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わたしの愉快な旦那さん 作者:yuma

本編

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ミントの葉っぱは食べていいもの?


 問いかけられた謎に呆然としていると、菱川さんはいつもの笑みに戻して、冗談だよ、と言う。

「気にすることでもないんだ、本当に」
「本当ですか?」
「本当に」

 重ねて否定されるけれど、冗談で片付けられるような口調じゃなかった。菱川さんは間違いなく本気だったと思う。でも……それを私が深く追及していいもの? なんとなくだったけれど、私は直感している。――菱川さんは、苛立っている。何に? そんなの、目の前にいる私に決まっているじゃないか。菱川さんの問いに答えられず、菱川さんの欲しい答えも用意できていないからだ。

 我ながら情けないと思うけれど、菱川さんに負の感情を持たれるのは悲しい。ほかの誰かに持たれても、そういうこともあるよね、と流してしまえるだろうけれど、目の前にいるこの人だけは。

 私はそんな重苦しい思いに全部蓋をして、忘れようとした。……ここは公共の場で、二人きりでもない。私が感情のままに振る舞っていいところではないから。二人きりだったなら、菱川さんの話を聞いて、その目を見れば、もっと詳しいこともわかったかもしれないのに。

「梢さん」

 気が付かないうちに握りしめていた拳の上を、菱川さんの手が滑った。

「……次はいつお店に遊びに来てくれる?」
「それは……」

 一瞬だけ触れた菱川さんの手は温かく、囁かれた言葉には親しみがこもっていて。……菱川さんが、私に苛立っていたわけじゃないことを教えてくれた。うん、前向きに考えなくちゃいけないよね。暗い思考になったところで、自分が暗くなるだけだ。

「突然ですけれど、明日でも大丈夫ですか?」
「うん、大歓迎だよ。お菓子用意して待ってるから、いつでもおいで」

 ……あ。

 菱川さんはとびっきり嬉しそうな顔で答えてくれた。マシュマロみたいに甘々だ……。そんな表情を向けられたら、どんな女性でもイチコロになっちゃいますよ、菱川さん。

 菱川さんはすでにその展示室を一周終えているらしい。
 では、また今度。と去っていく菱川さんと軽く手を振り合っていると、その横にすすっと忍者のように忍び寄ってきた人が。

「ほほぅー。あれが梢ちゃんの男かー」

 ……あ。

 ああああああああああぁっ。

「あ、あの、神坂さん……。今の、まさか、全部聞いてたってことは……」
「だってここは美術館だもの。たまたま人が少ない時でよかったよねー」

 神坂さんは私の肩に手を置いて、しみじみと言う。

「……ま、同じ授業受けている子にも何人か目撃されちゃってるけれど、ドンマイ!」

 ああああああああああぁっ。

「い、いやでも、一見しただけでは実際に付き合っているかってわからなかったりしますよね……? 男女が二人きりでいたところで、ただのお友達です! みたいな」

 どうにか自分を立て直そうとしている私に、神坂さんがとどめを刺した。

「とてもじゃないけど、お友達レベルじゃない距離感だったよね」

 ああああああああああぁっ。

 私は声にならない悲鳴を上げた。

「相手の方はどうか知らないけれど、梢ちゃんは明らかに表情が恋する乙女だったよー。学校での梢ちゃんが固いとは言わないけれど、今のほうが幸せそうに見えた。花が咲いたような、って形容の実例だったわ」
「そ、そうだったんですね」

 当たり前だけれど、自分で自分の顔を見ることはできないし、こうして他人から指摘されるというのも恥ずかしい。穴があったら入りたい。

「夏休みがあってよかったねー」
「そ、そうですよね。これで記憶は薄れるはず……」

 彼らは普段からも交流の少ない、他専攻の人が多いのだ。しゃべることもめったにない。しかし、それで誤魔化されてくれない人もいる。その唯一の例外が、目の前で励ましてくれているわけだけれども。

「先生のいる前で帰り際の友達に『アデュー!』とうきうきしながら言ったあとの私の恥ずかしさと同じぐらいだよ、きっと。そんな大したことないって!」

 そしてそのにやにや顔をそのままこちらに向けた。

「……で? 梢ちゃんの彼氏ってどういう人? 教えてプリーズ」
「誤魔化されてくれないんですね……」
「人間、好奇心には負けるよね。人の恋バナは聞きだしたくなるもの」

 ね、ね、と神坂さんにせっつかれる。この人も浮かれているなぁ。
 自分の恋バナには興味なさそうなのに、人の恋バナが気になるんですね……。

「……そんなに、言うことはありませんよ?」
「いいのいいの。梢ちゃんが自分の口でいうことが大事なんだからねー」
「え? なんでですか?」
「羞恥心に苛まれながら、つっかえつっかえ語るところに女の子の可愛さは宿ると思っているからよー」
「発想がおじさん臭くないですか」
「よく言われるー」

 あはは、と神坂さんは笑い、ぐいぐいと私の背を押した。

「ささ、話は後に回すとして、展覧会もちゃっちゃと観ちゃおう! 午後からは観劇なんだからねー」

 午前は美術館見学、午後は観劇。なんて文化的一日なんだ。ハイソな香りがする……。





 昼食は劇場近くの地下の隠れ家的レストランの日替わりランチだった。メインはタルタルソースの付けた白身魚のフライと鶏肉のトマト煮。そこにサラダ、ライスに、かぼちゃスープがついて、デザートにはソフトクリームと生クリームが添えられたティラミスだ。

 神坂さんが「女子力高いわー」と興奮している。何でも神坂さんは遊ぶよりも家に早く帰りたいと思う人らしく、こっちのほうであまりご飯を食べたりだとか、遊んだりもしないらしい。だから今日なんかも「おー、都会だぁ」とテンション上がっていたわけだ。……神坂さん、ここから大学は地下鉄で三十分もかかりません。気持ちはわかりますが。「おー、都会だぁ」と言っている神坂さんの横で、「え、ここどこ、何でこんなに人も車も多いの!?」とおろおろしていた人がいたから。私です。

 二人とも出不精がたたっております。基本的に生活に最低限のところしかいかないから……。
 そして都会に慣れない私たちは最終的にこうなる。

「私、山がないと生きていけない」
「同感です。緑ないと生きていけませんね!」

 よって、大学に残る緑は我々のオアシスです。神坂さんと私は同じ田舎出身者として改めて同族意識を強めた。うん、元々地元が近かったので、必然の流れでもあります。

「見てよ、このティラミス。チョコソースが皿の上に円状にかかってる。高級感あるよねー」
「おしゃれな感じがありますね!」
「このミントの葉って食べてもいいやつなのかなぁ」
「どうなんでしょうね、残してもいいような気はしますけれど」
「ま、いいや。食べちゃお」

 神坂さんは生クリームごとぱくりと食べた。私はミントの葉をよけながら食べる。神坂さんが食べた直後に苦々しげな顔になったからだ。

「……話は戻るんだけれど、梢ちゃんの彼氏のことね。ちょっと個人的に思ったことがあって」

 また唐突に戻りましたね。さっきこの店に来る前に差し障りのない程度にぽつぽつと話をして、終わったものと思っていました。

「そんな不安そうな顔にならなくても大丈夫よ? 私が人様の彼氏を取るわけないでしょー。どっちにしろ、ムリムリ。梢ちゃんと話している時、すぐさま別の絵画に避難していたぐらいよ? 確かに顔はイケてる部類かもしれないけれど、ねー」

 はあ、と神坂さんはため息をつく。

「誠実というより、うさん臭さが漂う感じがするんだわぁ。ちょっと年上のようだし、立ち姿から見ても、上級者向けの恋愛コースが思い浮かぶというか。で……梢ちゃんは、たぶん恋愛初心者でしょ?」

 ここまで言った神坂さんは一端切ってから、重々しく、

「ぺろっと食べられちゃわないでね」
「は……食べられ?」
「私、勝手に梢ちゃんの貞操を守る会を立ち上げたつもりだから! よろしく!」
「ちょ、ちょっと、何言っているんですか、神坂さん! そんなの必要ありません!」

 神坂さんがいきなり下世話な話に踏み込んできて、私は泡を食って却下した。第一、貞操がどうの、という話になるのはまだ当分のことでして……ごほんごほん。

「男は狼。……ってマンガには書いてあった」

 マンガ知識だというと、途端に説得力が落ちますよね。
 そして、私はマンガよりも自分の目で見たものを優先しようと思うのです。

「……菱川さんは紳士です」

 いや、だからそこが、と神坂さんが言いかけたけれども、諦めたようにティラミスをスプーンですくって口に運んだ。

「どちらにせよ、私だと役に立たないかー。男の良しあしなんてちっともわからないし。付き合ってみて、初めて知ることになるわけだー。いやー、恋愛って難しい」

 その通り。恋愛って難しい。私はまだ答えを見つけられていない。
 短い間に相手の言動のために幸福と疑心の天秤を行ったり来たり。時には別の誰かが隣に立つことが許せなくなって、つい「私を見て」と袖を引っ張ってしまう。そのくせ、軽いスキンシップにも過剰に反応してしまいがち。後になって、馬鹿なことをしてしまったと何度も後悔するけれど、同じぐらい話せたことが嬉しくてたまらない。

 こんな気持ちになるなんて、ほんの数か月前の私では考えられなかった。生きることさえ辛くて、しんどくて、擦り切れた雑巾みたいになっていたんだから。その時、付き合っていた人にもひどいことをしていたことに気づかないほど追い詰められていた。

——三木さんは俺のことなんてどうでもよかったんだよね? もう別れよう。さようなら。

 成人式で再会した中学の同級生だった彼は、そのメッセージを最後に、二度と連絡してこなかった。トークアプリのアカウントもすぐに無くなった。そこまでになってようやく私は、自分がどれだけ間違っていたかということを思い知った。

 付き合ってもいなくても、私は何も変わらなかったのだ。好きだったから付き合ったわけじゃない、前向きに好きになろうと努力するために付き合ったわけじゃない。だったら何のために。……自分のためだ。一生懸命に告白している彼に対して、断るのが面倒だったのだ。「俺のことが少しでも嫌いじゃないなら、付き合ってください」と言われた時、どうして「『嫌いじゃない』だけでは付き合えない」と伝えられなかったのだろう。それこそが、彼にとっての思いやりになったはずなのに。

 菱川さんに夢中になればなるほど、以前の彼との差が明確になっていく。私の気持ちの持ちようがあまりにも違い過ぎて、過去の自分の愚かさを見つめ直すことになっている。……せめて、前の彼が私のことなんて忘れ、新しい彼女を作って楽しそうに暮らしていることを願っているけれど。

 今、私はきっと恋をしている。その今だからこそ——本当にそう願ってやまない。


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