七人ミサキ、モナリザ、切り裂かれた聖母……。
およそ100年を経て甦るワートハイマー邸の秘密とは……?
第22話 ジョコンダ夫人の肖像
夕暮れ時―――私は図書室にいた。
そこで私は、バティスタ氏の愛蔵する美術全集を片っ端からひっくり返していた。
そう、“モナリザ”と“マリア”―――例の二枚の絵画について調べるために。
まずは、ピエロ・ディ・コジモの『聖母マリアのエリザベス訪問』―――
この絵については、すでにバティスタ氏から説明を受けている。
絵の中に出てくる二人の女性―――聖母マリアとエリザベス。
二人はともに聖なる子供を胎内に宿している。
マリアの子はイエス・キリスト、そしてエリザベスの子は洗礼者ヨハネ―――
そして、彼女たちに聖なる受胎を告知したのが、有名な大天使ガブリエルだ。
ちょっと待て―――私はそこで意外な事実に気がついた。
聖母マリアに大天使ガブリエル……
これってバルディ家の二人の姉妹、マリーアとガブリエッラの名前と一緒……?
奇妙な符合に、私の心は粟立った。
だとすると、あの絵はヤバイ。
なぜなら―――もうおわかりだろう。
マリーアを象徴する聖母マリアの全身がズダズダに引き裂かれている。
それは、マリーアの運命を予告しているかのように思われた。
でも待って、あの絵はバティスタ氏がこの館を手に入れる前からここにあったもの。
それがマリーアに関係しているとは思えない。
だけど……
どのみち、これ以上のことは何も言えない。
すべては憶測に過ぎない……。
私は、いさぎよくこの件をあきらめて、次の絵『モナリザ』について調べ始めた。
なにしろ、こちらは世界一の名画。探すのも容易だった。
私は早速にも『モナリザ』のページを開き、解説を目で追ってみた。
だが、意外にも―――私は一行目から不思議な記述に行き当たった。
それはこの絵のタイトルに関するものだった。
La Gioconda ――――
は? なにこれ?
これって“モナリザ”っていう絵じゃないの?
いきなり先制パンチをくらわされた私―――
モナリザ……私たちは普段この絵をそう呼んでいる。
でも、モナリザっていったい何語?
英語じゃないのは確かそうだけど……
それにしても、このラテン系のタイトルはどう読めばいいのだろうか。
とりあえずローマ字読みにしてみよう。
ダ・ヴィンチはイタリア人、イタリアの首都はローマなんだから。
とりあえず、ローマ字風に読んだままを、カナでノートに書き起こしてみる。
ラ……ギ……いや、これは「ジ」かしら? だとすると、ラジ……オ……
えっ――――私は思わず手にしたペンを落としかけた。
これって……これってまさか!
ノートの上に出現した文章―――それは私がずっと気にかけていた、例の言葉だった。
ラ・ジ・オ・コ・ン・ダ――――ラジオ、混んだ
これは一体なに?
こんなところに、どうしてあの言葉が?
私は総毛立つような身のおののきを抑えながら、文の続きを目で追った。
それによると―――この絵を“モナリザ”と呼ぶのは、日本やアメリカの習慣で、ヨーロッパではLa Gioconda ―――『ジョコンダ夫人の肖像』とするのが一般的なのだという。
これは、“モナリザ”のモデルとされる女性が、フィレンツェの富豪フランチェスコ・デ・バルトロメオ・ディ・ザノービ・デル・ジョコンドの妻だったことに由来する。
つまり、ジョコンドさんの妻―――ジョコンダ夫人。
イタリア語の関係で、“ジョコンド”は女性形の“ジョコンダ”になる。
なお、ジョコンダ夫人の名前はエリザベッタ・ゲラルディーニ。
つまり、“モナリザ”の“リザ”というのは“エリザベッタ”の愛称―――
エリザベッタ=リザ。なるほど、中の二文字をとって省略しているわけだ。
はっ―――
そこまで考えて、私はページをめくる手を止めた。
エリザベッタ……その名前、もしかして英語読みすれば……エリザベス!
だとすると……つながる!
やっぱりこの二枚の絵はつながっていたのだ!
モナリザ=エリザベス。
つまり、あの切り裂かれた聖母の絵に登場する、洗礼者ヨハネの母“エリザベス”は、モナリザと同じくLisaと呼ばれる人物を描いたものだったのだ。
Lisa―――そう、それはあのワートハイマー氏の妻。
だとすると、ピエロ・ディ・コジモの絵の中で、切り裂かれた聖母のとなりに描かれている“エリザベス”は、リザ・ワートハイマーを象徴していた―――
だとすると肝心の聖母は―――いったい誰なのだ?
そして、この家の長女マリーア・バルディが、奇しくも聖母の名をとって命名されたという偶然―――
いずれにしても、これでいくつかの謎が明らかになった。
もし、私に西洋の文化に対する一般的な理解があったなら、エリザベッタやエリザベートという名前が、英語でいうエリザベスにあたり、その愛称がリザやリサであるということも容易に想像できたに違いない。
私はずいぶんと遠回りした挙句、ようやくこの事実に到達した。
そして「ラジオ、混んだ」という言葉の真の意味、すなわち La Gioconda―――
それもまた、リザ・ワートハイマーという人物を暗示していた……。
果たして、私の推理は当たっているのだろうか?
ワートハイマー家をめぐる秘密は、今もまだ続いている―――そうなのだろうか?
その時だった。
ブーッ、ブーッ、ブブーッ ―――
薄暗い図書室に鳴り響くバイブの音……誰?
「もしもし―――」
『あ、神野先生ですか? 私です、火屋野リサです』
「あ、リサさん? どうもその節は―――」
私はうそ寒くなるのを覚えた。モナリザについて考えをめぐらせているところに、“リサ”からの電話……
『あの、先生。実は……ひいおばあちゃんが変なんです』
「変?」私はリサの言葉の意味を量りかねていた。
『また例のうわごとが始まったんです。それも何回も、何回も……』
リサは私に訴えかけるように言った。
「うわごとって……また例の“ラジオ……”のやつかしら? そのことなら……」
『いえ、今度のは少し違うんです』リサは言った。
『しいなちゃんが帰ってくる、しいなちゃんが帰ってくる―――こればっかりなんです』
私はゾッとした。
しいなちゃんが帰ってくるって……一体どこに?
『先生。私、何か不安なんです。いったい何なんですか、しいなちゃんって……』
「ねえ、リサさん」私はこらえきれずに訊いた。
「他に……他に何か言ってなかったの? ほら、しいなちゃんの家族のこととか、どこに住んでいただとか……」
『さあ、家族のことは……でも』
でも? でも何なのだ?
『しいなちゃんが来る前に草刈りをしなくちゃとか、たまには窓を開けて風を通さないと……とか、そんなことも言ってましたから……それって、しいなちゃんのおうちのことなのかしら』
「おうち?」私は言った。
「おうちって……どこの?」
『ええ。ひいおばあちゃん、元気だった頃は別荘の管理みたいな仕事をしていたんです。月に一度は草を刈ったり、窓を開けたり。なんでも古い知り合いのお宅みたいで……今じゃすっかりボケちゃって、そっちのほうはご無沙汰してるのだけど』
しいなちゃんのおうち……
それはひいおばあちゃんの古い知り合いの家?
『ひいおばあちゃんが動けなくなった後、あそこっていつのまにか村の土地になっちゃったみたいなんですよね。結局どうなってるのかなあ……うちの伯父さんならわかると思うんだけど』
「伯父さん? その伯父さんってどこに……」
『もう亡くなりました』
私の希望を断ち切るようなリサの言葉。
『でも―――』彼女は続けた。
『でも、勇人さんなら知っているかも』
「ユウト?」私は小さく呟いた。
『ええ、私の従兄なんです。つまり伯父さんの息子。もう三十五になるのかな。彼、お金持ちの秘書みたいな仕事をしているんです。勇人さんならたぶん―――』
「ちょっと待って」私はリサの言葉を遮った。
「もしかしてその人……大峯村の洋館の……」
『えっ、どうして知っているんですか、神野先生?』
リサは驚きをあらわにして言った。
そう―――私は知っている。
リサの言う“ユウトさん”。
火屋野勇人―――バルディ家の執事。
彼もまた、ここでの一連の出来事に関係していた―――?
私は、バルディ家でお世話になっていることをリサに伝え、事情を説明しようと試みた。だが、リサはそれどころではないようだった。
『じゃあ、詳しいことは勇人さんに聞いて下さい。うちのひいおばあちゃん、あそこのおうちが観光案内所になっちゃったこと、まだ知らないんです。知ったらショック受けちゃうだろうから―――それじゃあ、これで』
「あっ、ちょっと、リサさ……」
ガチャッ
切られてしまった……後ろで母親の声がしていたところからすると、長電話を咎められたに違いない。悪いことをしてしまった……。
それはともかく―――話を整理してみよう。
最後にリサが言った言葉―――
おうちが観光案内所になってしまった……
この洋館“バルディ邸”は、十三年前にバティスタ氏が蛇ヶ谷から移築したもの。
そう、私たちが一夜を過ごしたあの観光案内所は、その跡地に建てられたものなのだ。
そして、そもそもの洋館の持ち主―――それこそが、アメリカ人貿易商ワートハイマー氏。
だとすると、“椎名ちゃん”(※当て字)のおうちというのは、このバルディ邸?
そして、もとのワートハイマー邸を管理していたのが火屋野リサの曾祖母だとしたら……
リサの曾祖母は確か101歳。逆算すると1918年生まれ。
すると、日露交歓交響管弦楽大演奏会が開催され、ワートハイマー氏の愛人・鞠子が死んだ1925年当時、彼女は七歳だったことになる。
つまり、ワートハイマー一家と同じ時代を生きた、数少ない生き証人なのだ。
邸宅の管理を託されたことを考えると、よほど親密な交際があった人物だと考えてよい。
彼女なら知っているかも知れない。
“モナリザ”、“切り裂かれた聖母”、そしてワートハイマー家のその後の成り行きを……
会わねばならない。
私は、どうしてもこの人に真実を確かめなければならない。
私は、そう決意を固めた。
第22話 終
マリーアの未来を予言するかのような、聖母の傷。
不吉な予感をぬぐえない、みらの先生ですが……。
次回、バルデイ家の血液型に秘められた謎とは……
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