またまた場面は夜に……
でも、今宵はロマンチックな夢にひたってくださいね(^v^)
第18話 ワルプルギスの夜
4月30日午後九時―――私はひとりバルディ家の図書室にいた。
ちなみに茶谷くんは、ガブリエッラに誘われてビリヤードに挑戦中。
プッ、無理よ、茶谷くんには。
長女のマリーアは、火屋野さんに何事か話しかけていたようだったが、他にも仕事をかかえている火屋野さんは、足早にその場から立ち去っていった。
なんだかちょっとかわいそう、マリーアさん……。
これは私の想像だが――マリーアさんは火屋野さんのことが好きなのだ。
そういえばさっき、ヨシュア君がピアノ室に入っていくのを見たような気がする。
あの子、ピアノが弾けるんだ……ちょっと聴いてみたい気がする。
話を図書室のことに戻そう。
図書室は別荘の一階、森林に面した西南の一角にあった。入口の上方には洒落たブロンズの装飾が施された小窓、そしてその真横にはまん丸のレトロなデザインの洋風ランプ――それが私を夢の世界へといざなった。
内装も大正ロマン浪漫あふれる懐かしい造り。
白い漆喰の壁、板張りの床、そして部屋の中央には五つのランプからなる小ぶりな円形のシャンデリア――そのくすんだような淡い照明。
さて、部屋にはまるでどこかの図書館にあるような長方形のテーブルが三脚、十分なスペースを確保しながら設置されていた。
そして調べもののためのパソコン――インターネットにもつながっているとバティスタ氏は言っていた。
私はさっそく書架を覗いてみた。
バティスタ氏の趣味なのか、美術関係の書籍が特に目を引いた。
それも悪くない。私も美術には興味がある。あとで何冊か開いてみよう。
しばらく書架の間を行ったり来たりしていた私は、そこである興味深い資料に出くわした。
蛇滝村史
大峯村の隣村、ちょうど私たちが野宿した蛇ヶ谷を含む周辺――それが蛇滝村。
蛇ヶ谷から南西に進めば大峯村、南東に進めば蛇滝村の中心部に至る。
あの火屋野リサの家も蛇滝村にあるのだ。
私は『蛇滝村史』を手に取った。
小説に行き詰まったとき、私はよく郷土史料のたぐいを活用する。
地方に伝わる伝承は、いわばネタの宝庫。
それをヒントにして書いた作品も少なくない。
せっかく地方に来たのだから、ここでそれを読まない手はないだろう。
そんな軽い気持ちでパラパラとページをめくっていた私の目に、明らかに見覚えのある石造物の写真が飛び込んできた。
そう、それは例の七地蔵――そこには、こんなキャプションがつけられていた。
七人ミサキの石像群 蛇滝村大字蛇ヶ谷
七人ミサキの像?
なんなのだ、それは?
私はすぐさま説明文の続きを目で追った。
牛首峠の七基の石像物群。七人ミサキの供養仏と呼ばれる。五体は江戸時代のもの、二体は
横川区内の庚申講が発起して大正十四年に建立された。横川区蛇ヶ谷。
【交通】……高市駅発大峯口行バス四十五分。蛇ヶ谷下車徒歩七分。
これが説明の全てだった。
ハッキリ言ってよくわからない。
ともあれ、七体の石像は“七人ミサキ”と呼ばれているらしい。
なのに、どうして当初は五体しか作られなかったのだろうか?
そしてなぜ大正時代になってわざわざ二体が追加されたのか?
まずは“七人ミサキ”の正体から調べなくては……
そんなことを考えながら、私は次のページをめくった。
「あっ……!」
その瞬間、私は再度おどろきの写真を目の当たりにすることになった。
そこに載っていたのはそう――この洋館の写真。
蛇ヶ谷の大正期の洋館 蛇滝村大字蛇ヶ谷
一体なぜ? どうしてこの洋館の写真が蛇滝村の村史なんかに?
私は思わず自分自身に問いかけた。
あ、そうか――答えは簡単。
この建物は移築されたものだったのだ。
そういえばそうだ。アメリカ人貿易商の別荘をこの場所に移築したもの、それがここの建物なのだから……。
なるほど、この洋館はもとは蛇ヶ谷に建っていたのだ。
そういえばバティスタ氏は言っていた。洋館の跡地は村営の観光案内所になっていると……
だとすると―――それはあそこしかない。
私たちが一夜を明かしたあの休憩所――あそこがこの洋館のもともとの所在地だったのだ!
それは意外な事実だった。
七人ミサキとアメリカ人貿易商の洋館……両者には何か隠れたつながりがあるような気がする。
どうしよう、なんだか胸騒ぎがする。
私は壁の大時計に目をやった。時刻は九時二十分――今ならまだ大丈夫かもしれない。
私は携帯を取り出した。電話先はそう、あの先生――悪魔学者・飢野教授。
夜九時を回ってしまったけれど、別に迷惑じゃないわよね……
私は自分勝手にそう判断すると、意を決して飢野教授の番号を呼び出した。
トゥルルルル……
物音一つしない夜の図書室に、携帯の呼び出し音だけが反響する。
私には訊きたいことが山ほどあった。
つながらない電話、混みあったラジオ……そして七人ミサキ。
その大部分は何かの思い込みや勘違いだと思う。
しかし……
ガチャ
不意な物音に、私は思わず携帯を取りこぼした。
「失礼、驚かせてしまったようだね」
バティスタ氏――私は思わず胸をなでおろした。
彼は先ほどの約束通り、ティーセット一式を用意して、私のためにハーブティーをふるまってくれるのだという。
先ほどまでの不安とはうって変わって、私は早くもそのことに強い興味を抱き始めた。
私は、床に落ちた携帯を拾って通話を切ると、バティスタ氏が用意してくれた未知のハーブ類に見入った。
「ミス・ミラノ」バティスタ氏は囁くように言った。
「今日が何の日か知っていますか?」
「今日……ですか?」突然の質問に、私は戸惑いながらも考えた。
今日は四月三十日……明日からは五月。つまりメイ・イブ。
あ――そこで私は気がついた。
「四月三十日――ワルプルギスの夜……!」
「その通り」バティスタ氏は言った。
「今夜は“ワルプルギスの夜”――中世、魔女たちが夜会をくりひろげ、悪魔との交接にふけったとされる夜……」
バティスタ氏は数種類のハーブを取り出しながら言った。
「イタリアには今でも濃厚な魔術的風土が残存しています。あなたもご存知でしょう?『Aradia』 ――イギリスの人類学者マーガレット・A・マレーの学説にも影響を与えた『魔女たちの福音書』を」
アラディア――ディアナ女神の娘、そして地上で初めての魔女。
十九世紀末、民族学者チャールズ・ゴッドフリー・リーランドは、イタリアのトスカーナでマッダレーナと名乗る魔女に取材を試みた。
彼女の話にもとづいて一八九九年に書かれたのが『アラディア――魔女の福音書』。
二十世紀における魔女教の聖典『影の書――リベル・ウムブラルム』の成立にも多大な影響を与えた書物……
「リラックスして、ミス・ミラノ」
バティスタ氏が囁く。
「今からお出しするのは“魔女たちのハーブティー”――中世の魔女たちが使用したとされる様々な秘草を独自にブレンドした飲み物です」
「えっ……!」
驚きのあまり、全身を硬直させる私。
「おどろかないで、ミラノ」
彼は私の不安に気づき、それを気遣うように説明を始めた。
「君も知っているように、こんにち今日の魔女というものは、何も悪魔崇拝にふけるようなおぞましい存在ではないんだ。彼らはただ失われた太古の宗教に回帰しているだけなのだから」
「それは……」私はためらいがちに頷いた。
「だから何の心配もいらない。リラックスして一口だけでも飲んでほしい。思ったほどには悪くないと思うよ。数種類のハーブ、香辛料、そして隠し味としてニワトコの実から作ったワインを一滴――さあ、匂いをかいでみて」
バティスタ氏にうながされ、私はカップに鼻を近づけた。
ああ、いい匂い……
私はうっとりとなった。こんな神秘的な香りは初めてだった。
魔女の秘薬――確かに興味がある。
幼い頃、ハリー・ポッターが大好きだった私にとって“魔法の薬”は憧れのアイテムだった。
そういえば、いつか小説の後書きでそんなことをチラッと書いたような覚えがある。
ああ、そうか――私はようやく気がついた。
バティスタ氏はそのことを知っていたからこそ、こんなものを私に作ってくれたのだ。
まるで私の望むことを何でもかなえてくれるかのように――私にとっては、魔法そのもの。
彼はフィレンツェ生まれの甘いドルチェzuccottoを切り分けてくれた。丸いドーム状のケーキの中から、甘いクリームがあふれだす……
私たちはそれを片手に“魔女たちのハーブティー”で乾杯した。
私は恐る恐るカップに口をつけた。
慎重に熱を冷ましながら、最初の一滴をなめるようにすする……
おいしい! こんな風味は初めてだ!
私は思わずバティスタ氏の顔を見た。彼はやさしくほほえんでいた。
「これ、本当においしいです! 一体どうやって作ったんですか!」
マンドレークとかベラドンナとか……本当に魔女の秘草が入っているのだろうか?
ああ、なんだろう、この感覚……
そんなことを考えていたら、本当にその気になってしまったのだろうか?
身体がフワーッとして胸が苦しくなって……
「さあ、もっとリラックスして、ミラノ」
バティスタ氏が私の耳元で囁く。その甘い吐息が、微熱を帯びた私の全身を徐々にたかぶらせてゆく。
「あの……あの、私……」
「ミラノ」彼は唐突に私の手を握った。
「出会って初めての夜にこんなことを言うのもどうかと思うが――」
彼は私の目を見つめながら言った。
「おどろかないでほしい。私は君に恋をしてしまったようだ。君を一目見た時に私は思った。君の全てが欲しい――と」
「そんな……バティスタさん……」私はあえぐように言った。
身体中が熱く火照っている。
さっきのハーブティー……
そうか、あれは魔女たちの秘薬。
精神を解き放つための魔法の媚薬だったんだ……!
私は全身をかけめぐる甘美な刺激に耐えながら、かろうじて彼との距離を保っていた。
「ミラノ、君は素敵な女性だ」
「そんな……からかわないでください」
私は全身を真っ赤に染めながら、何度も首を横に振った。
「冗談で言うのではない」バティスタ氏は言った。
「君は飾らない女性だ。亡くなった私の妻もそんな女だった。その澄み切った瞳……まるで純真な子供のようだ」
私の理性をドロドロに溶かすような甘い囁き――バティスタ氏は情熱的だった。
いや、自分だけではない、イタリアの男性はみなそうなのだと、バティスタ氏は真顔で言った。
ああ、私……もうダメかもしれない。
このまま私はバティスタ氏の胸に抱かれてしまうの……?
「ミラノ……愛してる」
彼はハッキリと言った。
「本当のことを告白してしまえば――君のことは前からずっと気になっていた」
「え……」私は思わず訊き返した。
その声は、自分でも驚くほど甘く切ない声音だった。
「数年前――ある雑誌の対談記事で君のことを知ってから――僕は君の小説というよりはむしろ、君そのものにどうしようもなく惹きつけられていくのがわかった」
バティスタ氏の意外な告白――私は荒い呼吸に胸を上下させながら、彼の言葉に聞き入っていた。
全てを優しく包みこむ彼の眼差し――私にとっては初めての体験だった。
私はすでに彼の包容力のとりこになっていた。
彼は私の全てを満たしてくれる。
ロマンチックな家、素敵なプレゼント、素晴らしい食事、センスの良い趣味、甘美な囁き、そして情熱的な恋――
彼の手が私の肩へと伸びる。
ああ、私、抱かれてしまうんだ……
その瞬間、私の心に茶谷くんの顔が浮かんだ。
だが――バティスタ氏の前では、全てがかすんで見える。
彼は何一つとして私に与えてはくれなかった。
自分勝手で、非協力的で、頑固で……
ああ、なんだかかわいそうに思えてきた。
彼は何一つとして持ってはいない。
バティスタ氏とは勝負になるはずもない。
今の夢のような気持ちに比べれば、茶谷くんへの思いなんてただの気の迷い、いや、単なる思い過ごし……
そしてバティスタ氏なら――彼なら私の全てを満たしてくれる。
心も、そして躯も……
私が彼に全てを委ねようとした、その時だった。
「ミラノ……こんなところで何をしているの?」
ハッ……私は咄嗟に身を引いた。
エステル……そこにはエステルが立っていた。
「わあ、おいしそうなケーキ……これはzuccotto? ねえ、ミラノ、私も食べたい」
エステルは私の隣に腰かけて、甘えるような目で私の顔を見上げた。
「もちろん」バティスタ氏は言った。
「好きなだけお食べ、かわいいエステル」
彼はさりげなく着衣をととのえながら、鷹揚にもエステルの願いを聞き入れた。
「ミス・ミラノ」彼は私に向かって告げた。
「お仕事の邪魔をして申し訳なかった。ですが時には気分転換も必要――甘いものでも食べながら」
「は、はい、ありがとうございます……」
調子をあわせるようにして、私もそう答えた。
「空いた食器はそのままで。後でこちらで片づけますので」
バティスタ氏は最後にもう一度、私に向かって微笑みかけた。
「おやすみ、ミラノ。エステルも――」
「おやすみなさい――」
バタン――ドアの閉まる音。
ああ、彼は行ってしまった……
「おかしなミラノ」
エステルはハーブティーに口をつけながら呟いた。
「あなた、顔が真っ赤よ? 熱でもあるんじゃないの?」
そう……そうかも知れない。
私は恋という名の熱病にうかされた一匹の雌。
私はそのことを今ハッキリと悟った。
私にもこんな本能が隠れていたのだと思うと、なんだか怖くなる。
もしこの気持ちを解き放ってしまったなら――私はもはや自分の欲望を抑えることができないだろう。
現実の恋を知らない私は、頭の中で憧れと妄想とを募らせる陽炎のような日々を生き続けてきた。
それだけに……その性的な反動は、予想もつかないほどの激しさで私を呑みこんでしまうに違いない。
「ミラノ……ミラ……」エステルが私の袖を引く。
その時だった。
ガタン
エステルが椅子の上からひっくりかえった。
いったい何が起こったのだ?
私は慌ててエステルを抱き起こした。
そうか――私はすぐに事態を察知した。
忘れていた。エステルが飲んでいたのは“魔女たちのハーブティー”。あれには人を恍惚とした陶酔状態へと導く媚薬成分が含まれているのだ。
恐らくアトロピンやスコポラミンのような成分が……。
それが幼いエステルには少し強すぎたのだろう、彼女はすっかり目を回していた。
この子は夕食の席でも酒の勢いでバティスタ氏にとんでもない暴言を吐いていた。
いちいち世話の焼ける子……
エステルは私の胸の中に倒れこんだまま、何も言わずに震えていた。
サラサラの金髪が私の首筋を刺激する。
薔薇の香水のようなその香り……
粟立つような快感が私の皮膚の上をかけめぐる。
ああ、いい匂い……
私は思わず彼女の髪に鼻をうずめていた。そして、仔猫のようにしなやかなエステルの躯を恐る恐る抱きしめた。
十分な発育を遂げているかのように見えた彼女の身体――だが実際に抱いてみると、それはまだ華奢な子供のそれだった。
私はこの意外な事実に新鮮な驚きを感じていた。
やがてエステルは顔をあげた。
そして悩ましげな目で私を見上げた。
この子……かわいい……
私は改めて天使のようなエステルの顔を見つめた。
一度点された心の火は、私の中でまだチロチロと揺れていた。
それが今、エステルへと向かって再び燃えさかろうとしていた。
エステルの荒い吐息――それがバティスタ氏の甘美な囁きと重なってゆく……
私の異変に気づいたエステルは、その視線から逃れるようにして身をよじった。
ああっ、だめっ……
エステルの手が私の敏感なところに触れた。
ますます激しくなる二人の呼吸。
これは何?
何なのだろう、この感情は……
私たち……私たちは一体どうなってしまうの!
私は切ないあえぎ声をあげた。
“魔女たちのハーブティー”……それは思った以上に強力だった。
バティスタ氏もあれを飲んだはず。
この渇きにも似た身体の火照りを、一人で一体どう静められるというのだろう?
私たちは夢見心地で床の上に倒れこんだ。もつれあい、くんずほぐれつの私たち……
ミラノ……ミラノ……!
何度も、何度も……彼女は私の名を呼んだ。
思い余った私は、エステルの幼い身体を激しく掻き抱いた。
エステル……エステルっ……!
その時だった。
彼女の口から漏れ出した、悲しく切ない言葉――彼女は言った。
ママ――
私は思わずエステルの身体を離した。
ママ――ああ、なんということだ。
私の全身から血の気が引いた。
エステルは……この子はママに抱かれたかったんだ!
エステルは私の顔を見つめていた。まるで自分の本当の母親を見るように――
それなのに私は……
私はようやく正気を取り戻した。
バティスタ氏によって点された欲望の火――それが私の理性を焼き尽くした。
狂おしいまでの身体の疼きを癒そうと、私はいつしかエステルを求めていた。
ああ、私は何ということをしてしまったんだろう!
エステルは三歳の時に両親を失った。この子はただママに会いたかっただけ。
それなのに……それなのに私は……
私は再びエステルを抱いた。今度はやさしく――そう、本当のママのように。
かわいいエステル。ママはここよ、ここにいるんだから――
私はいつまでもエステルを抱きしめていた。
第18話 終
私もハーブさんたちが大好き……。お庭でも育てているの。
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クリヤマアイコさん ある意味、一部JCの間で囁かれた都市伝説です……
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