数日の間に風が騒げば、桜はその手のひらから花びらを零していくのだろう。
石垣に沿って小路が続き、重なり合う石の隙間から萌え出て絡み付く蛇苺の黄色い花を追いかけて行くと、パブテスト教会の白い十字架が、背の低い樹木の間から見え隠れする。
風景は危ういバランスを保っていた。駿は何時もこの危うさを背景に友達と遊び回っていた。
駿のテリトリーはこの寺の階段で途切れる。竹林より先へは、足を踏み入れたことがなかった。友達は皆、平気な顔で竹林へ踏み込んだが、駿にはそこが禁断の領域のように思えてならなかった。
桜の咲く前に辞令が下りた。アクセサリーの問屋に就職した駿は、新年度からこの地方のルートセールスを任された。点在するショップを巡り、商品の入れ替えと追加補充をするのが仕事だ。
ショップの特性を把握し、店員とコミュニケーションを取りながら納品するアイテムをセレクトする。誠実に展開してゆかないと、後が続かない。納品したアクセサリーに売れ残りが多く生じるということは、すぐさま返品に繋がり、駿から商品を仕入れることをショップが躊躇するようになる。
ルートセールスは気楽にみえるが、信頼感の積み重ねが肝心だ。移動は積み重ねてきたノウハウを他人に譲り、真新しいフラスコにスポイトで水滴を垂らすように、それらをまた根気よく溜めていかなければならない。
無口な駿は、コミュニケーションを取るという作業が苦手だ。それを誠実さでカバーしてきた。ようやく仕事にも人にも慣れ、肩が軽くなってきたところに持ち上がった移動だった。
故郷では大きな繊維工場の跡地に、次々と郊外型のショッピングセンターが建設されていた。その中のショップのひとつに顔をださなければならない。
月に一度は、故郷に足を踏み入れる事になった。喜んだのは母親と幼馴染みの夕也だった。
「こっちへ来る前には必ず連絡入れろよ。空けておくから、一緒に飲みにいこうぜ。」
携帯から、夕也の弾んだ声が聞こえてくる。高校で同級だった葉月が、母親の経営していた喫茶店を継いだらしい。夜には酒も出す。覗かないかというのだ。
酒はあまり飲めるほうではないが、夕也の誘いを断る理由は何処にも見当たらない。
「葉月のお袋の店、覚えてるよな。改装してあるから、前と雰囲気が全然違うけど、場所は同じだから、すぐ分かるよ。今夜八時な。久しぶりだから楽しみだな。」
夕也は駿の倍の速度で喋りきると、フツッと携帯が切れる。相変わらずだ。進学のために故郷を離れる前は、夕也とつるんでばかりいた。
「彼女ができないのはお前のせいだぞ。」
と夕也は僕をからかう。それがあながち嘘ではなかったことに離れてから気付いた。
何事にも奥手で消極的だった駿の手を握り、明るい場所へ引っ張り上げてくれたのは、夕也だった。
大雑把で、おおらかで気負いもてらいもない人柄は、駿を安心させた。人付き合いの苦手な駿に、いつも寄り添ってくれたのは彼だった。
駿は夕也に尋ねたことがあった。
「僕は夕也の足手まといになってやしないか。」
「お前な、そんな事を考えてんのか。嫌な時は嫌だって言うさ。」
「無理してないか。」
「どうしてそんな風に思うんだ。」
「僕がこんな風だからさ。」
駿は自分を臆病で小心物だと思っている。頭で考えている事の半分も言葉に出来ない。その空白を察してくれる夕也に駿は甘えていた。
夕也は地元の大学に入学し、駿は叔母を頼って横浜の大学に入学した。離ればなれになることを残念がったのは、以外にも夕也の方だった。
駿はは親友とは呼べなくいまでも、つるんで遊ぶ友人の一人や二人は作ることが出来たし、大学生活もそつなくこなし、そのまま就職した。叔母の経営しているアパートで独り暮らしを続けている。
寂しくは無い。都会の喧騒や雑踏に紛れてしまえば、駿のような人間も生きて行ける隙間があるということだ。
よけいなことは喋らなくてもいい。そういう奴だとはなっから思わせておけば、楽に泳げた。
途中で苦しくなるのは、たいした能力もないのに、抜きん出たいとか認められたいとかの欲に駆られるからだ。そんなことでもがいてストレスを溜め込むなんてバカゲテいる。全てにそんな具合で、駿はなんとか世の中を渡っていた。
夕也からは度々メールが入った。離れていても、お互いの時間は同じテンポで流れて行き、長期休暇で帰省した時点で生じた僅かな心のズレを修正し合った。
けれど就職してからは、そういうわけにもいかない。疲れてメールの返事も返すのが億劫だったり、言葉の行き違いや感情のすれ違いを修正する機会もない。次第に疎遠になる。
―女でもできたか?だったらそう言えよな。
夕也からの最後のメールだ。文面を見て、携帯をベッドに放り投げた。携帯はバウンドして煤んだ合板のフローリングに落ちた。無機質な音がカチリと耳に響いた。
言葉はささくれ、未だ嘗てない苛立ちを夕也は隠そうとはしない。
駿は不安を感じた。夕也の方から、そんな感情を投げ付けてよこすなんて、思っても見なかった。
ようやく連絡を取ったのは、半年近く立ってからだった。
―近いうちに、そっちへ返るよ。
できるだけ平静を装った文字を並べ、返事を待った。
真夜中に携帯のバイブ音で目が覚めた。夕也の酒に酔った声が聞こえてくる。
「元気だったか。」
そして黙った。その沈黙が二人の距離の遠さを饒舌に語っている。お互いを躊躇させているものはいったいなんだろう。
駿は涙を零した。たわいないメールさえ、誰からも届かない携帯。舗道を歩く背中が凛として見えるのは、無理を重ねている証拠だ。寂しくは無い。そう言っていられたのは、夕也の存在があってこそだった。
あの頃と何一つ変わっていないじゃないか。独りで生きているふりをしていた自分が間抜けて見える。
「なんか、遠距離恋愛でもしてる恋人同士みたいだな。」
夕也は得体の知れない感情の波を笑って誤魔化そうとしている。
「俺が悪かったよ。大人気無かった。」
と、半年前のメールの言い訳をした。
「あんなの、訳わかんないし。」
駿の涙声が、半年経ってから夕也を責めた。
「やっかんでたんだ。お前がどんどん先へ歩いていくようで…。」
僕は厚地のネルのパジャマの袖で、溢れる涙を拭った。
何も変わってはいなかった。夕暮れの河原の土手を補助輪のついた自転車でゆく。夕也の後を遅れないように走るが、離れてしまう距離に駿はベソをかく。
「置いてきゃしないよ。」
同い年なのに、大人びた仕草で、夕也は駿の額に手をやる。置いてきぼりがこわいのは、夕也じゃなくて駿の方だ。
夕也の伸ばした指先を額の柔らかい髪の生え際に感じ取れないでいたら、フローリングに落ちる駿の虚ろな影は足元から掻き消えてしまいそうだ。
駿は自分の脆さを思い知る。
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