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#9 安心屋始めました。
 昼夜問わず、この街は静かだ。だが気味が悪いとは思わない。街の人々は自ら静かな生活を望み、それを実行しているだけだからだ。ただし、これにはある条件が必要となる。
 『安心』を買うのだ。

「本当、儲かるな。儲かりすぎるぐらいだ」大きな皮製の椅子に腰掛け、目の前にある札束の山を眺める。「これだけ金があると、金が金に見えなくならないか」
「そんなことありませんよ」エニエルが札束を掴み、頬ずりをする。伸び始めの髭と札が擦れ、景気の良い音を出す。
 私は酒が切れたことに気付き立ち上がり、「酒を買いに行こう」
 エニエルは頷き、屈伸を始めた。ペキポキ。人類の進化を匂わす音さえも、札束の山の前では景気の良い音になる。
「さて、と」
「行きましょうか」
 私は玄関の古めかしいドアに手を伸ばした───。



 そもそもなぜ私たちは『安心』を売るようになったのか。この街は私たちのものなわけだし、好き勝手に暴れ、金を奪い、酒池肉林の限りを尽くしても良いのだ。しかし、私たちはそのような下品で、低俗な治め方は望まない。愛がない。愛のない侵略は意味がない。
 そして血の流れない侵略、政策をすべく、夜通し頭を捻り倒し生まれたのが『安心屋』だ。我ながら愛のある商売だと思う。『安心屋』が生まれた日は自己賛美の声をあげ、酒を浴びた。

「この『安心』を買えば、私たちは貴方たちの生活を邪魔しません!」真昼間の路上で、『安心』の叩き売りを始めると、市民たちは揃いも揃って芸のない反応を示した。ざわつき、疑い深い目をこちらに向けてくるだけだ。
「そこの綺麗な奥さん! お一つどうですか?」買い物袋を肩に下げた中年の女性に話しかけると、「胡散臭いわ」と一蹴された。
「あらら。それは残念だ」本当に残念だ。パツゥインと指を鳴らし、待機させていた黒のワゴン車を呼んだ。「愛がないことはしたくないんだけど」
 黒のワゴン車から数人の男たちが飛び出してきて、『安心』の購入を拒んだ中年の女性を羽交い絞めにした。有無も言わさず腹部を殴りつけ、体を縄で縛り、仕上げとして口にはガムテープを貼った。そして、ワゴン車の後部座席に勢いよく放り込んだ。そそくさと男たちも車に乗り込み、何事もなかったかのように走り去っていく。
「皆さん!『安心』を買わないとあんな目に合っちゃうかも知れませんよ!」

 かくして『安心』は飛ぶように売れた。特に人気商品だったのは『安心十日パック』だ。リーズナブルな価格設定で『安心五日パック』を二つ購入するより二割もお得なのだ。これが売れないわけがない。
「儲かる儲かる。誰も傷付かないで金が手に入る。これは愛があるね。愛の極みだ」どこからか部下が盗んできた年季のはいった木の椅子に腰掛る。椅子がギシギシと悲鳴をあげた。
「そうですね。これは楽です。愛があるかは別として」上機嫌な顔をしたエニエルはグラスを空にし、次のボトルを空けグラスに注ぐ。
「ところで、あの中年の女はどうしたんだ?」
「とっくに始末しました」グラスを掴み口に運ぶと、瞬きよりも早くグラスは空にし、エニエルは鼻で笑う。「愛がない、ですか?」
「いや、構わんさ。愛に犠牲は付き物だ。あの女もあの世で後悔しているだろうし」
 ですよねですよね、と言いながらエニエルはまた次のボトルを開けた。グラスに注ぐのが億劫になったのか、そのままボトルを掴み一気に飲み干した。
 今の所、この侵略で流れた血はあの利巧じゃない中年女性だけだ。敢えて、前市長とその家族は省かせてもらう。

「やあ、ジェファー。一人でおつかいかい? 偉いね」安心屋の前を通りかかった少年に話し掛ける。「『安心』の買い物は頼まれてないのかい?」
「頼まれてないよ」ジェファーは不機嫌そうな顔をして言った。
「それは残念だ! でも早く買っておいて方がいいよ! ママにおねだりするべきだね!」
「うちにはもうお金がないんだ。食べ物を買うだけで精一杯だよ」
「そうかそうか。でも買わないと危ないぞ〜」わざとからかうように言う。
「あんたたちが悪い癖に」ジェファーは吐き捨てるように言い、走り去っていった。街中に消えていく小さな後姿。これが私の見たジェファーの最期の元気な姿だった。

『安心』を買うことで、市民たちは健気にも文字通り安心のある生活を送っていたように思う。
 黙って従い、安心を買ってくれれば私たちは手を汚さなくても済むのだが、時折「お金が無い」などと甘えたことをぼやく者も居れば、育ちの悪い野良犬のように噛み付いてくる命知らずが居て困る。その場合は、やむを得ず、愛に反する手段を取らざるをえない。愛の犠牲になってもらう他ない。
 そのような市民たちのせいで、今日もこの静かな街に銃声が鳴り響く。「残念だ」



───ドアを開くと、深夜にもかかわらず顔に熱を感じた。同時に前が見えなくなった。視界が白に染まる。
「こんばんは、市長」この声によって、広い庭に続く玄関先に誰かがいることが分かった。「ちょっと眩しすぎましたかな」
 カチッというスイッチを切ったか、ボタンを押したような音が聞こえ、視界が段々と白から暗闇に変わっていく。「誰だ?」
「私ですよ、私」まだ顔は見えない。
「だから誰だよ」苛立ち、口調が荒くなる。こんな時間に何の用だ。
「あなたに妻を殺された者ですよ」
 すぐに分かった。あの初めの犠牲者である中年の女のことだ。なぜなら今まで女の犠牲者は賢くない選択をしたあの女だけだからだ。
「実は私以外にも市長さんに会いたい、って方がまだいましてね」
 視界が回復し、見えてきたものは蟻の大群のような数よりも多い市民たちだった。皆のそれぞれの手には何やら危なっかしい物が握られている。刃物、鈍器、極めつけは拳銃も見えた。
「驚きましたか」
「いやいや、全く」私は即答する。声は震えていない。「まあ、こうなるでしょうな」
「なぜ逃げなかったのですか、市長」どうやらこの男が統率者らしい。前に乗り出し私に問いかけ続ける。
 それまで黙っていたエニエルが身を乗り出し、「市長だからだ」
「こらこら。エニエル、この方は私に聞いているんだぞ」
「しかし」
「私には義務があるから」エニエルは納得したのか、一歩後退した。「なぜ逃げなかったのか。はて、なぜでしょう。強いていうなら、先ほどエニエルが言ったように『市長だから』ですかね。それと」
「それと?」と、目の前に立つライフル銃を手に持った男。
「逃亡には愛がないでしょ」
 私の背後に立つエニエルが大きな拍手をした。大勢の市民の前にむなしい音が響き渡る。「さすが市長!」
「あんたふざけてんのか? 人を殺しておいて愛なんてないだろうが」男が銃口をこちらに向ける。「妻は森の奥で死んでいた。あんたらに殺されたんだ。ボロ雑巾よりもヒドイ姿だった。あれは人じゃない。あれは私の知ってる妻の姿じゃなかった。ただの腐った肉だ!」
 私は何も言わずに頷き、踵を返した。「エニエル、諦めよう」
 エニエルは静かに頷きを返し、ジーンズの右ポケットから拳銃を取り出した。
「お前たち、一体なにをする気だ!」
「責任を取るつもりだが」エニエルが私の横に移動し、にこやかに笑った。
「なあ、エニエル。私は一つミスを犯してしまったようだ」
「それはなんでしょう?」
「自分たちの『安心』を買うのを忘れていた」
 エニエルはくすりと笑い、右手に持っていた銃の引き金を引いた。エニエルが静かに倒れていくのを見届け、私はゆっくりと目蓋を閉じた。
───『どこで買えばよかったんだ?』
 静かな街に景気の悪い銃声が響いた。もう二度とこの街に、このような銃声が響かないことを私は願う。
「愛のある街になってくれ」これが市長としての最期の務めとなった。


―終―
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