第五十一話 第三波
「第二塹壕へ向かえ!」
「怪我をした者は一旦防護柵内で治療を受けてこい。」
「離脱者の人数を確認しろ!」
距離があったとはいえ幾人かはブラックウルフの咆哮で膝を屈していたが、すぐに立て直した防衛側は大輝たち遊撃隊がブラックウルフを討ち取ったことで動揺したフォレストウルフの残党を早々に撃退し、騎士団、警備隊、冒険者たちは作戦に従って次の行動を起こしていた。マインツ副団長、クロッカス警備隊長、Bランク冒険者ラフターが中心となって各部隊を手早く纏めていく。そんな中、司令部では呑気な声も聞こえる。
「まさかアルドと大輝のところが1位とはねぇ。」
「不覚です。」
「で、どっちが奢ってくれるんですかい?」
ルビーとリルとアルドであった。曇った顔のルビーとリルに対して晴れやかな表情を浮かべつつもからかうアルド。
「そりゃ2位は私たちだろ?アルドたちの次にここに戻って来たのは私なんだからさ。」
自分たちこそが2位だと言い張るのはルビーだったが、リルも言い返す。
「これはチーム戦です。最後に戻って来たのがルビーさんのチーム員ですから私たちが2位です。」
姉貴分のルビーへ向かって言い放つリル。
「ま、オレたちはどっちでもいいんですが。ちゃんと奢ってくれれば。」
勝者の余裕を見せるアルド。そんな危機感とは程遠い遊撃隊の面々を叱れるのは指揮官であるシハスしかいなかった。
「お前らちょっと黙ってろ!」
シハスはスレインやアッシュ公と被害状況の確認や偵察隊の報告分析といった仕事の真っ最中なのだ。その横でお気楽な会話を聞かされて機嫌が良い訳がなかった。仕方なく小声で協議が行われ、2位は同着とすることで決着が着いたのは第三波が山から姿を現したという狼煙が上がる直前だった。
「やはり予測より早いか・・・」
アッシュ公の呟いた通り、第二波であるフォレストウルフが到着してから26分後に第三波のフォレストエイプが山から姿を現した。最も、フォレストエイプの進軍速度はそれほど速くはない。それでも当初予測の40分後に比べれば早いことが気がかりなのだ。
「10分足らずで第三波のフォレストエイプが来る!高台からの攻撃のあと第二塹壕の前方にて迎撃する!それまで塹壕内で休憩だ!」
シハスの声が風魔法によって隅々まで運ばれていく。その声に応える者は少ないが、士気が落ちているわけではない。貴重な休息時間を使って体力と魔力を回復することに専念しているのだ。治癒力を活性化させる治療魔法や類似効果をもたらす回復薬は存在しても体力や魔力を回復させる魔法や薬は存在しないため身体を休めるしかないのだ。もっとも、治療魔法や回復薬は身体を活性化させる作用があるため、わずかながら体力や魔力も回復する。しかし費用対効果が見合わないため緊急事態以外で使用するものはいないのだ。
「弓隊、魔法隊位置につけ!待たせたがまもなく出番だ!」
フォレストエイプに遠距離攻撃を行うのは高台に陣取っている100名だけではない。第二塹壕に身を潜める予定だった者たちの中で弓を扱える者200名程が塹壕の手前で弓を手に並んでいる。当初の予定では高台からだけの遠距離攻撃だったのだが、それでは弾幕といえる程の数が撃てず、戦果が期待出来ないということで急遽方針を変えたのだ。フォレストエイプの速度と射程距離の関係で弓を撃てるのはせいぜい5射。斉射後の接近戦にも参戦する塹壕手前に並んだ者たちは4射したら弓から剣や槍に持ち替えて参戦する予定に変更されたのだ。
「弓隊は斉射のタイミングを合わせるんだぞ。個別に射っても意味がないことを忘れるな!魔法士たちは自分の射程に入ったら担当エリアにぶち込んでくれ!弓隊の斉射エリアとはかち合わないようにしてあるから風だろうが火だろうが種類は問わない!」
シハスから遠距離攻撃を行う者たちに確認の声が飛ぶ。そして程なくして第三波フォレストエイプ500が到着する。
「弓隊構え~!」
高台からおよそ200メートル、第二塹壕からはおよそ150メートルの位置まで迫って来たフォレストエイプへ向けて弓が引き絞られる。まだ高台からは有効射程外になるがそれに構わず号令が下される。少しでも魔獣の士気を下げる為の牽制だ。
「第一射放て!」
シハスの声に合わせておよそ250本の弓がフォレストエイプの頭上を襲う。しかし、距離があることから山なりの矢の多くは地面に突き刺さることになる。
「第二射用意・・・放て!」
第一射から25メートル手前に向けて第二射が放たれる。
「第三射用意・・・放て!」
ついに高台からも有効射程距離となり、フォレストエイプの腕や足に弓矢が刺さり始める。
「第四射用意・・・放て!」
そして4射目が放たれる。山なりに放たれる高台からの斉射とほぼ直線で放たれる第二塹壕手前からの斉射の2つに晒されたフォレストエイプは次々と被弾していく。中には無防備な頭や顔に刺さって絶命していくものもいた。そしてここで第二塹壕の手前で弓を射っていた者たちが武器を持ち替える。接近戦の準備だ。
「第5射・・・放て!」
そして最終射である第5射。最も効果の期待できるタイミングの斉射だった。それはフォレストエイプが幅2メートルの第一塹壕を飛び越える瞬間に行われた。いくらトリッキーな動きをする魔獣であろうが、空中に浮いた身体はどうしようもない。次々と腹や腕、足に弓矢が突き刺さり絶命しないながらも大きく動きを制限される。そしてそこに次々と高台の上から魔法が放たれる。
「・・・灰塵と成れ果てよ、炎弾!」
「・・・凍てつくせ、氷礫!」
「・・・穢れを切り裂け、空撃!」
「・・・我が名の元に敵を討ち滅ぼせ、土槍投擲!」
体系化されていないため同じ人物に幼少期から師事していない限りは詠唱はバラバラになる。それでも魔法の威力は凄まじい。50人がほぼ同時に発動した火、水、風、土の攻撃魔法が第一塹壕を越えたフォレストエイプへと襲い掛かる。
「騎士団出るぞ!」
「警備隊突撃!」
「行くぞ野郎ども!」
先制の遠距離攻撃が終わり、次はオレたちの番だと言わんばかりにマインツ副団長、クロッカス警備隊長、Bランク冒険者ラフターが号令を掛け、それを合図に飛び出していく者たち。第二波のフォレストウルフによって怪我を負わされて離脱した者も少数いたが、およそ1700名が手負いのフォレストエイプ500弱に襲い掛かる。
騎士団はいつものように兵士が槍衾を作って徐々にフォレストエイプの動きを制限し、手負いで動きの鈍いフォレストエイプは穂先で串刺しにしていく。また隙間を縫って来た相手は2列目に控えていた騎士が剣で切り裂き、隊列の後ろには決して回り込ませない。
警備隊の主な得物は片手剣である。彼らは5人一組となって隊列を組み、2人が防御、2人が攻撃、1人が周辺警戒と役目を分担することで効率よく仕留めている。
冒険者たちはいつものパーティー単位で好き勝手に暴れているように見えるが、すでに第一、第二波と2戦したことで近くのパーティーと連携が取れるようになっていた。互いに声を掛け合い、助け合うことで順調に討伐数を稼いでいた。
高台に陣取る弓術士と魔法士は後方のフォレストエイプへの向けて散発的に攻撃を続けており、大きく隊列を乱すことに成功している。
「嬉しい誤算だな。」
司令部ではアッシュ公に笑みを浮かべてシハスとスレインに声を掛けていた。
遠距離攻撃の第五射が予想以上の手傷を負わせたこと、魔法士たちの魔法攻撃がフォレストエイプの勢いを大きく削いだこと、そして各隊の連携が予想以上に上手く行っていること。防衛側の領主としては非常に満足のいく状況であった。
「はい。ここまでは満点に近い出来です。」
「ですが、本当の戦いはここからです。次からはDランク魔獣の群れが相手ですから。」
「うむ。それにCランクと統率者がいるのだったな。浮かれている場合ではないか。」
確かにここまで若干の負傷者を出しつつも死者ゼロという状況は満点に近い。しかし本番はここからであるのも間違いないのだ。それに気になる事もある。
「やはりここでも上位種がいるのか。」
「はい。ブラックエイプですね。ここから見る限りは1匹だけのようですが。」
茶色の体毛を持つフォレストエイプの中に1匹だけ漆黒の体毛を持つモノがいる。上位種である。上位種は例外なく全身が黒く変色する。理由は諸説あるが、古い文献に魔力暴走によって闇に飲み込まれてしまったためという説があるが、闇が何を示すのか、魔力暴走とはどういう現象を指すのかはいまだ不明である。また魔獣スポットと密接な関連性があることは間違いないというのが市民の間で常識となっているがそれらを証明するものは何もないのが現状だった。
「また私たちが出ましょうか?」
「よし!今度はトドメを差したチームが勝利という条件で勝負だ!」
「また奢ることになっても知らないっすよ。」
遊撃隊の面々から声が上がる。
「いや、それには及ばない。」
出撃命令を望む遊撃隊に向かって制止の声を掛けたのはアッシュ公だ。さすがに公爵家当主の言葉には注目せざるを得ず、遊撃隊のメンバーたちはその真意を探る。しかし、戦場を見てすぐにその言葉の意味が分かった。
「ラフター直々の出撃か。」
「マインツ副団長も側近と共に向かいましたね。」
「クロッカス警備隊長も行ったねぇ。」
自分たちの預かる部隊が十分に機能していることで各隊の指揮官が自ら第三波のボスであるブラックエイプを討ち取りに出て来たのだ。ラフターはCランクパーティーを1つ引き連れて。マインツ副団長は自らの部下を4人連れて。クロッカス警備隊長は自分がかつて組んでいた元冒険者のパーティーを連れて。
「こりゃ確かにお呼びじゃないね。」
「皆さんそれなりに名の知れた方々ですから大丈夫でしょう。」
「もう一食浮くと思ったんだけどな。」
大輝は知らなかったが、この街を拠点とするルビーとリル、アルドが出撃を願い出ることをやめて用意されていた簡易椅子に座ったことでブラックエイプに向かって行った者たちが実力者であることを知る。そして高台からその戦闘を見守ることにした。
「ラフターの体捌きを見ておくといい。それとマインツ副団長の剣もだな。それぞれ方向性は違っても一流と言える腕前だよ。」
大輝に声を掛けて来たのはアッシュ公であった。すでに遊撃隊として司令部付になった際に挨拶だけは交わしていたが、会話をするのはこれが初めてであった。
「ありがとうございます。勉強させてもらいます。」
どういう意図でEランク冒険者である自分に直接声を掛けて来たのかわからないため、短く答えるだけに留める大輝。貴族と同等に扱われるAランク冒険者であれば声を掛けられるのもわかる。指名依頼を受けられるランクとなるBランク冒険者であればあり得る。しかし、大輝は先ほどのブラックウルフを倒したとはいえまだEランクなのだ。青田買いの可能性はあるかもしれないが、大貴族であるアッシュ公が異世界人であることを知っていて話し掛けて来た可能性の方が高いと思われた。
(街の危機である今は大丈夫だろうけど、警戒だけはしておこう。)
せっかく監視される生活から解放されたのだから少しでも自由を満喫したいと思う大輝だったが、すぐに注意を第二塹壕と第一塹壕の中間地点で始まったブラックエイプと各隊の指揮官たちの戦いに向けた。3隊の指揮官たちがほぼ同時にブラックモンキーの元に辿り着いたのだ。
ラフター、マインツ、クロッカスたちは合計15人。対するブラックエイプ側は7匹。しかし、当然というべきか、ブラックモンキーを守る6匹も通常のフォレストエイプではなかった。限りなく黒に近い茶色の体毛と一回り大きい体躯がそれを示してる。
「ブラックエイプに進化しつつある?」
そんな疑問を抱かせるに十分な魔獣であった。
「そういう説もあるのだよ。」
アッシュ公が視線を戦場に向けながらも語る。
「魔獣スポットとは言い換えれば魔力スポットであるという説がね。そしてその説によれば、魔力スポットに長く住み着いた生物が溢れる魔力に浸食され、身体や精神が変遷して魔獣となりやがて上位種になるという。おそらくあの6匹は変遷の途中で統率者に支配されたのだろう。そうすれば辻褄が合うとは思わないかね?」
大輝は答えられなかったが、風水においての『気』を魔力に置き換えてみるとわかりやすい気もする。風水に置いて『気』とは大地に充満するエネルギーのようなものと表現されることが多い。その『気』は水に溜まりやすいとか流れがあると言われていることから溜まりやすい場所も存在したのだろう。そしてその中でも陰の『気』の溜まりやすい場所が魔獣スポットになったと考えれば理解できる。陰の『魔力』に当たられた生物が精神を病み、体内の魔力と反応して身体まだ変化してしまうのではないかと大輝は考えた。
「他にも突然変異体として亜種と呼ばれる魔獣もいるからこの説で全て解決できるわけではないがね。」
そこまでアッシュ公が話し終えた時に戦場が大きく動いた。
各隊の指揮官であるラフター、マインツ、クロッカスの3人がブラックエイプと対峙し、それぞれの配下12人が6匹のフォレストエイプとの戦闘に入ったのだ。12人は各隊ごとの4人で1組となり上手く6匹を分断してそれぞれが4対2の形に持ち込んで有利に戦いを進めている。
(進化途中のフォレストエイプはそれ程の脅威はないか。)
進化を終えてブラックエイプになれば違うのかもしれないが、Cランク程度の戦闘力と思われる騎士、警備隊員、冒険者たちが一方的に押していた。一方、ブラックエイプと対峙している3人はほぼ互角の戦いを繰り広げている。
片手剣を持ちながらも格闘術を駆使して超接近戦を得意とするラフターと騎士団特有の金属鎧を纏い長剣を振るうマインツ、そして時折魔法を発動させながら槍を振るうクロッカス。それに対してブラックエイプは特徴的なトリッキーな動きで躱し続けている。よく見れば長い尻尾を第三の足として使って的を絞らせない動きを実現していることに気付く。
「尻尾が厄介ですね。」
隣に来ているアッシュ公に何も言わないのは失礼だと思い、短く話し掛ける大輝。
「だがここは森の中ではない。木があれば尻尾を使って三次元的な動きが出来るのだろうが、この平地ではそうもいかない。」
その通りだった。ラフターたちは次第に連携を強化してブラックエイプを追い詰めていく。
(なるほど。最初はお互いの得意としているところを見せ合った訳か。)
それぞれの特徴を互いに理解した3人は一瞬目を合わせただけで作戦を擦り合わせる。経験豊富な者たちだからこそできる芸当であった。そして勝負はつく。
まず、正面に立ったラフターが超接近戦を仕掛ける。敢えて大振りにした剣を身体を捻って避けるブラックエイプに対して身を屈めて足元に回し蹴りを見舞う。それを尻尾を使ってぎりぎり左へ躱したところへマインツの3連続の突きが襲う。3突き目がフォレストエイプの肩に掠り慌てて後方へ飛び去ったところへ待ち構えていたクロッカスの槍突きが左の太ももに突き刺さる。
「牽制、誘導、攻撃と見事な連携ですね。」
ラフターの体術で正面に意識を集中させ、左に回り込んだマインツが連続刺突で後ろに下がるしかないように誘導し、やはり右に回り込んだクロッカスが空中に浮いたブラックエイプを槍で突き差す。それぞれの特徴を活かした見事な連携だった。
そして、肩と足を負傷したブラックエイプは得意の機動力を封じられたことにより3人によってあっという間にトドメを差された。第三波のボスであるブラックエイプを倒した3人はすぐさま取り巻きであった6匹と戦う仲間へと合流して打倒す。こうして遊撃隊の出番がないままに第三波フォレストエイプ500は殲滅された。
次からはいよいよDランク魔獣が群れで襲い掛かって来る。本番はこれからだ。