がんばるから、ごほうびをください。
なぜか。
昔から、最後までやり通さないと気持ちが悪かった。
とにかく最後までやらないと気持ちが悪い。
よっていつものごとく、放課後、オンリーでロンリー。
日誌の最後のコメントが書けずに悪戦苦闘していた。
前のページを参考にすべく、開いた先には蛍光の塗料で花が咲き乱れ、あまりのまばゆさに判別不能。
その前のページは、字というものを覚えたてのウン歳児が書いたような象形文字で理解不能。
あきれ果ててめくり続けるあたしの手がとまったのは、あのコのページだった。
『今日も一日がんばりました。あと、先生の寝ぐせがいつもよりひどくて、少しだけ笑ってしまいました。』
オンナノコらしい、かわいい丸文字。
でもちっとも下品じゃない。
読みやすくて、整然と並んでいる。
見え隠れする愛らしさに、あたしは思わず机にひたいを打ち付けた。
ほんとうにかわいいコというのは、字からも判断できる。
クラスで人気のあのコ。
容姿ももちろん性格も、小さな気配りだってカンペキだ。
天は二物を与えないなんて真っ赤なウソだ。
努力して、頑張ったって、どうにもならないことはある。
あたしはその点に関してはすっぱり割り切っていた。
はずだったのに。
あのコのコメントの下。
いつもはハンコだけの、担任のコメント欄。
いびつで、読みにくい文字が小さく並んでいた。
『よくできました。寝癖については今度から気をつけるようにします。だから笑わないでください。』
――なにこれ。
自分のつくった影で、その文字は読みにくかった。
けれども、間違いなくセンセイからの返事。
なにこれ、なにこれ。
自分の中でどす黒く反芻するコトバの群れ。
いつのまにかペンを握っていた手に力が入っていて、てのひらにツメがくいこんだ。
痛いのは、てのひらなのに。
だから、目の前がぼやけているのに。
どうしてだろう。
どうしてなんだろう。
カラダの奥の底の中のほうがじんじんする。
それは音もなく響いて、耳まで侵して、目まで見えなくなって、こぼれおちそうになる。
あたしはそんなものにかまいもせず、手を動かしてページをめくり続けた。
ばさばさばさと、紙が破れそうになっても気にしなかった。
ふと、手がとまったのはあるページ。
黒いペンで書かれた、きったない字。
時間割と、一日の予定と、掃除のチェック。
それは、前回のあたしのページ。
『今日はみんな授業に集中していました。このままテストまで頑張っていきたいと思います』
ひねりもかわいらしさのかけらもなんにもない、あたしのコメント。
その下には、ただいつものようにハンコが押してあるだけだった。
努力したって、頑張ったって、どうしてもだめなものがある。
最後までやり通しても、結果がでないと意味がない。
空白のコメント欄。
ため息と次々できる染み。
かわくまで窓の外をながめていようと決めたあたしの耳に、飛び込んできたのはドアを開ける音。
立っていたのは、予想していたとおりのひとだった。
「おいおい、まだ残ってるのか」
窓の外は大きなオレンジがかたむいていて、センセイの方からあたしの顔は見えないことだろう。
それだけが唯一の救いだった。
「……まだ日誌、かけないんです」
ふるえそうになる声を、おなかに力を入れて押さえ込んだ。
目を見てしまったら、バレてしまいそうな気がしてセンセイを直視ことができない。
「真面目だな。みんな適当だろ。お前も早く書けばいいのに、どこで手間取ってるんだ」
「最後の、コメントのところ」
ぱこんぱこんと響く靴音が近づいてきて、一気に体温が上がった。
逃げたい気持ちでいっぱいになったけれど、ここで逃げ出す意味が自分でもわからない。
ペンを握った手に、また力をこめた。
てのひらがべたべたして、気持ちが悪かった。
「悩むようなところじゃないだろ」
影ができて、あたしのかわいくもないきったない字が溶ける。
「だって、かけないんです」
「考えすぎなんだよ。ハンコ押しておしまいなんだからさ」
じゃあ、なんであのコのところにコメント書いたの。
どうして、あのコのところにだけ。
かっとなって、口から飛び出しそうになるコトバをぐっと飲み込む。
そんなことを、言いたいんじゃない。
「は、はんこだけじゃ、やなんです」
「ん?」
やっと吐き出したコトバが、弱弱しくてセンセイまでとどかない。
汗ばんだ手が気持ち悪い。
書きかけの日誌が気持ち悪い。
とどきもしない、中途半端なコトバが気持ち悪い。
こんなんじゃだめだ。
最後までやり通さなきゃ、気持ちが悪いままになる。
「センセイが読んで、コメントを書きたくなるような言葉をさがしているんです!」
うつむいていた顔を上げて、あたしの上にあるその顔をにらみつけた。
メガネの向こうの目が大きく見開いたと思ったら、次の瞬間センセイの指が目の前にあって、オデコをはじかれた。
「い、った!」
あまりの痛みと突然の出来事に思わずオデコを押さえると、遠のいていく足音が聞こえた。
「キタイして待っていてやるから、頑張るんだな。ごほうびくらいは用意しておくよ」
じゃあなと、ひらひら振られた手。
閉まるドア。
オデコを押さえた手で、頬を押さえる。
夕日色に染まった頬は、ありえないくらい熱かった。
「……っ」
オデコを押さえたはずみに、落としてしまったペンを握る。
汗ばんでいた手は、頬の熱で蒸発してしまったかのようだった。
かわいくもないあたしのきったない字。
だけど。
空白のコメント欄を走り出すペン。
埋め尽くされる、あたしのコトバ。
最後まで頑張ったあたしにどうかごほうびを。
いびつで読みにくいあの字が並ぶのを祈って、ぱたんと日誌を閉じた。
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