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転生したった   作者: 空乃無志
新世界の物語
86/98

死病1

幼い頃の私は酷く臆病で、酷く弱くて。

人の悪意に常におびえていたように思える。


「にいたま、にいたま・・・」


あの日、私は部屋の隅に隠れて、何度もそう唱えていた。

しかし、ヒーローがそうそうと都合良く現れるものではない事をその時の私は知らなかったのだ。


まして、ここには倒すべき悪党はいない。


ならば、いくら私の兄様が完全無欠のヒーローだったとしても、この状況は始末に負えないだろう。


その日。

私は母に連れられて貴族のサロンにやってきていた。


そこで同世代の子供たちと遊ばされていた。

そう遊ばされていた。


自主的に遊んだ訳では無い。

母の苦心のお膳立てという状況の結果、極めて消極的かつ、消去法的に、実に仕方なく、遊ぶ羽目になった。

否、結果から言って遊ばれる羽目になった。


母は私に同世代の女の子の友達をと願っての事だったのだろうけれど。


当時の私はそんな意図とは裏腹に同年代の彼女らに馴染めない。

どころか、いじめの対象になっていた。


「ねぇねぇ、ゆふぃりあちゃん。その白い布はなーに?」


私はその猫撫で声にぷるぷるした。

あいつが来た、と思った。

いつも、私に意地悪をする子供だ。


「ださーい」


彼女はそう言って意地悪な女の子が私のマスクを引っ張った。

マスクが外れると鼻水が止まらなくなるのだ。


「やめてっ!」


私は必死に抵抗したがついにはマスクを奪い取られてしまった。


「むずむずするぅ・・・」


「みてみて!なにか出てきた!きたなーい」


私の反応の一体何が楽しいのか、彼女たちはげらげらと笑った。

私がくしゅん、くしゅんとくしゃみをすると彼女たちは笑顔で言った。


「やだ、ゆふぃりあちゃんびょうきなんだ!きたなーい」


「き、きたない?」


「あはは、ゆふぃりあちゃんはばいきーんだぁ」


「きゃーこないでー」


「ユフィ、ばいきんじゃないもん!」


私が必死に抗議すると一人の少女が手を叩いて言った。


「何にはんのうするかをみてみましょうよ!」


「さんせー」


「やめぇ!」


私がマスクを押さえても少女たちは寄って集ってマスクを剥いでしまうのだ。


「だめぇ」


そう言って彼女たちは私に色々な物を私の鼻に近づけようとした。


私は逃げた。


しかし、当時の私は足が鈍くて直ぐに追いつかれてしまう。

彼女たちにむりやり変な物を嗅がされた。


彼女の中の一人が胡椒を持ってきた時は酷い事になった。


「うぇええ!うぇえええ」


私は鼻を押さえて泣き叫んだ。


「あはは」


私が顔を真っ赤にして苦しむのを見て、彼女たちは高笑いを浮かべた。

何でこんな酷い事ができるのだろう。


私は家に帰り着くと兄に抱きついてわんわんと泣いた。


あの頃の私は同世代の女の子が怖くて怖くて仕方なかったのだ。





◇◇◇◇◇






「依頼ですか」


ユフィは椅子に座りながらその男を睨んだ。


エリエルと言う名前の男が私の前に立っている。


この男。

得体が知れない、しかし、何故か兄様の秘書官の一人だ。


有能かと言われれば有能だろう。

一方で有害だが。


その害は一見して目に見えないようでその実、非常に大きいものだ。


それでも兄様はこれを飼っている。

どういうおつもりなのか。


彼が繋がっているだろう何かを探っているのだろうけれど。


(兄様のやっていることに私が口を出すこともないですね)


依頼の内容を確認する。

その資料や申請書類には兄の印があった。

本物の書類だろう。


もっとも、これに私が参加することまで兄は承認している訳ではないだろう。


最悪、厄介事に兄を巻き込んでしまうかもしれない。

一方で私の信念として、これから逃げる事はしたくなかった。


私はやや暗い面もちで呟いた。


「わかりました」


「と、おっしゃいますと?」


面倒な男だ。

私ははっきりと告げた。


「・・・受けると言ったのです」


「ありがとうございます。よろしくお願いします」


私は資料を改めて確認した。


謎の死病。


それがどうやらとある国で大流行アウトブレイクしたらしい。


ここまでの死者数は100人程度だが。

患者数は数倍。

この患者数を見るに、これは更に増えるだろう。


もっとも一番、厄介なのは。


「致死率100%」


その数字があまりに重い。


「できますか?」


「この世界に害を為すものは兄さまの敵です」


「期待しています」


エリエルという不吉を告げる使者が私のもとを訪れた。

この後の話は、たぶん、あまりおもしろい事にはならないだろう。


こうして、私は医師としてこの病気を調べに行くことになった。




◇◇◇◇◇





まだこの病気の状況はどこにも知られていないようだ。

もっとも、この私達はどこどこで戦争があったとかそういう話には無頓着だし、病気で滅びかかっている国があろうと無関心だろう。


それは特に珍しい事ではないのだ。


人が死ぬことも。

ありきたりで当たり前。


そう言う世界に生きているのだ、私たちは。


私はクラスメイト達に掻い摘んで報告をする。


疫病の研究に専念するから、しばらくは学業をお休みすることになるだろう。


終息の目処など立っていない。


「ユフィ。本当に行くの?」


珍しく私を心配している様子だ。


そっちの事情に相当に精通しているユリアがここまで危機感を示していると言うことが厄介さの証明になりそうだ。


もっとも。


「そうです」


私の意思は堅い。


「やめなさい。今回のこれは相当に危険よ。貴方もかかってしまうかもしれない」


私はため息を吐いた。

ユリアの心配はもっともだと思ったからだ。


原因不明の死病。

今のところ、あらゆる魔法での治療が効果を持たない。


発病が見つかれば死を待つだけの致死率100%の文字通りの死病。

感染を予防する事は今のところ可能な様だが。


「今のところ、私の役目はバックでの病状研究です」


危険が無いわけでもが、最前線に立つよりは多少増しだろう。

前線に立てば、もっと別の敵と戦うことになる。


「ユフィさん」


「ミルカ、どうしたのです?」


「私も止めた方が良いと思います」


ユリアを越えるかもしれない情報通からも止められた。

ミルカに至ってはおそらく直接「見て」いる。


そのミルカがわざわざそういうと言うことは現場は相当に地獄なのだろう。

みんなの心配はもっともだと思ったけれど。


「そうですか。みなさんには心配をかけますね」


「ユフィ!」


危険なことは重々承知だ。

だからこそほってはおけないだろう。


私はこの世界で人の身で特級の資格を持つ唯一の医師なのだ。


「さくっと解決して来ますですよ」


私はからっと笑って、そういうぐらいしか出来無かった。





◇◇◇◇◇






エンテイ国領ザガラール。


私はそこにたどり着いた。


現場は文字通りの地獄だった。


救いを求めて国外に出る患者と聖団の協力要請を受けたユノウス軍と小競り合いが続いていた。


私はユノウス軍謹製の全身を密封する特殊スーツを着込んでいる。


対B装備。

この対病毒バイオハザード装備スーツを着込んだユノウス軍が国境線の封鎖を担当していた。


国境には謎の奇病を恐れ国内脱出を願う人の群で溢れていた。


エンテイ国のこの状況。

兄様はこの状況を見通して車を普及させなかったわけではないだろうが、結果的に移動能力の乏しい事が幸いして、ワープゲートでの移動を遮断されたエンテイ国民の他の地域への流出を監視衛星と国境監視軍は完璧に封じ込めている。


「出せ!こんな所に封じ込めて悪魔め!!」


「一時隔離キャンプに戻ってください!!潜伏期間中の発症が見られなければ国外への渡航を許可します!」


「いつだよ!!ふざけるな!!」


遠く聞こえる喧噪に私はため息を吐いた。


こんな小競り合いはきっと今に始まったことでは無いのだろう。

怒鳴り声に混じって時々、電気銃の音が聞こえてくる。


この状況。想像した通りに。


最悪の様だ。


「ユフィリアさんですね」


辛気くさい声が聞こえてきた。

私はヘルメット越しに声の主を見つめた。


やはり神経質そうな男の顔が見えた。


「第一級医師オグズです。たった今まで現場の総責任者をしていた元責任者です」


私はその恨み節に呆れた。

男の声は地獄の鬼が発する鳴き声の様だ。


ここが地獄ならそれもふさわしいかもしれない。


彼の物言いが事実なら指揮権が私に移行した様だ。

特級の医師は私の他にはヘルぐらいしかいないから、医師免許の等級に従うならそうおかしくない状況とは言え、眉を歪めるしかない。


私の任務は研究のはずだが、このまま、行けば、現場の総指揮を取らされる羽目になりそうである。


雲行きは怪しいが、それを言ったら実際の現状は大雨の大洪水と言った所か。


「そうですか」


上位者がほぼ無条件で総指揮を取っていると言うことはそれだけここが混乱していると言う証拠でもある。


冷静さと柔軟性を失って困窮していれば、頼るものは自然と階級になるだろう。


「状況は見ての通りですが、国境の警備はどうしますか?」


何を聞いてくるのだ。

無意味な問い掛けの意図に私は再度、呆れた。


先遣隊として見れば分かる程度の事しか引き継げない訳でもさすがに無いだろうに。


もしかすると、この男は私がそれこそ子供の癇癪で、善良な市民の良識で「可哀想だ」とか言って彼らに温情を言い出すのを期待しているのだろうか。


現場を混乱させる不適格な上司であれば、陳情して役から下ろせるとでも思っているのだろう。


難儀な。


彼が総指揮として階級によってしか現場を掌握仕切れなかったことを恥じるべきだろうに。


私は遠くに見える小競り合いを見つめた。


彼らが悪魔ならば、私は悪魔の大元帥かな。

人に嫌われているのは残念ながら慣れている。


「私が新たに就任した対策室長のユフィです」


私はそう宣言した。


「はい」


「防衛ラインはこのまま維持してください」


きっぱりと告げて私は歩き出した。


医者は葬儀屋の次くらいに人の死に関わる職業だ。

いや、死の瞬間に立ち会う機会ならダントツだな。


私たちは能力の及ぶ限りの助かる命を守るのが仕事だ。


それしかできないのだ。




◇◇◇◇◇






研究棟に着いた私は私の到着を歓迎(?)して集合した人たちの顔を眺めた。


第一級医師、チームリーダーのオグズ・ブルフォード。

第二級医師、サブリーダーのレスラー・マキュリー。

第二級医師及び調薬技師のオスマン・トーラ。

医療補佐官のカドラ・サース。


これで全部だ。

医者の数は不足している。

仕方ないと言え、未知の病原体に挑戦するにはいささか不安な布陣と思えた。


私はまず彼らを個室に招き、それぞれの話を聞き、そのレポートに目を通した。

現状を把握した私は方針を決め、全員を集めて宣言した。


「住民を管理します」


「管理ですか」


「資料を見ましたです。今の無法図を解消します」


「無法図ですか」


どうやら彼の自尊心を刺激してしまった様だ。

しかし、今までのリーダーに配慮をする余裕は無い。

苦笑を漏らすオグズに私は釘を刺す。


「オグズ、何を聞いているか知りませんが、私はユノウス社長の妹です。この会社の人間としてあまり失礼があると良くないのでは?」


私の言葉にオグズは視線を下に向けた。


「失礼しました」


彼は計算高い。

せいぜい私を高く買って貰うとしよう。


「貴方が現場を知る責任者で私は我が儘なお客様だと思って貰って結構です。その上で、私を敬いなさい」


「は、はい」


「鼻に付く態度が目立てば、貴方の立場はなくなりますよ」


「つまり?」


「私に媚びるが良いです。兄には良く伝えましょう」


「・・・」


目の前に餌をちらつかせながら私は高圧的にそう言った。


「分かりました」


「よろしいです。期待していますよ」


私はボードに資料をつけながら言った。


「現状で分かっている事を整理しましょう。まず、感染源」


「不明です」


実際には病原菌を探してこの国をフィールドワークが出来る状況にない。

エンテイ国の中心部は破棄されたも同然だ。


「そのようですね。ですがこれは必ず解明しなければなりません。

次に、人から人への感染方法です」


「それに付いて、マウスを使った実験をしていますが」


不安げにそう発言したのは研究医師チームの女医レスラーだ。


「何が分かっていますか?もちろん、レポートは拝見しましたが、現場の声で聞かせてください。ミス・レスラー」


「はい。ステージ1、発症前の段階でのマウスからマウスへの接触感染や空気感染はありませんでした。ステージ2、発症状態では激しい咳や啖の症状がありますが、その、これでも空気感染の可能性は低い様です。このステージ1、2の段階では体液や血液を直接体内に入れた場合のみ、かなり低い可能性で感染するようです」


レスラーの報告にオグズが苛立った声を上げた。


「おい、確証が無い話をするんじゃない」


「もちろん、母体のデータは少数です。まだ100%そうだとは言えませんが、この病気はその・・・」


「感染能力は非常に低いと」


「はい、そう思います」


「ステージ3に付いて説明してください」


「はい。死体、ステージ3の状態では死体の周りで高確率で感染します。この病気でステージ3に到達した、その死体は独特発酵状態になります。

死体が腐り溶け、空気中に病原を含んだ気泡を散布します。・・・ようです。すみません。病原菌が発見されていない以上、感染の状況は推測になります」


「ステージ3の感染率はどれくらいですか?」


「・・・・・・ほぼ100%です」


逆に言えば、この方法以外の感染が認められていないのが事実だろう。

あまりに奇妙な病気。


「よろしい。では、私から提案があります。この情報を開示しようと思います。いかがでしょう?」


「な」


「待ってください!まだこれは推察の段階で、ますます混乱を」


「彼らがあれほどまで跳ねる理由は不安からですよ」


「潜伏期間はどれほどですか?」


私は確認の意味を込めて女史にそう尋ねた。


「2週間程度です」


「ならば、2週間で随時、病気で無い保証を与えましょう」


「そ、そのようなこと、よろしいのですか?」


「保証だけですよ。隔離地は別に用意します。最低限一年は見る必要があるでしょう」


「その後は解放すると?」


いつまでも拘束はできないだろう。


「はい。まずはすべての住民に私がここ一ヶ月の記憶読み取りを行います。それによって病気の疑いの高いものをより高いレベルで隔離し、比較的疑いの低い者と分けて、管理します」


「・・・。貴方がそれするのですか?」


「不服ですか?」


「人に死を宣告するような役目ですが」


信じがたいと言った顔でオグズは呟いた。


「そうですね。必要な処置です」


私は相当に批判され恨まれるかもしれない。

止む無しだ。


「それで混乱はなくなりますか?」


「100%とは言えませんが、不安はかなり和らぐでしょう」


名案とも思えないが最終的にこの地域を廃棄してでも病原の元を断つ必要がある。


「早速始めましょう。準備をしてください」




◇◇◇◇◇





次の日にはこのキャンプに隔離された全員に通達が伝わった。


3日後。

対B装備を付けた私は兵士に連れて来られた患者たちを一人、一人、記憶検査をした。


「あ、あの先生、私は大丈夫ですか」


「ええ、貴方は大丈夫ですよ」


私は無表情でそう呟くと兵士に退席の指示を出した。


ここまでクロとなった人間は15人。

意外に少ない。

彼らにしたところで既に自分が感染者の死体に接触した、もしくは近づいていたことを自ら知っていた。


病原菌は不明だがエボラ熱の様に潜伏中の感染力の弱さ、発症後の速攻的な致死性がむしろエボラの様に感染の拡大をある程度押さえているようだ。


死者のほとんどが国境のここでは無く、エンテイ国の中心部であることからもこの病気の主たる感染ルートはそちらにありそうだ。


「次」


そう良いながら私は目頭を押さえた。

意外に疲労している。


1000人近くを一日で診ているのだ。

それは当然と疲労し疲弊する。

体も、そして、心もだ。


「次は家族です。一人は幼い子供ですし、御一緒でよろしいですか」


「分かりました」


私が促すと一人の女の子を連れた母親と父親が現れた。

女の子は6才ぐらいだろうか。

これから診察だというのに母親にべったり甘えて離れない。


「それでは、お父さんから確認します」


「は、はい」


緊張する患者を無表情で見返しながら私は淡々と進めた。

父親は問題なし。

母親も。


そして。


「どうしたの?」


私の手は止まった。

この少女は感染している。


私はどうすべきか、一瞬迷った。


「せんせぇ?」


少女のころころと鈴を転がす様な声に不安は無い。

きっと理解していない。


嗚呼。


喉が酷く乾く。


「彼女はクロです」


私は告げた。


少女の記憶には病気にかかって死んだ死体が写っていた。

彼女は腐ったそれが死体との認識は無かった様だが。

それを目に留めて、その悪臭から逃げている。


残念ながら、クロである。


その言葉の意味が理解されるまでにどれほど時間がかかったのか。


「え」


「え?」


両親はその言葉に一瞬、混乱し。

そして。


どん、という音と共に少女の体が弾かれた。


母親が少女を突き飛ばしたのだ。


「あ」


「ママ?」


「あ、あ」


母親は混乱した様子で自分の手を見つめた。


「ママ?」


「わ、わたし」


少女は立ち上がる。


「ママ?」


一歩、母親に近づいた。

母親は声を張り上げた。


「来ないで!!」


「おまえ!」


「い、いやぁああああ」


泣き崩れる母親とそれを支える父親。


そして、困惑した顔でもう一歩、少女は近づいた。

その様子に父親の表情がひきつった。


その様子に初めて少女の表情が変わった。


その表情が私の心を激しく揺らした。


「・・・くそったれ」


私は誰にも聞こえない様に舌打ちした。


瞬間。

私はカルテを机にわざと大きな音を立てて叩きつけた。


「・・・!?」


「失礼。今の彼女から感染の心配はありませんよ」


「で、でも」


「彼女は隔離されますです。・・・最後です。抱きしめてあげてください」


「あ、あ」


母親はおずおずと手を伸ばすと少女をぎこちなく抱きしめた。


「ごめんなさいっ。ごめんなさいぃ」


「まま、わたし」


「あぁあああああぁあぁああああ」


その姿に、私は。

奥歯を噛みしめるしか無かった。


たった16人か。

黒い付箋の付いたカルテたちに唾を吐き捨てたくなった。


私は無表情で努めて淡々と言った。


「では、次です」




◇◇◇◇◇





幼い頃の私は兄に頼ってばかりいた。

そんな私を兄はいつも助けてくれたのだ。


そうあの時もそうだった。


「にいたまぁ」


「どうしたんだい?ユフィ」


わんわんと泣く私から兄は辛抱強く話を聞いてくれた。


「ゆふぃはびょうきなの?ばいきんなの?」


「ちがうよ。ユフィは僕の妹だ」


そう言って兄は私の頭を撫でてくれた。

兄は私の話を全部、聞いてからしばらくして小さく頷いた。


「良し。それじゃ、やり返さないとな」


「やり返す?にいたまがやっつけてくれるの?」


「ユフィがやり返すんだ。よし、少しトレーニングしてみようか」


そう言って、兄と私の特訓が始まった。


「まずは悪口の練習だ?」


「悪口?」


「そう相手に言い負けない為にね」




◇◇◇◇◇






「あら、またきたの?」


「また遊んであげるわ!」


リーダー格の巻き毛ロールの金髪幼女がそう言って笑った。

取り巻きのチリチリ茶髪とクルクルアホ青毛も笑っている。


その言葉に私は大きな声で言い返した。


「うるさいです!便所ゲジ虫!」


「べ、便所げじ??なんですの?」


「くさい息でしゃべるなです!お前がしゃべるとちきゅうおんだんかでみんなが迷惑なのです!」


「いみわかんない!ばかにしてぇ!」


私は逃げた。

相手は大人数なので囲まれると危険だ。

兄直伝の作戦を実行するのだ。


「まちなさいよ」


「へーんだです。たんそくには追いかけられないです!」


「たんそく?」


「豚ちゃんのようなあしだと言ったのです!」


「な!!むきぃいい!!」


まず、悪口で追いかけさせる。


よし、前と違って訓練で早くなった上に復讐を考えていた私は兄から動きやすい様に改造して貰った服や靴を着ていた。

私の足に彼女たちは追いついていない。


つるつるの大理石の床が見えて来た。

私は走り抜ける際に床に向かって滑る液体を巻いた。


「きゃああ」


転けて転がる少女に私は笑いながら言った。


「どんくさーいですぅ」


「このぉ!」


起きあがって来た巻き毛金髪が一人向かってくる。


よし、一人なら。


「うりゃぁあ!!」


私は思い切りタックルをした。


「きゃああ」


「喰らうですぅ!!」


私は兄特製のカプサイシン粉末袋を相手の顔面に叩きつけた。


「ぎゃああああああ」


「勝ったです!!にいたま!!!」


私は大はしゃぎでそう呟くと残りの二人に向かい歩き出した。


「ひぃい」


「遊んでやるです」





◇◇◇◇◇





勝利は空しい。

そんな教訓を私は今回の件から得た。


母からは相当にこっぴどく怒られた。

でも、母からもうサロンには行かなくて良いと言われたのでそれはそれでとても良い結果だったと思うのだ。


私が報告に行くと兄はよくやったと言ってくれた。

私はうれしくなって兄にぎゅうと抱きついた。


私はそんな兄を憧れを込めた瞳で見つめながら言った。


「私もにいたまみたいになりたーい」


ちょっと調子に乗っただろうか。

私が兄を目指すなんて無茶を通り越して無謀だ。


それでも子供心に私はそう思って願いを口にした。


「どうして?」


「だって、ユフィもユフィみたいに困ってる人を助けたいの!」


私のその言葉にしばらく悩んでいた兄は笑って呟いた。


「それじゃ、お医者さんになればいいんじゃないかな?」


「おいしゃさん?」


兄がそう言った言葉に私は目を白黒させた。


「病気を治すのはお医者さんだろ?」


「ユフィがおいしゃさんになれば、ユフィみたいな子を助けられるの?」


「そうだよ」


「わかった!ユフィはおいしゃさんになる!」




◇◇◇◇◇






「最悪の目覚めですの」


まさか、こんなに幼い頃のことを思い出すとは。

私は苦笑いを浮かべて一人呟いた。

そう、ここには私一人しかいない。


兄も、アリシスも、ミルカも、ミーナも、クラスメイトも、あの憎らしいルームメイトのユリアも居ない。


どうしてこんな夢を見たのか。

そんな理由は分かっている。


「にいたま、ユフィは貴方に約束した様なお医者さんには成れそうもないです」


私はあの少女にばい菌のレッテルを張ってしまった。

あの少女の心に与えた傷を私は直せないだろう。


その命だって。


「いえ、まだ時間はあるです」


私がこの病気を治せば良いのだ。

あの少女の、この病気を直せれば、それですべては解決だ。


しかし、たった数日でここまで心が擦り切れるとは。


私は枕に顔を押しつけた。

弱音を吐く為にここに来たんじゃない。


「枕が濡れていて気持ち悪いです」


私は苦笑いを浮かべた。


まさか、この私が寝ながら泣いていた訳ではあるまいて。

そうでないなら、これは汗か、涎なのだ。

そう言うことにしておく。


私はベッドから起き上がると背伸びをした。


「さて、地獄の続くと行きますか」


患者に残された時間は余りに短い。

あの少女が死んでしまうまでに私は何かが出来るだろうか。




◇◇◇◇◇






その報告に僕は激しい怒りを示した。


「どういうことだ?」


「何がですか?」


「例の緊急案件に僕の妹が関わっている様だが」


僕は苛つく態度でそう呟いた。

僕の目の前の男は目を細めた。


「彼女たっての希望ですよ」


呆れた。

僕は彼の首もとを掴むと壁に押しつけた。


自分自身でも驚くような感情的な行動だ。


男は。

全く動じていない。


「余り舐めるな。エリエル」


「と、仰いますと・・・?はて?」


「お前は何者だ」


「見た通りでございます。ええ」


見た通り?胡散臭い人間?

否。


「お前は人間なのか?」


「ふふ・・・。そうですね」


彼は笑みを浮かべ、軽い口調で断言した。


「ええ、違います」


僕は驚いた。

答えよりも答えた事自体が意外だったのだ。


逆に彼が人間では無いと言う部分は「やはり」と言う気持ちが強い。

やはり、人外の存在か。


「一応、答えるのだな」


「ええ、ですが。・・・そうですね。私と言う存在の性質上、答えない訳にもいけませんし」


どう言うことだ?

何かしらの制約ルールに縛られている?


「ほぅ、では竜人?」


僕は質問を重ねた。

彼はやや、不愉快そうに首を振った。


「あのような出来損ないではありませんねぇ」


これも意外。

やはり答える必要があるのだろう。

何故?


出来損ない?出来上がった存在なのか?


「竜人に近いものか」


「違います。彼らが私に似ているとしても性質はまったく違う」


「違うだと?」


「ええ、そうです。似ているが違う。空目するが意味が違う単語のようなものです。兄弟と言うより類人のような他人ですか」


「意味が分からないな。似ている存在?魔獣?」


「彼らは違いますねぇ」


「竜」


「ふふ、随分近づきましたね。ですが、ええ。違いますよ」


「なんだと?」


僕は困惑して言った。


「はぐらかす割には随分とちっきり答えるな?どういうつもりだ?」


「仕方ありません。私は契約として、自らの存在を告げる必要がありますからね」


ユノウスは目を細めた。

何となくだがルールが分かった気がする。


「ほう、面白い。なら、今度は命令するぞ。お前は誰だ、名乗れ」


目の前の男は酷く軽薄な笑みを浮かべると言った。


「ええ、私は悪魔。エリエル・ヴィエス・ヴォルボーンと言う名前の悪魔でございます。ご主人様」


あくま?


悪魔だと?


確かに彼はそう名乗った。

そんな存在がこの世界にいるのか?


「知っていることを全て話せ」


「おや、契約しますか?対価は死後の貴方の魂ですが・・・」


答えないな。

どうやら、奴のルールと言うモノではそこまで有効では無いようだ。


しかし、契約だと?


悪魔なんてものと契約すればどうなるのか。

想像は容易につく。


契約をすべきではないだろう。

この世界のルールについて僕が知らない事を知っている。


厄介だ。実に。


「もし、僕が契約を拒否すればお前はここから去るのか?」


「まさか、私は私の目的の為に貴方に取り入るためにここに居るのです」


「そんなに僕の魂が必要か?」


「違います。ふふ、悪魔の目的は常に一つですよ」


「何だ」


「秘密です」


その言葉に僕は眉を歪めた。


「もし、僕が君を強引に排除したらどうなる?」


「それは中々難しい。いえ私も知らないことですよ。最終的に私がどうなるのか、などと言う事は」


いい加減にしろ。

このこみ上げて来る怒りをどうしたものか。


努めて理性的に振る舞うべきなのだろうが。

さすがに身内に害が及んでいるのだ。

今は容赦すべきでは無い。


「おや、意外に熱いのですね。ふふ、そうですね。保身を兼ねて、一つだけ教えましょう」


なに?

彼は語り始めた。


「本来、元来、悪魔とは異文化、異宗教の敵視によって生み出される総体のことを指します。それは分かりますね?」


知らないことだ。


「何?」


どう言うことだ?

彼は何を言っている?


「悪魔は異なる文化があることで生み出される存在です。そうなるとこの世界では中々にレアな存在になってくる」


「何を言っている?」


「この理想郷に招かれた貴方は残念ながら魔術師では無かった。故に世界の真実に気づけなかった。すべては繋がっている。すべてのピースは欠けることなく繋がっている。それでも貴方は何も知らない」


魔術師?


なんだ、それは?

魔法使いとは違うのか?


「何を言っている」


「私は揺らぎ狭間に立つ者です。私を消しても別の私が生まれるだけですよ。ふふ、良いですか?私はアルカディア大陸の悪魔です」


「アルカディア?封印大陸がその名だったな」


「ええ、それが重要な符丁なのです」


彼はそう言うと僕の手を払って歩き始めた。

僕は外された自分の手を苦々しく見た。


この男をここで消してしまうのは余りに危険だ。

見えるリスクと見えないリスクのニ択ならば、常に見えるリスクを選ぶべきだろう。


「失礼。さて、私は私の職務に戻らせて貰いますよ。おっと、大事な事を言い忘れていました」


「何だ」


「私の目的は貴方とヴァルヴァルグを戦わせる事です。そして封印大陸を解放することです」


「お前のその目的と今回の件に関係があるのか?」


「私にはあの地で起こっていることがすべて分かっていますよ」


「なに?」


「私と契約したくなったらいつでもお呼びください。ふふ、私を消さなくて良かったですね」


彼はそう言って退室した。

僕はそれを見送ってから執務室の机を激しく叩いた。


つまり、大事な身内を窮地に追いやって、僕と契約を促す魂胆か。


ユフィに今更止めさせるのは難しいだろう。

いや、僕が強く言えば止めるかもしれないが。


だが、彼女の意思を尊重したいとも思っている。


「馬鹿にしやがって」


あいつは僕にとってコントロールが可能な存在なのか?


アレを雇って一年か。

最初から予感はあった。

メモリースキャンで見たあいつは過去を一切持たなかった。

そして、あいつは最初から自らを自覚し、僕の元に現れた。


全くの未知の存在に僕は苛ついていた。


そして、目的。

僕とヴァルヴァルグを戦わせるだと?


それがどんな意味がある?


「ずいぶんと心が乱れているな」


「ユキアか」


「良いのか?アレを始末しなくて?」


ユキアが警戒心をここまで露わにするのは珍しいことだ。

僕はその様子に漸くいくらか冷静になった。


「かなり興味深いよ」


「そうか?」


「ああ、少なくとも彼が何かしら重要な情報を持っているは間違いない」


それを聞き出す方法は思いつかないが。


「封印大陸には何がある?」


「ヴァルヴァルグがいる」


それはそうだな。


僕はユキアの記憶を持っている。

当然、直接、彼を知っている。

厄介な相手だ。


最強の戦人の適合者として、駆け出しだったあの頃はまだユキアの方が強かっただろうが。


しかし、今となっては彼の実力は遙か上を行くはずだ。


僕が無言で頷くとユキアはぽつりと呟いた。


「あいつは究極の進化の力を持っている」


「ああ」


千刃鬼。

戦神鬼。

千神器。

ヴァルヴァルグ。


この世界の全ての存在に存在強化レベルアップの加護を与えた戦神の祝福を受けた唯一無二の継承者。


かつて竜を滅ぼす目的で神々が作った化物モンスター


戦神とは竜の法を盗む物。


魔法を滅する力、阿釈迦を盗む神。

存在を食らう力、虚空を盗む神。


彼は存在を喰らい尽くす竜にもっとも近い存在。

その祝福の力は。


「経験値10倍か・・・」


「ああ、あいつは他者の魂を喰らう能力が常人の10倍強い」


竜に挑む英雄王の力だ。


正に破格。


彼が封印大陸に幽閉されて500年余。


今、一体、どれほどの存在に育っているのか。

想像もつかない。


今の封印大陸の危険度は開けてみないと分からないとは言え。

竜を凌ぐかもしれない。


「とんだパンドラの箱だな」


僕は深くため息を吐いた。この世界には厄介事が多すぎる。


悪魔に、破棄されし覇王。

そして、もっとも深きに眠る終末竜。


「まぁ、やれるだけやるさ」





◇◇◇◇◇






男の前には無数の骸たちが横たわっている。

その数は1000。


「ふん」


男はつまらなそうにそれを見て鼻息を鳴らした。

そのすべてを己を拳一つで作り上げた男は欠伸を噛み殺しながら呟いた。


「つまんねぇ。つまんねぇなぁ」


男にとって虐殺は日常だ。


食事のようなものだ。

この身にささやかな魔素を与える為に容赦なく人を殺す。

このコロシアムは男専用の食事場だ。


男。

千刃王バルヴァログ。


男は戦いに飢えていた。


「つまんねぇなぁ」


ここはただの屠殺場だ。

狩るものと狩られるものは明白であり、そして、会場を埋め尽くす民は観客ではない。


ヴァルヴァルグたるこの身のその力を群衆に誇示する為の場でしかない。


その瞬間、一人の男が俺の前に現れた。


「貴様に殺された同胞一万の為にお前を斬る!!」


どこの一万さまだ。

この封因大陸に捕らわれて以来、俺が殺した人間の延べ人数は何千万人だろうか?

さすがに一億には届いてはずだが。


まぁ、余興としては多少おもしろいが。


「てめぇ、存在強度レベルはいくつだ?」


「答える義理もないっ!!」


まぁ良い。

多少は興味があるから男は感覚器官を研ぎ澄ました。


ふむ、だいたい250前後か。

がっかりだった。

こんな雑魚をいくら殺したところで何も満たされないだろう。


「うぉおおおおお」


突進してくる男のに向けて、一本指を突きだした。

それだけで空間が歪み、超圧で生み出された衝撃波に男の半身が消し飛んだ。


「ちっ、湿気た養分けいけんちだな」


こんなものでは箸休めにもならない。

端数ぐらいの経験値を片づけると俺は吠えた。


「おい!!こんな食事しか用意できないとはどうなっているんだ!?牧場はどうした!!」


俺の言葉に配下の一人が頭を下げながら近づいて来た。


「バルヴァログさま、経験値牧場で子を産ませ、家畜を育てるのも中々に大変なのです。今日はレベル100の養分を100も用意したのですから、ご勘弁ください」


そんなに居たのか?

正直、レベル1も100も500も俺にとっては誤差にしか思えない。


俺は苛つきながら言った。


「ちっ、つまんねぇ」


今日は適当に掘っておいたダンジョンの一つでも潰しに行くか。

俺は自分専用に1千個の超深層ダンジョンを所持していた。


ローテで回して居るのだが、十分に育ちきる前に魔獣を狩り尽くしてしまうのが常だ。


「代わりと言っては何ですが今日は初物の娘を10人用意しました」


「はっ、そうかい」


それもどうせ、つまらん。

何百年も抱き続けていれば、どんな女でも大したものでは無いと思うようになる。


しかし、その数で俺の相手をするとなると何回持つかな。


「飽き飽きだぜ。なぁ」


遠く大陸の先を見つめる。

忌々しい封因結界を破壊するだけの実力を得るのはいつになるだろうか。


俺の破邪の破壊強度ではまだ突破限界は20%と言ったところだ。


「飽き飽きぜ。ちっ」


世界最強の男はそう言ってゆっくりと歩き出した。


1000と1の死体をその後に晒し残して。

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