魔領にて 1
遠くまで蒼い空が広がっている。
私は窓の外に広がる景色を見ながら思った。
人々がいくら互いにいがみ合った所でこの空の様子が変わることはそうそうないだろう。
空は境界無く無限に繋がっている。
私は上を見ていた視線を下に移した。
あの空に対してこの地上は本当に自由が無いように思える。
皆が自分勝手に線を引き、旗を突き立てて陣地を主張し、塀を立て分割し、分断し、砦を建てて監視し合う。
いがみ合いは延々と、そう延々と続いていく。
人が生きれば、その営みが続く限り、争いは絶えない。
際限なく止めどなく。
結局、そう言うものなのだろうけれど。
「だからと言って滅びることが解決策ですか?」
我ながら無意味な呟きだと思えた。
彼らの望みが本当にそれだとは当然思えない。
争うという事は生きることだ。
死ぬ事を望んで生きる者などそうはいない。
大型車両がその動きを止めた。
私は窓から車内に顔を向けた。
運転手が礼をしながら私に告げた。
「ここまでになります」
「分かりました」
促され私は立ち上がると車外へと出た。
漸く、その地へと降り立った。
「お待ちしていました、アンネリーゼ様」
そう言ったのは身なりのしっかりとした若い少女のような女性である。
緊張が顔に張り付いているかのようだ。
お互いに待ちに待ったのだろうか。
彼女が差し伸べる手に手を伸ばし、私はだから言った。
「お待たせしました」
人は時に手と手を交わすことだってある。
誰だって何だって愚かなだけという事はないのだ。
争うが終わると言うことはそう言うことなのだ。
いくら延々と続こうとも終わりはある。
そういう物なのだ。
◇◇◇◇◇
オーデル街道をアンネリーゼを乗せた馬車が行く。
ここは魔領の接触近領の関を超えてジル国に入ったなら、最初に足を踏み入れる事になるもっとも大きな街道だ。
魔領の中と外、それを繋ぐのにこれだけの大きさの街道が必要だったと言うことからも互いの関係性が実は強いことが伺い知れた。
実際、オーデルはジル国でもっとも大きな街道だ。
馬車の外の風景に目を向ければ、遠くまで綿花の畑が広がっている。
しかし、道に視線を向けると街道に馬車の往来は見えなかった。
魔領には七つの国がある。
ナギ国。ウワ国。ライ国。ジル国。ヨウ国。レン国。
そして中央たるシン国。
ここは魔領七国がひとつジル国。
私がこの地に降り立った理由は魔領に存在する強大な結界を解く為だ。
結界の解除には魔領にあるその7つの神柱のいずれかを破壊するか停止する必要がある。
ここの7国が聖団が魔団を追いつめ、追い込めた果てのいよいよ最後の砦と言うことになるだろう。
世界地図に唯一残った魔領。
ここが解体されて漸くこの長きに渡る戦いに決着がつくと言う訳だ。
最後の最後で聖団はこの七国のいずれかと交渉をすることを決定した。
交渉と言う手段に頼ることになったのにはいくつか理由がある。
力ずくで結界を破壊し、占領する。
無論、不可能では無いにしてもかなりのリスクを伴うのも事実だ。
つまり、それなりに死者がでると。
それは双方というより一方的に魔領の方に、より多くということである。
七国は魔領と言っても国家だ。
あまり人死にを出しては征服後に支障がでるだろう。
ゆっくり上手くやれば良い。
解体を急ぐ必要がないという判断をした聖団とユノウス率いるべオルグ領府は全ての補給路の封鎖を指示し、魔領7国を孤立状態に追い込んだ。
魔領は今や袋の中のネズミだ。
もはや勝ったも同然というわけだ。
聖団の上層部は既にどうやって血を流さず無難に解体に移行するかの議論をしており、少々気が早い者はもう戦勝品の振り分けを考えたりしている。
ただ実際の所、七国をほしがっている者もそうは多くない。
ここの統治は実際かなり面倒な事になるだろう。
それは七国が全て神権王授国家である為だ。
それぞれの国に魔団に属する神が一柱ずつ居て、それぞれの民は生まれた時からその神の敬神な信者なのだ。
そして、魔領七国では全ての王がその神の祝福者でもある。
血統継承者。血によって神の祝福を引き継ぐ絶対の支配者。
この魔神信仰者である民を一から聖団に従わせる為に再教育する。
それは面倒なことだし無理が多い。
途方もない時間がかかる難事だ。
世界の変化もある。
現状、土地がさほど価値を持つ訳でも無いのだ。
魔団の壊滅は必要でも、国家の消滅までは正直強く望んでいない。
負けを認めさせ、その首根っこに聖団の鎖をつけさせれば、後の敗戦処理は物的保証なりで、国家自体は存続させる目論見なのだ。
もはやろくに立つことも出来ないだろう国の面倒まで見てられない。
聖団の意向とはつまり、そういう事なのだ。
その為の事前交渉の代表として派遣されたのがこの私という訳だ。
私とその護衛団は使者の一団とともに馬車に乗っていた。
「ユリア。本当に良かったの?さすがにここは貴方でも危険じゃないのかな?」
「平気ですよ。ミーナ」
私に心配そうに話を掛けて来たのはミーナだ。
学校でのクラスメイトで親友の一人である。
同じ相手を好きな恋のライバルでもおそらくはあるのだろうか。
実際のところ、そういう話を仲間で話題にすることはほとんどない。
全くない訳では無いけれど。
彼の消極性が伝播したのが理由なのかも知れない。
彼がそういう事にはあまり困らないハーフエルフというのも難点だ。
相手があまり異性としてこちらを求めていない事が分かってはこちらも異性としての行動しづらいのかもしれない。
「と、いうか私たちが仲良すぎなのよね」
「どうしたの?」
ミーナが私の一人言に不思議そうな顔をした。
この少女は周りを敵に囲まれている状況下でも平然としている。
それも当然なのか。
私には無いような困難な経験を彼女はいくつも潜り抜けてきたのだろう。
彼女は職業軍人だ。
学校には通っているがいくつもの戦役に参加し、修羅場を経験しているし、戦闘訓練を専攻で特化して受講し続けている。
成長期に数年間、軍事技術の習得だけにその時間を費やしたのだ。
私たちが想像する以上に彼女は強いだろう。
私や他の少女たちはそこまでの実戦経験や戦闘技能はない。
いまやこの少女はその成り立ちそのものが別格だ。
この数年間、戦闘訓練を中心に徹底的に最新鋭の教育を受けている。
ミーナは今や、ユノウス軍のエースオブエースと称されるだけの戦闘技能者となっている。
そして、今回の護衛団の隊長でもある。
若くして戦士として既に完成の域にあるミーナにとってはこの状況ですら鼻歌交じりの気軽さなのかもしれない。
実際、彼女が専門で対するのは竜や災害級の魔獣がほとんどらしい。
なんともスケールが大きい。
もっとも私もそんな緊張しているわけでもないけれど。
「まさか、アンネリーゼ様がこちらにいらっしゃるとは」
そう呟いたのは私の正面の席に座っている使者の代表。
ジル国の第五王位継承者であるレイア姫だ。
私を出迎えに最重要の要人である王家の者が国境近くまで来たのだから異例の対応ではあるだろう。
私は彼女にほほえむと言った。
「此度の要請感謝します。レイア姫」
たしかに私が選ばれたのは意外だろう。
アンネリーゼの存在は聖団の切り札の一つのはずなのだから。
ただ大使を決める際に手を上げた者が私だけだったのも事実だが、選ばれた理由もそれなりにある。
一つに次期聖皇候補の筆頭がいまや私だから。
故に選ばれたのだ。
この魔領訪問は私を排したいと願う者にとっては絶好の機会であり、同様に私を押したい勢力にとってはここで成果を上げる事は逆の意味で決定打となるものだからだ。
どっちの声が大きいかと言えば、おそらく前者だろう。
私は自身が聖団でそう気に入られているとは思っていない。
やはり敵の方が多いだろう。
確かにアンネリーゼと言う地位に加えて現聖皇の覚えも良い。
だが、私が聖団内で重宝される最大の理由はユノウスと極めて親しいという点になるだろう。
勢力を爆発的に拡大させているユノウスにすり寄るなら私が丁度良い存在であるという打算と、この世界の盟主として、あのユノウスにこのまま好き勝手にされたくないという矜持。
聖団が抱える大きなジレンマの中心地に私は立っている。
それにもう一つ。
魔団に直接に属する国家である国の王は全て血統継承型の祝福者である。
交渉者には同じ祝福者を用意するべきだろう。
私であれば、相手も同格と見なし易いだろう。
そういう配慮もある。
さて、どうなるかしら。
目の前のこの少女も祝福の力を持っているはずだ。
その目の前の少女は緊張からか若干顔が青い。
睨んでいる訳では無いだろうがこっちを相当に意識して見ているようだ。
私と彼女、両者の間には微妙な緊張感が張りつめている。
すると私の隣に座っているミーナが呟く。
「ねぇ、ユリア。魔団の人ってどういう目的で世界を滅ぼしたいですか?」
その突然の質問には面を食らった。
割と当たり前の常識の話だからか、そういう質問を受ける機会はそうない。
第一に国家代表クラスの会話にすっと入ってきた。
しかし、まぁ彼女はエルフ、森の娘だ。
人間にとっての常識はあまり通用しないのかもしれない。
「魔団の代表を前に話すのも」
「そっか。ごめんなさい」
「あの、私が説明しましょうか」
そう申し出たレイア姫に私は言った。
「よろしいのですか?」
彼女の口から聞けるなら魔団が本当はどう思っているのかと聞く良い機会になりそうだ。
案外、それを聞きやすくするためにミーナが質問したのか?
いやミーナがそこまで狙った発言をするとは思えない。
レイア姫は語り出した。
「はい。魔団が世界を滅ぼそうと考えるのは竜が居るからです」
「竜がいるからですか?」
「そうです。竜とはこの世界が生み出した存在です。それを考えれば、この世界はつまり間違っていると言うことになります」
「間違っている」
「はい。だから魔団の教義とは間違えを正すために一端、滅びようということです」
「一端?」
「世界の破壊と大転生が救いの道なのだと言う教えなのです」
「大転生?」
ミーナの頭には大きな疑問符が浮かんでいるだろうか。
「はい。魔団の信者は滅んだ後の世界に転生することによって竜の居ない世界を手に入れる事を目的としています」
「竜の居ない世界?そんなことが可能なのですか?」
「はい。竜は魔法を殺しに来たとされています。魔法という存在を消去しきれば、竜はもう生まれないと考えられるのです」
「魔法の無い世界・・・?」
その言葉にミーナが私を見た。
魔法も竜も存在しない世界は存在する。
私たちはたしかにそんな世界の存在をとある少年から聞いている。
それを目指す事が魔団の目的と言うことなのだろう。
そんな世界があるとして確かに興味深くはあるけれども。
その代償に支払う血の量を私は許容することは出来ないだろう。
「あの、魔法が無い世界だとエルフを含む聖霊族はどうなるんですか?
「・・・消えますね」
「そうですか・・・」
そういってしょんばりする森の娘。
聖霊族と魔団が相容れない最大の理由がそれである。
かと言って聖霊族は聖団とも一線を引いている立場ではあるが。
私はここでレイア姫に質問した。
「一つお聞きしたいのですが大転生の秘儀は完成したのですか?」
大転生という言葉は聖団にもよく分かっていないのだ。
転生魔法というものが存在する可能性は否定できない。
しかしそれを大量にしかも期間を開けて、しかも肉体を再構築する必要もあるだろう転生魔法が存在するのか?
そもそも魔法が無くなった後世界に対しても有効な魔法?
真実を語らずに騙しているだけ、でも無いはずだが。
「・・・」
少女は不安げな顔で呟いた。
「魔帝カリナスは既にそれは完成したと発表しています」
「信じているのですか?」
「大転生の秘儀は神式魔法ではありません。概念式の一つです。流涯流転、無限循環を司る七大竜のひとつの力を支配し、制御しなければならないのです」
「竜を制御する・・・?」
「私個人の意見としては可能とは思えません。それができるならそもそも世界は滅びる必要はないのですから」
「滅びることが目的では無いと?」
少女は首を振った。
「私たちは遠い昔、生き残るための選択として魔団になっただけです」
「それは本当なのですか」
意外な気がした。
「私たちは敬神な魔神アーガス神の信者なのです。竜は本質的には敵です」
「自らの神に害なすからですか」
「そうです」
「神は貴方に何とおっしゃっているのです?」
「我々にこうおしゃってているのです。しかし世界の間違いは正さなければならない、と」
「それが世界を滅ぼすことですか?」
「違う・・・と思います」
では間違いを正すとは?
私はその言葉の真意を尋ねた。
「違うとは?」
少女は不安げな顔で言った。
「聖団の方にこのようなことをおっしゃって気分を害されるかもしれませんが七国の神の共通認識は一つです。彼らはこの世界でもっとも邪悪な神であるアルファズスの排斥を望んでいるのです」
その言葉に私は驚きはしなかった。
ここまで事実を認識しているのか、という意外性はあったがそのこと事態には動揺するほどのことは無かった。
「創世神が邪悪だとは?」
「この世界を欺き、魔法を生みだし、世界に竜を呼び寄せたのは創世神と名乗るその者だと」
それはある意味において正しい。
良くも、或いは極めつけに悪くとも創世神はこの世界を作った。
それは事実なのだ。
「竜の制御は創世神の悲願です。彼は竜をも統べ従える真神になるべく竜の力を研究しているのではないでしょうか?」
「そのような事実はありません」
「そうですか?もっとも制御が出来なかったから今に至るのでしょうけど。聖都ではわざわざ封印した竜を集めて概念式の研究をしているのですよね?」
封印された竜が聖域に集まっているのは常に聖団の監視下に置くためだ。
そういう建前になっている。
聖都カルウェンで6賢人と呼ばれる管理者たちが竜を使って何を研究しているのか、私たちですら知らないのだ。
「・・・」
「世界中から封印された竜がすべて集まる聖域には今も彼がいるのでしょう」
彼。つまりアルファズス。
「私は会ったことがありません」
私はそう断ってから小さくため息を吐いた。
やはりこの交渉は困難な物になりそうだ。
魔団の不信感の深さは相当だ。
何も事情を知らない愚か者を相手する訳では無い。
私はひとまず尋ねてみた。
「こうは思えないでしょうか。生き残る為にここは聖団に帰依する」
「神がそれを認めない以上、その意に殉ずるのが我が民です」
交渉を前に余りに意固地な言葉である。
本心かは分からないが理想論を語りすぎだ。
その言葉に私は冷淡に呟いた。
「その神意で民が救えるなら良いことですよ。本当に救えるのであれば」
私のその言葉に悔しそうに彼女は唇を噛んだ。
◇◇◇◇◇
私は生まれた時にはアンネリーゼだった。
ユリアという名前を授かるより前に既にアンネリーゼであったのだ。
フィリアの神託を受けて、選ばれた子供である私は生まれて、次の日には生んでくれた両親の元を離れフィリア教団の揺りかごの中に居たという。
神託は母のおなかの中に居た頃には為されていた。
私がたった一日、本来の母の腕の中に居たのは温情だろうか。
私は両親の顔を知らない。
アンネリーゼには親など要らないのだろうか。
親の愛など不要と言うことだろうか。
親の愛情と言う物を知らない私は。
愛の女神フィリアに使える聖職者でありながら、愛と言う物がやはり分からない子供であったし、それに関して今となっても確証が得られる物ではない。
無償の愛とは何なのだ。
好きは打算にまみれている。
そこからその一切が昇華されるものなどあるのだろうか。
今も分からない。
答えを探して見つかる物なのだろうか?
私はそれについて考えた時、酷く憂鬱になる。
宿題を延々と出されている気分だ。
私にとってのそれは疑問に、疑念に包まれ続けてきた言葉だ。
その問いに対して、私は酷く冷めていて、酷く醒めている。
私に愛なんて唱える資格は無いだろう。
愛なんて物は分からないだろう。
それでも私はアンネリーゼなのだ。
残念ながら私はそれ以外の私を知らない。
◇◇◇◇◇
馬車はジル国の首都ソウレンに到着した。
ソウレンは泉に出来た街で馬車の停留所は一段高い丘に置かれて居るために景色が一望出来る。
ここからは風車で動く滑車で下まで降りるゴンドラに乗る様だ。
意外にきちんと整備された町並みに驚く。
首都と言われれば、若干寂しいものの情緒ある佇まいはそれなりに風光明媚である。
私の周りの世界は近代化が進んでいる。
私の世界、べオルググラードの様には行かないがそれなりに立派な都市であると言えた。
「アンネ様には首都一の旅館である愁香荘にとまってもらいます」
「あら?てっきり王宮に招かれると」
「王宮の迎賓館の使用は出来ません。申し訳けありませんがアンネさまは今回、国賓としての立場はないのです」
面と向かい、国賓では無いと告げられて少し困惑する。
確かに国交のない敵国の聖職者だから国賓では無いことはそれこそ間違い無いことなのだろうけれども。
「そうなのですか?」
「今回の要請に当たって、申請を出したのですが大法廷(ジナ国の裁判所)が国交の無い国の民を国賓と据えることは大法(憲法)に反すると決定したのです」
「王であっても法の決定に従うのですか?」
「当然です」
「なるほど」
感心なことである。
司法が機能しているということは好感が持てる事実だ。
「なかなかの美都だと思いませんか?」
レイア姫の矜持の高そうなその言葉に私は目を細めた。
「良い都市ですね。治安も良さそうです」
私は素直に褒めた。
都市が美しく見えるのは其処に住む人たちの心が其処に治まっているからだ。
私はあの町でそれを学んだ。
「ありがとうございます」
そう笑顔で呟いた姫を見て私は思った。
驕りや計算から出た言葉ではなさそうだ。
ただ純粋に自らの誇りをこちら側の人間にも認めて欲しかったのか。
そうだとすれば。
彼女自身は滅びをただ待つ想いよりも為政者として国が栄える事を望む想いの方が強いのかもしれない。
その想いはこちらにとっては十分に利用できる感情だ。
交渉に当たって彼女の矜持をくすぐることも考えるべきだろう。
愁香荘に付くとレイア姫は一礼して去っていた。
どうやらレイア姫は一端、報告の為に王宮に戻るらしい。
彼女と別れると私と護衛団は荷物を宿に運び入れた。
愁香荘。
平屋の宿はそれなりの地位の者の使用を想定した豪華なものだった。
「宮内より護衛はしやすそうですね!見てください、プールが備え付けれてますよ」
笑顔ではしゃぐミーナに毒気を抜かれながら私は荷物を下ろした。
「ミーナ。私は街を視察しようと思います」
「了解です。護衛には私とシャイナがつきますね。あ、クーリスさんとフォードさんは館に残って伝令をお願いします。クロナさんとメイムさんは私たちとは別で街内の情報を収集してみてください」
「了解」
ミーナがきびきびと護衛団に指示を出す。
なかなか堂に入っている。
彼らへの指示は私の仕事では無い。私は少し感心しながらそれを眺めていた。
◇◇◇◇◇
愛を考える上で、考察する上で私の友人たちは興味深い対象だ。
彼女たちの行動や人柄は興味深い。
まずはアリシスだ。
彼女は情熱的で行動派の娘だ。
彼女はいつだって全力で自分を曲げないし諦めない。
そのやや向こう見ずな献身さには感銘を受けるほどだ。
彼女は信念の娘だ。
自分の信念に正直で、だからその一歩で道を作り、人と共に歩んでいくのだろう。
彼女は照れくさそうに呟いている。
自分の大切を守りたいからと。
次にユフィリアを考えてみる。
彼女は利己的で理屈屋の娘だ。
彼女はややへそ曲がりな娘だけど、諦めることを頑なに拒み、困難に自ら突き進む娘だ。
彼女は不屈の娘だ。
彼女は多くの困難に直面しながらそれを乗り越えていく。
彼女はいつも面倒そうに呟いている。
自分勝手にやっているだけと。
ミルカについて考えてみよう。
彼女は計算高く、整然とした娘だ。
一方でいつもどこか自分が損をする選択肢をし、痛みを受け止めようとする。
彼女は献身の娘だ。
彼女は多くを得ながら多くを失い、それでも大切な何かを守ろうとしている。
彼女はいつも不安げに呟いている。
自分が足りないだけだと。
ミーナについて考えてみる。
彼女はのんびりしていて前を向きな娘だ。
彼女は決してすれず、へこまず、いつでもその場の最善につくそうとする。
彼女は努力の娘だ。
その姿勢が人を引きつけ、人の輪が出来、彼女の力となる。
彼女はいつも笑顔で呟いている。
私は出来ることをしているだけだと。
彼女たちに愛について問うたならばどう答えるだろうか。
分からない。
それでも彼女たちは何かの答えを持っているかもしれない。
最後に彼を思い返す。
彼はこう答えるだろうか。
僕は愛なんて必要ない。と。
私はどう答えるだろうか。
私の愛の理由を。
私はきっとこう答える。
そう決まっていたから、と。
私にとって愛なんて。
きっとただの運命に過ぎない。と。
◇◇◇◇◇
まずは情報収集だ。
来て早々に自由が与えられたのだから、この機会に街を見て回るのは当然だろう。
ミーナたち護衛を引き連れて、メインストリートらしい通りを見て回る。
一軒目に入ったのは八百屋だった。
この八百屋は女店主が切り盛りしているらしい。
「いらっしゃい」
「ちょっと見てもよろしいですか?」
「あいよ。こんなんだけどね」
女店主はそう自嘲気味に呟く。
確かに品揃えはいまいちだ。
どこかしなびた野菜が申し訳程度に盛られ、鮮度の良い野菜は少なく逆に芋や根菜はそこそこ多い。
食べれるのか分からないような野草も並んでいる。
「どれも保存が利くものばかりみたい」
エルフの少女がそう呟く。
植物の目利きならこの少女の知識は存分に役立つだろう。
他の店も見て回ったがどこの店も全般的に生鮮食品がすくない気がする。
人の出入りも寂しい。
「閑散としていますね」
ミーナがその長い耳をピンと動かした。
何かを気づいた時の仕草だ。
「私、こういう町は結構見てきましたよ。たぶん、どこかに闇市があるんですよ。正規ルートでモノが入らないならそういうものが出来るのがわりと普通なんです」
何かと荒れた現場で様々な物を現地調達をする機会を多いのだろう。
ミーナが経験則からそう呟く。
闇市か。
私たちは町民に話を聞き、一本の裏街道に足を踏み入れた。
露天商が立ち並んでいる。
一転して、こちらには雑多な人込みがあった。
「いらっしゃい!どうだい!うちの商品!」
威勢の良い店主の呼び込みに足を止めて商品を見る。
付けられた値札を見て私は眉を歪めた。
先ほどの店とは桁が一つ違う。
「高いような」
「はは!今このクリナの実を買おうと思ったらこの値段はしょうがないのさ!」
その言葉にはミーナが反応した。
「クリナじゃなくてウズラべの実みたいですね。食べられない事も無いですが野生の実は酸が強いので多少下痢になりやすいので注意してくださいね」
「あ、いや、そのこれは違うんだよ!」
慌てて、その商品を引っ込める店主。
私はため息を吐いた。
店主に断りを入れて別の店も見て回る。
「商品は一応、豊富みたいですね」
「お値段と品は良くないですけど」
やはり閉鎖の影響は強いのか。
いや、それにしても。
「ここまで影響を受けているのは意外です」
まだここまでの状況にはなっていないはずだったのだが。
物流が悪すぎる。
「他の場所の様子も見て回りますか」
私は呟くと足を進めた。
◇◇◇◇◇
暗い部屋にわずかに光が浮かんでいる。
紫に怪しく光る、奇妙な光彩。
ぼんやりと人影が見える。
そこに影が増えた。
「アンネリーゼがジル国に入った模様です」
新しく増えた影の言葉に元々居た方の影が震えた。
元の影、魔帝カリナスは眉を歪めた。
「奴らの狙いは結界か」
「その通りかと」
深き闇の庵。
そう呼ばれるここは。
完全なる「闇」が存在しているのだ。
この地には一切の光を奪う「闇」という存在がある。
あらゆる観測を遮断する場所だ。
その身を守るためにカリナスはここに身を寄せている。
やや用心が過ぎるが、例の準備も進めなければならない。
「愚か、愚かよ。聖団の者たちよ」
カリナスは恍惚の表情でそれを見上げた。
赤き結晶が闇に浮かんでいる。
「もうすぐ終末の鐘がある。もうすぐだ。それだと言うのに奴らは待てぬか」
カリナスはもう一つの影を見る。
わずかだが姿が見えた。
白い長髪に赤い目。優美さにどこか狂気を乗せた男が其処に居た。
「来てくれたか」
「さすがにそろそろ動かなければ、事が我が魔領にも及ぶだろう」
彼こそが魔団が頼るところの最終兵器。
魔人でも無く龍人でも無いしそもそも人ではないがが間違いなく最強たる魔族。
世界最強種の誉れ高き魔の王。
そして、魔領領主代理にして絶対守護者。
ヴァンパイアロード・ヴィラーヌ。
ヴィラーヌに彼は願い出た。
「アンネリーゼを殺してくれ」
「いいだろう」
◇◇◇◇◇
次の日。
レイア姫と大臣を名乗る男が私たちの逗留する宿を訪れた。
「こちらで会談したいと思います」
そう言われ、案内された会談の間は王宮ではなかった。
都市議会の会議場らしい。
悪くは無いが少々殺風景な会議場である。
うん。
呼ばれて来てみたものの扱いの悪さに困惑する。
会談には姫が護衛を3人連れているのに対してこちらはミーナ一人。
しかも武器を取り上げられてしまった。
他の者は外で待機を命じられた。
「街はごらんになられましたか?」
姫の言葉に戸惑いながら頷く。
「大方は安定していますが少々荒れている部分も見受けられました」
昨日は泳がされただけか。
町の現状を晒したと言う事は隠し事をしないと言うことだろうか。
「すこし、我が国について説明をしてもよろしいですか?」
「どうぞ」
「私たちの国は衣類と染料を主な生産物として来ました」
「衣類ですか」
そういえば、昨日の視察では唯一、衣類は値段も安定し充実している様に見えた。
特産物なのだろう。
私は差し出された品のその質感を確かめる。
「麻ですね」
その呟きに姫は頷いた。
「そうです。この7国で主に流通するのはこの麻です。ほかにも絹や綿花も育てていますが主流はこの麻なのです」
綿花は馬車から見えたが麻の方が多いのか。
「そうですか」
「どうでしょうか?」
「とは?」
「これは貴方にとって魅力的な商品になりますか?」
「専門外ですが、そうですね。珍しい工芸品としての需要は多少ありそうですが、大量の需要は難しいかと」
私はそう言って言葉を濁した。
はっきり言ってしまえば、あまり売れないだろう。
ユノウス商会の商品には値段も質も数段劣る。
「そうなのですか?」
「今はどの国でもこの手のものは商品として難しいのです」
「残念です」
その言葉に姫は沈痛な面もちで呟いた。
残念か。
自国の主力商品が否定されれば彼女にとってはあまり良くないのだろう。
姫は私を見つめて言った。
「見ての通り、街には十分な食料が行き届いていません。我が軍の兵糧も尽きました」
その言葉に私は困惑した。
街の様子はともかく兵糧の現状まで晒す必要は無いだろう。
「もうですか。まだ餓える時期では無いはずですが」
魔領内の食料生産量の把握はべオルグ軍が進めており、かなりの精度で把握されている。それから予想されたものだと余力はまだあると踏んでいたのだが。
「全体で見ればそうなのでしょう。ですが魔領七国はそれぞれの国が専業的な役割を作り、それが強固な交易で結ばれることで国力を維持して来ました」
「つまり、穀物を担当する国の配給に問題があるのですね」
内部分裂か。我々としては歓迎すべき事態なのかもしれない。
「はい、魔領七国の食料庫と呼ばれるナギ国が一方的に物価を引き上げてきたのです」
そうなれば、他国が悲鳴を上げるのも当然。
「麻の商品が他国に売れず、逆に穀物の価格は高騰を続けています」
「そうなのですか」
「我が国の農作物と言えば、麻です。他の植物を植えて生えぬ訳ではありませんが、今我が国にある作物は食えぬ物ばかりなのです。見通しが甘かったと言われれば、それまでですが我が国は現状、危機的状況なのです」
「大変な事だと思います」
その状況を作っているのは我々だから同情する訳にも行かないが。
「彼らはそれどころか大麻を要求して来ました」
「大麻ですか。販売は禁止されているのですか?」
少し驚いた。
これは予断と偏見だろうが魔団ならば、そう言う物に対しても相当に緩いだろうと思っていたのだ。
「はい」
私は眉を歪めた。
国が正式な交易品として麻薬を要求するなんて尋常じゃない状況だ。
ナギ国の内情も悲惨なのだろう。
「アレは人の気を落とします。蔓延ればそれだけで国が滅びかねません」
大麻は確か所謂ダウン系の麻薬のはずだ。
虚脱感が強く、吸った人間は行動する気力無くなり生産性は落ちる。
大麻の生産はそう難しく無いはずだが交易で要求するとは相当な量がすでに蔓延しているのかもしれない。
だとすれば、ナギ国は既に崩壊しているのか。
「それは正しい認識です。大麻はよろしくない」
「アンネさま、どうか我が国を飢餓より救ってください」
「レイア姫」
さすがにその言葉には困惑した。
私は貴方の国の救世の勇者ではない。
敵国の聖職者なのだ。
彼女の交渉術がこういう心情に訴えるやり方なのか。
彼女自身がお人好しなのかもしれない。
若干安直だとは思うが彼女は姫だ。
心情に訴えるやり方は臣下の者に対してそれなりに有効な処世術なのだろう。
悪いと思わない。
ただせめて私が男で、しかも好色で、さらに強欲で、とても計算高い人間だったなら、それも案外通用したかもしれない。
レイア姫は見た目麗しい姫だ。
彼女もそれなりに失う物を失って、支払う物を支払って、目的を遂げることが出来たかもしれない。
私は内心では困惑しながら、表面上笑顔で言った。
「交渉は互いに得るものがあって成立するものですよ。姫」
「私たちが提示できるものなどそう多くはないのです」
弱者として心情を撃つやり方は厄介だ。
こっちが強者に回れば弱者に寛大さを見せるべきとなるのが人の道徳観だから。
「この交渉は貴方にとって立場を悪くするものでは無いのですか?」
「この交渉を快くは思わないでしょうね」
「周辺国との関係は?」
「難しい所です。ナギ国が食料を不当に切り上げている状況が続くよりはマシと考える国もあるでしょう」
ナギ国の力を増す状況を快く思っていない勢力もあるということか。
私は本題に入ることにした。
「私たちの要求は結界の解除です。それが成されれば、物資の救援も成され、封鎖も解除します」
こちらの要求は当然それだ。
「それはできません」
きっぱりとした拒否の言葉に私は尋ねた。
「何故ですか?」
「結界に手をつけることはできません」
その理由を教えてほしい。
「それは他の国の報復が怖いからですか?」
「それも理由の一つです」
「聖団の保護下に入れば安全は完全に保証しますよ」
その言葉にも姫は沈痛な顔で首を振った。
「今のまま、私たちと通常の形で交易を開くことは出来ませんか?」
「できません」
無茶な注文を付けるものだ。
「たとえば、金や銀などはどうでしょう」
「それでも応じることはありません」
この国に金銀が後どれだけ残っているのかも疑問だが。
「すみません。それでは交渉の余地がありません」
「もとより、魔団としての貴国とは交渉の余地がありません」
その言葉に姫の周囲の人間の気配が殺気立つ。
「魔団から抜けろとおっしゃるのですか?」
「当然の要求です」
その想定をせずに交渉をしようとしていたのか。
逆に尋ねたいのだが。
「こちらはただ閉鎖を解いて頂きたいのです」
「姫、我々は明確な目的を持って封じ込めを行っているのです」
「目的。つまり私たちを餓えさせる事ですか」
姫の強い非難の隠った言葉に私は目を細めた。
「まさか、目的は魔団を壊滅させる為です」
「そうなれば、多くの人が餓えて死ぬのです。それは或いは戦うより悲惨な事なのですよ」
それを訴えたところで意味は無い。
「それを望んでいると思われては心外ですがそれを防ぐための決定を貴方たちに促す為ではあります」
「そうですか。でしたら無理なのですね」
「ええ、我々の目的は貴方たちのある程度の疲弊にある以上、つまりそういう事なのです」
経済制裁とは冷たい戦争なのだ。
血は流れずとも人は死ぬ。
姫が真っ赤な顔で言葉に詰まる。
「でしたら。この交渉に意味はあるのでしょうか」
「姫、王家の求心力が大きく削がれてからではこんな交渉すら出来なくなりますよ」
「どういう意味ですか?」
「次に会う機会があれば、その時は亡命の相談になりかねません」
「私たちが命乞いをするとでも?」
やや怒気を含んだ声に私は眉を歪めた。
さっきのアレが命乞いでなくて何なのだろうか。
「貴方以外の誰かがその席に座っていても私からすれば同じ事です。ただそういうお考えなら貴方とはもう会うことは無いのかもしれませんね」
その言葉に今度は顔を青ざめていた。
今は突き放したがこの話の分かりそうな姫が退場する事態はできれば避けたい。
「想像して見てください。このまま行けば、人々は餓え、国民の怒りは貴方達に向き、国は大いに荒れますよ。そうなってからでは貴方ではもうどうにもなりません」
「想像だけで国が動きますか?」
理想で国が動かないのは事実だ。
そして、悪い想像は容易に現実になる。
「それでも王が決断し、動かすしかないのです」
姫は苦悩の顔で呟いた。
「魔団ではヴィラーヌ卿に告ぐ実力者である魔人シロが、たかが積荷の奪取にすら失敗したと聞きました」
「そのようですね」
「今の魔団はじり貧です。このままではどうにもならないのは事実なのです」
でしょうね。
こちら側の封鎖作戦の成果だと言える。
「私の行動が黙認されるのもそのためです」
この作戦の成功がこのテーブルに彼女を引き出した。
それは間違いない。
追いつめられているのは彼女の方だ。
こっちが甘い顔をしてあげる必要もない。
「残念ですが交渉は決裂ですね」
姫がそう呟いた。
意外だ。私は姫を見つめた。
彼女の余裕の無い顔を見て、ミーナに目配せする。
「それでは私は宿まで帰りましょう」
「今回の交渉の成果として一ヶ月分の食料。どうでしょう?」
唐突な要求に私は苦笑した。
ただでは返さないか。
それが引き出せたなら姫にとってはこの会談は無益とも言えなかったのだろう。
自身の立場を悪くすることなくその場しのぎの成果を得られた。
「それが私の人質代ですか?」
「違います。友好の証です」
名目上はだろう。
「友好はありえませんよ」
姫は魔団の立場が分かっていないと見える。
残念ながら魔団は聖団側から正当な勢力として見なされていない。
「強情を張れる状況ですか?」
姫がそう呟く。彼女は本気だ。
「私は貴方の賓客であって捕虜でも人質でも無いの。私を脅せる状況?」
「騎士よ。彼女を捕らえなさい」
私を拘束する気だろう。
姫の言葉で騎士たちが動き出した。
その瞬間、ミーナが飛び出してきた。
剣を抜き向かってきた騎士を合気の技で転がすと瞬時に次の騎士を空気投げで飛ばす。
さらに向かってくる騎士にカウンター気味に掌手突きを打ち込む。
流れるような所作で一瞬の内に屈強な騎士三人を無力化した。
彼女は苦悶の顔で倒れる騎士の腰から剣を抜くと私の横に立った。
「なっ」
目の前でレイナ姫が唖然とした顔をしている。
自分に剣が向けられている状況に純粋に驚いている。
護衛は素手の娘がたった一人と甘くみていたようだ。
彼女は割と不器用だったが努力家の娘だ。
先日、試練を超えて森人になったというエルフの娘は勤勉な性格が災いしてか、戦闘訓練の果てに射撃だけでなく戦闘術までも既に達人級の腕前になっている。
ユノウス軍のエースオブエース。
その呼称に違わぬ力量を見せつける。
「今日はここまでのようですね」
「貴方は」
姫の声が震えている。
少々、脅しが過ぎたかしら。
「では、今日の所は帰らせていただきます」
「待ってください、交渉は!」
「ええ、続きはまた後日と言うことにしましょう。失礼します」
そういうと私たちは会議室を出て行った。