#14 外の住人
半年振りに外出して、まずはじめに感じたのは『太陽』からの殺意だった。それもあからさまな殺意だ。
「死ね死ね焼け焦げてしまえ。ここはお前如きが来る場所ではない。はやく巣に戻れ。それとも──死ね死ね焼け焦げてしまえ」
太陽はじりじりと僕を照らす。十階建てのアパートが作る大きな影を切り裂き、執拗に僕を照らす。
「やめてくれやめてくれやめてくれやめ──」
太陽はニタニタと笑い、「なら帰れ」と僕の怯えを楽しみながら吐き捨てた。
僕はTシャツの裾で涙を拭い、がたがたと震える足に鞭を打ち、自転車置き場に走った。
数十メートルがやけに遠く感じる。太陽と同じ距離のように感じる。どれだけ手を伸ばしても届く気配はない。どれだけ足に鞭を打とうが自分自身に叱咤しようが届かない。一歩近づくと、一歩離れていく。これっぽっちも望んでいないイタチごっこが繰り広げられる。
何分? 何時間経ったであろうか。僕の被るチャコールグレーのハットは汗で真っ黒に変わっているため、もしかしたら数日かも知れない。数週間の可能性も、某探偵漫画の黒幕が主人公に最も身近な博士の可能性と同じぐらいある。極めて零に近いが…。
さすがに諦め、家に帰ろうと震える肩と足でエレベーターに乗り込むと見知らぬ中年男性が既に乗っていた。
僕が十階行きのボタンを押すと男は右の口端をくいっと器用に攣り上げ「おめでとう」と拍手をしながら言った。その瞬間、エレベーターに大勢の人間が押し寄せて、口々に「おめでとう」と爽やかな笑顔で理由不明の祝福を始めた。僕は訳も分からずも一応「ありがとうございます」と頭を掻きながら照れてみせる。そうすると、それまで馬鹿の一つ覚えのように「おめでとう」と拍手を繰り返していた老若男女は醒めたような目付きで舌打ちを始めた。
チッチッ──。
「何なんだよ、あんたら…」
チッチッ──。
チッチッチッ──。
ツ…チッ…ティッ──。「…難しい」
時々、上手く舌打ちが出来ていない人もいて妙に苛立つ。出来ないならするな、馬鹿。
貧乏揺すりをしながら、耳を塞いでいると初めの中年男性が昂然とした足取りで近づいてきた。僕の前に立つと上着のポケットから手の平に収まるほどの何かを取り出し、それを差し出した。目を見ると「はやく取れ」と言っているように見えた。
「くれるんですか?」
「あげりゅ」
知能が足りていないような舌足らずな口調だった。気味が悪いな、と思いつつも僕はそれを受け取る。鍵だった。ご丁寧に「おくじょう」と汚い字で書かれた紙も一緒に渡された。
僕は屋上に向かうため、ぎゅうぎゅうとなっているエレベーターから平等の精神に則り、老若男女平等に蹴りをいれ追い出した。時折、エルボーやチャランボーも織り交ぜた。鍵をくれた中年男性には特別に渾身の顔面パンツをくらわせてやった。
男が「鼻が折れたあ、鼻折れああ」と泣き喚く顔を見て漸く、平等の精神を都合よく頭の隅に追いやっていたことに気付いた。だが反省する気は蟻の頭ほどない。
僕は騒がしい外野を睨みつけながらエレベーターのドアを閉じた。ドアが閉じる瞬間、何故か鍵の中年男がドアに手を挟んだ。ドアは気に留めることなく、「主君の命令は絶対」と云わんばかりに強引に閉じた。結果、エレベーター内に中年男の両腕の肘から先が取り残されてしまった。非現実的でグロテスクだったが、不思議と吐き気はなく、むかっ腹が立っていたので丁度良いやぐらいの感覚で思いっきり踏みつけると「きゅう」と可愛らしい音と共に粒子となって消えていった。
エレベーターはぐんぐん加速していく。一定の速度を保つものだと思っていたが、これは僕の勝手な常識だったらしい。エレベーターは加速していき、案の定天井に衝突し停止した。ボタンを押していないにも関わらず、ドアが独りでに開き、僕は飛び降りた。飛び降りるとそこは目的の屋上だった。
「鍵いらねえじゃねえか! あの中年親父、次会ったら殺してやる」次会える確証と両腕を失って生きてる保障はどこにもないが反吐が出た。
『おくじょうの鍵』を屋上の地面に叩きつけようと振りかぶったが、視界にある物が映り中止する。「チャリ!」
無駄にだだっ広い屋上に、自転車がぽつんと置かれていた。自分と同じマイノリティを感じる。同じくシンパシーも。
自転車に向かって駆け出し、足の震えが止まっていたことに気がついて笑った。
「あっ!」
自転車には施錠されていた。それも頑丈そうな鍵だ。銀色のごつごつとした鍵。囚人を捕らえることを使用用途としているような鍵。
鍵、鍵───。
はっとして手に持った『おくじょうの鍵』を見つめる。
「もしかして、もしかするのか?」
期待を込めて鍵穴に『おくじょうの鍵』をはめた──はめようとした。が、合う合わない以前にサイズの問題で入りもしなかった。
「あのやろおおおおおおお! 一体なんなんだよおおおお!」
止めだ止め、と呟きながら屋上の汚れた地面に胡坐をかいた。服と髪は汗でシャワー後のように濡れ、気持ち悪い。
胡坐を崩し、大の字に寝転がろうとするとチャコールグレー色だった帽子を風が『待ってました!』と鮮やかに飛ばした。風に舞う帽子は敵意丸出しの太陽と一瞬、重なった。ほんの一瞬だったが、太陽は僕を照らせなかった。太陽は僕に殺意を向けられなかった。
僕は器用に右の口端だけをニヤリと攣り上げ、『おくじょうの鍵』を握り締める。『おくじょうの鍵』はひんやりとして気持ち良かった。
軽く目を閉じる。電源が切れたように意識が、ぶつん──。
―終―
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