怒りの咆哮
※7月12日改訂
「即座に人質を解放しろ」
ぞろぞろと200人の護衛を引き連れたべオルガーヴィが現れるなり、そう告げた。
最初はその身一つに近かった男が随分と助長したものだ。
「どういうおつもりですか。べオルガーヴィさま」
べオルガーヴィの言葉に魔神ラダー、一級神官のエームは聞き返した。
「こういうことだ」
法の神の契約書だと?
その内容に目を通してエームはため息を吐いた。
やれやれ、そういうことならどちらも殺すしかないな。
そう思いつつ、エームは周りの高位神官と騎士たちに目配せした。
たった200人。
ここにいる精強な戦士たちの敵ではないが。
問題はあのライオット王子がまだ存命だということだ。
「我々との契約は反故にするおつもりですか?」
「そ、そうではない!良いか?この契約の有効はたった一ヶ月だ。その後で王となった俺がお前たちの願いを聞いてやる」
「なるほど」
馬鹿げている。王となる物は神との契約により闇の勢力と関係など持てなくなる。
仮にもテスタンティスは聖団に加わる国家の一つ。
契約で雁字搦めになったあとのこの男に価値などないな。
しかし、現王を残すぐらいならこの無能が王であった方が後々楽か。
しかし、ライオットが残るのは良くない。
この男が死に、次にあの男が王になるのであれば、この男を殺す者は必ず出てくる。
一方で、この無能な男は隣国との速やかな戦争状態への移行に役立つ。
我々の目的はこの国と隣国とを酷く殺し合わせることにある。
そのためには、まずこの大国の力を削がねばならない。
有能な王子の退場。無能な王の登場。
愉快な悲劇の幕開けに必要な配役。
ここでひとつ、妙案を思いついた。
「では、こうしましょう。ライオットをここに呼んでください。彼の目の前で来賓を解放する。そこで我々が裏切り、貴方と無関係にライオットらを全員殺害する」
「な、なに」
「何、貴方には関係の無いことです。全て私たちが勝手にやったこと。これで貴方の罪も闇に葬られ、堂々と王位に就けることでしょう。それで私たちとも手切れということに致しましょうかね。何の禍根も残らずね」
さぁて、どう出る?
男は目の前で震えていた。
最後の決断。
男は笑った。
「ははは!!王位に加えて、ライオットの奴の死に顔まで見れるとはな!最高の見せ物ではないか!!是非やってくれ!」
エームは思わず苦笑する。
邪神の信者が思わず引くほどに邪悪な男だな。
交渉成立だ。
◇◇◇◇◇
ライオットは王族の身柄の解放の条件として、一人、呼び出された。
ため息を一つ吐くと歩き出した。
その背中にグレンが声を掛けてきた。
「本当に行かれるのですか?」
「こう言ってきた以上行くしかない」
これで漸く、この長いくだらない劇も幕引きか。
こういう条件を付けて来た以上良からぬ考えを持っているのかもしれないが。
「では、私も」
その言葉に俺は首を振った。
「グレンさま、貴方はもうあの男の支持者なのです」
「しかし」
「道筋は立てましたよ。これであの男の首にも聖団の首輪が繋がったのだから、そうそう無茶はできないでしょう。あとは貴方たちの技量で盛り立ててください」
「私は今でも貴方が次の王になるべきだと思っていますよ」
「ありがとう」
「ご無事で」
そう告げたグレンに笑って手を振り、俺は歩き出した。
◇◇◇◇◇
俺がべオルガーヴィの用意した会議室の扉を開けると中には少数の人数が詰めかけていた。
べオルガーヴィとその対面に15人程度の神官や騎士たち。
「おお、良く来たな、ライオット。実は彼らが誘拐の首謀者のようだが、人質の解放に条件があるらしい」
条件ね。
その後ろには人質が拘束されている。
こんなところに集められて居たのか。
「我々としては良い面汚しなのでね。人質を解放する条件としていくらか金とそして、君の命をいただこうと思う」
そんなことだろうと思っていたが。
俺は酷く冷めた気持ちで言い放った。
「良いだろう。俺を殺して解放しろ」
その言葉に、魔神の神官と見える男が歪んだ顔をした。
「正気か?」
「余程狂ったお前らにそんなことを聞かれる筋合いはないぞ、魔神教徒」
「良いのだな?」
「好きにしろ」
その時、後ろの方で声が聞こえた。
「おにいさま!!逃げてください!!」
偶然、口封じの拘束が解けたのか。
よかった。アリシスは無事か。
「だまれ!小娘が」
べオルガーヴィが苛立った顔でアリシスに近づく。
俺は吠えた。
「手を出すな。俺の気持ちは変わらん」
べオルガーヴィの行動を俺は言葉で制する。
「くっ」
「良いだろう!殺れ」
賊がライオットに襲いかかる。
ライオットはその凶刃をその身に受け入れた。
特に抵抗はしなかった。悔しいとも思わない。
いずれこんな日が来ることは分かっていたのだ。
「くっくっ、お前は愚かな男だよ!ライオット!!」
べオルガーヴィの顔が卑屈に歪む。
諦観はあったがそれでも、その顔を眺めながら死ぬのはごめんだと思った。
目を伏せる。
「そうかもしれないな」
俺はここで死ぬのか。
俺の一生には何か意味があったのかな?
分からない。
結局、王子でも何でもなくなったな。
ただ、この子を守る為に死に。
そして、これで彼女と会えるならそれも良いか。
彼女に生きたいと答えたあの日を経て、俺は今度は心のどこかで死にたいと思っていた。
俺は大馬鹿者だな。
済まない、アイラ。
体がふらつき、片膝を付いた。
致命傷に加えて毒か。
体は軽くなり、逆に意識が重くなる。
「おにいさまぁあああああ」
「約束は果たせよ。ベオルガーヴィ」
俺の言葉に奴の声が踊った。
「ああ、すぐに彼女たちもお前のもとに送ってやろう。彼らが、な」
「なんだと?」
下を向いていた顔を上げる。
奴の愉悦に浸りきった顔を見た瞬間に俺は理解した。
こいつは最初から約束を守る気なんて無かった。
いずれは王を目指すと言いながら、法神に誓った契約を違えるというのか?
このゲスが!!
「貴様ぁあああああ!!!!」
全身が震えた。
怒りが途切れ掛けたライオットの意識を覚醒させる。
―― 炎
本能的に致命傷の傷口を炎で焼き潰す。
これでわずかに死が遠のいた。
その極僅かな猶予でも、今は十分だ。
「な!?抵抗する気か!??」
「貴様は許さんぞ!!ベオルガーヴィ!!」
俺は怒りのままに魔法式を呪に乗せた。
この極限状態でよくここまでの魔法を、と我ながら賞賛する。
それほどの大魔法。
神級魔法。
魔法の中でも最高の力。
アイラが使ったそれをライオットもまた研究していた。
―――― 神化
純然たる肉体の限界を呼び起こす戦神魔法の極み。
戦人で無いものが使えば、肉体の限界行使で死を免れられない禁断の絶技。
術の発動と同時に全身をすさまじい光が包んだ。
それは体の内より沸き立つ光だ。
全身の破邪門が強制的に開き、あらゆる魔法を完全無効化する光を生み出したのだ。
第二段階の破邪魔法の解放。
――― 後光
肉体の極限化と共に強制的に呼び覚まされた真のハジャ。
その魔法破壊領域は通常の強制的に伝播し、空間そのものを染め上げる。
「く!」
―― 爆発!!
ベオルガーヴィと配下の者たちが爆破魔法を唱える。
しかし、ハロに魔法式そのものが破壊されては発動すらできない。
「コロス」
神速。
まさに目にも留まらない速さでベオルガーヴィとの距離をゼロにした。
ベオルガーヴィがとっさに傍らのアリシスを盾にしようと俺に向け付きつけた。
俺の加速した意識がその汚らわしい男の左腕を握り潰した。
解放され呆然とするアリシスの横を抜けながら、俺の手が奴の顔面に届いた。
純粋な握力で奴の顔面を握り潰す。
「ふぃゅぅう」
とまぬけな空気の漏れる音がベオルガーヴィの顔面があった空間から聞こえる。
残りは10人。
次の瞬間。
俺はすぐ横に立っていた男の内臓に手を突き立てていた。
内腑を引きちぎり、痙攣する男の様子をを無視しながら思案する。
数が多すぎる。
とっさに男の肉体をもぐとそれを投げつけた。
もぎ取った右手と左手がそれぞれ別の男の腹にそれぞれ突き刺さった。
あと7人。
「ひぃいいいいい」
「うぁああああああああああ」
恐怖に歪んだ男たちの声がずいぶんと遅く聞こえた。
認識が限界を超えたのだ。
俺はさらに加速した。
◇◇◇◇◇
極大化した意識が最後に人の知性を取り戻したのは最後の一人をすり潰しているときだった。
俺は気が付くともう人なのか何なのか分からない「それ」を随分と熱心にすりつぶしていた。
俺は何をしていたのだろうか。
「※※※!!」
何かがずっと聞こえていたが人間を超えた俺の耳には理解できる言語になっていなかった。
「※※いさま!」
ようやく人の声が分かる状態にまで衰えてきた。
死が近づいている。
「おにいさま。おやめください!もういけません!!」
アリシアが気が付けば、俺に抱きついていた。
涙ながらに訴えている。
「死んでしまいます!!」
死か。残念ながら、それはもう確定している。
自分の肉体を確認する。
腹に負った致命傷。
力任せに振るい続けた両腕もすでに肉塊となり、繋がっているだけの状態だ。
負荷に耐えかねて、全身の骨にひびが入っている。
肉体も精神もすべてが限界だ。
もうすぐ自分は死ぬ。
俺は天を見上げて言った。
「これで借りは返せたか?」
なぜか。
感慨深い。
漸く、そこに行けるという喜びに似た何かが降ってきて、俺は最後の意識を失った。
「おにいさま!おにいさまぁあああああ。だぁめえええええ」
ああ、こえがとおくきこえる。
おれをよぶこえが。
◇◇◇◇◇
僕がそこにたどり着いたのは彼がその魔法が発動させた後だった。
「遅かったか」
目の前で起こる狂乱を眺めながら、これほどの魔法を行使したライオットに素直に感銘を受けていた。
この魔法は僕も知っている。
どういう類の物なのかも重々承知している。
ちょっと踏み込めないな。
さすがに今、この場に不用意に踏み込めば、彼に殺戮対象と認識されてしまうだろう。
ハロはハジャと同じで内燃魔法まで無効化にはできない。
蛇人の使ったなんちゃってハロとは違う本家、本物。
初めて見たなぁ。
スペリオールとグランオーラを重発動すれば、今の僕に勝てない相手ではないとは思うけれど。
鬼気迫るか。
ちょっと気圧されてる。
その感覚を素直に認めるしかない。
最後の一人を殺し、彼が倒れたところで僕は漸くその場に足を踏み込んだ。
泣くアリシスの肩に手を置く。
「下がれ、アリシス」
「あ、あんたどうしてここに?」
「僕が彼を癒す。下がってろ」
僕は言葉に力を込めた。
ただ、実際に上手く行くかは五分五分と言ったところか。
完全に死んだ人間を蘇生させたことは今までない。
「助かるの?本当に?」
「さぁ、彼の気力次第だな」
僕はそう嘯く。
僕は魔法式を唱えた。
まずは。
――― 超獣
肉体の魔獣化。これで強制的に完全破壊された肉体を別のモノに作り替える。
死んだ肉体の強制再生が始まると同時に精神を確認する。
やはり神化魔法の影響で精神崩壊も始まっている。
今はまだ、集団意識に残ったライオットの固有格の残滓が周囲をさまよっている状態だがすぐに昇華が始まってすべて消える。
――― 神結
魔素結晶化魔法。
時空間を完全に限定できる理論障壁でコレクティブ・アンコンシャスから魂を隔絶し、魂の昇華を防ぐ。
さて、魔獣と化した魂を持たない死体は魔核をもつ。
魔素が固まった疑似魂に向けて僕は理論障壁を縮小させた。
マテリアルに圧縮された魂入りの魔核が出来上がる。
これで魔素と魂が魔獣の肉体に宿った。
これでライオットは魔獣として蘇った。
ここで終わらせるなら。
――― 人化
コレクティブ・アンコンシャスの共有認識面からライオットの全過去情報を取得。
魄と魂。材料の確保と魂の設計図による再構築。
さて、どうなるか。
僕の力業で魔核が魂に変わり、魔獣と化した肉体がゆっくりと人間に戻る。
「な、なにがおこっているの?」
「色々だ」
どうせ説明しても分からないだろう。
まぁ、ユシャン先生なら驚いてくれるかもしれないが。
すべての処置が終わった。
僕の目の前には傷一つ無いライオットが横たわっていた。
上手く行ったか?
僕が耳を澄ますと彼の小さな寝息が聞こえた。
ひとまず、大丈夫なはずだ。
「おにいさまは助かったの?」
「無事に人間に戻っているか。まぁ、保証はないな」
実は一度、魔獣にまで落とした。
そんなことを言えるわけもない。
僕は肩を竦めると彼女に言った。
「僕はこの死体を処理する。彼が無事に目覚めたら、せいぜい感謝するように言ってくれ」
「ちょっとどうする気?」
「全部分解する」
僕は魔法を口にする。
――― 完全崩壊
死体がすべて、その痕跡ごと消失した。
◇◇◇◇◇
彼の意識は魂の海をさまよっていた。
人の魂は根源の海から生まれ、根源の海に帰る。
死に際に彼の意識が強い思念となってその海に波を立ってた。
その波こそ、彼女の過去性そのものだった。
「ずっと逢いたかった」
「馬鹿な子ね」
彼女は苦笑している。俺はその方向に手を伸ばして。
何かに阻まれた。
なぜ?
「良かったわね。ライオット。あなたはまだ帰れるみたい」
そんなはずはない。俺は死んだ。
肉体も魂もこうして死に。
死?これが死なのか?
待ってくれ。
しかし、声は見えない何かに阻まれて届かない。
アイラの声は聞こえるのに何故。
「彼によろしくたのんで頂戴」
彼とは?
「いずれ分かるわ。彼はこの世界の魂を救うモノよ」
何を言っている?アイラ?
俺は必死に手を伸ばした。
アイラ!
俺は君を・・・。
その姿が光にかき消えて。
俺は。