#1 大きな恋のメロディ
「あなたは常に人を疑って生きていかなきゃ」
「その中に、君は含まれているのかい?」
肯定とも否定ともとれる困惑した表情をし、彼女は、そうね、とだけ呟いた。
殺し屋という職種がある。決して表沙汰には出来ない、してはいけない職業だ。
依頼を受け、段取りを取り、十分に作戦を練って、殺す。後始末は、掃除屋と呼ばれる職種の者がやってくれる。こうして人を殺す立場と人を片付ける立場は連なっている。いわば運命共同体だ。
殺し屋には男性が比較的多く、掃除屋には女性が多くいるのも特徴である。人を殺すには力があるにこした事はないから男性、些細な汚れにたいして神経質になりがちな女性が掃除を担当する。一般家庭の関係性と似ている。
「殺し屋は家庭を持たない」という印象は、漫画や小説の中だけに、つまりフィクションの中だけにしてほしい。実際、俺には妻がいる。結婚して五年経つが子どもはいないので、妻も働いている。
妻は掃除屋だ。
妻との出会いは、私の仕事の後片付けを依頼したときだ。出会いの場として、殺人現場が使われるのはどうなのだろうか、苦笑が漏れる。
私たちは職業が職業の為、他人を勘繰ってしまい、すぐにとはいかなかったが何とか意気投合し、結婚した。生きている者を殺す、神の道理に反する者とその死体を片付ける者という、ある意味、最低な相性の二人組は丁寧に式場を借り、神の前で永遠の愛を誓った。
結婚後もお互いに仕事に勤しみ、それなりに満足した生活を送っていた──はずだった。
縛られた体をどうにか起こし、かろうじて車の窓から見える夜景を眺めながら、竜太は今までのことを振り返った。
竜太は今、現在、自分が置かれている立場がよく分かっていなかった。ただ一つ分かっているのは、運転席にいるのが妻の真紀だということだった。
「君は俺をどこに連れて行こうとしている?」声にしようとするが、口はガムテープで塞がれている。
沈黙の中、「妻に裏切られた」という安易な絶望感だけが車内に溢れ、竜太を包み込んでいる。それを振り払おうと必死だった。
仕事を終え、普段通りに妻の作ったレストランのシェフ顔負けの夕食、入浴し、ビールを飲み、眠くなりベッドに向かった。いつもより早く眠気が襲ってきたのが気になったが、先ほど真相に気付いた。妻に薬をもられたのだ、と。
目を覚ますと、体を拘束具のような者で縛られ、体の自由を失くし、車の後部座席に座らされていた、というよりも放られていたと言ったほうが正しい。
真紀は何を考えている。答えを探す振りをする。答えは既に出ている。だが、認めたくないのだ。
「妻が俺を殺す」現実味のない、答えがじりじりと迫ってくる。来るな。来るな。
なぜ妻は俺を殺そうとしているのか。理由がない、それが答えという根拠がないじゃないか。
ふと、婚姻届を役所に出した直後の、妻の言葉を思い出す。
―――「あなたは常に人を疑って生きていかなきゃ」
「それにしてもこんなのってないよ」と心の中で言うが、現実の、運転席に座る妻はこちらを見向きもせず、運転に集中していた。
鳥の糞がこびり付いている車の窓からは、雲がかった空と生い茂った木々が見える。先に進むにつれて人気はなくなっていき、車が停車したときには道ゆく人の数はゼロになった。
「ここはどこなのだろうか」森林浴に適した、何の屈託もない、雑木林に溢れる場所に着いた。
「着いたわ」今まで何の説明もなしに、沈黙を貫いていた妻が急に喋り、吃驚した。それと同時に、やはりこれは妻なのだ、という現実をつき付けられた。
妻が運転席のドアを開け、外に出た。そして後部座席のドアに手を伸ばし、開けた。外の空気が無防備な顔に当たり、寒いと言おうとするが、またしてもガムテープが邪魔をした。
「降りて」こんな無理なことを言う妻じゃなかった。もっと人のことを思いやるタイプの女性のはずだ。仏を扱う仕事をしているのだから、間違いない。
拘束具のせいで降りる事が出来ない、と目で訴えかけると妻は「そうだった、そうだった」と驚きに似た焦りを見せた。
まず脚の拘束具を外し、次ぎに、口に貼ってあるガムテープを横に勢いよく剥がした。「痛い」今度は言葉として、口から出す事が出来た。
「説明してくれないか」車を降り、真っ先に怒鳴りといってもいいほどの声で言った。腕の拘束具は付いたままだ。
「あなたを殺そうと思うの」妻の声は冷たく、そして刃物のように鋭かった。
「なぜだ」車内に置いてきたはずの絶望感が、またしても襲ってきた。車内のときより姿形がはっきりとしている。
「もう殺し屋の妻には疲れたの」
君だってその殺し屋に加担しているじゃないか、と口に出そうとするが絶望感が強く、言うことが出来ない。
真紀は続ける。「私も掃除屋をやめる」
木々たちは風に揺られ、踊っているように見えた。馬鹿にしているのか。最愛の妻に裏切られた俺を、嘲笑しているのか。木々たちは揺れ続ける。
「最期の仕事として、俺を片付けるのか」強い風によって真紀の肩まである茶色に染めた髪が揺れている。
「いいえ、違うわ」
は?、と真の抜けた声を出してしまった。じゃあ何をするというのだ。
「もう足を洗いましょう、普通の生活がしたいの」
更にこう言い付け加えた。「子どもが出来たの」
一瞬、辺りは静まり返り、目に映るものは腹部に手をやる妻だけになった。
人は驚きすぎると、笑いが出るというのは本当だった。この期に及んで何てことを言いだすんだ。それを言うためだけに、大掛かりな拘束具までつけて、森の奥深くまで連れてきたのか。
「だって、あなたはこれぐらいしないと」少し間を置き、再度、口を開く。「うんって言ってくれないじゃない」
イエスと答えなければ殺される、そのぐらいの状況に立たされなければ俺は、頷かない。そう妻は説明した。
「分かった、足を洗おう」
「本当に?」真紀の顔が普段の顔に戻り、やはり深刻そうな顔は似合わないなと思った。
「ああ、足を洗おう。そして三人で暮らそう」
真紀は頷くと、目に涙を溜めながら腕の拘束具を外してくれた。
二人は車に飛び乗る。来た道を戻る気はなかった。馴れた手つきで、車を動かす。
空からは、いつの間にか雲が消えており、くっきりとした円形の月が見える。
月明かりに照らされながら、二人を乗せた車は走っていく。車は森を抜け、車道に出た。
その光景は、妻と出会ったばかりの頃に一緒に観た、恋愛映画のラストシーンと重なった。
「映画の二人は、子どもだったから街から逃げ出した後、大変な目に合ったと思うの」
真紀はそう言った後、竜太の横顔を、ちらっと覗きこむようにし、はにかみながら「でも私たちは、もう大人だから大丈夫よね」と言った。
竜太は車を運転しながら首肯し、
「君だけは疑わなくてよかった」
と真紀に聞こえなくてもいいと思うぐらい小さな声を漏らしてからやっと運転に専念することができた。
―終―
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