不治の病
その日は朝から忙しかった。
だからと言うわけでは無いだろうがいろいろと最悪が重なる日だった。
内蔵が半分ぐらい破裂した患者から始まって、鉄の棒が頭蓋骨を貫通している患者だの、全身火傷でまともな皮膚がコンマゼロパーの焼ゾンビくんだの、何で生きているのかよく分からない患者のオンパレードだ。
そして、その全てがどうにかなってしまったのも、我ながらどうかと思うのだ。
とにかく、疲れて疲れて。
そして、極めつけがこれである。
「はぁ?結婚ですぅ?」
誰と誰が?
眉を歪めた私に対して、わざわざ病院にまで尋ねて来た母親は告げた。
「そうですよ。とにかく、一度実家まで帰って来てください」
どうやらこの母は私にお見合い話を持ってきたらしい。
そんなバカな。
「忙しいんですよ。見れば分かるでしょ」
私は両手を広げ、呆れ顔でそう呟いた。
私用で来るなら日を改めて欲しいものだ。
ここは私の勤め先である病院の診察室である。
母は母といえど、今は只のお客さまだった。
母の健康診断の結果に目を通す。
「とにかく、異常はありませんから」
そう言って横の看護士に目配せする。
それで十分に意図は伝わったのだろう。看護士がそそくさと部屋を出ていく。
さて、次の患者と速やかに変わって貰おう。
そのとき、急患を告げるブザーが鳴った。
ダムっ。
次は何が来るんだ。
母が長話をしたせいで私は午後6時の朝ご飯が食べれなかったのです。
若干恨み節で母を睨むと少し困惑した様子の母は困り顔で私に言った。
「とにかく帰りなさい。じっくり話しましょう」
「次の方。どうぞ」
私はそう言って看護士を促す。
すると、私のそんな態度に母はちょっと泣きそうな顔で言った。
「そんな態度。親子の縁を切りますよ」
どんな強権だ。私は眉を歪めた。
母が漸く去っても不機嫌な顔をしていた私は近くに来た看護士にぽつりと呟いた。
「お仕事、休めませんですよね?」
「それは・・・あの・・・」
なんだか必死だったな。
あの母はそんなに私を結婚させたいのか?
違和感を感じながら私は母のカルテをしまった。
しかし、今日もここの忙しさは火が噴くようだ。
はぁ。まいった。
うー、そうは言ってもこれじゃあやっぱり一度、実家に帰るしか無いだろう。
まぁ仕方ない。
良し。仕事を休もう。
「で、次の患者は?」
「下半身が無いそうです」
「そんなの持ち込むなです!」
もうあきらめて墓場に直行しなさいよ!
どうにか出来ると思ってるのか?
いや、本当にどうにかなるものだろうか?
あー。
うー。
「生きているならどうにかするです・・・」
私は色々と諦めてそう呟いた。
あー、今日は前のめりになって死ねるです・・・。
◇◇◇◇◇
学校がウィンターブレイクに入り、母の帰郷要請にかこつけて、ちょっと長めのお休みを戴いた私は内心、ちょっとほくほくしながら実家に向かった。
お休みの後半はクラスのみんなと温泉である。
実家に向かうと、言っても移動自体は世界門で一瞬。
らくちんなものである。
久しぶりの帰郷。
嬉しいかと問われれば、微妙なところだろう。
懐かしくはある。
実家の大きな門を見て私は感心した。
「へー、外から見ると意外と立派な門扉ですね」
懐かしさより新鮮味を感じて呆れてしまう。
この門扉の外面を含めて、実家の外側と言うものは私にとって良く知らない、馴染みのない世界なのだ。
幼少期の私の世界はコレの内側で完結しており、広がりが無い。
余所余所しい態度で澄まし顔で門をくぐると掃除中のメイドの姿があった。
「ユフィさま!」
誰かと思えばメイドのリージュだ。
以前は私の兄であるユノウスの乳母をしていた女性である。
私も彼女には幼い頃、よくお世話になった。
「ひさしぶりです」
本当にいつ以来だろうか。
「お久しぶりです!」
感激しているリージュが私の手を握っている。
さすがに苦笑いだ。そんなに感動するほどの事ではないだろうに。
私はそこまでプレミアムでもレアでもないのです。
「今日はどのような御用事で?」
「母に呼ばれましたです」
「なるほど」
何がなるほどなのか。
まぁ用事が無ければ、来なかっただろうと思われている時点でもうこういう扱いは仕方ないのかな。
私は苦笑いを浮かべながら屋敷を歩く。
「おー、柿がなっているです」
思いでの柿の木。懐かしい木だ。
今でもこの本邸で採れる渋柿はメイドたちが干し柿にして送って来てくれる。
「ユフィさまも時々帰ってくだされば良いのに」
「色々忙しいのです」
「ユノウス様は時々帰って来てくれますよ?」
若干恨めしそうなメイドに私はまた、苦笑した。
兄様はレオに会いに来ているだけだろう。
あの二人にはそれなりに会う理由がある。
薄情なものだとは思うけれど、私にはここに来たくない理由はあれど、帰りたい理由はあまり無いのだ。
私はリージュに土産の品を渡して、別邸を目指した。
本邸はレオが使って居るのでメーリンたちが居るのは別邸の方だ。
しかし、あのくそ爺が別邸の方によく納まっているものだ。
あの頃の印象だとなんだかんだと理由を付けて本邸の方に居座りそうなものだったが。
「ん、おお、娘がいるぞ」
噂をすれば、影とか言う。
私の耳にそんな声がさっそく聞こえて来た。
声の方に頭をくるりと向けると案の定、見たくない顔があった。
私の顔を見るや父は人が良さそうな笑顔を見せた。
「おお、珍しく来たか。どうだ。良い鹿の薫製があるんだが貰っていかないか」
薫製?
「会っていきなり薫製ですか」
ほれと言って無造作に薫製を私に差し出す父。
自家製と思われる薫製を口にひとつまみ。
芳醇な香りが私の鼻を抜けた。
むむ、これほど、香り高いとは。
公爵領の海岸線の側には森があり、そこには香り高いプリムの木が無数に生えている。
潮風に通って風の風味が程良い。
プリムのチップで薫製にしたものを自然風でさらに熟成させたものだろう。
市場で出回る物より風味が良く格段に美味い。
「美味いか?」
認めるのはしゃくだが美味い。
「ええ。これはレオですか?」
「そうそう、作り方を教わってなぁ。なぁ、良いものだろう」
私は作った人間を問うたのだが。
意外にも作ったのはこの父か。
レオが作った物と遜色ないように思える。
父は変わった。
いや、変わったと言うよりも元に戻ったと言う方が正しい。
そう、元に戻ったのだ。
ボンクラのドラ息子だったことのダメ人間に。
父は元々貴族のことには興味がまったく無く駄目貴族の典型だった頃に。
父は元々は家を継ぐ跡目でも無かったのだ。
年の離れた兄が一人だけおり、それもあって一人子のように育った父は皆が手を焼く我が儘小僧だったのだ。
女を引っかける事と、酒を飲み事と、冒険に出る事と、博打を打つ事しか興味の無い駄目人間。と称する人もいる。
最近はすっかりそんな頃に戻ったと言われている。
もっとも、我が儘では無くなったし、浮気性やら博打打ちはさすがに収まっている様なのでそこまで心配は無いようだ。
が、誰の言うことも素知らぬ顔で山師でも無いのに毎日、野山を狩りで駆け回っているらしい。
良くも悪くも悪いジジイになってきた。
「そうだ、コレを見てくれ」
そう言って背中に背負っていたものを自慢げに私に差し出した。
銃。マスケット銃だ。
銃自体が真新しい技術だし、この形式のものは極々少数だけ、美術品として作られたものが出回っているだけだ。
おもちゃみたいな銃を見せて彼は笑った。
「良い銃だろ。ユノウスに貰ったんだ」
実用銃とは言い難いのだが。
趣味の固まりのような銃を遠くに向かって構えて笑みを浮かべる父の姿。
まるでおもちゃにはしゃぐ子供のようだ。
どうやらこの父は息子たちを趣味で良いように使っているようだな。
こういう図々しさも最近は出てきた。
「兄の物なら良いものでしょうね」
「ふふん、これで山のヌシを狩るのが今年の目標なんだ」
山のヌシ。
この辺りの山だと、ロックベアーとかそこら辺の魔獣だろう。
私や兄であれば、お話にならないような獲物だ。
レオなら逆に餌になるだろうか。
ただ、それに関しては熊がそこそこ美食家でよっぽどな悪食で無いならレオ様な脂肪の固まりはまず相手にしないだろうけれども。
あまり、趣味が良い遊びとは思えない。
話には聞いていたがここまでとは。
私はあまりの変わりように呆れて言った。
「すっかりご隠居ですね、お父様」
父はもう一度、にやりと笑うと、今度は澄まし顔で言った。
「ふん、もう貴族なんて頼まれてもやらんよ」
公爵家は既に長男であるレオのものになった。
あれも乗り気だったとはお世辞にも言えないが裸一貫、腹ぺこの風来坊が嫁を二人も持ったのだ。
あれでは後を継がざるを得ないだろう。
父はそれで肩の荷が下りて憑き物が落ちたのだろうか。
最近はずっとこんな感じである。
「どうして無理をして貴族などしていたのですか?」
まさか、私たちの為だとか恩着せがましいことを言うのだろうか。
しかし、父の反応はさっぱりしていた。
「大人の事情だよ。聞きたいのか?」
知りたくないとも思ったがそんなに大人気無い態度もどうだろうか。
一応、尋ねた。
「聞けば教えてくれるのですか?」
「当然だ。お前はもう大人で、俺はこの通り、只の飲んだくれ爺だ」
只の飲んだくれだの、自分で言っていれば世話ない。
聞いておくべきかどうか。
「兄は知っているのですか?」
「聞かれていないが知らないことは無いだろう」
やはり、兄はその当たりの事情を知っているのか。
きっと兄は私が尋ねれば教えてくれるだろう。
結局、いずれ兄から聞くか、父から直接聞くかの違いか。
興味が無いので一生聞かないというのも一つの手ではあるけれども。
「兄は貴方を恨んでは居ませんね」
「あの子は最初から俺に同情的だったよ」
そういって彼は苦笑した。
「俺が冒険者なんぞに現を抜かしている間に親父と兄が死んだ。北征戦争は知っているか?」
「話は何となく聞いています」
たしか、時の王子シンドラが軍を率いて隣国であるウォルド征服しようと試みた戦争だ。
シンドラ王子が戦死し、戦争は一年足らずで終わったはずだ。
何の価値も無いウォルドをシンドラ王子が欲した理由は不明だがその時の禍根が色々と後世に影響を及ぼした。
「あの頃の第1王子だったシンドラ王子の立案でな。当時、シンドラ王子の叔父に当たる父は後継人だった。お前たちが幼い頃こそ没落していたがその前はこの公爵家は大盛況だったんだよ。なんせ次期王の側近中の側近だ」
「戦争に参加していたのですね」
父は頷いた。
細かい経緯は知らないが彼はその戦争で父と兄を失っている。
「親父の遺言でな。公爵家を頼むと言われた」
「それで突然公爵ですか」
降って沸いた厄と言うわけか。
まぁ、良い迷惑だ。
「ひとまず、父の真似事から入ったのだがな。何せ才能が無い上に、応急に行けば、ほとんど逆臣呼ばわり状態だ。第一王子の命と共にルベットの家名は地に墜ちた。お家取り壊しを逃れるのに必死でそれどころでは無かったしなぁ」
「それでポイント稼ぎに走ったのですか」
あの頃の父はまぁ忙しかったのだろう。
それは子供ながらに感じていたことでもある。
「そうそう。あ。ところで実はメーリンは兄の婚約者でねぇ」
「・・・まじですか」
「貴族の結婚なんてそんなものさ。兄に嫁ぐ事が決まった時は晴れやかだった伯爵の顔が、予定変更、急に俺に決まって曇ったのは笑ったがねぇ」
相当に自虐的な笑みでしょうね。
まぁ、そういう事はさて、おいて今回の件だ。
「貴族ごっこをおやめになったのなら私の縁談などどういうつもりですか?」
「あれは妻が勝手にやっているんだ。俺は知らん」
知らんってそんなに興味無さそう顔で言わないで欲しい。
「普通、自分がやられて嫌なことなら子供にしないものですが」
「案外良かったんじゃないのか?」
父のその適当な回答に私は眉を歪めた。
「本気で思ってるんですか?」
「あー、聞いたことないし」
まったくもって適当だ。
あのくそ爺が、今や、このたぬき爺だ。
どっちもどっちというより、より質が悪くなった。
「そのぐらい聞いて下さいです!」
「聞けるか。あいつは怖いんだよ」
そういってどこかにそそくさと去っていく。
本当に駄目親父だった。
◇◇◇◇◇
駄目親父との雑談を終えた私は別邸の中に入った。
奥の間。
以前は兄たちが使っていた応接間で今度は私の母と対面となった。
母は私の顔を見ると微笑みながら言った。
「よくきましたね」
本当は来たくなかったのだが。
私は母の対面に仏頂面で座った。
「真意を聞きたいです」
「真意は一つですよ。親心です」
なるほど。
しかし、親心あれば、子心ありかな。
私の気持ちと言うモノも当然にあるだろう。
「お母様。それではあんまりです。私は結婚などする気はありません」
「そうは言いますがね、ユフィ。貴方が好きなお兄ちゃんと貴方は結婚出来ないのですよ?」
おいおい。
のっけから全力でかましてくれる。
そういう事を言うなら私も頑なにならざるを得ない。
「そんな不純な気持ちをにいさまに抱いたことはありません」
すると返す刀が強烈だった。
「信じませんよ。ねぇ、ユフィ。昔、私にも好きな人が居たの」
おい。何の話だ。
意味の分からない切り返しに、思わず反論の言葉を飲み込んでしまった。
「それが何か?」
「それでも私はあのお父さんと結婚したの」
・・・。
聞きたくない話のオンパレードだな。
私は曲がりにもあの親父と母の子供だ。
母のロマンスな話とか詳しい話はごめんなのでこちらから切り出す。
「それで?あの親父との結婚がそれでも、それなりに満足だったとそう言う話です?」
「ええ、そう言う事よ。悪いことばかりでは無かった。と思います」
先ほどの父との会話の答え。
図らずもその答えが聞けてしまったな。
はてさて、その良いこととやらの中に今の自分は入っているだろうか。
「貴方も結婚して子供を授かれば、別の幸せが見つかるでしょう」
おいおい、あんたはそんなステレオタイプな親じゃ無かったろうに。
違和感を覚えながら私は言った。
「そんな人生御免です」
私はどうしたものかと思案してから随分と極端な話を切りだした。
「人が生きる理由は幸せになるためでは無いのです」
「と、言いますと?」
「私は家庭を持つことよりキャリアを優先しますです。私は医者ですよ。私の治療を待っている患者は五万といますし」
正直、面倒見切れないと言うのが実状だが。
それでもそれなりにやっていこうと思っている。
「それは貴方がしないといけないこと?」
その言葉に私は苦笑した。
「お言葉ですが私の替わりはいませんよ」
「貴方は幸せになりたくないの?」
私は澄まし顔で言った。
「私は幸せに浸ってのうのうと生きるより、仕事を背負ってぎりぎりに生きる方を選ぶ変わり者なのです」
「またそんな捻くれた事を言って」
「どうせ捻くれ者です」
「貴方はまるで幸せになりたくないみたいじゃないですか」
それは。
そうかもしれません。
ご指摘はごもっともだと思う。
たぶん、私には多少女性差別的な物言いで悪いが、そう、所謂、女の幸せを選択する余地は無いのだ。
きっと根底に兄の存在があっての事だとは分かっているが。
それでも違う生き方を選ぶのだ。
母との意識の違いは如何ともしがたい。
べオルググラードの旧時代然とした貴族社会とは無縁に暮らしているからこそ、余計にそう思う。
「別に禁欲主義者ではありませんです」
「まぁ、良いわ。ひとまず、縁談に参加して貰います」
「時間の無駄ですよ」
「そうかもしれないわね。でも、これは相手があることだもの。私の顔を立てて頂戴」
はぁ、相手の顔ぐらいは見る羽目になりそうだな。
「破断するのが分かっていて無意味でしょうにです」
げんなり顔の私に母は言った。
「ユフィ。貴方はまともに兄以外の男性を異性と感じた事が無いんでしょう?今回は良い機会だし、私としてはその気になるまで続けますよ」
そんなのに私が付き合い続ける訳がない。
残念ながら、これは親子の縁が早々に切れそうだな。
これもまた止む無しである。
◇◇◇◇◇
次の日。
私は嫌々メイドの用意した服を着て珍しく化粧をしていた。
応接間を目指して歩く。
途中で豚が服を着ているような男に出会った。
「へー誰だよ」
私の顔を見た豚は開口一発そう言った。
珍しくおしゃれな格好をしているからでしょうけどこいつに言われたくないのです。
「お前みたいな穀潰しの豚に言われたくありませんです」
「やっぱりユフィだったわ」
レオがぐったりした様子でそう呟いた。
余計なお世話ですよ。
本邸の応接室。
犬猿の仲と称する程には穏やかではない私とその兄(果てしなく駄目な方)が席に付いていた。
見合いの相手がこの屋敷に来るので一応主人であるゴミなこの男がお出迎えをするらしい。
「お前の旦那志望とか気の毒な奴は一体どんな奴なんだ」
「だから脂肪の固まりのお前に言われたくないのです」
「これでも嫁がいる身なんだぜ?」
「その二人はどうしたんですか?」
公爵婦人もお迎えに加わるべきなんじゃないのか?
すると、レオは自らを肩を抱く様な大仰な態度で呟いた。
「パッテンは忙しいんだよ」
あの少女は一緒に住んですら居ないものね。
「もう一人は?」
「あれは親父と意気投合して今朝から山だ」
おい。
あの野生児の手綱ぐらい引けるようになっておけよ。
「ってことはジジイも来ないですね」
「そういうことだな」
「帰ろう」
アホらしい。
「おいおい、母さんが悲しむぞ」
レオは自分の事を棚に上げて呟く。
こいつほど母親をやきもきさせた男も居ないでしょうに。
「お前一人の顔でこの場が持つとでも?」
「俺はこれでも大物なんだぜ?」
自信満々にそう呟くレオに私は呆れ顔で言った。
「どこがです?」
「・・・いや、まぁ、お前やユノウスと比べると辛いところだが」
「大体、てめぇが一時期、バカみたいに盛って見境無しにお見合いしまくったせいでルベット家の家名も威厳も虫の息なんですよ?」
分かってて言ってるんですかね、こいつ。
「そ、それは若気の至りなんだよ!」
バカですか。
逆にいえば、そんな状況下でこのお見合い。
本当にどんな奴が来るのか。
「く、胃がキリキリする」
若干青い顔のレオがそう呟く。
デブのくせに低血圧ですか。
「何でお前が緊張するんですか」
「現公爵としてどう考えてもお見合いの場をクラッシュする事しか考えていない凶悪最凶の妹を持つとこうなるんだ!」
その物言いにつくづく呆れ果てる。
「今更、公爵ごっこですか」
「悪いかよ」
公爵と言っても経済的活動にはメインはそっちと言う訳でもない。
彼はユノウス商会の幹部の一人なのだ。
「この家が無くなったら親が泣くだろ。俺はみんなの帰る家を守るんだよ」
私は目をぱちくりさせて驚いた。
中々に感心な心掛けだと思う。
ただ、ここら辺の意識の違いも感じた。
私にとっての家はあのべオルググラードにあって、帰る場所も彼処だと感じる。
そして、兄さまにとってはきっと。
ここは家ですら無いんだろうなぁ。
「さすがに元ニート、ヒッキーの親孝行は違いますね。死ぬ気で頑張れば良いんじゃないんですか?どうせ返せないでしょうし」
「くっ・・・。お前等みたいに早くから自立してる方が変だろう」
「まぁ、変人なのは否定しませんですけど」
すると、こんこんというノックと共に扉が開いた。
入ってきたのは母親であるメーリン。
実の母であり、懐かしい顔だが今となっては妖怪か何かに見える。
はてさて、彼女は何を考えているのやら。
「あら?二人だけ?」
「親父は「これには俺は出ない方が良いだろう」って言って山に」
「そう、しょうがないわね。あの人まで私の我が儘に付き合わせては悪いもの」
出ない方が良い?
私の我が儘?付き合わせる?
妙な言い方だな。まるで何かしらの裏があるかのような言い回しだ。
只のお見合いでは無いのかもしれない。
母は着席すると神妙な面もちで私に言った。
「今日来られるのはヴィルド伯爵家の嫡男です」
「知ったことでは無いですね」
「失礼の無いようにお願いしますよ」
無茶な注文だな。
私がどうしたものかと眉を歪めているとメイドの一人が私たちを呼びに来た。
「先方が間もなく来られます」
「そう、では玄関でお出迎え致しましょう」
やれやれ。
面倒な。爵位を考えればそこまでする必要も無いだろうに。
私たちは屋敷の玄関にて相手を待った。
しばらくすると遠くに馬車の姿が見えた。
今時、馬車かよという感じだ。
古いながらそれなりに立派に見える馬車から降りて来たのは金髪貴族の某くんだ。
颯爽と登場した貴族の某くんが私たちに軽く会釈した。
「こんにちは、私はクリムラント・ヴェルトハルトと申します」
長い。
こいつの名前を覚えるのも無駄なだけなので生クリーム野郎とでも称しておこうか。
さらに略して生野郎だ。
生野郎はにこにこしながら握手を求めて来た。
私はそれを見て淡々と言った。
「握手はしない主義なのです」
「そうなのですか?」
「ええ、相手の手を握ると大体死期が分かるので」
もちろん嘘だ。
(嘘付くなよ!この馬鹿妹)
レオが口を激しくぱくぱくさせて抗議しているが無視する。
陸に上がった回遊魚みたいな奴ですね。
私の軽いジョークに生野郎は笑顔を若干凍らせたようだ。
うむ、良い兆候です。
「そ、それは大変ですね」
「冗談ですよ。まぁ、かかっている病気ぐらいは分かります」
「それは、それは」
相手が手を引っ込めたのを確認して私は頷いた。
私はさらっと握手を拒否っておいて歩き始めた。
「ユフィリア!」
やや怒気のこもった母の声が聞こえたが無視する。
「遠路はるばる起こし頂いたのですからこちらへどうぞ」
そう言って生野郎を屋敷に招く。
こんなくだらない用件はちゃっちゃっと終わらせましょう。
「ありがとうございます」
◇◇◇◇◇
応接間に設けられたお見合いの席に座ると伯爵の嫡男はおみやげの品を広げた。
「こちらは私の領地で作っている粒マスタードです。肉の薫製が趣味と聞きまして」
そう言って彼は土産の品を差し出した。
おい、どんな風評が流れているんだ。
その内に肉のルベットとか呼ばれるんじゃないのか?
生野郎の土産に自身がボンレスハムみたいな我が公爵家自慢のハム野郎が興味を示した。
「おお、これは」
まぁ、たしかに悪くない品の様ですが。
持参品がマスタード??
「どうぞ、お納めください」
しかし、この生野郎、見た目はそこそこ好青年なのになぜ売れ残ったのだろうか?
縁談の席は進む。
ハム野郎と生野郎は気があったのか色々話し込んでいるが私はその会話には参加せずにぼーとしていた。
しかし、生野郎は私の明らかに乗り気で無い態度にもまったく焦りがない。
相手方も乗り気ではないようだな。
まぁ、こっちは気が楽だが。
適当に会話が進んでいく。
私は欠伸を殺しながら冷ややかな気分で野郎共の耳障りな会話を意識から退かしてぼーとしていた。
というかねみぃです。
「ところでユフィさんはお医者さまをしているそうで」
「ええ、まぁ」
貴族にとって仕事をしている人間など下に見られて当然という感じでしょう。
文字通り領地の穀潰しが偉そうな顔をしているのにはもう慣れましたが。
私の肯定に伯爵が何故か私の母を見た。
何の目配せだろう。
「二人で話がしてみたいのですがよろしいですか?」
「分かりました。私たちは退席しましょう。行きますよ、レオ」
「は?え?ちょ、大丈夫?いやいや無理でしょ!」
なんでお前が慌てるですか。
「行きますよ」
「ちょ、駄目だってぇ」
「ありがとうございます」
二人に加えてメイドも席を立って行った。
私はちょっと困惑して男に言った。
「おい、どういうつもりです?」
「いや、話がしてみたかったんでね」
「悪いですが話す事なんて何も無いですよ。お宅と私は住む世界が違うんですよ」
私の言葉に男は微笑を浮かべた。
「なかなかエキセントリックな発言だね。痺れるよ」
何を言っているんですか。こいつ。
「バカにしてるのですか?」
「いやいや。しかし君がどうやらこの縁談に乗り気でないことは良く分かったよ」
分かっていたなら何故?
「実は僕もなんだ」
おい。
ふざけた野郎だ。
「へー、それじゃ適当に終わらせますです」
「いや、待ってほしい。実は君にお願いがあって僕はここに来たんだ」
何を言っているんだ、こいつ。
「お願い?」
「そう、僕の恋人を救って欲しい」
彼は真剣な顔でそう告げた。
私は思いっきり眉毛を歪めて言った。
「はぁ?」
あんまりな言葉にさすがに呆れた。
「彼女の領地に来て欲しい。そこで彼女は療養しているんだ」
「嫌ですよ」
だれがアホらしいそんな無駄なことを。
「頼むよ、こっちも人の命が掛かっているんだ。引き下がれない」
「何を言ってるのです?」
「医者であるユフィリア・ルベットにお願いしたいんだ。僕の恋人を救って欲しい」
はぁ?
虫が良すぎるお願いだ。
大方、医者としてのユフィリア・ルベットの名声を聞きつけてこの面談を希望したのだろう。
個人的には無視したいお願いだが。
しかし。
医者の私に頼むと言うならやはり無視も出来ない。
私は医者なのだから。
「私はヤブではないプロの医者ですよ。ボランティアで人を救うほど安くないです」
別にお金が欲しい訳ではない。必要なのは節度と見切りだ。
私は一人の患者に長々と付き合う訳でもないのだ。
「それでも構わない。一度見てほしい」
やれやれ。
貴族としての私にはなんら矜持など無いけれども。
医者としての私にはそれがあるのだ。
面倒な事に。
◇◇◇◇◇
この変な男の想い人であるらしいその娘はゴーチャ地方の貴族らしい。
地理的に見て私の馬鹿兄の領地の近接領の一つになるらしい。
もっとも貴族の派閥では完全に外様らしいので相手にする余地は欠片も無いようだが。
あのレオは派閥がどうとか無頓着だが、私のもう一人の兄は派閥には気を使っている。
それは当然利用できる友好的な戦力の増強と保持、ついでに保身の為だ。
今のこの国では現王派とルベット派とべオルグ派に属する者は大変な勝ち組なのだ。
それから外れた派閥の貴族という者は。
(こんなものなのかもしれませんね)
伯爵がわざわざ馬車でやってきた理由が理解できた。
いくら隣接と言えどこの悪路を進まなければならないわけだからそれなりに足を準備しておくべきだろう。
ぎりぎり馬車で行けるかどうかの道を馬車はそこそこ軽快に進んでいる。
従者も馬車も走り慣れているように見えた。
ゴーチャの貴族。
階級は子爵。
大した貴族ではないようだ。
割り当てられたワープポイントも無い、ハズレの貴族。
領地も活気が無いように見えた。
「寂れていると思わないかい?」
「一方が栄えるとそう思えるものですよ」
確実に仕事は奪われているのだろうな。
この地方の特産が何なのかは知らないが兄が商売を始めれば、その業種の人間は店を畳むか、看板を兄の会社に変えるしかない。
世界をつなぐ大流通という大前提を完全に支配している相手に勝負を挑むのは無茶がすぎるのだ。
地方が結託していくらユノウス商会を排除しても無駄なことだ。
豊かな暮らしがある方に人は流れて行くから。
この時代、他の地方に領民が流れるというのは当たり前に起こることだ。
空洞化が加速するだけだ。
そういえば、母の旧家であるブスターニュ家もこの近くのはずだ。
ゴーチャとは血縁関係は無いはずだがどうなのだろうか。
そもそもかつては田舎公爵と揶揄されるほどに魅力が無かったルベット家だ。
近隣貴族がわざわざ遠く離れた貴族と組みたがる程度には不人気だった訳だから、もしかすると血縁関係があっても広言はしないかもしれない。
案内された屋敷はそれなりの見た目をなんとか保っている今時な貴族の屋敷だった。
とても不景気な様子だった。
「吐息で吹き飛ぶような屋敷ですね」
「いやいや、さすがにそんなにひどくはありませんよ」
苦笑いを浮かべて伯爵が私をエスコートする。
馬車を降りて、屋敷に入っていく。
扉の前でこちらを迎えたメイドが一人。
伯爵は他人の屋敷を勝手知ったる様子で入っていく。
顔パスですか。
「召し使いが少ないところを見ると相当に不景気のようですね」
「そうだね。彼女の懐具合は相当に厳しいと思う」
最愛の人じゃなかったのか?
他人事の様につぶやく伯爵を私はさすがにジト目で見た。
「僕はまだ支援をできる立場じゃないんだ」
「さいですか」
なかなかに安い愛なんだな。
ようやく二人目のメイドが出てきた。
奥の部屋の扉が開いた。
「ここに彼女がいます」
「はーさいですか」
ご足労やれやれである。
顔を上げた私は若干困惑した。
なんか見た記憶がある顔である。
「こいつ、金髪巻きロールじゃないですか」
確か、幼い頃の私に胡椒爆弾を食らわせたファッキン糞女だ。
良く覚えてたと言うより何故わかったのか自分でも疑問だ。
「そうよ。って私の名前を覚えていないの!?」
いやはや名前なんて聞いたこと無いし。
しかし、まさか、一発で分かるとは思わなかった。
本当、いつぞや以来だ。
青白い不健康そうな顔の少女に向かい私は言った。
「なんか、すげぇ死にそうな顔ですが一応聞くです。元気です?」
「元気・・・じゃないわよ。ごらんのとおりね」
なるほど。
「葬式には呼ばなくて良いですよ」
「そんな話はしてないわ!ごほっ、ごほぉ」
どうしたものか。
かつての宿敵の見る影もない姿に私は困ってしまった。
「一応、見せるです」
「そう言えば、貴方は医者だったわね。ほんと立派なものね」
どうだか。
医者が立派かどうかはさておいて私自身は立派な医者だろうかな、と。
私は少女の体をサーチで検診する。
私は息を飲んだ。
あまりに分かりやすい顕著な病状。
「・・・魔素欠乏症ですね」
「そうよ、さすがね」
私は呆れた顔で言った。
「あー、本当に葬式には」
「貴方ねぇ!しつこいのよ!!」
その怒りにも言葉ほどに覇気はない。
私は溜息混じりに言った。
「病院には行ったのですか?」
「病院?べオルググラードのあそこは無理よ。高いもの」
高い?
ああ、貴族特別受診料金か。
別に貴族でも貧乏人は診察・治療内容はまったく一緒の平民コースを選べるのだが。
もっとも、彼女の病状を考えれば、それを受けたところで意味はあるまい。
それほどに重い病だ。
少女の瞳を見る。
如何にも死にそうな目だ。
ろくな目じゃない。私が知っている、大概は死ぬ奴の瞳だ。
何かに絶望しきった様な瞳。
「大変ですね」
「それが医者の言葉?」
どうでしょうか。
私が彼女を医者として患者にしたいかと問われれば微妙だ。
彼女がこのまま死ぬのはそれこそ気持ちの良いものではないが。
気持ちの良くない死なんてもはや慣れっこだ。
日常的に死人を扱っている。助からない患者を看取っている。
彼女の病気は治せない。
治せない病人を自分の患者にしたいかと問われれば微妙だろう。
それはただ死を看取るだけの関係だ。
「知っていると思うですけど、助からない病気のたぐいですよ」
「知ってるわ」
少女は皮肉気な顔で言った。
「楽に死ねる方法でも教えてくれない?疲れたのよ私は」
私はため息をついた。
これは少し考える案件だ。
「ちょっと席を外しますです」
◇◇◇◇◇
気が滅入ったというのもあるにはあるが。
彼女の部屋を出て私は真っ先に言った。
「生きる気のない奴につける薬はないのです」
「ああは言ったけど彼女は生きたがっているはずだ」
本当ですかね。自ら死を口にする奴が助かった試しがない。
「僕は正直、驚いている」
「というと?」
「いや、彼女があそこまで気を吐いたのも久しぶりで」
いつもはもっとひどいのか。
「どうして彼女に?」
「え?」
「いや、惚れてるのでしょ?です?」
違うのか?
いまいちはっきりしない態度に見える生野郎だ。
「あの性格に惹かれたんだ。今日、僕ら貴族は自信を失っているからね。あれだけ打ちのめされても強情さを失わないところが貴族の娘らしくて非常に高貴だろ?そんな彼女の魅力に僕は惚れたんだ!」
貴族らしさだとか、高貴さだとか。
なんだか受け入れ難い固形文満載なのです。気分悪。
「はぁ」
とりあえず、だて喰う虫もすきずきと言ったところでしょうかね。
変な奴。
「ユフィさん!お願いします!彼女を救って下さい」
「・・・」
そもそも私とこの生野郎の見合いを考えれば、言語道断と言った感じである。
見合いでここまで虚仮にされるとは予想もしていなかった。
しかし、医者としての私なら悩むことでも無い。
しかし、一方で。
「重々、分かってることとは思いますがはっきり言わせて貰いますです。助かる見込みは薄いですよ。治療法が確立していない病ですから」
「良いんですか?」
「助けられると保証はしませんです。残念ですが彼女の病気は不治の病に該当します」
「分かっています」
だったら。
「良いですよ、医者として引き受けます」
私はそう呟いた。
「ありがとう」
部屋に戻った私は彼女の顔を見てはっとした。
目が赤い。彼女は私にああ言われて泣いたのだ。
彼女が涙したとすれば、理由は一つだろう。
生きたい。
「なにかしら」
「馬鹿みたいに人に期待する奴は大馬鹿野郎なのです」
つける薬が無いぐらいに。
想いがあるなら口にしないと駄目なのです。
言えない奴は大馬鹿なのです。
私は苦笑した。勝手に期待して泣くぐらいなら叫べばいい。
生きたいなら生きたいとそう叫べがいい。
その悪足掻きに最後まで付き合うのは私の仕事なのだから。
「はぁ?」
「私が貴方の治療を担当するです。楽に死なせない予定なので覚悟するがいいのです」
◇◇◇◇◇
魔素欠乏症。
より正確には、エゴイド分離症による魔素の循環不順性機能障害。
原因は不明ながら、魂と肉体の接続状態が断続的になり、本来、イドから吸収されエゴへと貯められているべき獲得経験値(魔素の一種)が体に残り続けてことによって重度の魔素中毒になり、イドが変異し死に至る病気である。
見かけ上は所謂MPが減少し続ける為に欠乏症や減反症と称されるものの実際には真逆の減少である魔素の吸収不全による中毒が起こる病気だと分かっている。
変異と言っても多くの場合は中毒によって衰弱死する。
極々稀に魔素に体が魔獣化する場合もあるが非常に希有な例と言えた。
別名ではレベルアップ不全症候群や聖霊病や魔獣病とも呼ばれる。
異名の多さがそのままこの病気の難しさを表していると思う。
本来、こう言った幽体離脱、霊体分裂症や離脱症の人間という者はまぁ、数は非常に少ないもののいるにはいるらしい。
しかし、この世界の人間が後天的に得た能力(より正確に言えばレベルアップ神による加護)である魔素を吸収し、自らの魂を強化する機能がこの性質の人間と相性が最悪であった。
この手の人間が一度発症してしまえば、死ぬということになる。
また聖霊種は結構な確率で発病する病でもある。
彼らは長寿なかわりにイドとエゴの関係性が非常に稀薄なのだ。
私の友人であるミーナも例に漏れずこの病気に発病し、死ぬ寸前まで行ったらしい。
この症状のやっかいなところは快癒の難しさである。
この病気になって生きている者はそれこそ私はミーナしか知らない。
現在のこの世界の医療で回復がほぼ不可能な難病の一つである。
「にいさま。魔素欠乏症の治癒についてなのですが何か方法はありますか?」
兄さまはあっさりと断言した。
「ないな。人化によって、存在を作り変えれば、延命は可能かもしれないが、それは新しい命の創造であって、治癒とは言わないだろう」
人化はユノウスが指定した三大禁呪の一つである。
三大禁呪とは。
生命創造。人化
奇跡創世。神化
世界破滅。滅化
まぁ、兄は禁呪と言う割にはどれも結構使ってる気もするが禁呪指定も止む無しと言った反則魔法ばかりである。
「ミーナの回復も理論上は治癒ではなく生命変化なのですよね?」
「そうだ。皇樹の新芽は森一つの生命力があるからな。それを口にすると肉体は変貌してしまう。新芽は粉にしたぐらいじゃ死なないんだ。口にした者の内部に根を張り、魂と肉体を繋ぎ、個人の体の内部領域に森を作る」
あの少女。ミーナの肉体には大樹の力が宿っている。
あの少女がいまや、べオルグ軍で絶対のエースと呼ばれるほどの実力者になった所以でもある。
「対処療法は?」
「体に含まれた中毒を及ぼす魔素を体の外に出すしかないな」
「つまり魔素の下剤ですね」
「それが一番近いかな」
新薬の開発か。
面倒なことになりそうだ。
◇◇◇◇◇
「というわけで新薬を開発しますですよ。実験動物一号」
私は確保した協力者にそう声を掛けた。
「待つのじゃ!儂様は神じゃぞ!」
「そうでしたか。意外ですね。実験動物一号さん」
「お前、大概にするのじゃ!とーるみたいな事言いだしおって!!」
「神様は下々のお願いは聞くものです」
「のじゃー!力を貸してくれというから来てみればこの仕打ち!!」
のじゃー前置法ですかね。
まぁ、今更、オーディン神のキャラ付けをとやかく言うつもりはありません。
「大丈夫ですよ、減りませんし。あ、減っても問題ありませんし」
「さらっと怖いのじゃ!!助けてぇ!!」
「これが本当の神体実験です」
「上手くないのじゃ!神権を尊重してほしいのじゃ!!」
「なんだか、しんけんって離婚調停みたいですね」
「世知辛い!」
ぷるぷる震えるオーディンに私は笑顔で近づいた。
「はーい、お薬にしましょうねー」
「ひぃい怖いぃ!!」
「はーい、飲み薬は怖くないですよー」
「嘘じゃ!それは怖い薬なのじゃ!やめるのじゃ!」
のじゃ虐など趣味では無いのです。
問答無用で薬を飲ませるとオーディンは目を廻し始めた。
「どうでしょう?」
「くらくらするるぅ」
駄目でした。
魔素残量を計測する観測機も微妙な数値を示している。
「それじゃ、次です」
「うー、うー」
私はなぜだか、とっても素直になったオーディンさまの口に次の薬を放り込んだ。
◇◇◇◇◇
「むぅ、無駄でしたか」
用意した薬の候補は全て試した。
結果は全滅だった。
「生きているのがとっても辛いのじゃぁぁ」
「助かりましたよ」
やはり薬では駄目か。
「人生がとっても虚しいのじゃぁぁ」
「しっかりしてください」
やや目が虚ろになったオーディン神がぼそぼそと呟く。
「明日なんてまったく来なくていいのじゃぁぁ」
オーディンはなんだか壊れたラジオのように荒んだネガティブワードを繰り返し呟き続けている。
しかし、それこそ不死の神様の神体でもなければ、こんな薬を調べることもままならない。
マウスでは一撃死確定の劇薬になってしまう。
それほどに体に毒なのだ。
魔素を排除する薬と言うのは。
やはり、どうにもならなかったか。
薬という線では無理。
しかし、魔素か。
生活する上で空気中にある魔素を吸収しないで済む方法なんてどうやっても。
ん?
「空気中?」
もしかすると。
◇◇◇◇◇
治療を開始して数日。
私は彼女の元を訪れた。
「元気そうですね」
「死なない程度には」
軽口が叩けるぐらいには良好な様だ。
体調は改善にむかっているようだ。
「まさか、あれほどバカにしていたマスクを付けることになるなんてね」
「人をバカにするからそうなるのです。当然の報いという奴です」
私の言葉にかなりゴツいマスク姿に成り果てた金髪マスクは苦笑した。
試用後数日。
体内の魔素濃度は大幅に下がっている。
しかし、魔素を吸い出すマスクなんてできるものかと思ったら、リクエストを出した翌日にはこちらの要求基準を大幅に上回る試作品をあっさり作ってしまうユノウス商会のチートっぷりにはほとほと呆れるばかりだ。
兄さまと肩を並べて仕事をしている連中はどいつも化物ばかりである。
「魔素は主に肺から吸収されますから。その新型マスクで吸引量を90%まで押さえられます」
「のこり10%は?」
「皮膚呼吸ですよ。心配しなくてもその程度なら中毒にはなりません」
根治にはならないし対処療法に過ぎないが。
「ずっとマスク生活?」
「エゴの乖離癖はときどき治まるのです。そうなれば中毒も収まります」
「体は楽になったけど、それでも、とっても眠いわ」
「中毒が無くなっても精神力、エゴとの接続は弱いままですからね。精神的虚弱状態は続きますです」
彼女のMP(精神力)は低いままだ。
このバッドステータスは今のところ対処のしようが無い。
「精神的虚弱状態でも大丈夫なの?」
「ええ、ですから元気になるまでお休みです」
「そう、ありがとう、ね」
そう言って少女は眠りに就いた。
覚醒時間はあまり長くない。処方した薬の影響もあるのでしょうけど。
穏やかな少女の寝顔を見て傍らにいた伯爵が穏やかに言った。
「彼女は助かったんだね」
完治も根治もしないけれど。
一応は生きていけるだろう。
或いはそれは真綿をゆっくりと締めるような穏やかな苦しみの日々かもしれないけれど。
「治療が終わったとは言えませんけど」
症状が収まれば、マスク無しでも暮らせる様になるかもしれない。
「妹を助けてくれてありがとう」
「いいえ、って妹?」
はぁ?
どういうことだ?
突然の告白に眉を歪める。
「ああ、全部嘘なんだ」
「・・・?はぁ?」
つまり、伯爵ではなくてこのボロ屋敷の貴族の兄妹という訳だ。
別に良いけど。なぜ嘘を吐く必要が?
「いや、ある人からこうすれば、上手く動いてくれるかもと」
「どういうことです?」
「それは言えない約束なんだ」
「そんなことしなくても普通に患者として見せればよかったでしょ」
「いや、妹は正直、駄目だったんだ」
「駄目とは?」
「口を開けば、苦しい死にたいとばかり言っていて。その人が言うにはユフィさんはそういう相手には相当にドライだからと」
「はぁ、なるほど」
確かに死にたがりにつける薬は無いと言う信条だから。
この身は一つなのにそんな人の為に時間を掛けていちいち拘束される筋合いもないだろうという冷めた信条である。
まぁ、医者が、生きたいという気持ちに応えてやる職業だと思っていればこそですけど。
しかし、あのお方か。
兄か、とも思ったがおそらくこれは。
あいつだろうな。
「せめて大切に想っている人がいれば動いてくれると」
「私はそんなに単純じゃないです」
「結局、妹は僕が思うほど弱くはなかったし、諦めてもいなかった」
なるほど、妙に他人行儀に感じたが他人の演技だったわけか。
へたくそめ。私じゃなきゃ気づいているだろう。
しかし、妹の為に兄ががんばると言うのは悪くない。
そう悪くはないのです。
実に美しいと言えるでしょうね。
「なるほど、兄妹愛というものは良いものなのです」
「君が言うと含蓄がありそうだ」
そう言って彼は苦笑した。
◇◇◇◇◇
「これはお母さんが一計をこうじたと言うことですか?」
帰宅というのか微妙な感じだが実家に戻った私はそう尋ねた。
「何の話かしら?」
しらを切る母。
まんまとはめられた私としては面白くない。
「突然、結婚だの、絶縁だの。私はいよいよ更年期障害だと思っていましたです」
このぐらいの嫌味は当然だろう。
しかし、母は何事かと言う顔で首を捻っている。
どうやら更年期障害を知らないようだ。
ちくしょう。ぼけばばあが。
「あの兄妹の父親がね」
「はい?」
「私の昔の恋人だったの」
そう言って母親は苦笑いを浮かべた。
おいおいおい。それは私も苦笑いだぞ。
色々と分かってしまった。
それであのタヌキジジイが飄々と山に引きこもった訳である。
「それはさぞ、向こう見ず方だったのでしょうね」
「ええ、情熱的だったのよ」
そう言って母は遠い目をした。
私は溜息を吐くと首を振って言い放った。
「一言で言って最悪の帰郷でしたです。次はもう呼ばないでください」
結局は私は苦労して疲れて最悪な休暇を過ごしてしまった。
まぁ、お仕事をしただけだけども。
「悪かったわよ」
「お休みは貴重なんですよ」
色々、思うところはあってもさっさと帰路についた。
「くそあの狐ババア」
大体、元恋人のお相手があの金髪巻きロールの父親なら。
昔、私が酷い目にあったあの席は、つまるところ、母と元恋人の密会口実だった訳である。
そっちがラブラブの裏でこっちは胡椒爆弾だ。
こんちくしょうめ。
あのくそババア。
ボケはボケでも呆けで無く、色惚けでやがったです。
「狸ジジイに狐ババアとは本当にお似合いですわ」
さすが、私の両親と言ったところでしょうかね。
私はイライラしながら通信機を取り出すと仲間に通信をつなげた。
「ユフィです・・・。・・・ええ、今からそっちに帰りますです」
何はともあれ、難病とやらもなんとかなった。
また帰って、いつも通りに友とだべって、いつも通りに患者と向き合う。
今回のこれもいつもの事といえば、いつも通りだ。
まぁ、私にとっては今回の一件、是もまた常、いつもの日常である。