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わたしの愉快な旦那さん 作者:yuma

本編

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神坂さん、お出かけですか?

 近頃、研究室に行くといつも神坂さんが勉強しているのを見かける。九月に大学院の院試を控えているからだけれど、今はまだ七月、机にへばりつくには早すぎるのではないかと思う。そこまで追い詰められたような顔をし続けていたら、本番まで持たないのでは? 心配になって、神坂さんに声をかけてみると、「就活してないから、院試に落ちれば来年からプー太郎……。無職、イヤ……」とのこと。周囲はどんどん進路が決まっているのに、なかなか自分が決まっていないから、と焦る気持ちもあるんだろうなぁ……。何であれ、明日は我が身。色々考えさせられる。

 そんな前期末のある日、私は研究室に本を読みに来ていた。うちの研究室は本の保存のために研究室内の図書は全部貸出禁止にしているから、直接読みに来るしかない。ただでさえ、自分の専攻に対する知識がなくて先生の話についていけないことがあるから、暇な今のうちに読んでおきたい。来年の卒論のためにも。

 この時期になると、ほとんど学部生は来ない。例外は神坂さんぐらい。院生には別室を利用するわけだから、必然的に神坂さんと一緒に過ごすことが多くなる。片やのんきに読書、片や猛勉強だから、私からはなかなか話しかけられないけれど。

 まぁ、でも、見て思うのは、神坂さんって真面目な人だなぁってことだ。私もそこそこ勤勉だとは思うけれど、ああまではいかないし、割と手を抜くことだってある。そもそも興味のあることが多すぎて、ひとつのことに集中できないというか。好意的に言えば好奇心旺盛、悪意を持って言えば、飽きっぽい。これ、といったものが見つかれば、どんなことにも迷うことはないのに。

 ……菱川さんが、時間はまだある、と言ってくれたから、今は信じよう。できることをするんだ。

 正面に座る神坂さんの席には本が山のように積まれ、その中にいる神坂さんが鬼気迫る様子でいるのを眺めながら、思いだしたように自分を励ました。思考の行きつくところはいつも同じ。――菱川さんならきっと応援してくれる。だから大丈夫なんだ。

 どこにも根拠はないというのに。……恋愛脳ってこういうことなのかな。菱川さんに初めて会ってから、ずっと菱川さんのことを考えてる。本当に、これでいいの? 恋愛ってこういうもの? よくわからなくて、頭がこんがらがりそうになるのを無理やり読書に没頭していると、机の上のノートとプリントしか見ていなかった神坂さんが、がばっと音を立てて顔を上げた。ものすごく真剣な表情で、

「ねえ、梢ちゃん。私と付き合って!」
「は、はあ?」

 何の脈絡もなかった。付き合って? 神坂さんと? ええっと、申し訳ないのですが、私にはそういった趣味はなく……そもそも、結婚を前提にお付き合いをしている方がいまして。

「あー、えっと、そこまで悩まなくてもいいから! 言葉の綾です!」
「そ、そうですよね……」

 思わずガチで考えてしまいましたよ、神坂さん。ほら、冗談に見えなかったので。

「いや、でもある意味デートか? 二人きりだし。うん、デートってことでもいいよね。梢ちゃん、私とデートに行きましょう!」
「私は別に構いませんけれど……」
「よっし、じゃ、決まりね。日付は来週水曜、実習の後! 確か梢ちゃんは何も用事がないって言っていた日だから大丈夫だよね。バイトも辞めたんだし」
「そ、そうですが……」

 私は、テンションが上がり過ぎて天に向かって拳を突き上げた神坂さんを見ながら、

「勉強の方は大丈夫ですか」

 と、言えば、神坂さんはゆっくりと拳を下ろして、「もうダメ……集中できない……」とメソメソし始めた。追い詰められすぎて、とうとう「何か」が崩壊したらしい。
 神坂さんは舌足らずの子どものような声で、

「この間、駅でお相撲さんを見たの」
「そう言えば大相撲七月場所やってましたもんね」
「もう、そんな季節なんだよ……。電車通学だと毎年一回は見るんだ……」
「そうなんですか」

 そうとしか言えません。

「で、美術史専攻の友達が院試前に泊りがけで東京に行くんだってさ……。私と同じく、院に進むと決めているのに……それも、二人も。行くんだってさ、この間、世界遺産になった、ル・コルビュジエのあれ……」
「国立西洋美術館ですか? ずいぶんと混んでいそうですよね」

 人混みは好きではないので、テレビ見ながら「へえ~」と感心するだけで終わりそうですが。
 ル・コルビュジエはフランス人建築家のドンみたいですが、建築方面は詳しくないんだよね。ゴシックやロマネスクみたいなパンチはあまり感じられないんです、近代建築。荘厳さが足りないんだ、荘厳さが。

「私だって、ル・コルヴュジエ……」

 ああ~、と神坂さんが机に再び突っ伏した。よっぽど行きたかったんですね、東京に。だいぶ迂遠で誤解を与えそうな表現をしていますが。そして、そのままくぐもった声が続く。

「あと世間ではGPSと連動したアプリで、現実でも「ゲットだぜ!」が可能になっているというのに……。私はこんなところで埃をかぶった骨董品のようにこじんまりとおさまって……」
「そんなにゲットしたかったんですか……ポケモン」
「言わないで! 今すぐ外に飛び出したくなるからー!」

 どうやらダウンロード自体はすでに済ませているらしく。神坂さんが見せてくれた画面だと、二十種類ほど「ゲットだぜ!」していた。流行の波がひしひしと押し寄せているのを感じる。

「何か、一生懸命にならなくちゃいけないときに限って、あれもこれもとやりたいことが増えていって困る……。ここ十年ほどの夏にはつゆほども考えなかったくせに、今年に限って花火がやりたい! とか」
「いいと思いますよ。花火。それぐらいで院試に支障はでないですよ」

 お誘いをいただけれれば、いくらでも付き合いますよ、花火ぐらい。

「わかってる。……わかってるんだけどさー。今年の院試はちょっと、今までとは違うから……」

 神坂さんはため息をつく。うちの大学院には内部進学というものもなく、外部も内部も皆平等に同じ試験を受けることになっている。理系ほどではないが、落ちないという保障はどこにもない。だから受験のためにナーバスになりやすいというのに、今年の院試は今までと少し変わったという。問題自体は傾向は変わらないだろうけれど、院自体の組織再編成が行われ、院試の日程が一週間ほど例年よりずれこんだ。……前に。
 春の時点では下手をすれば十月ぐらいになるだろうとまで言われていたのに、蓋を開けてみれば、逆に早くなっている。
 説明会でこのことを聞いた神坂さんは思わず「神よ……」と天を振り仰いだのだそうな。
 さらに、願書提出時には、去年までは求められていなかった研究計画書なるものも添付しろと言われたらしい。もちろん神坂さんは、心の中で、「何それ、聞いてない!」と叫んだそうな。

「でも、私は思うのですよ」

 胸に手を当てた神坂さんは神妙な顔になる。

「一泊二日で東京にいく人がいるならば! 私だって半日遊びほうけるぐらいいいじゃないか!」
「いいと思います!」

 神坂さん、あなたが頑張っているのはよく知っています。だから今日は後輩として一日イエスマンとなりましょう! なんでも付き合いまっせ!
 同意を得られたためか、神坂さんはふっ、と微笑み、またも拳を大きく突き上げた。

「オペラ座の怪人を見に行くぞー!」
「お? おー!」

 乗ったのはいいものの……ちょっと待ってください神坂さん。その予定は聞いてない。
 しかも神坂さんはちゃっかりリュックから封筒を取り出し、そこから劇団のチケットを二枚見せた。S席だった。

「いやー、よかった。実はもう学生料金で販売してるって聞いてたから二枚取ってたんだよねー。梢ちゃんが乗せられてくれてよかったー。悪いけど、近いうちに六千八百円よろしくね」

 六千八百円はチケット代。それは別に構わないのですが……。
 ――一体、どこからどこまでがお芝居だったのだろう?



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