君のかたち(前)
※7月12日改訂
「ちぇ、もう廃棄されてる」
僕が苦労の末にたどり着いた暗殺ギルドのアジトは見事にもぬけの殻だった。
人が居た痕跡はあるものの残念ながら、次に繋がるような手がかりは残っていない。
この手のギルドが用心深いのは知っていたがここまでとは。
「実体がほとんどないギルドか」
暗殺者ギルドの暗殺者個々の繋がりは非常に薄い。
幹部級の人物ですら数人の暗殺者としか直接は繋がらない。
か細い糸の薄い繋がりが僅かにネットワークとして機能する程度。
独立した頭を持つ群を持たない蛇たち。
ここまで徹底していると実に厄介だ。
「拙いな」
蛇人はもうすでに王都に到着し、活動していると考えた方が良い。
早く対処したいがしっぽすら掴めない。
蛇人が活動していると言う情報はライオットに流したがどこまで信じているか、対応可能かも不透明だ。
こちらから攻めるには限界があるな。
ならば。
「網にかけるか」
本丸を狙う瞬間に逆に網にかける。
つまり、ライオットを餌に暗殺に動いた瞬間を狙う。
◇◇◇◇◇
「まったく!これはどういうことだ?」
五公家、最大の実力者にしてライオット支持者であるフルド公は苛々を隠さずにそう呟いた。
「べオルガーヴィめ。何故、クーデターなどと馬鹿げたことを」
フルド公がライオットを支持する理由はライオットの実力を見込んでいるからである。
高級貴族でありながら、歴戦の戦士を輩出してきた騎士の名門フルド公は徹底した実力主義者で知られている。
フルドが馬車の外に目を向けると私兵50人、貴族騎士団の騎士10人、それに聖団の術者5人、計65人に及ぶ大護衛隊が配備されていた。
たかが知人の邸宅に馬車で向かうのに大仰なものだ。
さらに別の事実がフルドの苛立ちを隠すことの出来ないレベルに押し上げていた。
「蛇人が私を狙うだと?バカな」
王子経由でもたらされた情報が事実ならそれはとんでもないことだ。
蛇人とは闇勢力にとっては一種の切り札だ。
いくらテスタンティスの切り札である聖人が、とある事情からまったく動けないと言っても、そう安易に動かせる訳がない。
たかが、5公家の暗殺の為に蛇人が動くのか?
蛇人は対人殺傷の為の高級兵器。
戦略級の実力をもつ聖人などと比べると多数の軍を相手に闘うのはリスクが大きすぎる。
この護衛団はそのための十分すぎる備えだ。
フルドは沸き立つ怒りに震えた。
武官の一人としてこの大護衛団は恥だ。
まるでこのフルドが臆病者になったかのように感じる。
突如、悲鳴が重なった。
同時に馬車に一人の男が駆け込んで来た。
「た、大変です」
「何があった」
この慌てよう、非常の事態のようである。
「敵襲です!すでに護衛団の半数が消失。敵は」
「残念ながら、情報が遅いですよ」
淡々と告げるその言葉に騎士の目が大きく開いた。
「あ、ああ」
その瞬間、赤い花が咲いた。
そう思うほどに鮮明で強烈な血しぶきが上がる。
人、一人が簡単に爆ぜたのを見て、フルドは状況を理解した。
同時に、フルドは自分の思い違いをも理解しなければならなかった。
蛇人が極小規模の対人殺傷行動に特化しているというのはある程度は事実だったとしても、その戦闘能力は多少の規模の兵力などはまったく歯牙にかけないのだ、と。
「たった今、貴方一人になりました」
フルドの目の前には深々とローブをかぶった男が一人立っている。
その死の宣告にフルドは呟いた。
「ばかな」
しかし、何故、蛇人が動く。
たかがベオルガーヴィの為だけに。
「私は蛇人スーマ。私の愛を差し上げましょう」
―― 爆発
フルド公はとっさに呪を唱える。
それが男の前から一瞬で無散した。
「なっ」
「私に魔法など効きません」
その声に顔を上げると男が私を見下ろしていた。
いつのまにこんな近くまで。
「あ、あ、あ」
「あいしてさしあげましょう」
胸に向かい音も無く伸びた男の手がフルドの心臓を鷲掴みにした。
◇◇◇◇◇
翌朝、人々が騒然とする広場にフルド公の死体が晒されていた。
ある一文が添えられて。
ライオット王子に組みする者たちは等しくこうなる運命にある。
その訃報を受けたライオットは目を瞑った。
「フルド公が、本当に?」
クーデターは成功したと言っても良い。
ライオットは最大の支持者を失い、そして、他の支持者もこうなれば、保身に走るだろう。
「はい、残念ながら情勢は流動的になりました」
報告の席でアレスは涙ながらに言った。
「我々の責任です」
「これは王家のお家騒動だ」
全ての責任は我々、王家にあるそうライオットは言った。
しかし、アレスは首を振ると呟いた。
「蛇人が動くと分かっていながら、守護の要たる聖人を使えませんでした。我々にとって敵対者たる魔人、蛇人にこの国に良いように弄ばれるとは」
「アンネリーゼの新継承に加えて、もう一人の聖人は身重なのだろう」
まだ若い新しいアンネリーゼは戦闘に使えない。
聖人が事実上使えない。
その隙を突かれたのも事実ではある。
「隙を見せたのは我々の落ち度」
「気にするな。貴公らに頼らねばならぬ国家の方に問題があるのだ」
「べオルガーヴィとその一味は邪悪です。彼にこの国を渡す訳にはいきません!!」
「分かっている」
そうは言ったが。
ライオットは心のどこかで負ける目が出てきたことを喜んでいた。
俺にとって王位など、もはやどうでも良い事だが。
アリシスを守ることはもはや我が身にとっての宿命だ。
アイラの娘を守れるなら、あの日の約束を果たせるならば、俺は死ぬことになっても後悔はないと思っていた。
そう、あの日の約束を。
◇◇◇◇◇
10年前。
当時の俺はまだ6歳の子供だった。
王宮で家庭教師たちに学問を教わる毎日を過ごしていた。
その当時、俺の家にアイラが来たときのことを今でも覚えている。
王、俺の父はまだ15歳ながら卓越した魔法使いで踊り子であったアイラを後宮に迎え入れた。
アイラはただ美しいだけでなく、その瞳は生命力に満ちあふれて誰よりも輝いていた。
その姿は太陽に似て、ほんとうに美しかった。
「こんにちは、君がライオットくんだね」
彼女がそう挨拶した時の。
初めて逢ったときの、その笑顔を、今でも覚えている。
◇◇◇◇◇
母は新しい子供を生む準備に入ってほとんど顔を合わせなくなっていた。
母は母として特に秀でたところのない女だったが子を生むという意味においては非常に有能だった。
そういう意味においては王が望むべき至上の王妃なのかもしれない。
俺に母に遊んでもらった記憶など無い。
この時も、今も、母はただ俺を生んだ女。
それだけの存在だった。
アイラは型破りを絵に描いたような娘だった。
体を動かす事が大好きで良く演習場に入り込んでは騎士たちの剣や槍の武闘に乱入する。
その様子を教育官に見られると慌てて逃げ出すのだ。
そして、いつも逃げきれずにこっぴどく叱られるのだ。
当時の俺は家庭教師たちに様々な教養を教わる傍ら、王宮では剣聖位を与えられた大先生から武術指導を受けていた。
いつもは遠巻きにその様子を眺めているだけだった。
ある日、たまたま先生がおらず一人で練習をしていた時のことだ。
ちょうど、教育官から逃げるアイラとはち合わせた。
「あー、君はライ君だね」
息も絶え絶えの彼女を前に俺は質問した。
「また逃げてるんですか?」
「また逃げてるのよ」
そう言って彼女は苦笑した。
俺は頷くと言った。
「それじゃ、こっちに来てください」
そう言って歩き出す。
王宮にもさまざま施設がある。
俺が彼女を案内したのは噴水のある小さな花道だった。
「ここは?」
「貴華の散水路と呼ばれています。なんでも三代前の王が最愛の王妃に与えた散歩道だとか」
「へー、ものすっごい綺麗なところね!」
そう言ってアイラは感動した様な顔をした。
たしかに綺麗なのだろう。
当時の俺にはその価値は今一つ理解できなかったけど。
「ここは王家の人間しか入れませんので教育官は入ってこれませんよ」
「えっ、じゃ、私ここに居ると拙いんじゃ?」
俺は呆れて聞き返した。
「・・・アイラさんは王家の人間でしょ?」
「そういえばそうね」
今までどういうつもりだったのだろう。
少なくとも本人にすら王家の自覚が無いのでは周囲から浮くのも当然なのかもしれない。
「どうして助けてくれるの?」
「助かったと思いますか?怒られるのが早いか遅いかの違いだと思いますが」
今、思えば、我ながら随分とませた子供だと思う。
俺の問いにアイラは笑って答えた。
「まぁ、そうだね。でも、後回しにしたいことを後に回せるならそれは助かったと同じじゃないかな」
俺は不思議そうに呟いた。
「そんなこと無いと思います。勘定は変わりません」
「気持ちは変わるよ。人に対してありがとうって思えるでしょ?それが大事なんだよ」
気持ちが大事?まったくピンと来ない言葉に俺は反論を口にした。
「嫌な事から逃げても大人になれないとも言われました」
「嫌な事に順応したらすぐに大人になっちゃうよ?」
まるで大人になっちゃ駄目と言っているようだった。
新鮮というより、意外過ぎて俺は聞き返した。
「大人になるのは良いことではないのですか?」
「ふふ、君は良い子だね」
それは良く言われていたことだったが。
俺はそう言われるのが好きでは無かったので少し苛立った口調で尋ねた。
「なんでこんなことをするんですか?」
「理由なんて考えなかったなぁ。したいことはしたいでしょ?」
したいこと。
「じゃあ、王妃さまにはなりたかったの?」
「そう!だって面白そうじゃない」
そんな理由で。
この娘が明らかに後宮で浮いていることは誰の目にも明らかだった。
どうしたことだろう。
あんまりな言葉に対して俺は本音を口にしていた。
「僕は王子なんてなりたいと思えない」
「そう、じゃ、やめちゃえば?」
俺は呆れた口調で言った。
「辞められる訳ないだろ」
彼女はからかうような口調で俺に言った。
「ふふ、ライくんは王子なんてやめたいと思う?」
「思わない」
何故だろう、その問いには何も考えずに即答した。
「へー、どうしてやめないの?」
「責任があるから」
「うわぁ、すごい子供だね、君は」
感心したような口調に俺は怒った。
「からかわないでよ!」
子供扱いは嫌いだ。俺は苛々していた。
「どうしてなりたくないの?」
「僕は王子には向いていないよ。なんでも出来るような人間にはなれない」
正直なところ、日々、自分に掛けられる期待の大きさに潰れそうだった。
自分が兄のスペアに過ぎないとしても、常に完璧を求められていた。
「別に王様が何でも出来るようになる必要は無いんじゃないかな?だってたくさん家来がいるでしょ?」
「でも、王様はなんでもするじゃないか。何でも出来た方が良いに決まってる。そういう奴の方が王様に向いてるんだ」
少なくとも今まで生きてきて俺は多くを求められて来た。
才能ある人間である事を、完璧な人間であることを求められて生きてきた。
そして実感していたのだ。俺はそこまでの器じゃない。
「ふーん、じゃ、君がなれる王様なり、王子さまになれば、良いじゃない」
「何それ?」
本気で意味が分からないと思った。
「なりきれない自分のままになれば良いのよ。なりきれない誰かなんて捨てて」
「それで何になるんですか?」
聞き返した俺に彼女は笑みを浮かべて言った。
「そしたら、ほら、自分だけの自分になれるじゃない」
どういうことだろう?
「自分だけの自分、・・・ですか」
何だそれは?
「そうそう、何でもは出来ないけど、何かは出来るでしょう。そういうところから自分を始めてみればいいんだよ」
「よく分かりません」
「分かるさ。すぐにね」
何だろう。
結局、この言葉で何かが変わったわけでは無いけれど。
でも、確実に俺の気持ちは楽になっていった。
その日から時々、俺とアイラはこの散歩路で会うようになった。
そして、いくつかの言葉を交わして時間を過ごしたのだ。
彼女と過ごすことで少しだけ、今の自分を認めても良いような気分になっていった。
あの日から、しばし時を経て。
まだうら若いアイラに俺は子供心ながら恋をしていた。