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8章
7<視線と、決着>
 おそるおそる、顔を上げる。

 山上は神妙な顔つきで、静かに私を見つめていた。普段から笑っていることが特別多い彼の、初めて見る表情。
 そりゃあ、こんな話題のときもHAHAHAと豪快に笑っていたらそれはそれでおかしいけど──。
 今、彼にこういう顔をさせてしまっているのは、私なんだ。それが痛いくらいわかって、胸がざわざわと波立つ。
 山上は少し目線を下げ、落ち着いた声で言った。
「俺、最近思うんだ」
「……何を?」
 山上が私に視線を合わせる。
 ちくり、と小さく胸が痛む。
 彼は相変わらず真剣な顔のまま、ゆっくりと口を開いた。
「自分がドМなんじゃないかって」
 聞き間違いだろうか。
「今なんて?」
「だから、俺、自分がドМの変態野郎なんじゃないかってさ」
 哀愁のこもったため息まじりに、山上が言う。
「……は?」
 私は視線を山上から外せないまま、2歩階段を後退した。
「おいおいコラ、話してる途中にどこ行くんだよ」
「だって山上が変なこと言うから」
「何言ってんだよ、俺は本気だ」
 いや怖い怖い怖い。
 その言葉通り、決して冗談を言っているようには見えない山上が、怖い。
 思い返せば普段から彼は、私の大声だとか怒声だとかが好きだと言っていた。それってつまり、単に元気な女性が好きということではなく、そういう意味でそういうレベルでそういう次元でそういう世界の……?
 人の嗜好にとやかく言う権利はないけれど、それでもこのカミングアウトは衝撃的すぎる。私はもう2、3歩後ずさりたい衝動に駆られながらも、既に体中が凍り付いて動けなかった。

 山上は腕を組み、一人うんうん頷きながら語り始めた。
「杉崎の恥じらいを持たずなりふり構わず大声で叫べるところが1番大好きだ……って、俺、春頃に言ったじゃん?」
「う、うん」
「でもそれは違うなって最近気付いたんだ」
 話が見えない。
 でも、おそらく私が想像してゾッとしたような展開ではない。
「どういう意味……?」
 私は先ほど取った距離を再び詰めて、山上に近づいた。

「それは2番目でさ。俺が1番好きなのは、東のことが好きで好きでしょうがなくて頑張ってて笑ったり泣いたり悩んだりしてる杉崎なんだよな。……つまり結局、俺の恋が実らないほうが俺自身幸せってことだろ。すんげえマゾ、ド変態だな」
 そう言うと、山上が小さく肩をすくめた。こういう仕草が自然に決まるあたり、やはりアメリカ帰りだ。
「今、杉崎の決心を聞いて、俺もやっと気付いたし踏ん切りついた。だから前に『絶対杉崎を俺にメロメロにさせて告白する』って言ったあれも取り消し」
「山上……」
「あー、だからそういう今にも崩れ落ちそうな顔しないでほしいんだよなぁ。そんな杉崎は正直好きじゃないし可愛いとも思わないわ」
 彼があまりにも良い笑顔で言うものだから、私は何か言葉を返すのも忘れ、つられて笑ってしまう。
「……わかった」
 よし、と山上が納得したように頷く。

 長い長い片思いをしている者同士、きっと私は誰よりも山上の気持ちに共感できる────そんなふうに思った過去の自分は、間違っていた。
 彼は私とは全く違ったところにいて、違った心を持っている。
 それが眩しくてしょうがない。感謝とか敬意とかの言葉では言い表せない、もっと大きな気持ちが、山上に対して向けられる。
「東の奴、男の俺でもビックリするぐらい、信じらんねーくらい鈍くて強敵だけど。頑張れよ」
「……うん」
 とりあえず、きっと私は一生山上に敵わないんだろうなと思う。



 私は思い切って、前に一度抱いたある疑問をぶつけてみることにした。
「……あの。違ってたら悪いんだけど、山上さー……」
「おっ! なんだよなんだよ、あらたまって。やっぱり思い直して愛の告白か?」
「……。あのさ、前に私が山上と七緒の会話を公園でこっそり聞いてたことがあったじゃん」
「あぁ、あの盗み聞きして転んでバレて最後は盛大に逆ギレしたときか」
 あんまりな説明だけど、えぇ、確かにおっしゃる通り。
「あのとき山上、もしかして……私がずっと隠れて会話を聞いてるのに気付いてた?」
 ずっと気になってはいたのだ。隠れている途中に物音を立ててバレそうになったとき、「猫じゃね?」と言った山上のファインプレー。そして、去り際に私に送った意味深な目配せ。
「そりゃ考えすぎだよ杉崎」
 山上はあっけらかんと答えた。
「そもそも、そんなことして何のメリットが?」
「……そうだよね。ごめん変なこと聞いて」

 本当は、七緒を夏祭りに呼んだ真意とか、私のゴキブリ発言をバラそうとした目的とか、他にも聞きたいことはたくさんあった。
 言葉とは裏腹に、彼はどこか私と七緒のことを進展させようとしているふうに見える……そんな小さな疑念が、ずっとくすぶっていたのも事実だ。
 今日の山上の告白を聞いて、あぁきっとそうなんだ、と結論付けることは簡単だろう。
 だけどそれはしないことにする。
 本当のところは結局わからないけど、それでいい。
 山上がそう言うのなら、私はそう受け止めよう。





「んじゃ、そろそろ行かないと東の試合終わっちゃうぜ」
 山上が階段の先の扉を指差した。
「あそこから入ればもう2階席だから」
「山上は見ないの?」
「俺は1階で見るよ。一応、関係者っつーか出場者だしな」
「……そっか」
 階段を上りきり、私は扉の前に立った。
 振り向くと、当然、山上と向かい合う形になる。
 ひひ、と彼はいたずらっぽく目を細めた。
「だけど杉崎、後悔するぜ。俺、これから柔道今以上に超強くなる予定だし! いい男フッちまったーって」
「えぇ……それ自分で言う?」
「言う! ま、俺は今日のこと1つも後悔しないけどな」
「私も後悔しないよ」
「へーぇ」
 満足気に笑う山上に手を振って、私は扉を開けた。
『ありがとう』も『ごめんなさい』も違う気がした。だからやっぱり笑顔でしっかり顔を見合わせて、私は扉を閉めた。




 私が扉を閉めたのと、場内がワッと歓声に包まれたのはほぼ同時だった。
 その声はほとんどが1階からのもので、山上の言う通り2階席は比較的空いていた。
 急いで席の最前へ駆け寄り、1階中央の試合場に目をやる。
 ──お手本みたいな、綺麗な大外刈り。
 決めたのは七緒だった。
 すごい勢いとスピードで、相手の両肩が地面につく。
 審判のおじさんが右手をさっと上げる。一本。勝利だ。
 私は言葉も出ずに、ただそれを見つめた。

 胸がドキドキと跳ねる。
 私が来た瞬間にばっちり決めて勝つなんて、なんなの、ちょっと嬉しいじゃない。
 もちろん彼は私がこんな所にいて見ていることなんて知らないだろうけど。
 次に会ったとき思いっきり祝福してあげよう。「副将、3時47分、素晴らしい大外刈りでしたな」なんて言ってみて、「えっ、お前見に来てたの!?」ってビックリさせちゃおう。きっと七緒、目ぇ丸くして「なんだよ、来てるなら言えよ」なんて言って────。 



 ふいに、七緒が上方に目をやる。
 柔道着の袖で額の汗をぬぐって、ひと気の少ない2階席の、間違いなく私の方を見て、ニッと笑った。









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