#29 ご機嫌でも現実不足
最愛の彼女を迎えに行く車中、僕は全力で考える。朝から眠気の爪痕が残っている頭を駆使して、使えない頭でどうにかして使える案を考える。
「今日こそ彼女を起こすんだ」
と、僕は決意した。夕方になると陽が沈むように当然のことを。
ほどなくして彼女の家に無駄のない運転で到着した。この運転を彼女に見せることができないのがたまらく口惜しい。
普遍的なアパートに住む彼女は普遍的な小説を書いていると聞く。色恋もので、煌びやかな青春の一片のようで僕は一頁読むと眩しくてそれ以上頁をめくることができなかった。ごめんと謝ると彼女は嫌な顔せずに「いいの」と言ってくれた。
「おーい、」ピンポンを鳴らすが、彼女からの反応は予想通りなく、僕はジーンズのポケットから合鍵を取り出す。
「朝だぞー」がちゃりと鍵が開く音と同時に呼びかけた。ベッドで横になっている彼女の体がぴくりと動いたように見えた。「朝だってば」
靴も脱がずに彼女の家にあがる。彼女はもぞもぞと潜った布団の中で動くだけで声を発しない。
まったくしょうがないな、またか、と僕はうんざりしながら、部屋への光を一切遮断している閉め切られたコバルトブルーのカーテンを開ける。眩しい朝日が部屋の中にこぼれる。
「ほら、今日も良い天気だよ。起きなよ」
二人分のコーヒーを沸かして、コップに注いで彼女の返事を待つ。この間、僕はコーヒーに口をつけたりしない。ただじっと黙って椅子に座って彼女の返事を待つ。コーヒーが冷めたら、僕は「また明日くるから」とだけ言い残して部屋を去る。
「じゃあまた明日くるから」
そのとき彼女がいつもとは違うパターンを見せた。寝ながら力なく左手をあげてひらひらと動かした。それは「じゃあね」と返事をしたようにも捉えられた。
僕は嬉しくなってスキップで停めてあった車に向かった。
彼女が返事をしてくれるなんて───夢のようだ。
僕の毎日の苦労が報われたのだった。
ご機嫌な僕は帰路につく車内でご機嫌なUKロックを流す。今の僕は昼間のバラエティ番組よりも元気よく、力強く「ごきげんよう!」と言えると思う。人間以外の、たとえば小汚い野良犬にたいしてもだ。何の差別意識もなく、ただ無垢な「ごきげんよう!」を使いこなせることができそうだった。
帰宅した僕はご機嫌なまま、今日のことをレポートに書く。いつもは同じことの繰り返しだったため、コピーアンドペーストで片付けていたが今日はそうはいかない。
ノートパソコンに打ち込まれていく文字列の雪崩れる美しさ!
「──以上。っと」
久々に味わう達成感。嬉々として吐く矛盾した嘆息。そしてそれらと同時に押し寄せる眠気。
寝るとしようか、誰にいうでもなく呟いてノートパソコンを静かに閉じる。
コバルトブルーのカーテンの隙間から若干の光が洩れているのが気になって、きちんとカーテンを閉める。入念にチェックする。「よし」もう僅かな光も部屋の中に侵入してきていない。
布団に潜り込んで、自分自身の反省点について考察する。目を瞑り、今日のできごとを反芻する。
僕のような卑屈な人間の彼女が煌びやかな青春小説を執筆しているのは不自然ではないか?
土足で彼女の家にあがるというのはアメリカの家庭ならともかく日本では不自然ではないか?
コーヒーをブラックで飲むのは極少数ではないか? 今度は砂糖やミルクを用意してみようか?
僕は思考を視界と同じようにぐるぐると不規則に回しながら、布団から一度起き上がった。
ぐるぐると回る視界で文字通り手探りな形で机に手を伸ばし、虹色の錠剤を掴む。それを水も使わずに飲み込む。
そしてまたふらふらと布団に戻って今日のできごとを反芻する。
僕のような卑屈な人間の思い描く情景にしては、まぁまぁだな、と自己賛美をしながら眠りについた。
「次はもっとうまくやれる。やれるに決まっている。そう思わないと…俺は、俺を保てない」
先ほどまでの自己賛美(自信)は自己嫌悪に変化し、最終形として睡魔になった。
―終―
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