#48 再延長戦ヘブンズドア(ノワール公園の一夜 C-SIDE)
そうだ。これは大した話じゃないんだ。同じく、大した人生じゃない。取るに足らない話。道端のガムみたいなもんだ。仮に踏んだとしても、アンラッキーの一言で済ましてもらってかまわない。胡散臭い男だと思ってもらってもかまわない。
とにかく僕は今からひとつの話をする。君はそれを洗濯物を畳んでいるときのようにリラックスして聞く。言葉は音声でしかない。聴覚に言語を理解する力はない。もし本当に僕の話を聞くつもりだというのなら頭を使うんだ。その立派な頭を使って僕に耳を貸してくれ。
──ここまで言って、脳内伝播を拒絶らなかったってことは合意と判断していいんだね。
じゃあ準備はいいね? 波長の調子はどうだい? そうかそうか。オーケー。
では目を閉じてくれ。
そう、フルマラソンに挑戦して疲れきってしまった夜のように。
まず、単刀直入に言おう。
僕は死んでしまった。
よく聞こえなかったのなら、もう一度言うよ。
僕は死んでしまった。
「いきなり何を言い出すんだ、この人は。キチガイか?」
君はいま、これに限りなく近い感想を抱いた筈だ。それは間違ってはいないが、根本的には間違っているよ。僕の話に耳を貸している君も他人にとってはキチガイでしかないわけだ。
他人に今日のことを話したりしたら、即刻うしろゆびを指される暮らしの始まりさ。親に知られたら大変だ。君の親がどんな人柄で、どんな役職で、どんな肩書に固執しているかは僕に知る術はないけれど、大抵の親というのは子どもに鎖のような愛情で雁字搦めにするのが最良の教育であり、親としての幸福だと考えているからね。病棟に放り込まれて生物学的な飼育に肉薄した暮らしをよぎなくされるだろうね。
やけに小難しい喋り方で悪いね。僕は卑屈なんだ。卑屈だからこそ、君を信頼する振りが上手くない。君も僕を信頼しなくていい。信頼関係は地道に築き上げるものだ。突発的に芽をだしたりはしないさ。
牽制はこのぐらいにしといて、なぜ僕が死んでしまったかについて。名前も知らない誰かさんにすぎない僕の人生になんて興味はないだろうが、聞いてくれ。拒絶らなかった君が悪いんだ。ははは、冗談さ。まぁいいだろう。時間は有限だけど無限に感じたりもするんだからね。
生前、なんて大仰だけど、まぁたった一年ぐらい前の話なんだけど、僕はひとつの結論をだしたんだ。
──人間には『必要な人間』と『不必要な人間』とがいる。
と、とても極端で述懐するのもおぞましく、ぽっと赤面しちゃうんだけど、そのときの僕にはこの結論がすべてで、終着点だったんだ。
僕は所謂日蔭者としての暮らしを送っていた。君のクラスにも一人はいただろう?
席替えの度に、端の席を引き当てて授業そっちのけで外をぼーっと眺めていて、山の稜線を視線でなぞっているだけのクラスメイト。同級生との会話の合計時間が、コマーシャルみたいに短いクラスメイト。何の気の迷いか、陽にあたる場所にひきずりだされた際には見事なまでに侮蔑の栄養を頭からバケツいっぱいにぶっかけられるクラスメイト。
それが僕だった。えっへん。
大丈夫、自分にはそんな暗いクラスメイトはいなかった、と思っても大丈夫。
でも本当は、
『いなかった』のではなく、
『見えなかった』。
あるいは、
『いなかったことにした』。
これって当事者にいわせれば、ありがたいことなんだ。薄っぺらい正義心は矛でしかないからね。背中まで猜疑心の盾で守らないととなると、うーん、ぞっとするよ。だから、どうぞそのままの君でいてくれ。
すまないね、皮肉がちで。どうにも他人にメッセージを送るのなんて初めてだから。僕がまだ人間だった頃も他人と会話する機会はほとんどなくてね。どうにも、他人とのコミュニケーションってのに疎くて、それに簡潔に話すのが苦手なんだ。
僕が何者か気になるかい。そりゃそうだ。出しぬけに頭に直接メッセージを吹き込まれたわけだからね。困惑するだろうさ。でも安心してくれ、このメッセージは圧縮されてるから君がすべてのメッセージを聞き、理解するまで一秒もかからないはずだ。脳内伝播を機能できる人ならそれなりの知力もあるだろうし。
すまないすまない。そうだね、僕が何者かって話だったね。でも脱線は会話の醍醐味らしいじゃないか。許してくれ。
突然ついでにすまないが、ひとつ問う。
君は〈神様〉ってのを信じているか?
イエスかノーで答えてくれ。
…そうかそうか。なるほどね。確かに君の言う通りだ。
答えようがないだろうね。このメッセージは一方的なものだからね。返事は不可能。
「答えたくても答えられねーよ! バーカ!」ってなもんか。はっはは。
いやね、なぜこのような宗教的観念に準じて進めなきゃいけない、至極億劫な話題を振るかというとね。僕は神様に会ったんだよ。死後、母さんに別れを告げて神様にね。
といっても神様って呼称は、人間が勝手に使ってるだけで、神様本人はどうでもいい風だった。神様は自分がどう呼ばれてるかより、自分が何をするかで必死らしい。風体はまぁ神様らしく白ひげで三階建てのビルぐらいの体躯。ずぼらそうだったよ。
「母さんの子どもに生まれ変わりたい」
パイプをくわえた神様に嘆願した。マザコンと笑ってくれてもいいよ。
「そりゃ無理だ」
神様は煙を僕の顔にむけて吐いた。目にしみたが、無臭だった。
「どうして!」
「お前の母親はなあ、あの歳で子ども産むとなったら体がもたん。死ぬぞ。親子共々な」
「…そんな」
「わしは別にいいけどな。お前ら人間はわしのことを崇め敬うがな、正味な話、一人死人が増えるだけじゃ。どうでもええわい」
「母さんを殺すな!」
「殺そうとしてるのはお前だろうに…」
ってなやりとりがあってね。それから何十時間、いやあの世では加速度的に時間が進むから…。まぁいいか、とにかくかなりの時間を費やした結果、僕は折れた。
「じゃあ母の来世で」
「わかった、来世な。おーい、だれかー。予約リストに書いておけー。ところでお前、名前は?」
「優太」
「苗字は?」
「読神」
「珍しい名じゃのう。覚えやすくてええわい」
かくして、母が転生するのを待つことになったんだ。何十年後かは知らないけどそんな時間はすぐに過ぎていくしね。
「しかし、それまでは何をするつもりだ?」
神様は言った。
まったく考えていなかった。確かに体感時間が人間と差があるといっても退屈であるのには変わりはない。
「他の人はどうしてるんですか?」
「まぁ大体はそうじゃのう。生物以外に意志として潜り込んでいくのう」
「生物以外に? つまり無機質な物体にですか?」
「そう。お前も生きてた頃によくTVで観たりせんかったか?『これには元の持ち主の怨念が宿っているキエー!』って騒がれてるのを」
「あります。髪が伸びる人形とかですよね」
「そう。そういうのは大抵死んだ人間が時間潰しで、現世の物体に潜り込んでるんじゃ。ありがたがったり、怖がったりしてるが、ありゃわしらにいわせりゃ噴飯ものじゃわい。当人たちも退屈しのぎにもなるし、渦中の人になれるからうれしいなんて言っておるしな。霊媒師に気付かれてやっと一人前の居虚人だなんて風潮もすっかり出来上がっておる」
「居虚人って?」
「今からお前がなる立場の総称じゃ。現世の物体に無断で宿る者たち。──それが居虚人じゃ」
「なんだか居候みたいで嫌ですね」
「実際、居候より質が悪いわい」
「僕は迷惑かけないように頑張りますよ」
「そうしてくれると有難いがな。まぁ好きやってくれても構わんぞ。わしを理想で塗り固めてる人間に天誅じゃ!」
そういって神様が大笑いすると足元がぐらついた。その揺れで自分が何かの上に立っているのだと今更ながらに気付いた。
僕はしばらくの間、黙考した。むろん、どの物体に潜伏するかだ。
人形やらその手のオカルトに加担するのは御免だった。生きてた頃から胡散臭いと思っていたしね。種明かしをされて君はちょっとガッカリしたんじゃないか?
「決まらんのか? なんならカタログもあるがの。最近のトレンドは確かラグビーボー…なんじゃったっけ。まぁ希望とかないのか、抽象的でもええぞ」
「なるべく…人と関われるのがいいです。でも騒がれたりするのは…」
「ふむ、よかろう。しかし、なぜ死して人間と関わりたがる?」
「死ぬ前に僕はあまりに人を避けすぎたと思うんです。自分は人を毛嫌いしすぎた。自分だって人間のくせにして。人間は愚かだって達観したSF作家のようにね。じゃあお前自身は何なんだって…。お前も人間だろって…。僕のために泣いてくれる人のちいさい背中を見てて思ったんです」
「そうか…。でもそんな都合のいい箱はあるかの…」
神様はむっさりと蓄えた顎髭をつまんだ。
「ぴーん、とすぐ閃いたりしないんですか?」
「馬鹿もん。全知全能だと思ったら大間違いじゃぞ。今やっとるゲームなんてダンジョン五十六階で行き詰っておるっちゅーのに」
神様もテレビゲームをやるらしい。ゲーム雑誌も現世から取り寄せてるって。でもレビューは一切目を通さずにタイトルと発売日とプレイ画面しか読まないらしい。『金の絡んだレビューと猫の忠誠心は頼りにならん』って鼻息荒くしてた。
「…まぁ適当でええじゃろ」
「いま考えるの面倒臭くなりましたよね!」
「カタログで適当に選ぶか」
「ちょっと! 適当とか危ないからやめて!」
「大丈夫じゃて。駄目だったら駄目で帰ってこられるから」
「どうやって?」
「そりゃもう電話一本で駆けつけるて。ピザ屋より正確俊敏じゃて」
「どうやって電話するんだよ!」
「親切な人に頼みなさい」
「どうやって頼むんだよ!」
「そりゃもう体全体で訴えかけるんじゃ」
「それって、たとえば人形なら髪を伸ばしたり、ガラスならノック音奏でてみたり? あんたさっき噴飯ものだ、って言ってたけど、もしかしてそれ居虚人は助けを求めてるんじゃ…」
「そ、それ以上は言ってはならん!」
焦ったように神様は口元で指を立てた。しーっ、しーっ、と殺した声で連呼する。
「助けにいけよ! いますぐ!」
「黙らんか! わしは神じゃぞ! それにな、老体に鞭打つなんて酷な話だと思わんか!」
神様が煙を吹きかけてきて、今度は悪意のような悪臭が僕の鼻を襲った。
「最悪だ…」
「なんと言われようが構わん! さっさと現世で時間潰してこい!」
怒鳴って神様が鼻毛を一本抜くと、ぱっくりと足場に穴があいて僕はそのまま直下。ぐるんぐるん視界が回る感覚もなくて、摩擦なんかも当然なく、代わりに意識は摩り下ろされていった。
ただ落下したんだ現世へ。
で、気付いたときには…。
場所が公園だというのは分かった。知らない公園だったけど僕の前を通り過ぎていく人たちが口々に〈ノワール公園〉だと言っていた。たぶん、僕はそこにいるんだ。動けないし、尋ねられないし確認の仕様はない。
立ち止まる人たちは僕を蔑んだりしない。
立ち止まる人たちは僕に触れて淡々と去っていく。
「お買い上げありがとうございます」
僕には二通りの言語しか扱えない。しかし普通なら居虚人が現世の人に話しかけたりはできない。僕も奇特なものに宿ってしまったものだ。
「今日も元気にいってらっしゃい」
田舎で、駅に毎朝立つお爺さんもこんな台詞を差別なく、区別なく、何処かへ向かう人の背に投げかけていた。あのお爺さんは僕に対しても笑顔で接してくれていたのを思い出したよ。こういうのは死んでから思い出すものじゃないね。死んでしまったらいくら感謝しても届かないんだ…。
僕が何に宿ったか、君は分かったかい?
たぶん分かってくれたと思う。相当な田舎でも今じゃ珍しくないものだからね…。
さて、ここからが本題なんだ。
ついさっき──僕はあってはならない光景を目の当たりにしてしまったんだ。それが最も君に伝えたいことでもあり、君に助けを請いたいことなんだ。
目下深夜一時を回ろうとしている。いやいや、時間帯なんて関係ない。人間の狂態が許される時なんて戦火の間中ぐらいさ。
笑わないでくれ。
真剣に話すからね。
嘘じゃない。真実でしかない。つまりこれはジョークじゃないんだ。
二十四時間稼働し続ける僕の目に映ったのは──すっ裸で疾走する変態。それもかなり清々しい笑顔なんだ。
そして、負けじと爽快な笑顔でその変態を追いかける男。なにがなんだか判らない。自分でも何を話しているかわかっていないさ。
でも、これは事実なんだ。視界に刻まれてしまっているんだ、今も。消えないんだ、今も。
理解は警察に通報したあとにしてくれ!
奴らは絶対に、しでかす。小規模な大事件をしでかすよ。あんな生き生きとした人間を見たのははじめてだ。やつらの爛々と燃える眼孔は、僕の発光する微弱な灯りでもはっきりと確認できた。
頼んだよ。電話番号は分かるよね。
君はただ、
「ノワール公園に変質者が出没した」と警官に伝えるだけでいいんだ。メッセージは難しくなんてないから安心して。
そして最後になるけど、これは提案というより、もしよかったらというか、君に余暇があるなら…。事が済んで落ち着いたら、僕の元に顔を出してくれないか。これも何かの縁だ。照れくさいけど。
今思えば、人にこうやって願い事をするってのは生まれて、はじめてかも知れない。
叶えてくれたら、嬉しい。
僕の元に来た際には名乗らなくても構わない。君の顔をみれば、きっと…。
コインを入れずに僕に触れてくれ。僕にできるお礼は限られているけど精一杯感謝のしるしとして、コーヒーでも奢るよ。最近の缶コーヒーは本格的でそこそこ飲めるようになっているらしいから、君の舌に合うのも一つぐらいはあるだろう。
これもまた欲張りな提案かもしれないけれど、できればそのコーヒーは僕の前に設けられているベンチに座って飲んでほしいな。
寒い日に、白い息と飲むコーヒーってのは格別だから…。
短いけれど、長々とすまなかった。
ありがとう。
* * *
「はい。はい、そうです。阿鼻川市のノワール公園に二人組の変質者が…」
小野春は指示された通りに警官に通報し、電話を切った。しきりに名前を聞かれたが、匿名でお願いします、と突っぱねた。悪戯と思われたかもしれないが、聞いた話は聞いた話でしかなく、信憑性を疑っているのはこっちも同じなのだ。おかしな話だけれど。
首を回してみる。うとうとしながら書いていたレポートには支えを失ったシャープペンが落書きを施していた。消すのは帰ってからでいいだろう。
もう一度首を回してみる。骨が、ぽぺき、と鳴った。どうやら夢ではないようだ。
わざとらしく咳をしてからスウェットの上にダウンジャケットを羽織り、戸締まりをしっかり確認して外に出た。アパートの階下に降りたところで、念には念をとまたドアに戻って戸締まりを再確認した。先日隣人が強盗のような空き巣に入られたばかりだから神経質になっている。どうせ盗まれる高価なものなどないのだが、盗まれてくれと頼みたくなるものもない。
「寒いな…」
防寒はダウンジャケットで十分だと思ったが、マフラーもするべきだったか。首筋がひやりと吹く風で鳥肌になっている。
「こんな日に裸で外に? ありえないな。風邪がひきたくてたまらないのか」
小野春のアパートからノワール公園まで徒歩で五分。休日には草野球やフットサルをする人々が砂糖に釣られる蟻のように訪れるほど広大な公園だ。
このままノワール公園に行けば変質者と出くわす可能性もあるし、警察から聴取をされてしまう可能性もある。かなり面倒で、考えただけで嘆息が白く漏れる。
ダウンジャケットのポケットに冷えた手を避難させると、ひっ、と短い悲鳴をあげてしまった。冷えた何かが手の甲に触れた。それを掴んでみると昨日コンビニで買い物をしたときのお釣りだと判った。
「何円だろ」
気になったが小銭をポケットから出して数えはしなかった。じゃらじゃら。じゃらじゃら。馬鹿らしくなって笑えてきた。寒くて笑えてきた。常識的に考えてみればやはり無駄足になるだろう。
でも、歩みを止めはしなかった。
小野春はベンチに座り夜空を見上げて、缶コーヒーをすすりながら一仕事終えたようにつぶやいた。
「タダで飲むと格別に美味いな」
たった十分間の出来事だった。
―終―
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