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今回は洋館に飾ってある「モナ・リザ」のお話。
みなさんは『ダ・ヴィンチ・コード』、読みましたか?
私はぜんぜん読んでいません。(なんだそりゃ?)
第15話 モナ・リザ
Buonブオン giornoジョルノ signoraシニョーラ 、ようこそおいで下さいました、神野かみのミラノ先生」
 丁寧な日本語の挨拶――洋館の主、バティスタ・バルディ氏の第一声だった。
 私は握手を求められ、恥じらいながらもそれに応じた。
 外国の人ってなんだか緊張する……。
 バティスタ氏のとなりには、ガブリエッラの姉マリーアと弟のヨシュア君が立っていた。
 二人ともうっとりするような西洋的な美形。ガブリエッラの日本的な容貌とは対照的だ。
 特にヨシュア君……すっごい美少年。いけない、ヨダレが出るわね。
 バティスタ氏の妻、つまり姉妹たちのお母さんにあたるひとは日本人だった。
 数年前に他界したとかで、今はバティスタ氏が、男手一つで育てている。
 資産家の彼のこと、養育費や教育費で不自由するといったことはないに違いない。
 バティスタ氏は、茶谷くんにも握手を求めた。
 押し殺したような笑みを浮かべる茶谷くん。まんざらではなさそうだ。
 バティスタ氏は、若くして大成功を収めた投資家、茶谷くんにとっては格好の興味の的―――
 逆にそこのところが不安なのだけど。

 そこに、大量の荷物を抱えた火屋野さんが追いついてきた。
 あんなにまでしてもらって、何だか悪い気がする……
 庶民出身の私は、普通にそう感じた。
「手伝います、火屋野さん」
 そう言ったのは姉マリーアだった。
「ヨシュア、あなたもお手伝いして」
 彼女は、率先して私たちの荷物を上にあげてくれた。
「あ、おかまいなく……」
 私は思わず彼女の手を止めようとしたが、けっきょく姉弟きょうだいの好意に甘える形になってしまった。
 お金持ちのくせに、なんて偉いひとなのかしら、マリーアさん……。
 妹のガブリエッラとは、ずいぶんと違った性格のようだ。
 ガブリエッラは、火屋野さんのことを召使いのように扱っているというのに……。

 さて、私たちは、まずそれぞれの個室へと案内された。
 どれでも好きな部屋を選ぶようにと言われ、私たちはワクワクしながら館中の部屋を見てまわった。
 いくつかの部屋を見てまわった後、額縁入りのある有名な絵画が、私の目に飛び込んできた。

 モナリザ――

 そう、モナリザ。
 もちろん模写か複製。
 本物はパリのルーブルの防弾ガラスの中。
Monaモウナ Lisaリーザ……」
 私のとなりでエステルが呟いた。
「あら、こんなところにモナリザなんてあったかしら」
 ガブリエッラは怪訝そうに首をかしげた。
「この絵は、もとはこの家の前の持ち主のコレクションの一つだったものです」
 バティスタ氏は教えてくれた。
「この家は家具ファニッシュ付きで購入しました。ですから、インテリアもみな戦前のものばかりです。中には貴重なアンティークも含まれています。たとえば、あの鏡――おわかりになりますか? フランスのアンピール様式のものです。そっちの花瓶は本物のエミール・ガレ……」
 バティスタ氏の話は、私を魅了した。
 さすがフィレンツェの美術商の家に生まれただけのことはある。
 なんだか別世界の人のよう。
「私がこの家と巡り会えたのは、妻のおかげなのです」
 バティスタ氏は言った。
「私の妻サユリは、イタリア政府給費生としてフィレンツェに留学していた日本の大学院の学生でした。私は一目で彼女のことが好きになり、結婚を申し込んだのです」
 彼はモナリザに歩み寄りながら続けた。
「もともと日本に強い憧れを抱いていた私は、やがて日本に移住することを決意しました。私にはすでに十分な資産がありました。そうと決まれば、大してむずかしいことではなかったのです」
 バティスタ氏の話に聞き惚れる茶谷くん。とても興味があるようだ。
「私たち一家は、とりあえず東京で本宅を購入しました。あとはバカンスを楽しむための別荘――それを探していた時のことです。そんな時、妻の故郷に、ある瀟洒な洋館があることを知ったのです」
 妻の故郷?
 そうか、彼の奥さんのサユリさんは、この村の出身だったんだ。
 だとすれば、確かに運命的なエピソード。なんだかロマンチックな話。
「洋館は、戦前にアメリカ人の貿易商が建てたものと言われています。戦後のどさくさの中で、誰の所有かも定かではなかったようですが、十三年前の当時は、村の管理下にありました。ですが、老朽化が激しく、危険防止のために取り壊すことがすでに決められていたのです」
「そんな……こんなきれいなお邸なのに」
「そう、私もそう感じました」バティスタ氏は振り向いた。
「私は、すぐにこの館を買い取ることを決意しました。建物を丁寧に分解し、補修を加え、新たに移築するよう業者に指示して――。もともとの場所は村の管理地で、洋館の跡地には村営の観光案内所が建つことになっていました。ですから私は、この場所に邸を建てなおしたのです」
「いいお話ですね」私は言った。
 こんな素敵なお邸が潰されてしまうなんてもったいない。私は本心からそう思っていた。
 茶谷くんも私と同意見のはず。彼もまた、こういったレトロな空間が好きなのだ。
 そう、アール・ヌーヴォーの香り漂う喫茶店『ラピュタ』を愛する二人なのだから……
「どうやらあなたは、この部屋が気に入られたようですね」
 バティスタ氏は、私に向かって微笑みかけた。
「ええ、実は」私も素直にそう応じた。
「私、モナリザというか……レオナルド・ダ・ヴィンチに興味があるんです」
Leonardoレオナルド da vinciヴィンチ……ですか」
 バティスタ氏は、私の顔を見てほほえんだ。
 そうか、ダ・ヴィンチってイタリア人だったっけ。
 でも、日本人ってなぜかモナリザとかダ・ヴィンチとかって好きよね。
 誰に聞いても知ってるくらいだから。
「それでしたらミラノ先生。一度フィレンツェの私の実家にお越しください。フィレンツェはダ・ヴィンチが活躍した街です。ダ・ヴィンチの工房の一つといわれているConventro dell'Ordine dei Servi di Maria は、私の生まれた家から目と鼻の先です」
「えっ、コンベントロ……ディ・マリーアって……どこなんですか、それ?」
「日本語では何と訳せばいいのか……マリアの……」
 バティスタ氏は適切な訳語が見つからずにいるようだった。
「英語で言えばconventカンヴェント……尼僧の修道院と訳すのよ、おじさま」
 私の後ろから、エステルがひょこりと顔を出した。
「そうそう、修道院」バティスタ氏は手を打って頷いた。
「セルヴィ・ディ・マリア修道院――それです」
「セルヴィ・ディ・マリア修道院……」
 私は白い漆喰塗りの独房をイメージしていた。
 その一室で弟子たちと制作にふけるレオナルド・ダ・ヴィンチ――その謎めいた横顔。
「その工房は、2005年にイタリアの陸軍地理院の研究者が発見したものです。その頃は、私もまだフィレンツェにいましたから、ずいぶんと興奮したのを覚えています。立入禁止とされていた修道院の一室の壁に、ダ・ヴィンチの弟子が描いたと思われるスケッチが残っていたのです。La Monnaモンナ Lisaリーザも、ここで描かれた可能性があると報じられ、一時期脚光を浴びました」
 うわあ、すごい。私も見てみたい!
「もちろん、全てがそこで描かれたわけではありません。ダ・ヴィンチはあの絵に常に筆を入れていたわけですから。Santaサンタ Mariaマリーア Novellaノヴェッラ や、viaヴィア deiデイ Gondiゴンディ も、Monnaモンナ Lisaリーザの制作場所として知られています」
 理解不能なイタリア語の地名については、エステルが教えてくれた。
 なんでも教会と宮殿の名前らしい。
 さすがその道の専門家。それとも常識?
 ああ、フィレンツェ……一度は訪れてみたいもの。
 子供の頃は画家になることを夢みていたこともあった私だから……
 結局は挫折したけれど。
「ダ・ヴィンチといえば……」私は話の流れで訊いてみた。
「十年以上前、『ダ・ヴィンチ・コード』って本がベストセラーになりましたよね?」
「ああ……ダン・ブラウンの『The Da Vinci Code』」
 バティスタ氏は苦笑した。
「私は小説も映画も一切観ていないのです。そのころ懇意にしていたカトリックの司祭がいるのですが、
彼もあの本に対しては、憤りをあらわにしていました。あれは神に対する冒涜だ――と」
「神への冒涜?」どういうことなのだろう?
Monnaモンナ Lisaリーザをキリストの子を宿したマグダラのマリアを描いたものであるとし、キリストの無原罪を否定するストーリーがカトリックの非難を浴びたのです。国によっては発禁処分となったでしょう? イスラームを冒涜したとしてイランのホメイニ師から死刑宣告を受けた、サルマン・ラシュディの『The Satanic Verses』――『悪魔の詩』ではありませんが。まあ、色々な意味で話題作でした」
 マグダラのマリア……
 と、言われたところで、私には、聖母のマリア様とマグダラさんがどう違うのかすらもわからない。
 大概の日本人ってそうなんじゃないかしら。
 それ以前に、私は『ダ・ヴィンチ・コード』を読んでいない。
 せいぜいわかるのは、イエス・キリストがけがれなき童貞だったってこと。
 だから妻帯してたらマズイってことよね。
 結局のところ、私も含め、この場に『ダ・ヴィンチ・コード』を読んだことのある者は誰もいなかった。
 たとえそうだとしても、先ほどの私の言葉にウソはない。
 私はダ・ヴィンチが好き。それは本当の話。
 万能人ウオモ・ウニヴェルサーレレオナルド・ダ・ヴィンチ――
 彼の存在はやっぱりミステリアス。
 人類滅亡を予言したとかなんだとか、こないだテレビでやってたけど――マヂ!?

「では、ここはミラノ先生のお部屋ということでよろしいですね」
 バティスタ氏の言葉に、私は目を輝かせながら頷いた。
「では次の部屋をご案内しましょう。そこにも面白い絵があるのです。ただ――」
 バティスタ氏は、そこで言葉を切った。
 ただ――なんなのだろう?
 私たちの中で部屋が決まっていないのはエステルだけ。
 果たしてエステルは次の部屋を気に入ってくれるのだろうか?
 何でもいいから早く決めて――それが私の本音だった。

                                     第15話 終
サルマン・ラシュディを翻訳した日本の学者も筑波大学の構内で暗殺されましたよね(違いましたっけ?)
好きなことを書くのもなかなか勇気がいりますね(-_-;)
次回は、エステルの部屋の奇妙な絵画のお話です。
そして「モナ・リザ」に込められたメッセージとは……
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