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『#12 そこにいた日常。(幽霊と私)』の続編。
#17 そこにある日常。(幽霊と私 part2)
 目覚まし時計がジリジリと狂気としか言いようのない声をあげる数秒前。
───友人『明日香(あすか)』はそれの数倍にも及ぶ声をあげる。
友、里、恵(ゆりえ)! 朝だよ! 起ーきーろー!」
 これが毎朝の恒例みたくなっているのが腹立たしい。
「うるさーい!」布団から勢いに任せ、起き上がる。掛け布団が枯れ葉のようにくしゃくしゃになった。
「ええー」
「ええー、じゃない! 勘弁してよね!」怒気がこもる。
 まったく懲りていない様子の明日香は、しょげたような声で、「じゃあどうすればいいのよ…」
 何を言っているのだ…コイツは!
「私が起こさないと友里恵は遅刻しちゃうでしょ?」
 それは明日香が目覚まし時計を止めるからでしょ…!
「ねえ? 聞いてるの?」
 手がわなわな(・・・・)と震えるのが分かる。息を大きく吸い込む。
 そして、「聞いてるわよ!」とまるで山彦(うやまびこ)を楽しむような遠慮のない怒号をあげた。
 叫んだ後、大事なことを忘れていたことに気付く。
「また大きな声出しちゃって…怒られるよ?」明日香が『やれやれ』というジェスチャーをした。
 そうだ…怒られる。お母さんに…。
『友里恵! いま何時だと思ってんの! 近所迷惑でしょ!』一階からでも、この二階に響く母の声は近所迷惑じゃないのだろうか…。
「あんたのせいだからね…あんたのせいで私はいつも独り言をブツブツ言ってるような狂人だと思われてるんだから…!」
「はいはい、そうやっていつも私のせいにすればいいよ」
「何よ、それ!」
 友里恵は幽霊のくせに生意気にも鼻で笑った。

「絶対遅刻だ」
 焦っても、朝食を抜いても、髪を整えることだけはしなくてはいけないのが女学生の悲しい性だ。
「遅刻! 遅刻!」私の横でプカプカと浮かぶ明日香は楽しそうに口笛を吹く。もちろんその下手糞で耳障りな音は私にしか聞こえない。この幽霊『明日香』は私にしか干渉することが出来ないのだ。理由は未だ不明。明日香曰く、私を恨んでいるからなのだが、明日香は許してくれたはずなのでよく分からない。
「よし!」適当にしては、それなりに見える。寝癖が後ろ髪に一束見えるが、それは学校についてから水で濡らして直そう。
「ギリギリだね」
「ギリギリだよ、もう!」
「早く、早く」
 洗面所を後にして、玄関に駆ける。あまり丁寧な掃除の行き届いていない廊下は滑らない。掃除をしないことへのメリットを初めて見つけた。
 真っ白なコンバースのスニーカーを履く。踵を踏むが、直す暇はない!
「行ってきまーす!」
 母の返事を待たずして家を飛び出した。返答は安易に想像出来る。『行ってらっしゃい』

 空には太陽が今日も浮かんでいた。律儀だな、と思う。出来ればもう少し陽射しを弱くしてくれれば助かるのだけれど。
(あっつ)いねえ…」涼しそうな顔をして地上から五センチほどの高さに優雅な物腰で浮かぶ明日香が呟いた。「夏は嫌いだなあ」
「何言ってんの…」しかし、暑いのは確かだった。汗で夏服が透けて、絶妙に助平(すけべ)なことになっていないか心配だ。
 熱されたアスファルトの上を走っていると、前方に見覚えのある背中が見えた。たくましいとは遠い、やせぎすな頼りない背中。私はそんな背中が、嫌いではない。背中は近づいてくる。
「お、おはよ!」息が荒れていて、どもったような口調になって恥ずかしさを覚えた。
「あっ、おはよう。瀬戸さん」私とは正反対の丁寧な口調で、やせぎすで一見頼りなさそうな同級生『深田恭平(ふかだきょうへい)』は穏やかな笑みと挨拶を返してくれた。
 深田恭平──。良い名前…。思わず下品なニヤリとした笑いが浮かぶ。
「友里恵、キモイ…」
「うるさいわね!」
 はっとした。つい脊髄反射で…。
「え?」いつしか自然と隣を歩く深田は目を限りなく点に近い状態にしていた。「どうしたの? 俺なにか気に障ること言った?」
「ち、違うの! 深田くん!」
 深田は少し考えるように黙り、「やっぱり瀬戸さんって変わってるなあ」と零した。
 最悪だ。最悪の朝だ。
「ドンマイ! 友里恵!」
 えへへ、と含み笑いをしながら空中に浮かぶ明日香を睨みつけても気は晴れず、私は自分の運命を呪った。

 どうにか無事に、学校には遅刻せずに着くことができた。学校までの道程が気まずかったことを除いて。
「友里恵、深田くんと一緒に登校? ふーん、そういう関係なの?」
 綺麗に整えられた肩に乗っかる黒髪に触れながら、クラスメイトの理沙がからかってきた。
「そんなんじゃないって!」少し嬉しい。確かに周りから見れば、仲良く登校しているように見えるのも無理はない。気まずかったことを除けば。
「ふーん」
 と、理沙は訝しげな表情をして、教室から出て行った。
「まただ…」女子トイレで交わされる団欒のネタを作ってしまった。
「ほんと、女子って陰湿だよねえー」こんな大それたことをボリューム大で言えるのは、勿論──うんうん、と自己納得するように頷きながら明日香は教室の窓に寄っかかった。
「まあ、そうだけどね」こちらはボリュームをミュートの一歩手前程度に抑える。「陰湿なのは嫌だね」
「そうそう。私みたいに堂々と───」
「人に憑いてるやつが何言ってんの!」
「ありゃ?」間抜けな声。
 私は机に隠れるのように、俯きがちに笑った。

「次は体育だから、授業はちょっと早めに切り上げるか」
 この言葉を発した数学教師『岡部(おかべ)』を、簡単な歓声が包み込んだ。数学の授業は解る問題ならのめり込み、すぐに時間が経つのが、現在習っている『ナントカ数式』は理解不能を通り越し、退屈になっていたため、時間の経過が亀のように遅かった。歓声を聞く限り、こう思っていたのは私だけじゃなかったようで少し安堵した。
 岡部は満更でもない表情を浮かべ、「じゃあ終わり」
「起立」
 委員長の深田くんの声が教室に響く。
「気をつけ。礼!」
 ありがとうございました、という空っぽの脳でもいえそうな言葉が二重、三重、それ以上…にもなって教室に溢れた。
 私も例によって、この言葉を深田くんの合図に便乗して漏らしたのだが、ちょうど『〜した』の部分で大変なことに気付いてしまった。
───体操服を忘れた。
 間違いない。今日は厄日だ…。

 そんな私の気持ちを窺う素振りすら見せず、明日香は理沙の机上で胡坐(あぐら)をかいていた。もちろん、理沙はそれに全く気付かない。
「明日香…、ちょっと来て…」という思いを決して口には出さず、明日香に向かって手首をスナップさせる。明日香はそれに気付くと、露骨に嫌な顔をした。
「何よ…」
「頼みがあるんだけど」
「やだ」
「お願い!」小声ながら必死に懇願する。「お願い、明日香! あなたしかいないの…!」
 明日香が、ぴくっと反応した。「私しかいない?」
 チャンスと思った。明日香の表情が若干和らいだのだ。「そうよ。いま私が頼れるのは明日香──あなただけよ!」
 ずびし! と、明日香を指したいぐらいの勢いだった。
「…そこまで言うんなら」
「じゃあ体操服を家から取ってきて! お願いね!」
「え?」
 それ以上言わさないように、無理やり明日香を家に向かわせた。ふらふらと飛んでいく明日香の背中を頼りになると思ったのは初めてだ。
 数分後、明日香はなぜか戸惑いながら帰ってきた。さすが幽霊は早いなあ、と感心した。
「これでいいの?」
「うん! ばっちり!」すでに教室には私しか居らず、辺りを気にせず明日香を褒め称えた。それと同時に体操服が独りでに宙を舞う様子を思い浮かべ、含み笑いがでた。
「ちょっと恥ずかしい…」脈絡なく、頬を赤らめる明日香。
「そうだね、恥ずかしかったかもね」またも体操服が宙を浮かぶ絵が思い浮かびあがり、笑った。
 私は明日香から体操服の上下を受け取って、雑に着替え、そそくさと運動場へと向かった。

「マラソンかあ、嫌だね」隣に座る理沙が耳打ちする。
 私はそうだねと、楽な返事をした。
 クラス全員が集められ座っている前に堂々と立ち、体育教師の蓮池(はすいけ)が今日の授業内容を大雑把に説明していく。
「男子はグラウンドを十週! 女子は五週だ!」
 一斉にブーイングが飛び交う。岡部のときとは大違いだ。ワールドカップのときに見たフーリガンによる罵声を真似ている男子もいた。一方、女子は調子よく沈黙していた。私もその一部だ。
「うるさいぞ男子! 男はなあ、女の二倍ぐらい走って当然なんだよ!」
「なんでだよ!」
「意味わかんねえ!」
「女尊男卑反対!」
「今更、女子に媚売ったってモテやしねえよ!」
 様々な罵詈雑言と各種多用な悲痛の声があがった。女子は全員、依然として沈黙を保っている。
「うるせえ! 文句言うやつは三倍にするぞ!」
 蓮池のこの言葉で、運動場は夏にも関わらず凍りついた。男子たちは俯きながら、「ずりぃ…」などとごちっていた。
「よーし、わかればいいんだ! わかれば! 体操はさっきやったから大丈夫だな! よし! 全員立て!」
 だるそうにクラス全員が立ち上がり、トラックのコースを無視し、白線にだけに集中したようなバラバラな並びをしたが、蓮池はそれには触れなかった。
「よーい、ドン!」
 蓮池のドスの聞いた声で、まるでワインのコルクが抜かれたように一斉にクラス全員がグラウンドを走っていく。私もそれに負けず、劣らず、勢いよく飛び出した。
 太陽がまったく遠慮せずに私を照らす。私なりに精一杯走っているのに深田くんに一周遅れにされた。深田くんが私をちらっと見た。だけど、気は悪くならなかった。
 だって、深田くんだから───。
 私は全く気付いていなかった。
 自分の着ている体操服の胸に書かれた氏名が『村枝明日香』だということに気付いたのは、体育が終わった後の手洗い場でさわやかな汗を額に浮かべる深田くんが、「亡くなった村枝さんの体操服を着るなんて、やっぱり瀬戸さん変わってるね」と苦笑したときだった。
 私は再び思う。
「今日は厄日だ…!」と。


―終―
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