#28 メリメリ・クリスマス
記念すべきかは分からないが十本目のコーラのペットボトルを部屋の隅に放り投げた。先住民である九本のペットボトルがドミノの如く倒れていく様を見ながら「やるしかない…」と呟いた。
『今日がくることを心待ちにしていたか?』と問われると、迷う。そして悩んだ末に「イエス」と弱々しく答えるだろう。「…答えるしかないだろう!」
カレンダーで確認すると本日の日付は十二月二十四日。
「やるしかない」
自分を奮えたたせる為にこの一言を反芻する。何度も口に出す。わざと口に出す。
「やるしかやるしかやらねばやらねば──」
ペットボトルが手に入れば中身は捨ててもよかったし、ましてや実効日までの二日ですべて飲み干すのが困難であるコーラを選んだのは自分の決心の固さを確認するためだった。今日日口の中に貼りついたしゅわしゅわとした味と嫉みのような不快が取れない。これは証だ。消えてくれない──消えるはずのない連中を恨む不愉快の証。
「明日か…」
早速明日の“準備”に取り掛かった。
明日になれば毎年受ける苦痛から解放される。たった一日で生涯の苦しみから解放される。
徹夜となり朝を迎えた。“準備”ははじめての事だったので思いのほか苦戦した。
完成した物を慎重に人に見られないように車まで運んだ。
会社へ向かう車内で折れそうになる心を叩いた。「しっかりしろ。今日はなんとしても会社に行かないと」
「昨日はサイフで、今日は本命」
「あたしは逆」
「なんで?」
「むこうの都合が悪かったの」
同僚の女性数人が休憩所で笑いながら話している。飽きず笑いながら話しながら、腹の内を見せる気はないように嘆息を吐いたりしている。それを聞くだけで心苦しい。
そそくさとコーヒーを一杯淹れて休憩所を去った。去る間際、背中に聞こえた。「やっぱ長瀬さんって不気味」「あの人絶対彼女いないよね」「いたらその彼女どんな趣味してんだってね」「言えてる」「彼女いない歴イコール年齢じゃないの」「それ言いすぎ」「って笑ってるじゃん」
時計の針は午後の一時を回ろうとしていた。
「お前仕事なめてるだろ」
部長の高木が怒鳴り声をあげた。矛先はしっかりとこちらに向けられている。高木の座る回転する椅子からギュルルと煽るような音が聞こえた。
「何度同じことを言えばわかるんだ? あと何年大学生気分で居る気だ?」
一昨日提出した書類を顔面に投げつけられた。ぐしょっという音が静まりかえった空間に残った。「やり直せ」
うまくいかないことばかり──。
どうしようもないことばかり──。
どうしてこうも溜まっていく名刺のように毎日休みなく苦痛は重なっていくのだろうか。
高木は今日も同僚の佐々木さんと不倫デートを重ねていく。それを知っているから「お前も仕事なめてるだろ」と逆切れしたい。が、そんな勇気はない。我慢だ。今日で終わる。この我慢は終わる。泡のように消えていく。しゅわしゅわと簡単に。
「すいませんでした」
頭を下げたが、高木はそれを見ようともせずに、目の前のパソコンの画面に視線を戻した。
空間にざわつきが宿っていくのを感じながら、黙々と床に散らばった書類を拾い集めた。泣くことはない。もうこの程度のこと──慣れてしまった。慣れという名の我慢を学んでいる。
定時を過ぎ、同僚たちはみな足早に去っていった。みな心情をもろに表情に表していた。今日の「これから」を考えて心踊っていた。
かくいう自分の今日の「これから」はというと…。複雑である。
「おつかれさまでした」
「おつかれです」
最後の同僚の遠ざかる背中を見ながら、なぜか溜息が洩れた。
怖いのか?「いや」
やめるか?「いや」
逃げるか?「いや」
自問自答を繰り返しながら爪を噛む。「やるしかないんだ」
何を怖がる必要があるというのだ。
これから行うことは逆恨みであり、醜悪な嫉妬であると肯定した──つまり認めた上での行為。
開き直った人間に恐怖心など必要ない。
「よし…」
例のものを取りに車へ向かった。
「誰もいないよな…」挙動不審といった具合にきょろきょろと視線をあちらこちらへと配る。
発見を恐れているわけでない。止められることを恐れていた。
会社に最後まで残ったのは戸締りをすることができるからだった。いつもは面倒で誰よりも早く帰宅するのだが、今日ばかりは特別だ。戸締り、というよりは真逆で鍵を開けたままにしておく必要があった。
目的の場所へと向かう自分の性器が固くなっていることに気付いたのは、目的の場所に着いてからだった。
「寒いな…」
屋上はさすがに冬の洗礼といった感じで肌寒かった。車に戻ったときにコートを持ってくればよかったと少し後悔した。
両手に持ったぱんぱんの袋を慎重に地面に置いて、深呼吸する。「落ち着け…」
屋上から見下ろす景色は素晴らしいと手を叩きたくなるほど煌めいていた。街中にカップルがあふれているのが見える。
十本のペットボトルを並べていく。圧巻、とまではいかないが悪い光景ではない。
「なーに、人を殺すわけじゃないんだ。ただ少し、ほんの少し、痛い目に合わせるだけ…」
すでにラベルを剥がされコーラのペットボトルだとは分からない一本目を掴む。
途端に先ほどまで感じていた寒気が風に飛ばされたかのように、いなくなった。
〈一本目〉十七歳のクリスマス。
はじめてクリスマスを意識した歳。自分なりに彼女づくりを試みたが失敗。親が買ってきたショートケーキを食べて、泣いた。
〈二本目〉十八歳のクリスマス。
「リベンジ」だと去年以上に必死になった歳。…失敗。親が買ってきたチョコレートケーキを食べて、泣いた。
〈三本目〉十九歳のクリスマス。
「リベンジ(その二)」もちろん失敗。当然のごとく失敗。親が買ってきたモンブランを食べて、泣いた。
〈四本目〉二十歳のクリスマス。
ついに二十歳を迎えてしまった。「今年こそは」からすぐに「ちくしょう」へ。泣いた。
〈五本目〉二十一のクリスマス。
略。泣いた。
〈六本目〉二十二のクリスマス。
大学生活最後のクリスマス。
ついに、はじめて、彼女ができた。顔は残念ながら貧相だが、性格は良く、気が利く女性だった。しかし彼女はイブにしか会ってくれなかった。おかしいと思い後日問い詰めるともう一人彼氏がいた。そして「これいらないから」とプレゼントしたバッグを安物だったからであろう、突き返された。それから彼女とは会っていない。泣いた。
〈七本目〉二十三のクリスマス。
女性不信の自分に幸せなクリスマスなどくるはずがない。泣きもしなかった。
〈八本目〉二十四のクリスマス。
一日中、陰謀説を唱えた。キリスト教が人類を誘い込もうとしているのだ、と。
〈九本目〉二十五のクリスマス。
「なぜ自分だけがこんな思いをしなくてはならないのだ?」
そして、
〈十本目〉二十六のクリスマス。
「やるしかない」復讐するんだ。
「やるしかない」もう泣かなくていいように。
九本目のペットボトルが綺麗な円を描きながら落下し、鮮やかな爆発音で街に流れるラブソングに傷をつけた。さらにカップルによる悲鳴がラブソングに致命傷を与えた。
十本目を握る手が想定外の汗で滑る。ズボンで手を拭おうかと思ったが、やめた。テンポを壊したくなかった。
「これで最後だ」
放り投げた十本目が街中へと飲み込まれていく。やがて、『メリメリ…』と鈍い音をたてて、勢いよく破裂した。
破裂したペットボトル爆弾の小さな破片が、街を流れていく人の群れの心に刺さればいい。
幸せな者がいるということはその時、不幸を背負って苦しんでいる者がいるということを分かってくれればいい。
「やめろ」とは言わない。ただ、理解して楽しんでもらいたい。その上で成り立ってもらいたい。
聖なる夜なのだから。
楽しい夜なのだから──。
―終―
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