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#24 最後の晩餐にはワインが付きもの
「私たち、何がいけなかったのかな?」篤史の前に座る眞子(まこ)が問うた。
 すると、夫である篤史(あつし)はお手上げといったポーズをし、「さぁね」とぽつりと答えた。そしてフォークでぐるぐると巻いたパスタを一口くちに運んだ。
 眞子は三十半ばにしては皺も少なく、街で見掛ける同年代の女性より美しさを保っていた。家事も全般的に好んで、夫の要求はすべて叶えてきた。それを苦に思った事は一度もない。
 篤史は若き頃から会社では『有能』という称を得て、ぐんぐんと同僚を追い抜き、追い越し、最終的には上司を部下にするまでの地位にまで登り詰めた。家庭では、子どもは授かれなかったが、それなりに家族サービスに徹してきた。
 完璧な夫婦。
 レッテルを貼るならば、これが一番しっくり(・・・・)くる。しかし、篤史と眞子は夫婦という関係を明日──解消する。
「ねぇ、私って駄目な妻だった?」
「いや、僕は君以上の女性を知らない」
「そう…」
 眞子は寸分の迷いもない即答に安堵した。だが、素直に肩を撫で下ろすことはできない。
「僕は駄目な夫だったかい?」
 篤史は手に持ったフォークを皿の上に腰かけさせるように静かに置いた。皿にはまだパスタが残っている。
「私もあなた以上の男性を知らないわ」
「…やめよう。照れる」篤史が頬を緩ませた。
 ふふふ、と眞子も小さく笑った。「そうだ。あの約束、覚えてる?」
「覚えてるよ」
「てっきり忘れちゃってると思ってた」
「おいおい、ちゃんと守ってるだろ」篤史はわざとむっ(・・)とするように言った。
「そう?」
「うん」
 眞子が席をたち、「もういい?」という視線を送りながら、篤史の前に置かれた皿を掴む。篤史は「ああ」と肯定の視線を送った。
 眞子が流れるように片付けをする様を見ながら、篤史は一つの約束を思い出した。
「なぁ」油で汚れた皿を水につけている眞子に呼びかける。「約束、守れてなかった」
「気づいた?」
「うん」
 大方片付けを終えた眞子が席に戻り、「ね? 忘れてたでしょ」
「ごめん」
「いいのよ、別に」
 篤史は、これが眞子との最後の食事なのだからせめて今日ぐらいは出された料理を残さず食べるべきだったと後悔した。
「結婚前はいつも『美味しい』って悪い幽霊にとりつかれたみたいに言ってたのに。今でも手を抜いた覚えはないのよ? さっきのパスタだってあんなに美味しいし」
「うん。変わらない味だよ、今でも」
『じゃあ何故?』と眞子は違和感を覚えたが、口には出さなかった。明日には他人。家族として、最後の夜だ。口論はしたくない。
 今度は、眞子がある事を思い出した。「そうだ、あれ開けなきゃ」
「あれって?」
 篤史の問いに答えず、眞子はキッチンに向かった。
 数分経って、「これよ、これ」と手にその『あれ』を持って戻ってきた。
「あぁ、それか。なつかしい」篤史は笑った。
 結婚届けを役所に提出した日の帰りに買った『ワイン』だった。
「ラベルにね。結婚記念日書いちゃって」
 眞子が差し出したボトルを丁寧に両手で掴み、「そうそう。もう十年も寝かせてのか。早いなぁ」と篤史は感慨深く呟いた。
「実際はもっと寝てたんだろうけどね。このワイン」
「買ったときにはもう結構な値段だったしね」
「値段覚えてるの? あなたが選んだのよね」
「いいや。でも思わぬ出費だったのは覚えてる」
「指輪にワイン。あなた大変ね」
「人事のように言わないでくれるかな?」
 二人は笑いあいながら、同じことを考えついた。
「飲もっか」「飲もうか」
 眞子がキッチンの戸棚にコルク抜きを取りに行こうとするのを、篤史は視線で制止して、「僕が行くよ」と言い席を立った。
 ほどなくして篤史は戻ってきて、「じゃあ開けるよ」とコルクをきゅっきゅと抜いた。
 ぶどうのたるい匂い──香りが空気中に舞い、両名の鼻に入り込んできた。
「いい香り」
「これはいいよ、きっと」篤史が目を輝かせた。「グラスに注ごう」
 コルク抜きといっしょに持ってきたスタイルの良い女性のくびれのような曲線を描く透明のグラスにワインが注がれていく。
「いい?」と、グラスを持った篤史。
「ええ」と、同じくグラスを持ち短い返事をする眞子。
「この場合は『乾杯』でいいのかな?」篤史が苦笑した。
「いいんじゃないの? 私たちは別に難しい事があって別れるんじゃないんだから」
「そうだね、じゃあ…」
「うん…」
「乾杯」「乾杯」
 柔らかくぶつけたグラスで揺れる紫のワイン。
 それに口をつけてから篤史と眞子はそれぞれ味について率直に感想を漏らした。
「やっぱり僕が選んだだけある。実に美味しい。味に深みがあるよ」
「そう? 私はイマイチだと思うわ…」


―終―
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