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#6 ショーセッツ・エスエッフ
「この世界にはフィクションが存在しない」
 フィクションといっても、色んなものがあるが、すべてに共通するものは一つだ。『作り物』
 誰かが作り、誰かに語り、誰かがそれをまた違う誰かに語る。そういう一連の流れによって、フィクションはフィクションとしての市民権を得る。誰も知らないような話は、フィクションじゃない。ただのホラ話だ。
 話を戻そう。なぜ、この世界にフィクションは存在しないのか。簡単なことだ。すべて叶えちまったからさ。
 フィクションはフィクションじゃなくなってしまった。ノンフィクションになってしまった。現実になってしまったんだ。どこかの科学者たちが、「夢を現実にする」というとんでもない機械を発明した。エネルギーのいらない乗り物、感情を持ち人を殺さないロボット、好きなところに出れるドア。すべてが現実となって現れた。
 当然、それをよく思わない人たちもいた。SF作家や漫画家、夢を売ることを商売にしている人たちは反対したよ。「そんなもの作るべきじゃない」って。だけど、その人たちは少数派だった。夢を商売道具にするには何より才能がいるからね。消費者たちは嫉妬していたんだ。かくして、フィクションはあっけなく迫害された。
―――それ以降、すべての非現実的な娯楽は法律で禁止された。というよりも商売にならなくなった。誰も目の先、鼻の先にある、手を伸ばせば届く距離にあるものに、お金は払わないから。


「ショーセツ?」裕一は、透き通った瞳をこちらに向けた。自分がカラスなら、迷わずくちばしを使い、狙うだろう。
「そう、小説」やっぱりみんなは知らないよね、うーん、と幸恵は頭を捻った。
 裕一が、上目遣いで顔を見てくる。あらためて透き通った目だな、と思った。自分が誘拐犯なら、迷わず掻っさらってしまうだろう。
 裕一に小説のことを説明しようと思った矢先に、チャイムが鳴った。「はい、みんな教室に戻って。午後の授業を始めるわよ」
 覚束ない、小学生らしい足音が、生徒たちの笑い声と共に学校の廊下を、所狭しと駆け巡る。このような光景を見るたびに、幸恵は教員になって良かった、と心から思う。
 空にはいつもと同じ太陽と、いつもと同じ形をした雲が浮かんでいた。

 幸恵が、この小学校に勤務することになったのは一ヶ月前だ。「三年一組の担任が産休に入り、臨時で幸恵が入った」よくある話だ。
「あまり変わってないなあ」この小学校は幸恵の母校でもある。時代は変わってしまったが、見た目はあまり変わっていない。校風だって変わっていない。「自由で、個性のある、夢を持った、他人を思いやれる人になりましょう」
 「いくらなんでも欲張り過ぎでしょ」壇上で校長が読み上げる度に、幸恵は顔を引きつらせる。校長は「夢を持った」この一節だけを、いつも強調するように読む。
「夢を見れなくなった世界になったもんなあ」幸恵は勤務初日、自己紹介も兼ねて生徒に将来の夢を書かせた。いかにも活発そうな男の子は、エリートサラリーマンになると言い、容姿に長けている女の子は、良い奥さんになりたいと、これ以上にないぐらいの笑顔で言った。ほかの子たちも同じような夢を書いていた。
 自分たちが子どもの頃の事を思い出す。「仮面ライダーになりたい」「スーパーアイドルになりたい」こういうものこそが、夢ではなかったのか。他人の前で読み上げるのが少し恥ずかしい、夢とはそういうもののはずだ。
「悲しいねえ」心の中で呟いたつもりだったが、声に出してしまったらしい。職員室で隣の散らかったデスクに腰をかけていた、耕太が吹き出した。
「なにいきなり言ってんスカ」
 幸恵は顔を真っ赤にしながら、別になんでもないと答えた。
 耕太は、普通なんでもないのに独り言言いまスカ、と揶揄し、そして頬に皺を作った。

「ねえ、先生?」裕一が放課後、職員室にやってきた。「ショーセツってなに? エスエフってなに?」なにかの呪文のように唱え、好奇心だけを映した目で聞いてくる。
「エコエコアザラクみたいだね」
「なーにそれ」これが伝わらないのは年代の問題だなあ、と幸恵は苦笑した。
 小説とSFについて、裕一に簡潔に教えてあげた。だが、裕一はよく分からない、と頬を風船のように膨らませた。
 子どもには難しかったかな、自分の説明力が足りないというのは棚にあげ「やれやれ」と溜息を吐いた。
「まあもっと簡単に言うと」
「簡単に言うと?」裕一が唾を飲み込む音が聞こえた。
「叶わない夢よ」
 うーん、と裕一はよく分からないという顔をした。「ショーセツ、エスエフ、カナワナイユメ、ショーセツ、エスエ…」また呪文のように唱えていく。これで棒切れを持ち、地面に落書きでもしたら、メケメケ族の生き残りに違いない、自分の下らない冗談で幸恵は吹き出す。
 いつのまにか裕一が、職員室の窓に寄っていき、窓を開けていた。心地よい風が顔に当たる。あまりの心地よさにこのまま風を受けていたい、そう思ったが、机上の書類がその風によって数枚、飛ばされるの見て、やむおえず裕一に窓を閉めるように言う。裕一にはその声は聞こえてなかったらしく、一向に窓を閉めようとしない。
「はやく閉めなさいってば」椅子から立ち上がり、裕一に歩み寄っていく。裕一の隣にくると、その背丈の差で、この子はやっぱり小学生なんだな、と当たり前のことが分かる。
「先生みて」裕一が窓から少し顔を出し、右手で空を指差す。危ないよ、と注意しようと思うが一階だから大丈夫か、と思い、裕一の腰に手をやり支えるだけにした。
「どうしたの、別に変わったところは何もないじゃない」幸恵も同じように少しだけ顔を出し、裕一の指す方向を眺める。太陽が眩しく、目を細める。
「あの雲、いつも浮いてるね」確かに、ひとつだけ昼夜を問わずに、空に浮いてる雲がある。時間によっては微動したり、大きく綺麗な曲線で描かれた雲だ。
「まるで、人の手のようね」なにかを掴んでるみたい、と言おうとしたとき、裕一が体のバランスを崩した。片手で体を支えていなかったら、窓から転落しただろう。間一髪だった。裕一は顔を引きつらせながらありがとう、ときちんとお礼を言った。
「よくできました」裕一の黒く、健康的な髪が生えた頭が幸恵は撫でてあげた。



「我々が見上げる空にはいつも同じ雲がある」幸恵たちの知らない場所で、無精髭を生やしっぱなしのだらしない格好をした男が言う。
「見たまえ、あの雲を」男は裕一と同じように、一つの雲を指差し、この世の終わりを見たかのような顔をする。
「まるで、人の手がペンを握っているような形だろう」

 今日も、この世界の空は青く澄んでいる。あの雲はいつもそこにある。
 人々の運命はすべてあの雲の仰せのままに。


―終―
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