表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

召喚と代償

召喚と代償

作者: 葉琉

 杖を持つ手が震えている。

 呪文を紡ぐ唇はカラカラに渇いている。

 失敗は許されないのだ。

 もし、万が一のことがあれば、処罰されるのは私だけではない。故郷でのほほんと宿屋を営む両親や兄夫婦、生意気な甥っ子たちもただではすまないだろう。私を推薦した魔法使い連盟だって、すでに足下に火がついた状態だ。

 なにしろ、私の前にこの魔法を使ったものはことごとく失敗したのである。

 優秀な先輩方は、誰一人魔法を発動できなかった。

 もう、私以外に一級の魔法使い免許を持つものはいない。本当に後がないのだ。

 失敗すれば、連盟の面目丸つぶれ、今まで支援してくれた王族や国からの扱いも変わってくるだろう。

 いや、失敗すれば、世界そのものが危機に陥るわけだから、そういうものが全て関係なくなるのかもしれない。

 どちらにしても、私の責任は重大なものだった。

 ここにいる人たちも、そのことはわかっている。

 だから、彼らは息を潜め、私を見守っているのだ。

 どうか、うまくいきますように。

 ことごとく敗れ去った先輩たちの無念な気持ちを胸に、私は呪文の最後の言葉を口にした。

 禁断の魔法―――神子を救うという『何か』を召喚する魔方陣を発動するために。



 そもそも、神殿の奥深くに隠されるように存在する『儀式の間』が使われるのは、この世界を守る神子の身に危険が迫ったときだけである。

 神子は、世界の中心だ。

 神の依り代としての神子が祈りを捧げることにより、この世界の均衡は保たれているという。

 どこか胡散臭い話だが、実際神子の身に何かがあると、天変地異が起こったり、奇妙な疫病が流行ったりするのだから、真実だと思わざるを得ない。

 神に愛された者。

 神の祝福を受けし者。

 様々な呼ばれ方をするけれど、その存在はただ一人。神子が亡くなると、また新たに印を持って神子は生まれる。性別や種族も関係ない。いつどこで次代が生まれるのかわからず、神子が亡くなるたびに神殿は大騒ぎだ。なかなか神子が見つからないということも時々あるらしい。

 見つかったら見つかったで、本物かどうか調べなければならないわけで、それでまた神殿は大忙しになる。

 そのあたりの選定は神官たちがやることだから、一介の魔法使いにはよくわからないけれど、慎重に行われるのは確かだ。昔、偽物が連れてこられたことがあって、世界が大変なことになったらしいし。

 で、そうやって選ばれた神子は神殿暮らし、一生外に出ることはない。建前上は、清らかな生活を送る、ということになっている。

 実際は、ある程度の自由はあるらしい。

 結婚だって、公には出来ないけれど望めば可能だともいう。

 そうなったのは、以前、規則で雁字搦めにされた神子が自棄を起こして、祈るのを放棄したうえ行方不明になったということがあったせいらしい。もちろん、あくまで噂なので、事実はよくわからない。ただ、その時代、世界は暗闇に包まれたという記録は残っている。

 いつの時代でも、神子は世界を左右し、その心ひとつによって、悪い方にもいい方にも変わっていく―――そんな存在であることは確かなのだ。

 だからなのか、神子はよく狙われる。

 それは、時の権力者だったり、魔物だったり、野心を持った者たちだったり、様々だ。

 過去には、それらの言うことを聞かなかったがために、殺された神子もいた。あるいは利用されたあげく、結果的に神子自身が命を落とすことになった例もあった。

 とはいっても、神子がどんな死に方をしたとしても、すぐに次の神子が現れるわけだから、次代の神子さえ無事保護すれば、最悪の事態は免れる。

 問題は、神子が死なず、生きたまま利用された時だ。

 その場合、神子の祈りは曲げられ、正しい方向に向かわず、世界は悪い方向へと進んでいく。……と歴史書は伝えている。

 実際、過去にあったのだ。悪意ある人間に神子が浚われ閉じ込められ、あげくの果てに呪いをかけられた。神子は世界の平穏を祈る代わりに呪詛をはき続け、世界は闇に染まったという。浚った本人は死に、神子は見つかったが、呪詛の祈りは止まらず、しかも呪いの力が強く誰も近づけない。解呪しようにも、その方法が見つからない。元は単純な呪いだったけれど、神子の力が暴走してしまい、本来の呪いとはかけ離れたものになってしまったためだ。

 もう世界は終わりを迎えるのか。

 そんなことが公然と囁かれ始めた頃、当時大陸一と言われた魔法使いが立ち上がったのだ。

 今の魔法使い連盟を立ち上げた祖でもある彼は、その魔力と知識を使い、ひとつの魔方陣を作り上げた。

 この世界の理で呪いが解けないのならば、それを解くためのものを他の世界から召喚する―――どう考えても荒技な方法だったけれど、なんとこれがうまくいったのだ。

 その時召喚されたものが何なのかわからないが、それを神子に与えることによって、彼女の呪いが解けたのだという。

 これまたものすごく嘘くさい話だが、実際、この魔方陣はそれ以降2度使用されている。

 いずれも、神子が呪いをうけ、それがこの世界の誰にも解くことができなかった場合。

 召喚されるものは大抵『物』で、その2度に関しては記録が残っている。

 ひとつは、見たことがない果物。

 赤くて丸くて甘い匂いがしたらしく、それを食べさせたら呪いが消えたらしい。

 次が不思議な布。それを神子に与えたとたん神子の呪いは解けた。けれど、このときの神子は、結局は呪いが解けてまもなく亡くなってしまったとのことだった。

 そして、今、私がその歴史上4度目の魔方陣発動の儀式を行おうとしている。

 随分長い間、世界は平穏で、世の中を乱そうとする人も魔物も現れず、なんとなくゆるく世界は繁栄していたというのに。そのゆるゆるな平和に浸りきっていた私たちに衝撃が走ったのは、世界を脅かす魔物とやらが突然現れ神子を呪ったからだ。

 神子は呪いによって眠り、目覚めなくなってしまった。

 神子だけじゃない、神子が住む神殿を守る騎士や、仕える神官にも巻き込まれた者がいた。

 神子に近い場所にいたものは眠りにつき、少し離れた場所にいた物は、眠りはしなかったが、体を動かせなくなってしまったのだ。

 彼らはまるで悪夢でも見ているかのように、うなされ、体をかきむしり、それは酷い有様なのだという。

 それを見て慌てたのは、えらい人たちだけじゃない。

 神子が眠りについたとたん、世界は不安定になった。農作物は突然枯れるし、水は濁る。奇妙は疫病が流行り、たくさんの人が亡くなったのだ。

 火山が爆発したあたりで、民衆の不安は最高潮になった。

 それをなんとかするために、大々的に腕に覚えのある人たちが集められ、神子を狙った魔物は、倒されたのだけれど。

 それで終わりにはならなかった。

 神子の呪いが解けなかったのだ。術者が死ねば解けると皆は思っていたから、ものすごく慌てた。世界中から様々は分野の人たちが呪いの解呪方法を探したが、見つからない。

 すでに神子が呪われてから、半年はたっている。

 このままでは、神子は悪夢とともに世界を闇に閉ざす呪いを吐いてしまうかもしれない。そうなるまえに神子を亡き者にし、新しい神子を捜すべきだと主張するものまで現れはじめたのだ。

 そこで、最終手段となった。

 儀式の間を開き、神子の呪いを解く『何か』を召喚する。

 集められたのは、魔力の強い一級魔法使い。まずは実績のあるものから。けれど、皆は失敗してしまった。

 結局、最後の望みとして呼ばれたのは、最近一級魔法使いになったばかりの存在。

 魔力は自分でもそこそこいけると思うけれど、経験も実績もない、若い私だったのだ。



 呪文の詠唱が終わってから、ほんの少し時間があった。

 魔法陣は、無事発動したんだろうか。

 息を摘めるようにして、私は前に広がるそれを見た。

 淡く光っている。

 空間がわずかにゆがんでいるような気もする。

 成功したのか、それとも失敗なのか。

 それは私の周りの人たちも同じらしく、誰も身動きしないし声も発しない。

 そして、現れたのは―――。



 見つめ合った。

 まだ光の残る魔方陣の上に、ちょこんと乗っている黒と灰色の斑の紐―――のようなその生き物と。

 黒い目はつぶらだけれど、口からちらちらと覗く舌は赤い。時々、様子を伺うように顔を動かすたび、体の鱗がうねりを帯び、淡く光を反射する。

「へ、へび……」

 誰かが呟いた声が聞こえた。

「また、失敗なのか」

 絶望的な声が、響いた。

 ああ、私も駄目だったのか。がっくりと膝をつき、私はそれでも、蛇を見つめた。

 蛇ではだめだ。

 蛇で、どうやって、神子を目覚めさせるのだ。

 けれども。

「ここは、どこだ」

 そう蛇が口を聞いたことにより、室内に一気に緊張が走った。

 蛇は普通しゃべらない。しゃべる蛇は普通ではない。ならば、きっと希望はある。その場にいる全員がそう思ったのだ。



「つまりは、その人間とやらの呪いを解けばいいのだな」

 この場で一番偉い人―――この国の国王陛下が事情を説明すると、蛇はあっさりと言った。

 あっさりすぎて、ここにいる人間全部が本当かと疑ったくらいだ。

「俺は、呪いを食うことができる。心配ならば、試しに誰かの呪いを食ってやってもいいぞ」

 全員で顔を見合わせた。

 しばらくの沈黙の後、進み出た王様が、わかりましたという。

 ええ!?と思わず叫びそうになったけれど、慌てて口を押さえる。どうやって食べるのかもわからないのに、そんなに安請け合いしてもいいものなの。

「神子とともに、呪いにかかったものがいただろう。連れてまいれ」

 陛下の命令に、その場に控えていた騎士たちが慌ただしく出て行く。

 やがて連れられてきたのは、自分では動くことさえ出来なくなった一人の神殿騎士だった。彼は、魔物の呪いにかかり、眠ることはなかったが、体を動かすことが出来なくなってしまったのだ。

「これは、なんというか、すさまじい呪いだな」

 男を見た蛇は嬉しそうに体をうねらせる。鱗が淡い魔方陣の光を反射してきらきら光るのが、妙に神秘的に見えてきた。

「さて、さっそく頂くとするか」

 するすると魔方陣からおり、蛇は騎士様に近づいた。ちょっぴり騎士様の顔が青ざめる。目線がさまようのは、今の状況がよくわかっていないせいかもしれない。

 怪しすぎるしね。

 床にかかれた魔方陣も、室内に国の重要人物ばかりがいることも、近づいてくる変な蛇も。

 全員が見つめるなか、蛇は騎士様の体を絡みつくように登り、顔のところまでやってきた。

 そして。

 蛇は、迷うことなく騎士様の唇に自分の口を近づけたのだ。

 ぶちゅう、と確かに音が聞こえた気がした。

 ああ、騎士様、青ざめている。蛇と口づけなんて、初めての体験だろう。好んでしたいとも思えないし、わずかに開いた口の中に蛇の舌が入ってくるとか、気持ちわるそうだ。

 私は目を反らした。

 周りの人たちも同じように騎士様から視線をはずしている。

 けれども。

「の、呪いが消えた!? 体が動くぞ」

 そんな騎士様の言葉に、また室内が騒がしくなった。

 確かに、そこにはさきほどまで呪いのせいで苦しんでいた姿はない。驚愕した顔のまま、あちこち体を動かしている。

「当然だ」

 そうふんぞり返る蛇に、そこ場にいる人たちが一斉に平伏した。

 私も、皆にならって床に這いつくばりながら、それでもちらりと自分が召喚してしまった蛇を見る。

 目があったような気がしたのは、気のせいだろうか。

 確かめたかったけれど、蛇はあっというまに陛下たちに連れ去られ、しばらく会うことはなかった。



 その蛇がどうなったのか。

 公式には、呼び出されたのは『異世界の精霊』ということになっていて、断じて蛇ではない。王様がそう宣言し、私も口止めされた。

 いや、かなり無理があるだろうと突っ込みたかったのだけれど、出来なかった。

 言えば、自分の身がどうなるかわからないし、下手に権力者は刺激したくない。秘密を知る者として、殺されなかっただけましなんだろう。

 偉業を成し遂げた魔法使いを他国に渡したくないという思惑もあったのかもしれない。誰もなしえなかった魔法を使った魔法使いがいるというのは、他国にとっても脅威になる。

 結局、高級取りになって住むところにも困らなくなったけれど、自由は減った。

 はっきり言うと、軟禁状態だ。

 居室以外から出ようとすると、必ず誰かがついてくるし、どこかへ出かけるときは、申告しなくてはならないなんて、不自由で不便で仕方ない。

 一生このままだなんて、いろんな意味でぞっとする。

 かといって、最近一級魔法使いになったばかりの私は経験不足で、先輩がたほど処世術にも長けていない。

 自分よりもずっと頭のいい人たちにうまいこと丸め込まれて、結局は自分の主張は何一つ通らず、現在この状態なのだ。

 お金だけもらったって、使い道もない。誰も見ないのに着飾ったって仕方ないし、食事も出る。こちらが望めば一応魔法関連のものならいくらでも与えられる環境だから、それにお金と使うこともない。もっとも最後のは、もっと勉強してますます仕事しろという意味なのかもしれないので、憂鬱になるばかりだ。

 先輩方は、私が自由になれるように尽力してくれているらしいけれど、最近では面会も制限されている上に、立ち会い人までいる始末だ。

 本当に勘弁してほしい。

 もちろん世界が救われたのは嬉しいし、魔方陣を発動できたことに関しては後悔していない。

 失敗するよりも、随分とましだったはずなのに。

 結局、失敗しても成功しても、ろくな結果にはならなかったということだ。

「ほんとうに、どうなるんだろう、私」

 ため息とともに、愚痴が口をついて出た。

 殺されないだけましと思ったけれど、もしかして、ずっとそうだとは限らないのではないか。

 最近では、そんな物騒なことさえ考え始めている。

「逃げられるものなら、逃げたい」

「ならば、助けてやろうか」

 突然声が聞こえてきて、私は飛び上がるほどに驚いた。

 この部屋には、誰もいないはずだ。

 外に出れば、侍女やら衛兵やらが歩いているが、基本的にこの部屋には用事がなければ誰も入ってこない。

 案の定、見渡してみても、部屋に人影はなかった。

「やることがなさすぎて、とうとう幻聴が!?」

「違う。俺だよ、俺」

 そう言って、寝台の下から這い出てきたのは、『蛇』だった

「あー!」

 当然、私は叫んだ。その、黒と灰色の斑模様に覚えがあったからだ。

「な、何しにきたの! というか、どうしてこんなところに?」

「俺を召喚した魔法使いに会わせろっていうのに、無視されたからな。勝手に来た」

 勝手にきたって。

 そもそも、蛇は今までどこにいたのだろう。

 神子を助けたってことで神殿にいるのかとも思ったけれど。

「食うだけ呪いを食ったら、することがなくなってな。で、外に出たいと言ったら、檻に閉じ込められた」

 話を詳しく聞けば、神子や騎士たちの呪いは解け、皆、無事に目覚めたのだという。

 本当に蛇と口づけを交わしたのか―――聞いてみたいとは思ったけれど、知らないふりをするのが、いいのだろうか。

 蛇は言いたそうだけれど、やっぱり、口づけされた相手が蛇って、複雑だ。神子の立場だったら、あまり他人に言ってほしくはない。騎士や神官達だってそうだろう。

 公式には『精霊』だけど、見た目はどうやったって、ただの蛇だしね。

「檻自体は簡単に抜けだせそうだったんだが、状況がいまひとつわからないからな。しばらく様子を見つつ、召喚したやつに会いたいって思っていたんだが」

 最近になって、周りの様子がおかしくなってきたという。

「神子は蛇嫌いでな。俺がいるのが気持ち悪いらしい」

 助けてもらったことは感謝しているが、やはり怖いのだと言われたのだそうだ。かといって、元の世界に返すこともできない。

 見た目は蛇だ。だが、実際は異世界の生き物。何か機嫌を損ねれば、害されるかもしれない。

 そんな不安があるせいか、神子だけではなく、神殿に住む神官たちも、彼の世話はおっかなびっくりな様子なのだという。

 だからといって、簡単には外には出せない。理由は私と同じだ。他国に利用されるのは良しとしないということ。

「俺は呪いを食わないと、餓死してしまう。ほら、こんなに痩せただろう?」

 そう言われたが、私にはわからない。なんとなく、鱗に艶がなくなっているような気もするけれど、一度しか見ていないのだ。

「で、この国の権力者って奴に直談判しようと思ってな。いろいろ内情を探っているうちに、あんたの状態を聞いた。王直属の魔法師団所属ということになってはいるが、要するにうまいこと丸め込まれ、権力者に囲い込まれたってことだろう」

 確かに、私は王宮の中に一室を与えられている。所属も、蛇の言うように魔術師団だ。だが、実際にそこで仕事をしているわけではなく、陛下から何か命令されるわけでもない。

 ただ、こうやって部屋で勉強したり、新しい魔法を研究したりと、連盟にいたころとあまり代わりはない。たまにする仕事といえば、『世界を救った魔法使い』として、陛下とともに式典に出席したり、舞踏会や晩餐会に出たりするだけだ。せっかく一級魔法使いになったのに、全然意味がない。

「だから、その状況を変えてやるから、責任を取れ」

「責任!?」

「俺を召喚したのは、あんただ。それだけでも、理由は十分だろう」

「確かに実行したのは私だけど、命令したのは陛下だし! ただの魔法使いが逆らえる立場じゃないんだってば」

「だから、もちろん、陛下とやらにも責任はとってもらう」

 蛇がにやりと笑った。

 正確には、唇の端から赤い下をちょろりと出して、目を細めただけなんだけれど、妙に人間くさい笑顔に見えたのだ。

「だが、おまえが召喚に成功しなければ、俺はここにはいなかっただろう?」

「確かにそうだけど。そうなんだけど」

「俺はあちらの世界では、のんびりと適当に、ぐだぐだと好き勝手に生活していたんだ。誰かに何かを強要されることも命令されることもなかった。そんな平凡で普通の俺を勝手に呼び出してこの仕打ち。かわいそうだとは思わないか」

「ご、ごめんなさい。たしかにそうだよね」

 言い返す言葉が見つからない。

 考えてみれば、当然のことだ。蛇には蛇の生活があっただろう。あっちの世界の生態系は一切わからないが、友人だっていただろう。

 同族もいないこんな場所で、たった一人―――じゃなくて一匹でこの世界で生きていくのは、大変なことに違いない。

 うなだれていると、さらに蛇の声が続いた。

「しかも、神殿では危険物扱いだ。餌も碌に与えられず、お腹も空いている」

「呪い以外のものは食べられないの?」

 『蛇』が、この世界の蛇と同じならば、似たようなもので栄養摂取できないんだろうか。

「そうだな」

 蛇は持ち上げていた首を傾げた。まったくもって蛇らしくない行動だけれど、何故か違和感がない。

「呪い以外だと、怨霊とかもおいしい」

「おんりょう?」

「ん? 怨霊を知らないのか? そうだな、幽霊はわかるか」

 私が頷くと、簡単に言えば、怨霊とは恨みを持った幽霊のことだと言われた。

「つまり、魔物のこと? 恨みを持って死ぬと、人は魔物になることがあるから」

「……違う、と思う。実態があるものは食べられない」

 がくりと蛇の首が落ちた。

「ああ、やはり、俺は餓死するしかないのか。こんな知らない世界で」

 くたくたと蛇の体から力が抜け、まるで紐そのものみたいに動かなくなった。

 その仕草があまりにも悲しそうで―――つい同情してしまう。こっちの都合で召喚したって罪悪感もあったのかもしれない。

「わかった、わかったよ。出来るだけ協力するから」

「本当だな」

 ほんの少しだけ、蛇の頭が動いた。

「本当だってば。といっても、この状態で出来ることがあるかどうかわからないけど」

「よし、約束したな」

 嬉しそうに蛇は頭を持ち上げた。その目が一瞬細められ、きらりと光った。

「約束したからには、お前の状態もなんとかしてやるよ」

 ……気のせいか、うまく丸め込まれた気がするんだけど。

 だって、さっきまでの力のなさが嘘みたいに、元気だし。

「さて、次は国王だな。どうやって落とし前をつけてやろうか」

 物騒な言葉を吐きながら、蛇が鱗をうねらせながら、寝台の下へ這っていく。

「楽しみに待っていろ」

 そう言い残して、気配がなくなった。寝台の下を覗いてみたけれど、すでにそこには蛇はいない。

 どうやって入ってきたんだろう。

 疑問に思ったけれど、追求しようにも、蛇の姿は跡形もない。

 いったい自分はどうなるのか。

 不安な気持ちのまま、その日は終わってしまった。



 次の日、王様に呼び出された私は、蛇の世話係を任命された。

 いったい、何を言ったんだ、蛇。えらく王様が怯えているんだけれど。

「そなたは、その『精霊』殿とともに、呪いが現れればそこへ行き、その呪いを解くために尽力せよ」

 要するに、蛇の体では遠くへはいけないし、いきなり現れても気持ち悪がられるだけだから、ついていって、うまいことやれ、と。そういうことなのだろう。

 私が嫌々ながらも頭をさげると、王様はほっとしたように息を吐いた。

「そなたは、私直属の部下ということになっておる。呪いのある場所へ行く時は、なるべく融通が利くようにしよう」

 だから、さっさとその蛇を連れて出ていってくれ。そう言っているように聞こえるんだけれど。本当に、何言ったんだか。

 陛下の座る玉座の横に置かれた椅子の上に、ちょこんと乗っていた蛇が頭を上げて、ちろちろと舌を出す。笑っているのか、おもしろがっているのか、どちらにも取れる仕草だ。

「これから、よろしくな。魔法使い殿」

 蛇は楽しそうにそう言うと、そのまま、陛下と私を順番に見て、椅子から滑り降りた。

「それでは、後のことはお前に任せる」

 陛下は、どこか投げやりに言うと、側にいた宰相が、私に退出するように合図した。

 意気揚々と私に近づき、遠慮なく肩まで昇ってきた蛇とともに、私は謁見の間を後にする。

 その後、私は王宮内に別の部屋を与えられた。前よりは狭いが、静かで人があまり来ないような場所だ。侍女も監視の兵士も最低限で、妙なことさえしなければ、こちらに干渉してこない。完全に自由というわけではないが、そこそこ好きなことは出来るということなのだろう。

 蛇は、当然のごとく、そこへ一緒にやってきた。

 蛇と共同生活しろと?

 そう文句を言うと、蛇のくせに、窓際でぐだーっと紐みたいに伸びていた体をわずかに動かし、俺の世話係なのだから当然だと答えた。

 とりあえず諦めるしかないということか。

 呼び出した上に、約束したんだから、面倒を見るしかないのだろう。

 なんだか、いろいろと納得いかないけれど、少なくとも自由が得られるのなばら、我慢するしかない。

「とりあえず、名前を教えてよ」

 私が尋ねると、蛇は頭を上げてこちらを見た。まずは名乗りあうのが普通だろう。蛇に普通が通じるかわからないけれど。

「俺の名前か。そういえば、言っていなかったな。俺は―――」

 聞いたことのない響きの言葉に、私はうなずく。


 こうして、私たちの長いつきあいは始まったのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ