13
リロイとサムソンはヘベス村で三日三晩もてなしを受けた。その間にサハギンは一度もあらわれなかった。別れを惜しむアルバたちを何とか説得して、四日目の朝にリロイはヘベス村を後にした。
「もう少しいてもよかったんじゃねえの?」
ぽかぽかと暖かい野原にのびる道を歩きながら、サムソンが目を何度もこする。
「旅の目的は強くなることなのよ。それなのに、村長さんにずっとお世話になってたら、剣の腕がにぶっちゃうじゃない」
「これ以上はにぶらんと思うけどなー」
「うるさいわね。ぶつぶつ言ってないで、あんたも風の魔術のひとつくらい覚えなさいよ」
「何をお!」
サムソンが肩をふるわせながら、ぎりぎりと歯ぎしりする。リロイも鋭い剣幕でサムソンをにらみ返した。それを遠くの羊たちがもの珍しげにながめていた。
三十分後、リロイは足を前に動かしながら地面を見下ろす。そこにあるのは、長いアンダースカートに隠れた足と、茶色い土だった。
『オーブ伯といえば、国の数々の反乱を鎮めてきた英雄。まことのレイリア一の騎士様でございます』
ヘベス村のアルバに聞いてから、同じ言葉がずっと頭にひびいている。夜に村人全員と集まったときも、父ブレオベリスの武勇伝を何度も聞かされた。
アルバたちの話によると、ブレオベリスは雷のような突撃で敵を粉砕するから『迅雷』と畏敬されているらしい。天を衝くほどの武力を誇り、名声ともに騎士たちの頂点に君臨する、レイリア随一の騎士だというのだ。
――いつも頬を近づけてスリスリしてくる、あのお父様が迅雷ですって。そんなの絶対にありえないわ。ヘベス村の人たちは、みんな冗談が下手なのね。
リロイの脳裏に映るブレオベリスは鼻の下をのばして、「リロイィ」と変な声を出している。その間抜けな姿は雷からほど遠い。父が騎馬にまたがり、ランスで敵兵を突いている姿なんてとても想像できない。
「で、これからどうすンだ」
野原の道をのんびりと歩きながら、サムソンが頭の後ろに手をあてた。
「何がよ」
「何がって、行き先だよ。まさか、諸国を適当に歩きまわれば強くなれるとか、思ってんじゃねえだろうな」
リロイはどきりとした。
「そ、そんなこと、お思ってないわよ」
「声ふるえてますけど」
「ふ、ふるえてなんかないわよ! んもう、サムってば、そんなにあたしが信用できないの?」
「信用できないっす」
「そ、そげなはっきり言わんでも」
「じゃあ、どこに向かってるのか、ひと言でびしっと言ってみんかい。ほれ。さあ早く」
サムソンはにやにやしながら、杖の先で地面を突く。リロイはあたふたしながら、レイリアの地図を必死に思い浮かべる。が、ドーナツのような型をした国土しか浮かばず、具体的な地名が出てこない。
――このままだと、あたしは計画性のない女ってことになっちゃうわ。どうしよ……
何かいいものがないか首をきょろきょろさせると、前からちょうど馬車が流れてきた。馬車のまわりには、赤いマントをはおった騎士たちが馬にまたがっている。
「あ、あの人! あたしの知り合いなのよ。徒歩の旅はきついから、ここで待ち合わせしてたのよねー」
「ば、ばか! 待てって」
リロイが馬車に向かうと、サムソンがあわてながら後を追ってきた。
「何者だ!」
馬車を囲む騎兵たちが手づなを引いて、円形のランスを突き出す。リロイの背よりも長いランスが鋭くのびる。銀色の騎士たちは整然としていて、馬車になんて近づけそうもない。
リロイはあわてて両手の平を出した。
「あ、あたしたちは怪しい者じゃありません。偶然そこを通りかかっただけで、あの……」
「へらへらしながら近づいてきて、私は怪しくないだと!? むむう、見るからに怪しいやつ。われわれがゲント伯の直参と知っての狼藉か!」
「ゲ、ゲント伯……?」
ついこの間に聞いたかもしれない言葉に、リロイは首をひねる。後ろからサムソンが杖で頭をたたいてきた。
「いったいわねー! 何すンのよ」
「あほかお前! この人たちはお前の親父さんの知り合いだよ」
「へっ?」
リロイがきょとんとする後ろで、馬車から貴人が降りてきた。その人は金の刺繍が入った黒いコートをはおっている。髪は赤茶色で、顎に生えるひげも同じ色をしている。
「リロイ君。そこにいるのはリロイ君かね?」
「バ、バルバロッサのおじ様……?」
リロイは馬車にゆられながら、野原の小道を旅する。扉につけられたガラスの窓をのぞいてみると、青々とした野原が後ろに流れていた。
「まさか、こんなところでリロイ君に会えるとは思わなかったよ」
向かいに座るバルバロッサが快活な声で笑う。リロイも合わせてにこっと笑った。
「おじ様こそ、馬車に乗られてどちらに向かわれてるのですか」
「目的地に向かっているんじゃない。君が住んでた別荘から帰っているところだよ」
「あ……! そ、そうですよね」
家を出る前夜に見たバルバロッサの顔を思い出して、リロイはすぐにうつむく。バルバロッサは優しく微笑みながら、リロイの赤い顔を見つめた。
「君が家出してから、お父さんは相当あわててたよ。部屋をずっとうろうろして、私の話なんか聞こえてないみたいだったよ」
「そうなんですか」
「夜に食事したときなんか、スープを何度もこぼしてはお母さんに叱られててね。あのときのブレオベリスは面白かったなあ」
バルバロッサは肘かけにもたれながら、うすく笑う。口もとが動くたびに赤茶色のひげが動く。続けて「あまりお父さんを困らせちゃいけないよ」と言った。
少し間を置いて、サムソンが「あの」と声をあげた。
「えっと……ゲ、ゲント伯」
「バルバロッサでいいよ。サムソン君」
「バ、バルバロッサ様。あの、ロイの親父さんがレイリア一の英雄だって聞いたんですけど、本当なんですか」
緊張するサムソンの前で、バルバロッサはまた大きな声で笑った。
「そうか。君たちはブレオベリスのすごさを知らないんだな」
「は、はい」
「やつはすごいよ。剣の腕はおろか、智略、名声、どれをとってもレイリア一だ。さんざん抵抗していた反逆者たちも、迅雷が来たと聞いただけで静かになるからな」
「そんなにすごい人なんですか」
「やつはそういった話をしたがらないから、君たちにはわからないだろうけどね。敵からは恐れられ、味方から尊敬される、騎士の手本というべき男さ。私にとっても、やつは学生時代からの親友であり、生涯のライバルでもあるのさ」
「へえ」
うっとりするサムソンの前で、バルバロッサは口にひとさし指をあてて、「ブレオベリスには内緒だよ」と言った。
リロイが顔をあげると、バルバロッサは優しい顔で微笑む。
「男性の友情っていいですね。どろどろした感じがなくて、さわやかですよね」
「いやいや、安い酒を呑みかわすだけの下らない仲さ。若いときは呑みすぎて、君のお母さんによく怒られたよ」
「お母様のこともご存知なんですか」
「そりゃあ、何十年っていう付き合いだからね。マリーさんはとてもしっかりした女性だから、ブレオベリスの嫁にしとくには勿体ないな」
「あ、それわかるかも」
リロイが口に手をあてて笑うと、バルバロッサも大声で笑った。
――ああ、バルバロッサのおじ様ってやっぱり素敵。
リロイも心をときめかせながら、バルバロッサを見つめる。赤いひげのお方はいつも優しくて、とても落ち着いている。黒のシックなコートがとても似合う、まさに大人の男性。何かと口うるさいサムソンとは格が違う。
バルバロッサの大きな背中は、幼いころからリロイの心に残っている。
「あ、そうだ! だったら、バルバロッサ様に師事してもらったらどうよ」
急にあがったサムソンの声に、リロイは嫌な顔をした。
「そんなのだめよ」
「何でだよ。バルバロッサ様だって、赤ひげと恐れられるすごい人なんだぞ。お前の師匠に打ってつけじゃねえか」
「だって、おじ様はお父様といっしょで、あたしを子供あつかいするもの。それじゃあ、お父様に稽古してもらってたのと変わらないじゃない」
そういうとサムソンは頬杖をついて「ちぇ、めんどくせえなー」と声をもらした。バルバロッサは苦笑しながら頭をぽりぽりと掻いている。
リロイは膝に手をついて、バルバロッサに顔を近づけた。
「おじ様も赤ひげと畏敬されるほどだから、お父様以上の腕の持ち主なんですよね」
「その名前で呼ばれるのは、あまり好きじゃないんだがね」
「あ……! す、すみません」
リロイがあわててうつむく前で、バルバロッサは馬車の天井を見つめた。
「どうせだったら、『疾風』とか、もっとかっこいいあだ名にしてほしかったね」
「……疾風ですか。かっこいいあだ名ですね」
「お父さんと合わせて疾風迅雷! 何ちゃって」
太い腕を組んで豪快に笑うバルバロッサに、リロイとサムソンは唇をひくひくさせた。