エステルをぶってしまった、みらの。その動揺を静めるかのようにシャワーを浴びて……
第28話 ヨシュア
§ 28 ヨシュア
私は、生まれたままの姿でバスルームに立っていた。
熱く火照ったカラダ身体をクールダウンするように―――冷たいシャワーを頭から浴びた。
何なのだろう、この思い―――私は自分自身を抱きしめた。
今、バルディ家はとんでもない事態に巻き込まれている。なのに、私の身体はなおさら余計に燃え上がる―――
そう、私は罪深い女。こんな時だというのに、自分の欲望を抑えることができずにいる。
きっとどうにかなる―――私は楽天的に考えていた。
エステルだってまさか本気じゃないだろう。第一、あのバティスタ氏が子供の言葉を真に受けるとは思えない。きっと一時的に驚いているだけ―――私は、全身を指でくまなく洗い清めながら考えていた。
しかし、なんと奇妙な巡り合わせなのだろう。
あのエステルが、ベンジャミン・ワートハイマーの子孫だったなんて。しかも、ワートハイマー家のドロドロの愛憎劇をなぞるかのような、バルディ家の運命―――
もしかして、エステルは、全てを知った上で今回の計画を思いついたのかもしれない。きっと、過去のワートハイマー家の悲劇を参考にしながら、この疑惑の姦通劇を演出したのにちがいない。
そう、全ては狂言―――ガブリエッラが火屋野勇人とサユリの娘だという証拠など、どこにもないのだから。
ただ―――ガブリエッラの純和風の面差し。それが私の心を苦しめる。
あれはまぎれもなく、純粋な日本人のそれ。それだけが私の胸にひっかかって離れなかった。
もう、よそう。
全てはたちの悪い冗談。
ラジオもモナリザも誓子もSheena も……類似の観念が全て語呂合わせ的に連結された空想の産物―――
もしかして、エステルには空想虚言の気があるのではないだろうか?
機嫌よく話しているかと思えば、突然黙り込んだり、高邁な学識を披瀝するかと思えば、軽薄で浮ついた台詞を口にしてみたり……
まるで、自分で自分のウソを信じこんでいる、欲求不満な思春期の少女―――
そうだ、きっとそうなのだ―――私は声に出して呟いた。
エステルは虚言癖をもった、ただのかわいそうな十二歳の子供。
今の彼女に必要なのは心からの安心感なのだ。
誰かが彼女のことを受け入れてあげなければ……
そんなことを思いながら、私は身体の向きを変えた。
「ヒッ」
その瞬間、私は大股を広げたまま浴室の床に尻もちをついた。
「あっ……あっ……ああっ……」
私は、前を隠すのも忘れて浴槽へと後退った。
そんな私の前に立っていたのは一人の男の子―――ヨシュア・バルディだった。
「ヨ……ヨシュアくん?」
私はようやく正気に戻って言った。
「あなた……あなた、いつからそこに立っていたの!」
全身ずぶ濡れのまま立ち尽くしているヨシュアに向かって、私は震える声で訊いた。
「みらのー」
ヨシュアは泣き出しそうな声で私の名前を呼んだ。
どうしたのだろう?
もしかして、無断で私の浴室に入り込んでしまったことを、咎められるとでも思っているのだろうか?
「ど、どうしたの、ヨシュア君? そんな、泣かなくてもいいから……」
私は彼の上着の袖をつかみながら訊いた。その時だった。
「おまえなんか死んじゃえ、みらのーっ!」
私を突き飛ばそうとするヨシュアの腕。
押された私は、浴槽の角にしたたか頭を打ちつけた。
なぜ……なんで私がヨシュア君から突き飛ばされなければならないの?
「おまえたちはウソつきだ! ガブリエッラお姉ちゃんの悪口を言いやがって……おまえなんか、おまえなんか……!」
ヨシュアは、ものすごい力で私の両肩を押さえつけた。
「まって……まって、ヨシュア君……!」私は足をバタつかせて抵抗した。
ガブリエッラの悪口? 私は何も言ってない!
お願い、信じてヨシュア君……!
「お姉ちゃんは火屋野なんかの子供じゃない! お姉ちゃんは……お姉ちゃんは……!」
ああ、この子は聞いてしまったんだ―――私は全てを悟った。
彼がどこでこの話を知ったのか、それはわからない。
私がエステルと話しているのを聞いてしまったのか、それとも、エステルがバティスタ氏を脅迫した時だろうか―――
とにかく、彼は全てが私のせいだと思い込んでいる。
「おまえなんか……おまえなんか嫌いだ、みらの!」
ヨシュアは涙声で叫んでいた。
「おまえは僕のママなんかじゃない! ママなんかじゃ……」
おまえなんかママじゃない―――ヨシュアのその言葉が、私の心をグサリとえぐった。
もしかしたらバティスタ氏は、私とのことをヨシュアに話したのかも知れない。
ヨシュア、もしパパがあの人と再婚するとしたら―――ヨシュアは新しいママが嫌いか?
ああ、ヨシュアの心の中にはまだサユリさんがいるんだ。
そして、サユリさんに瓜二つの姉ガブリエッラのことを―――
ヨシュアはガブリエッラのことを愛している!
「やめて……やめて、ヨシュア君!」
ヨシュアの力は、小学生のそれとは思えないほどの強さだった。それは、彼のガブリエッラへの愛の強さを如実に物語っていた。
まるで、百年前のジョシュとSheenaのように……
片親の血でつながった姉弟が、結ばれることのない愛に向かって狂い咲く―――
ああ、悪夢! これは悪夢だ!
私は渾身の力でヨシュアを払いのけた。彼は壁に打ちつけられてグッタリとなった。
「いたい……いたいよ、みらの……」
何かうめいているようだが、私の知ったことではない。
別に頭を打ったわけでもなさそうだし、ダメージならこっちのほうが重傷だ。
それよりも、今のうちに一刻も早くこの場から逃れないと!
私は素っ裸のまま浴室から飛び出した。何か……何か身にまとうものは……
私はバスローブを手につかむと、パンツもはかず、ブラもつけずに、それを濡れた裸身にまきつけた。
そして、その足で自分の部屋を飛び出した。
向かった先はあの子―――エステルの部屋。
私は不安だった。
もしかして、エステルは殺されているかもしれない。
姉への愛に狂ったヨシュアが、まず最初に狙うのは、力の弱い十二歳のエステル―――
それは確実のように思われた。
「エステル!」
私は思い切って彼女の部屋に飛び込んだ。
だが―――そこに彼女の姿はなかった。
私は部屋を見回した。すると、机の上にちょこんと置かれたかわいらしい封筒が―――宛先は「神野みらの様」! これは私宛ての手紙?
私は封を切って中身を改めた。
そこにはぎこちない筆跡で、次のようにつづられていた。
大好きなミラノへ
ミラノ、いろいろと迷惑をかけてごめんなさい。
私、バティスタさんにあやまってきます。
ミラノはバティスタさんのことが好きなんでしょう?
だから私、バティスタさんのことを許してあげることに決めました。
でも私、このおうちでミラノと一緒に暮らしたかった。
このおうちは、シーナおばあちゃんのパパが建てたもの。
でも、もういいの。
このおうち、あなたにあげる。
バティスタさんと二人で楽しく暮らすミラノの顔が、私には見えるの。
ああ、なんだかもう疲れちゃった。
私、ママのところへ行きます。
今まで一緒に遊んでくれてありがとう。
さようなら
「いやああああ!」
私はあの子の手紙を抱きしめた。
いやだ……死んじゃやだ、エステル!
私、バティスタ氏にお願いするから!
あなたも一緒に暮らせるように、彼にお願いしてみるから、だから……!
私は手紙を胸に抱いたまま走った。
エステルを……エステルを助けて、バティスタさん―――!
私は心の中でそう叫び続けていた。
第28話 終
シスコンのヨシュアが狂気の攻撃に……そして、遺書を残して消えたエステルの運命は? 次回、涙の結末……!
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