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炎上したワートハイマー邸。天国へと帰るエステルの魂……。
第30話 真相
 § 30 真相

 館は全焼した。
 焼け跡から見つかったのは、バルディ家の人々の黒焦げの死体、そして炭の塊と化した、もとエステルだったイキモノの残骸―――
 そして、あのおぞましい妄執に憑かれた老婆の死骸も発見された。
 そして意外なことに―――火屋野ほやのさんは無事だった。
 警察の取調べを受け、火屋野さんはあの老婆の正体について語った。
「あれは私の母方の曽祖母、火屋野珠子(たまこ)です―――」
 それで私は納得した。
 あれはリサの言っていたひいおばあちゃん。一九一八年生まれ、一〇一歳になるという、在りし日のワートハイマー家を知る数少ない人物―――
 そう、エステルが手紙を出したという“Sheenaおばあちゃん”の古い知人―――それは火屋野珠子のことだったのだ。
 珠子は確かにリサに言っていた。
 しいなちゃんが帰ってくるから草刈りをしておかないと……
 ああ、だからあの晩も軍手に鎌といういでたちでバルディ邸に姿をあらわしたのだ。
 結局、バティスタは珠子に襲われたショックでエステルの死体に火をつけた。そう考えると、焼け死んだバルディ家の家族はみな、珠子によって殺されたようなものなのだ。
 もしかしたら、珠子は館のことを知っていたのではないだろうか?
 だからワートハイマー邸―――しいなちゃんのおうちを横取りしたバティスタに襲いかかったのだ。
 バティスタがどういう手段でこの館を取得したのか、それはわからない。
 妄執に取り憑かれた珠子にとって、それはどうでもいいことだったのかも知れない。
 珠子はしいなちゃんのおうちを守りたかっただけ―――ただそれだけだったのだ。
「私も幼い頃、曽祖母に連れられてよくこの家に遊びに来たものです」
 事件の後―――火屋野さんは全てを私に話してくれた。
「私はこの家が好きでした。いとこ従姉のサユリがバティスタ氏と結婚し、この館が彼のものになった時、私はサユリに頼み込んでバルディ家の執事に雇ってもらいました」
 ああ、そうだったのだ。
 火屋野勇人―――この人もまたしいなちゃんのおうちを愛していた……
「しかし、今やワートハイマー邸は失われました。この館が焼け落ちた今、私はバルディ家になどもう何の未練もないのです。何の未練も……」
 火屋野勇人は寂しそうに呟いた。
 そう、彼が愛していたのはサユリでもガブリエッラでも、ましてやマリーアでもなかった。
 この家―――彼が愛していたのはこの家だったのだ。
「でも火屋野さん、あなたはガブリエッラさんの……」
 私は意を決して訊いた。あの“スザンナ”の絵の秘密を―――
「違いますよ、神野先生」彼は静かに笑った。
「あの絵に描かれている大天使ガブリエル―――あれは私などではありません」
 ガブリエルは火屋野勇人ではなかった―――彼はガブリエッラの父親ではなかった?
「ガブリエルは確かに“神の勇士”です。ですが同時にヘブライ語で“神の人”“神のうちにわが力はあり”といった意味にも解せるのです」
「では……じゃあ、あのガブリエルは誰のことを?」
「バティスタ氏ですよ」火屋野さんは言った。
「ガブリエルに込められた本当の意味―――それは、ガブリエルのもつもう一つの意味“聖なる夫”―――サユリにとってのバティスタ氏です。私は、生前、サユリ本人から直にそう聞きました。間違いありません」
 そうだったのだ……
 やはりサユリは夫を裏切ってなどいなかった。
 だが、それが果たして救いと言えるのかどうなのか。今となってはむしろ残酷な事実―――
「そう、エステルさんですが―――」彼は思い出したように言った。
「前にリサの家で古いアルバムを見たことがあります。少女時代の曽祖母の写真を収めたものです。そこに珠子と一緒に写る、エステルさんによく似た外国人の女の子の写真があったのを覚えています。かわいい―――そう天使のような女の子でした」
 そう言い残して、火屋野勇人は私たちの前から姿を消した。
 
 これがバルディ邸にまつわる奇妙な物語の全て―――私が体験した一夜の恋の全て。
 全ては夢のように過ぎ去ってしまった……
 豪華な洋館も、美しい美術品も、華やかな暮らしも……
 私は全てを失ってしまった。

「みらのさん―――」
 私に呼びかける茶谷くんの声。
「お腹へってるでしょ? これ、食べなよ」
 彼が差し出したのは―――そう例の梅干のお菓子。
「強情張らないで食べてみなよ。おいしいよ、これ」
 茶谷くんはそれを強引に私の手に握らせた。
 放心状態の私は、言われるがままに、それを口の中へと放り込んだ。
「すっ、すっぱい!」
 私は思わず涙を浮かべて飛び上がった。
 ああ、なんか頭にきた。
 なによ、こんなもの食べさせて!
 私は思い切り茶谷くんの腕を叩いてやった。
 彼はその場に倒れみ、うめき声をあげて苦しんでいた。
「帰りましょ、茶谷くん」
 私はのたうちまわる彼をそのままに、東京へと向けて帰途の一歩を踏み出した。 
 あー、すっきりした。
 やっぱりこういう時は暴力に限るわね、ストレス解消。
 そう思いながら背伸びをしたその瞬間―――あっ!
 私はとんでもないことに気づいた。

 私……茶谷くんに裸見られちゃったんだったっけ!

 そう、あの炎の中―――私ははだけた胸もあらわに、放心状態で震えていた。
 ひどい、あいつ、私の裸を見たくせにあやまりもしないなんて!
 私は思わず茶谷くんを振り返った。

 どーしよう! どーしよう、私!

 私は、一人で赤くなったり青くなったりしながら、ブツクサ呟いていた。
 そんな私を、茶谷くんは不審者でも見るような目で、胡散臭そうに見つめていた。

                                第30話 終
すべてを破滅させた老婆、そして火屋野勇人―――さようなら、エステルのおうち。
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