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#12 そこにいた日常。(幽霊と私)
「どうしてここにいるのよ!」目の前に立つ明日香の顔を平手打ちしようとするが、掌は空を切った。「最悪!」
「だって友里恵が悪いじゃん」明日香は薄気味悪い笑いを浮かべる。本当に薄気味悪い。
―――それもそのはず、
「ついてこないでよ! この幽霊女!」先週自殺したはずの明日香が、そこにいたからだ。

 明日香は学校の屋上から盛大に飛び降りた。明日香の体が無残な肉片となり散った運動場は、体育の授業で気だるそうに私語をしながらマラソンの練習をする多数の生徒たちの足と時間を止めた。
 明日香は虐めにあっていた。クラスの町田や河野はしきりに明日香に絡み、汚い言葉はまだしも性的な悪戯まであったと明日香が死んだ後に噂しているのを聞いた。明日香の両親は娘の虐めに気付かずに、毎朝「いってらっしゃい」と明日香を見送っていたらしい。
 私が明日香の立場だったらと考えるだけで吐き気がした。
 明日香の葬式を終え、帰宅すると突然、違和感が襲ってきた。「怖い」のだ。目に見えない何かがそこにいるような気がし、恐怖した。だが、これは間違いであることに部屋の電気を点けてから気付く。
「おかえり」私のベッドの上で、もうこの世には存在しないはずの明日香が寝転びながら言った。
「葬式って面倒臭いよね、先に帰っちゃったよ」明日香は頬を緩めながら頭を掻いた。
「なんで…明日香がいるの?」両手が無意識の内に顔を隠そうとする。恐怖のあまり、何も見たくないと本能が行っているような気がする。
「なんでって、私もよく分かんないけど」
「…本当に明日香なの?」
「うん、あなたが見殺しにした明日香ちゃんだよ」明日香は右手でピースサインを作った。

「もう……ついてこないでよ」
「嫌よ。他に行くとこないし」
「家は? 両親に会いたくないの?」
「別に…ていうか、言うの忘れてたけど私の姿って友里恵にしか見えないんだよね」
「えっ!」通学路の途中で、そのような大事なことを告げられ友里恵は戸惑いと恥ずかしさを覚えた。頬が熱い。自分が幽霊と会話しているところを、通勤通学の不特定多数の人に見られてしまった。「そういうことは先に言ってよ!」
「私は幽霊なんだから、当たり前でしょ」明日香は路上なのもお構いなしに、腹を抱えて笑い転げた。しかし、明日香の真っ白な服には汚れがつかず、私は明日香が幽霊であることを再認識する。
「このまま明日香と会話しながら歩いてたら、変人だと思われちゃう…」
「もう思われてると思うよ」明日香の言う通り、すでに遅く、道行く人たちの視線が冷たかった。
「最悪!」明日香を放置して、そのまま学校へ走っていこうとしたが、幽霊に敵うはずはなくすぐに追いつかれてしまった。

「友里恵。ブツブツ独り言しながら学校に来たんだって?」鞄から取り出した教科書を机に入れていると、隣の席に座っていた理紗が話しかけてきた。「もう噂になってるよ〜」
「ちょっと頭痛くてね…」ぎこちない愛想笑いを浮かべると、理紗は「ふ〜ん」とだけ返し、教室から出て行った。おそらく、女子トイレに向かったのだろうと推測した。女子トイレは団地妻がゴミ捨て場で噂話をするように、女子高生が噂話をするには都合の良い場所だった。今頃、理紗が私のことを同級生と噂しているのだろうな、と考えていくうちに鬱屈な気持ちになった。
「ドンマイ」と、机上に座る明日香が笑う。
「邪魔だからどいてよ、馬鹿」本当は叫びたい気持ちだったが、これ以上自分の評判を落とすのは避けたかった為、声を落とした。
「馬鹿とは何よ、馬鹿とは」明日香が言い寄ってくるが、寄りすぎたため、顔と顔が触れ合った。というよりは寧ろ、透けて顔がめり込んできたといった方がこの場合の表現としては適しているような気がした。
「気持ちわるっ」
「幽霊なんだからしょうがないでしょ!」明日香は机の上に立ち、甲高く叫んだ。
 もちろんその甲高い声は私にしか聞こえていないらしく、周りのクラスメイト達は皆、無反応だった。

 結局、明日香は一日中、一緒にいた。給食のときはスプーンを宙に浮かべて遊び、クラスメイトたちは普段は「そんなもの子供騙しだ」などと小馬鹿にしているのに、ポルターガイストだと騒ぎ立てた。明日香が問題を起こす度に、私は胃が痛くなり、教室から逃げ出したくなった。
「いや〜、今日は楽しかったね」下校中に隣で塀の上を歩きながら、明日香が満足げに言う。
「私は全然楽しくないんですけど」地面に落ちている小石を蹴飛ばすと、同時に履いていたスニーカーまで飛んでいってしまい、それを片足でホッピングする要領…つまりケンケンで無様に拾いに行き、明日香の笑いを誘ってしまった。「なんで私についてくるのよ。他にも姿が見える人がいるでしょ、絶対」
「いないってば」そう言うと、明日香の表情が少し曇ったように見えた。「友里恵しかいないの」
「なんで私なのよ……」
「たぶん私は友里恵を恨んでるから」
「…恨んでる? 私を?」明日香に恨まれるようなことをした覚えはない。明日香とは休日はよく遊んでいたし、悩み事だって聞いていた。親友にもっとも近い関係だったと明日香が死んだ日に私は思ったぐらいだ。
「私、虐められてたじゃん」明日香は苦しそうに言いながら、目に涙を浮かべた。幽霊でも泣けるのだな、と私は感慨深く思う。「でも友里恵は助けてくれなかった」
「だってそれは…」助けることが出来たのではないか、明日香の自殺を止めれたのではないか、本当のところ明日香が死に数日間はそのことばかり考えていた。だが助けられなかったという結果論だけが先に頭を支配し、結局はそれを受け入れ、仕舞いには虐めのことを一切知らなかった風に装った。
「友里恵は私を見殺しにした。自分が次の標的にされるのが怖くて、見殺しにしたんだ。学校では他人の振りをして、休日になったら学校の奴らに見られないようにわざわざ隣町まで行って遊んで…都合いいよね、ほんと」明日香は腹に溜まっていたもの吐き出すように言った。
「それは……違うよ……」
「何が違うのよ!」明日香が涙を流しながら、力強く訴えるように叫ぶ。「何が違うって言うのよ! そうでしょ! 認めなさいよ! 私を見殺しにしたって!」
「見殺しになんてしてない!」違う。この場においてなお、嘯く自分に反吐が出る。「私は明日香を…」突如出てきた鼻水をすする。
「何よ」
「助けたかった……」人目も気にせずに涙を流した。噂話? そんなものは明日香が受けてきた痛みに比べるとミジンコ以下だ。マイクロミクロンだ。私は明日香を助けたかった。でも助けられなかったのだ。いや、助けようともしなかったのだ…。
「認めるの?」
「…見殺しにしたのかなぁ」
「したのよ…」塀の上から飛び降りた明日香が私を抱きしめようとするが、それは出来なかった。「もう感触がないよ、友里恵」
「明日香…私、最低だよね」
「うん、友里恵は最低だよ。でもね……ありがとう」
「ありがとう?」
「だって、認めてくれたじゃん」明日香は微笑し、私の返事を待たずに「じゃあね」と言い、どこかへ向かっていった。私は涙を拭うのに精一杯で、明日香の向かう先を見ることが出来なかった。

 帰宅すると、今日の出来事が全て夢だったように思え、溜息をついた。「明日香…どこ行っちゃったんだろ」二階に上がり、自分の部屋の電気を点ける。
「おかえり」明日香がまたベッドの上で寝転んでいた。
 私は明日香に「なんでまだ居るのよ!」などと怒る振りをしながら考えていた。
 これから明日香に償うことは出来るのだろうか、もう触れることも出来なくなった友人に何が出来るのだろうか。そんなことばかりを考えていた。
 共に生きていた頃よりもずっと大事に、明日香のことを考える私が、そこにいた。


―終―
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