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桜なみだ

作者:葉嶋ナノハ



 窓の外へ次々と現れる懐かしい風景に、胸の痛みが起きたことを隠しながら電車に揺られていた。

 土曜日の午後ということもあって、降りたホームは人が多い。改札を抜け、向かって来る人を避けながら歩く。駅を出て国道沿いにある大きな信号で足を止めた。電柱の横には赤い郵便ポスト。壊れた自転車がそこへ寄りかかっていた。ホームに響くアナウンスがここまで聴こえる。

 すぐにわかった。

 目の前にあるのは知っている背中。耳の形、少し下げた右肩。逸る鼓動を無理やり抑えて、一歩進んで彼の横へ並んだ。間違える訳ないけれど、こんな偶然、信じられない。

 確かめる為に思い切って顔を上げると、既に彼は私へ視線を下げていた。目が合った途端、私と同じ、戸惑った表情で……笑った。
「久しぶり」
 離れた時のように、春の匂いがする。
「うん」
「元気?」
「元気だよ」
 大学を卒業して三年。私たちが一緒にいた時間よりも、一年長く経ってしまった。
「どこ行くの?」
「伊藤屋」
「私もだよ。伊藤屋のじゃないとダメみたい。だから久しぶりにまとめ買い」
「ああ、あそこでしか売ってないんだよな、あの使いやすいの」
 ポケットに入っていた携帯を取り出して何かを確認した彼は、またそれをしまいながら言った。
「え、もしかして卒業してから何回も来てんの?」
「ううん。一年ぶりくらい」
「俺は、何となく懐かしくなって降りただけなんだけどさ」
 信号が青に変わり、二人並んで歩き出した。

 大学までの道のり。坂を上りきってその先を下る途中に、大きな文房具の店がある。
「仕事、頑張ってる?」
「一応続けてるよ。もう三年経ったしな」
「私もやっと慣れてきて、少しだけ楽しくなったかも」
 こんなこと、言いたいんじゃない。いつか会えた時の為にって、その言葉をいつも持ち歩いていたのに、彼の顔を見た途端、全て落としてしまって、探すことも拾うこともできなくなっていた。

 今私は、どんな風に見えてるんだろう。そろそろ美容院へ行きたかったのに。バッグだって一番のお気に入りじゃない。グロスも電車の中で、少し舐めてしまった。昨日の残業で疲れた顔してるかもしれない。

 緩やかな坂道をゆっくりと上っていく。両側には坂の上まで続く桜。満開を過ぎた花びらは、ひらひらと散り始めていた。
「相変わらず、すごいよな、ここ」
「うん」
 一歩引いて、彼の横顔を気づかれないように見上げた。

 少しだけ顔が痩せたみたい。幼い雰囲気はどこにも残っていない。私の知らない三年間で、前よりずっとずっと大人になったんだ。当たり前のことだけど、寂しかった。
 この道を、いつもこうして並んで一緒に歩いた。もっと寄り添って、その腕にしがみ付いて、はしゃいで、大笑いした。それがずっと続くんだって思ってた。今はこの距離が精一杯なんて、あの頃の私に話したらどんな顔をするんだろう。

 隣にあるその袖を引っ張って、聞いてみたいことが山ほどある。
 まだあのコーヒー好き? 寒がりなのは相変わらず? 休みの日には何してるの? 前みたいに映画を見に行って、帰りには好きな本を探すの? 電車をいくつも乗り継いで、知らない場所まで行っては引き返して、馬鹿みたいだけど楽しかった。くだらない約束も、何気ないひとことも、全部大事にしてた。

 何も聞けないまま、しばらく歩いていると、強い風が吹いて花びらと一緒に私の髪が乱れた。
「平気?」
「うん。大丈夫」
 昔だったら、その手を伸ばしてすぐに直してくれたのに。そこにはもう、違う相手がいるの? バッグを握りしめる私の手が震えた。風が止んでも、桜は降り続いている。
「ねえ」
「ん?」
「彼女、できた?」
「え、ああうん、まあ」
 躊躇うことなく、照れたように笑った彼の顔。それは昔、私が見たことのある笑顔。今はもう、私とは違う相手を思って見せた表情。
「お前は?」

 その言葉に応えることなく、彼に背中を向けて、今来た道を戻る為に駆け出した。足元に広がる薄いピンク色が優しく私の視界を包む。高架を走る電車が遠くに見えた。
「どうしたんだよ」
 彼の声に足を止めて、笑顔で振り向いた。
「ごめん。私、先に寄るところがあったの忘れてた。急いで戻らないと」
「そっか」
「うん、じゃあね」
「ああ」
 二人で上って来た坂道を、今度は一人、急ぎ足で下りていく。

 あの頃、二人には別れが必要だったんだって、毎晩自分に言い聞かせてた。
 彼の嫌いなところをたくさん紙に書き出して、ひとつひとつ思い出しては、まだこんなに好きなんだって結局は思い知らされた。消せないアドレスに何度もメールしようとして諦めては、またその繰り返しだった。

 舞い散る桜が雨のように見えるのは、きっと私だけ。こんなに綺麗な桜に、揺れる思いで胸が押しつぶされそうになっているのも、私だけ。

 ――お前は?

 全然変わらない私を呼ぶ響きに、抑えきれなくて溢れてしまった涙を拭いた。
 本当は後悔してるってこと、伝えなくて良かった。彼を困らせずに済んだことだけが、私の心をほんの僅かだけど、軽くしてくれた。

 だから、このまま振り返らずに歩いていける。
 私の代わりに泣いている、美しい桜の中を。









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