挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
わたしの愉快な旦那さん 作者:yuma

本編

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

43/64

ホットティーはお砂糖いらず?

 購買から学部棟に戻る途中、ふと覚えのある香りに立ち止まった。そこは学部棟に入る外に面した通路で、どこか懐かしい香りを放っていたのは通路脇にあった大きな金木犀の木だった。彼岸花が咲いたと思ったら、次は金木犀で、さらに次が紅葉。当たり前に季節が流れていくけれど、そこに一種の物寂しさを感じるのは私だけだろうか。

 ここ数年、金木犀の香りに不安を覚える。春には何とも思わないのだけれど、秋は。……深まっていく秋だけは、一瞬だけでも立ち止まらずにはいられなかった。思い当たることはあったけれど、私はいつもまるでもう気にとめていないように振る舞っている。たかが秋。秋の感傷というやつだ。




 授業が終わった私は図書館に向かった。ちょうど自分の専攻の演習発表が終わり、借りていた資料を返しにいくためである。学生証を出して認証ゲートをくぐったところ、軽く肩を叩かれた。

「こんにちは」
「あ、菱川さん……こんにちは」

 軽く頭を下げれば、すぐさま心配そうな声をかけられた。

「どうしたの、疲れているように見えるけれど」
「あ、と……そうですね。今日自分の演習発表が終わったばかりなので」

 曖昧に笑う。……相当、気疲れしていたのだ。
 演習発表とは自分の発表をただ発表しっぱなしで終わるわけではもちろんなく、その後にお化け屋敷よりも恐ろしい質疑応答がある。重箱の隅をつつくように発表原稿の不備を指摘され、論が甘いところはすぐさま突っ込まれる。調べが足りていなかったら、「もっと勉強してください」と真顔で言われる。普段仲がよい先輩でもその時ばかりは容赦ない。神坂さんなどは他の先輩たちの中でも一番の先頭に立って、びしばしと適切かつ、こちらには痛い質疑をしてくるのだ。このことからわかる通り、演習発表の場は研究の鬼たちの集会なのである。先生は言わずもがな。

 早めに準備をして自分では完璧に仕上げたつもりでも、人目にさらされるとアラが次々と見つかるものなのだ。あぁ、なんだろう。終わった途端に沸き起こるこのむなしさは。しばらく何も考えたくない。隣にたまたま座っていた同級生がかけてくれた「おつかれー」という言葉が妙に心にしみた。

「大変だったんだね」
「そんなことはありませんよ」

 社会人として働く菱川さんに比べれば、きっとこれぐらい大したことないのだ。

「菱川さんはまた本を借りにきたんですか?」
「ん? まあね」

 菱川さんは本の在処を示すように手提げを軽くあげた。

「最近は建築に興味があって。色々と調べているところ」
「へー……建築ですかー……」

 私の中の建築の知識はとても偏っている。すぐに連想したのが、写真で見たゴシック建築のノートルダム大聖堂やロマネスク建築のピサの斜塔。ついでバロック建築のサン・ピエトロ大聖堂。この三つはいつか行ってみたい西洋建築ベストスリーとして私の心の中で燦然と輝いている。いつか行けるといいなー。

 菱川さんが見せてくれた手提げ袋の中には難しそうな計算式が載っていそうな本もあったけれど、わかりやすい写真集も入っていた。それを見て、私のテンションは俄然上がった。

「サグラダファミリアですね、菱川さん!」

 現在も未完成のままのガウディの最高傑作、サグラダファミリア。ゴシック、ロマネスク、バロックよりは時代が下るけれど、私はアール・ヌーボーも好きである。なんかあのぐねぐねねじ曲がったデザインが好きなのである。ガウディの他作品で言えば、カサ・ミラなんかもまさに外面が波打っている感じがアール・ヌーボーだ。

「梢さんはガウディが好きなんだ?」
「好きです、とても!」

 さきほどまでの落ち込みがどこかに消えた。好きなものについて語る時、そうそう落ち込んでもいられない。うへへ、と緩んだ笑みも浮かべるものです。……うへへ。

「僕のことは?」
「へっ、す、好きです、よ……?」

 途端にしどろもどろになった。それを優しげな表情で見つめてくる菱川さんに、私はわたわたと慌ててしまった。ここをどこだとこころえる天下の大学図書館なるぞ……ちっとも冷静になれてない。

「だったら、梢さんをサグラダファミリアに連れていけば、もっと梢さんは僕のことを好きになるね?」
「そ……」

 そうっすね。口調はなぜか舎弟風に。

「……でもいつか二人でこういうところに旅行に行けたらいいね。一緒に行ってくれるかな」

 菱川さんと旅行。とても素敵な響きである。ただ、現状ではおんぶにだっこ状態であることは否めないけれど。菱川さんの負担が大きすぎる。

「……梢さん?」
「は、はい」

 私はまたどこかぼうっとしていたらしい。焦った。

「いいと思います。一緒に色んなところを回りたいですね」

 スペイン、それは情熱の国である。フラメンコとカルメンな世界だ。イメージカラーは鮮やかな赤。
 いつか行くかもしれない旅行の話で菱川さんと随分盛り上がった。菱川さんは仕事で海外に行くこともあるので、随分と詳しい知識を持っていて、聞いているだけでも楽しかった。

 本を返してから図書館横にあるカフェに入る。何でも好きなものを注文していいって言われた。ご褒美なんだそうです。……ご褒美なんだって(二度目)。

 両親が亡くなってから、自分へのご褒美以外のご褒美なんてもらったことがなかった。「ご褒美」というのもとても素敵な響きである。頑張ったものが多少でも報われたようでうれしい。以前は模試の成績が上がった時なんかはお父さんがお母さんに内緒で千円のお小遣いをくれたり、その晩のお母さんの手料理がいつもより少しだけ手がこんでいたりしていたものだ。……懐かしいなぁ。

「メニュー表もらってきたよ。どれにする?」

 どうせならお腹いっぱいになるようながつんとした甘さの期間限定フラペチーノがいいなぁ……と現金にも思って、メニュー表を覗き込んだ私だったけれど。次の瞬間には不思議そうにお腹を押さえた。……お腹、まったくすいてない。それどころか、何も食べたくなかった。普段ならこの時間は腹の虫が大合唱するころなのに。

「えっと……このホットティーにします」
「それでいいの? もっと高いものも選んだっていいのに」
「なんだかお腹がすいていないみたいで。気にしないでください」

 菱川さんは少し釈然としない様子だったけれど(それだけ菱川さんの中での私は食い意地が張っていたのだろうか)、ブレンドコーヒーを注文し、落ち着いた店内の席に腰を下ろす。周囲にはおしゃれな感じの留学生やら、おしゃれな感じの大学生やらがわらわらと……。

 そう、このカフェは世界に店舗を広げるおしゃれカフェなのである。この大学に通って三年目ではあるけれど、変なところでお金をけちり、かつおしゃれに自信なしである私は、片手で数えるほどしか足を踏み入れたことがない。場違いな感じに見えていないかしら。

 一方、ソファーに座るワイシャツにネクタイ姿の菱川さんはとても落ち着いている。もはやその場に溶け込みすぎて、一枚の風景画と化していたほどだ。ホットティーのカップを傾けながら、そっと観察してみる。なんだか好きだなあ、と感じた。やっぱり、この人の纏う空気感というのがとりわけ私は好きなのだ。ちょうど、落ち着いたカフェに漂う空気に似ているのかもしれない。

「そうだ、これさっきもらったんだけど、梢さんは読んでる?」

 菱川さんが思いだしたように差し出してきたのは、『息』最新号だった。菱川さんももらったんだ。

「はい、一応。運動不足解消の記事とか身につまされるものがあって……今度、それに載っていた散歩コースを歩いてみようかなって思いました。あと、高級スーパーも。コンシェルジュがいるスーパーって興味あります」

 普段はスーパーひらなみ信者ですが、一度は冒険したくなるように上手く書かれていた記事だった。どうかひらなみ様、この裏切りのユダをお許しください。銀貨三十枚のワイロはもらってませんので。

「へえ、どこかな?」
「あ、ここです」

 菱川さんの代わりに雑誌のページをめくる。ああ、ここね、と菱川さんは納得の声を上げた。

「二つとも知ってるよ、別店舗のだけれどね。確かに、なかなか面白い品揃えだったな」

 さすが菱川さん、情報に敏感。そして雑誌の表紙に戻る。

「そういえば以前、この雑誌にうちの店が載ったことがあるんだよ」
「あ、そうなんですか!」

 そんなことを言いつつ、表紙を見る。そこには笑顔で駆け寄る美人女子大生が映っている。さりげなく裏表紙にひっくり返せば就職関連広告が。うげ。

「あのときの記事の見出しは確か……『恋が叶うかもしれない何でも屋?』だったかな。取材された時はまさかこんな見出しにされるとは思っていなかったけれどね。あぁ、そうそう、思いだした」

 菱川さんが面白そうに口元を緩めた。

「記者として来た学生が冗談交じりに質問してきたんだよ。『何でも屋ということなら、彼氏や彼女もあるんですか』って。あの時は度肝を抜かれたよ」

 ちょっと嫌な予感がした。

「もしかしてそれって……その学生の子が」
「それはないよ。相手は男だったからね。それで、返事で無理です、というのは簡単だけれど、それじゃつまらない。まあ、そんなわけで『合いそうな相手を探してみましょうか』……と、まあ、こんなことを言った結果があの記事になった、というわけ」

 まったくの杞憂だった。私の勘はまったく当てにならなかったよ。
 でもそっかー。私があの店の噂として聞いていたものの元ネタって雑誌記事からだったんだな。今更判明した新事実というやつだ。

「結局、反響はあったんですか?」
「うーん、どうだろう」

 今度は苦笑い。

「ひやかしついでに彼氏が欲しいと言ってきた女子大生がいたぐらいかな。今は僕が紹介した大学の同級生と付き合っているという話は聞いているけれど」

 ひやかしついでに彼氏が欲しい……。「彼氏」を「旦那」に替えればそのまま私のことじゃないか。

「……菱川さんは」
「うん」
「その人と付き合おうとか、思わなかったんですか?」

 どんな人かは知らないけれど、その人には自分の知人を紹介して、私には自分自身を紹介したのだ。ちょっと気になる。いや、だいぶ気になる。

「まったく思わなかった。その時にはもう梢さんのことが気になっていたからね」

 なぜか話に私が登場してきた。

「店の前を通るたびに可愛いな、僕と付き合ってくれないかなって思っていたから。そうなると他の子なんて目に入らないよ、やっぱり」

 ただの日常会話のはずがとんでもなく甘くなった。ホットティーにも砂糖いらずなぐらい。ど、どうする、落ち着かないのですが。

「それってどのくらいの時期でしょうか……」
「……去年の秋。ちょうど今ごろじゃないかな」

 去年の秋。何かあったっけ。うーん、ないな。去年の今頃のニュースといったら自分の不注意で車に引かれかけたことぐらい。その時は親切なスーツ姿の人に助けてもらったっけ。

 ただ、そんなに前から私のことを認識してくれていたと知ると、なんだかこそばゆいというか、なんというか。




 





+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ