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明らかになる“しいなちゃん”の正体……。そしてエステルの真の目的とは?
第26話 善哉
 § 26 善哉よしや

 その日の夕食―――バティスタ氏はいつになく言葉少なだった。
 あの社交好きな彼がどうして……。私は胸の不安を抑えることができなかった。
 そしてもう一人―――エステル。
 エステル―――私はあの子に訊かなければならないことが山ほどある。そう、あの子がこの洋館にいるのはただの偶然ではない。何か……何か目的があってのことなのだ。
 それが何なのか―――私はすでに気づき始めている。
 エステルは確かに言った。バティスタ氏に向かって、自分の目的をハッキリと宣告していた。ただ、私たちがそれに気がつかなかっただけのこと……
 いずれにしても―――私はエステルの口から直に真実を聞き出すつもりでいた。
 夕食後、私は真っ先にエステルの部屋へと向かった。薄暗い廊下を歩きながら、私は胸に様々な思いをめぐらせていた。
 エステルが私に同行することになったのは、単なる偶然からではない。あの子は、私がガブリエッラ・バルディから招待を受けたことを知り、それで私と行動を共にするよう仕組んだのだ。
 そう、彼女の狙いは私ではない―――バルディ家なのだ。
 今や、彼女は敵の本丸に飛び込んだ。そして何事かを企んでいる……
 私は大きく深呼吸して顔をあげた。
 私はエステルの部屋に辿り着くと、ドアを三回ノックした。
 エステル、入るわよ―――
 私は返事を待たずにノブを引いた。
 突然の来訪に、驚きの目をパチクリとさせるエステル―――
「あの、エステル……ちょっとお話があるの」
 エステルは頷いた。あれからずっと部屋にこもっていたようだ。
 タンクトップ一枚のラフな格好で、あの子は一生懸命に何かを折っていた。それは……折り鶴?
 なんだかムチャクチャな折り方……私はエステルの手からそれを取り上げると、きちんとした折り方を見せてあげた。そしてお尻から息を吹き込むと―――
「わあー、すごい!」
 エステルは目を輝かせて喜んでいた。こんなものでも外国の子の目にはものめずらしいものなのね……
 私は何か微笑ましいものを感じ、思わず頬を緩ませた。
 私は改めてエステルの全身を見つめた。
 スラリと伸びたしなやかな肢体、均整のとれた見事なスタイル、そして凛々しく賢そうな面差し―――その芸術品のようなカラダをタンクトップ一枚につつみ、惜しげもなく私の目にさらしていた。
「どう、ミラノ」エステルは見せつけるかのように言った。
「私、向こうではモデルなんかもやっていたのよ? これでもけっこう人気があったんだから。自分の学費だってそれで稼いでいたの」
 エステルはクルリと回って言った。
 その天使のような姿……私は見とれていた。
「でもミラノだって十分にかわいいわ。日本のひとってみんな子供みたいな顔立ちだから。むこうでなら十八歳と言っても通用するわ」
 エステルは無邪気に微笑んだ。
 でも―――私は訊かなければならない。
 エステルの正体を、そして例の言葉「しいなちゃん」との関わりを……
「ねえ、ちょっといいかしら、エステル」
 私は彼女の向かいに座って言った。
「教えてほしいの」
 エステルは、折り鶴をお手玉のように撥ね上げて遊んでいた。
「私の話を聞いて、エステル。もういいでしょう? そろそろ本当のことを話してくれたって―――」
 私は真正面からエステルの顔を見つめた。
「あなたはエステル・アシュケナージなんかじゃない。本当の名前はワートハイマー―――エステル・ワートハイマーなのよ」
 エステルの動きが止まった。彼女は掌の上の折り鶴を見ながら言った。
「ワートハイマーはレベッカおばあちゃんの母方……つまりSheenaおばあちゃんの旧姓よ。私はアシュケナージ。エステル・アシュケナージなの」
「あなたは最初から全部知っていたのね」私はなじるように言った。
「しいなちゃんのことも誓子さんのことも……もしかしたらあの七人ミサキのことも」
「うん、ミラノ」エステルは悪びれずに言った。
 そう、“しいなちゃん”の秘密。
 火屋野さんは確かに言った。

 その名前でしたら、蛇ヶ谷からの車の中で、むしろ、あなたとエステルさんが何度も口にされていたのではなかったでしょうか―――

 そう、その言葉に間違いはなかった。私たちは確かに知っていた。
 しいなちゃん、それはSheenaシーナ Askhkenazyアシュケナージ―――Sheenaシーナ おばあちゃんのことを意味していたのだ……!
 エステルは口を尖らせながら続けた。
「でも私、何も隠してなんかないもん。思い出してみて……私の家族のこと 」
 彼女は、黄色く変色した一枚の写真を差し出した。
 そこに写っていたのは一組の家族の写真。
 その中央でほほえむ黒いシルクハットの老紳士……ワートハイマー氏?
 これは、もしかしてワートハイマー家の写真?
 エステルの家族のこと……私はおぼろげな記憶を辿り始めた。確か……

  Sheena おばあちゃんの父が“ベンジャミン”、母が“ベツィ”、それに“Sheena” の娘が“レベッカ”で……あとは亡くなったエステルのご両親、それからエステルを引き取ったという伯父さん夫婦……
 
 ああ、確かにそうだ。
 “ベンジャミン“はユダヤ系アメリカ人の貿易商ベンジャミン・ワートハイマー氏のこと。バティスタ氏が私に教えてくれたことと一致する。そしてその妻は“リザ”夫人……日本では「誓子」と呼ばれていた女性。その一人娘が“ジェーン”。
 いや、おかしい。
 “ベンジャミン”の妻は“リザ”、娘は“ジェーン”。
 エステルが言う“ベツィ”や“Sheena”という名の女性は、ワートハイマー家には存在しない!
 これは明らかな矛盾―――私はエステルにそのことを指摘した。
「ちがわないよ、ミラノ」
 エステルは私の顔を横から見上げながら言った。
「日本人のミラノにはわからないかもしれないけど」
 彼女はそう前置きしてから言った。
LisaリザBethベスElizaイライザも……そしてBetsyベツィも。これって、みんなElizabethエリザベスから派生した名前なの。Sheenaシーナだって同じよ。JaneジェーンJeanジーンJanetジャネットSheenaシーナ……すべてヨハネ―――ヘブライ語の“イェホーハーナーン”に由来しているの。意味は“ヤハウェは慈しみ深い”―――」
 私は愕然となった。
 エステルの言う通りだ。
 あの子は何も隠してなんかいない。
 全ては最初から明らかにされていた……
 ベツィ=リザ、Sheena=ジェーン……
 ピエロ・ディ・コジモのあの絵に描かれたエリザベス。あれはSheena(=ヨハネ)を身ごもったベツィ(=エリザベス)を意味していたのだ。
 そして残る謎は、そのとなりに描かれたマリア―――切り裂かれた聖母。
「これ、ミラノには特別に見せてあげるね」
 私の注意を惹こうとするエステルの言葉―――私はハッと我に帰った。
 エステルが取り出したのは一冊の日記帳。それは戦前の日本で作られたものだった。
「これは、Sheenaおばあちゃんが子供の頃につけていた日記帳なの」
 エステルは、大事そうに抱えたそれを膝の上に置くと、おもむろにページをめくり始めた。
「ここよ、ミラノ。読んでみて―――」
 言われるがままに、私はエステルの指の指し示すあたりを目で追った。そこには次のような文章がつづられていた。その涙で滲んだインクのあと……

 Josh and Mary were killed in a landslide last evening.
(昨夜、ジョシュとメアリーが土砂くずれに巻き込まれて死んだ)

 ジョシュ、そしてメアリー―――日付は一九二五年の四月二十九日。

 これってまさか!

 私は知っている。
 その日に死んだ二人……そう、日露交歓交響管弦楽大演奏会の最終日、母親の危篤を聞いて駆けつけようとしたワートハイマー氏の愛人とその息子―――
 メアリーって……帰省途中の事故で亡くなった鞠子マリコさんのこと?
「ねえ、これを見て、ミラノ」エステルが私の袖を引く。
 彼女はノートパソコンを開いていた。そこには、あの夜、彼女が撮影した七人ミサキのデジカメ画像が、画面いっぱいに映し出されていた。
 石像の側面に刻まれていた文字……私は食い入るようにそれを見つめた。
 大正十四年―――マリ、そして善哉よしや
 大正十四年……これはもしかして一九二五年に当たるのではないだろうか?
 そして日記にあった四月二十九日の日付―――それは私たちがあの七体の石像と遭遇した、あの晩の日付と一致する!
 だとすると―――全ては最初からつながっていたということになる。
 “マリ”と“善哉”。もう一度二人の名前を考えてみよう。 
 まず“マリ”……これはもしかして“マリコ”なのではないだろうか? 最後の一文字は磨耗してしまったのか、それともうまく映らなかったものか……。
 マリ……日本語では単なる球形の玩具「鞠」のこと。だが、マリとかマリーというのは、英語で言えばメリーやメアリー―――つまりアリアを指す名前なのだ。
 マリア―――それはワートハイマー家での鞠子の愛称だった?
 そして“善哉”―――まちがいない、彼は鞠子が生んだワートハイマー氏の息子。
 だが、どうして“善哉”なのだ?
 彼の名は“ジョシュ”。母親が日本人(鞠子)だったとはいえ、それがどうして“善哉”という日本の名前で呼ばれるようになったのか?
「イェホーシューア・ベン・ミルヤーム―――誰のことかわかる?」
 エステルは画面を見つめながら呟いた。私は黙ったまま首を横に振った。
「イェホーシューアはヨシュア、ミルヤームはミリアム。“ベン”というのは“〜の息子”の意味。ビン・ラディンの“ビン”と同じ。つまり、“ミリアムの息子のヨシュア”―――」
「わからないわ」私は正直に言った。
 ヨシュア……そう、この家の十二歳の長男もヨシュアという。その符合が薄気味わるい。
「ヨシュアはギリシア語でイエースース、ミリアムはマリアム……もうわかったでしょ?」
 マリアムの子、イエースース……マリアの子、イエス?
 あっ―――その瞬間、私はあの絵に込められた寓意を完全に理解した。
 あの絵の聖母マリアは鞠子のことを、そしてお腹のイエスはヨシュア、つまり善哉=ヨシヤのことを暗示していたのだ!
 ヨシュアを英語読みにすればJoshuaジョシュア、そしてその愛称は――― Joshジョシュ
 ああ、なんて残酷なんだろう。
 あの絵から読み解ける真実―――それはワートハイマー氏が、同時に二人の女性を孕ませたという事実―――
 妻ベツィ(リザ)と愛人鞠子(マリア)が同時に身ごもっていたなんて……
 ワートハイマー氏に悪意はなかったのかもしれない。二人の子供を純粋に祝福するために、あの絵を作らせただけだったのかもしれない。
 けれど、リザ夫人は気づいてしまった―――だから、あの絵の聖母―――マリアを切り裂いた。
 そう、夫の愛人への憎しみを込めて……
 だが、エステルもSheenaも、そのことまでは知らないのだと思う。
 鞠子はただの女中、そしてジョシュは、ワートハイマー氏とは血のつながりをもたな養子―――そう思ったからこそ、Sheenaはジョシュと愛し合うことができたのだ。
 リザ夫人がいつ真実を知ったのか、それはわからない。だが、彼女は夫の不倫について確証を得ていた―――だから絵を切り裂いた。
 けれど、まだ小学生だった娘のSheenaには事情が理解できなかった。いや、もしかしたら気づいていたのかもしれない。
 だが彼女は、懸命にそれを否定しようとした―――
「蛇ヶ谷の七つの石像―――最後に建てられた二体は鞠子さんと善哉くん……ジョシュのためのものだったのね」
 私は確かめるようにエステルの顔を見た。
「うん」彼女は穏やかな顔で頷いた。
「ジョシュとSheenaおばあちゃんは愛し合っていたの。あの日の事故で二人は引き裂かれてしまったけれど―――」
 ちがう……ちがうのよ、エステル―――
 私は思わず顔を伏せた。
 二人はもともと結ばれてはいけなかったんだ。
 だって二人は腹違いの兄妹、父親は一緒なの……
「でもミラノ」エステルは続けた。
「あなたのおかげで二人の愛を確かめることができたわ。モナリザの後ろのメッセージ……あなたの推理は当たっていたのよ」
 ああ、やっぱりエステルは知らないんだ。
 鞠子がワートハイマー氏の愛人で、ジョシュとSheenaが異母兄妹だということを……。
 私はそれをワートハイマー氏の日記から知った。
 ジョシュは十二歳で死んだ。おそらく Sheenaも同い年。
 ピエロ・ディ・コジモの『聖母マリアのエリザベス訪問』―――あの絵のマリアとエリザベスは二人同時に妊娠していた。これは民俗学でいう“相孕あいはらみ”という現象に当たる。
 かつて相孕みはひどく忌み嫌われた。
 同時期に身ごもった子供同士は、互いに強い影響関係にあると考えられ、一方が他方の生命力を弱めてしまうと考えられたからだ。
 そして事実―――Sheenaは生き残り、ジョシュは死んでしまった。
 七人ミサキの七人目の犠牲者として―――
 しかし、これで七人ミサキの呪いは完結した。皮肉なことだが、今の私たちがあの石像を恐れる理由などどこにもないのだ。
 だが―――私には何か割り切れないものがあった。
 あの場所でエステルが襲われた奇妙な耳鳴り。
 私は耳鐘みみしょう―――同い年の者が死ぬと鳴るという、死を招く耳鳴りを連想した。
 エステルは言った。
 
 七地蔵は私を迎えにきたの―――

 そうかもしれない。
 エステルは死んだSheenaに瓜二つといわれている。
 そう、エステルを迎えにきたのは善哉―――ジョシュ。
 ああ、あの時の愛はまだ続いているのだ。
 Sheena がジョシュを失ったのは十二歳のときだった。そしてエステルも―――彼女もことし十二歳を迎えたばかりなのだ。

 今にして思えば―――リサの母親は全てを知っていたのではないだろうか?
 そう、あの場所で鞠子と善哉が死んだことも、何もかも。
 リサの母親は例の曽祖母から何かを聞いていたのかもしれない。
 彼女は確かに言っていた。
 このあたりは昔は災害が多かった、色々とさみしいこともあった―――と。
 あれはこのことを言っていたのかもしれない。

「ねえ、ミラノ」
 エステルは私の両袖をつかまえて、物憂げな目で私の顔を見つめた。
「ミラノ、私に手を貸してほしいの」
 え―――衝撃的なエステルの言葉。
 
 いったい何を……何に協力しろというの、エステル? 

                                     第26話 終
終わったはずの七人ミサキの呪い、そしてジョシュの恋―――
そして、なぜか沈んでいたバティスタ氏の態度……どうして?
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