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女子高生、坂東蛍子

坂東蛍子、今際の際で笑む

作者: 神西亜樹

 初夏。トランペットを突き上げれば何処までも音が昇っていきそうな高い空に覆われて、学生達は放課後のひと時を思い思いに過ごしていた。学友達が猫と話したり、電柱に張り付いたり、暴力団と会合していたりする中、坂東蛍子は無数の可能性が広がる手札の中から友人とファーストフード店で過ごすというカードを選択した。蛍子は友人と放課後にハンバーガーを食べるのが高校生活における夢の一つだったので、この選択と決断はサイクリングで日本を縦断したり、チャネリングで宇宙人と交信したりするぐらいには有意義なものであった。

「・・・クシュッ」

 蛍子はこのファーストフード店の中にもう一つ野望を持ち込んでいた。それは“藤谷ましろに自分のことを下の名前で呼んでもらう”という実に大いなる野望だった。蛍子がましろと言葉を交わすようになってから既にカレンダーが何度か絵を変えていたが、ましろは未だに蛍子のことを苗字で呼称しており、蛍子はそのことを内心で少し寂しく思っていたのだった。坂東蛍子は友人に多くを求めないが、少しぐらいは求めたくなってしまう女子高生なのである。

「クシュン!」

「大丈夫?風邪?」

 心配そうに覗き込んでいる藤谷ましろに対し、蛍子は笑顔を向けて手を振った。

「ううん。誰かが噂してるみたい」

 フフ、とましろが口元に手を当てて微笑んだ。



 轟は日夜カーブミラーの前に座り込み、禅の修業に励んでいる三毛の野良猫である。自我を獲得し、哲学の可能性に生の意味を見出した轟は、もう長いこと瞑想の日々を繰り返していたが、そんな彼を地蔵か何かと勘違いした老人達が供え物を始めたことをきっかけにして、いつしか彼は良き聞き手として通行人の独り言や悩み事を聞かされる毎日を過ごすようになっていた。轟は人間達の身勝手な感情や眼前に備えられた煩悩の山に苦しんだが、これも修行だ、と目を瞑って彼らの無垢な暴力に耐え続けた。

「ちょっと、轟さん、聞いているんですか?」

 左耳に口を近づけて訴えかけてくる女幽霊の気配に、轟は毛を逆立て顔の皺を深めた。人間は本当にタチが悪い、と三毛猫は思った。死んでも尚絡んでくるのだから。

「まぁ良いです。とにかく、私の悩みは深いわけですよ」

「しかし、悩みなんて案外軽いものだよな」

 轟の右隣に座り込んだ男子高校生が腕を組み、訳知り顔で頷いた。この男、名を星隈翔太(ほしくましょうた)と言い、坂東蛍子のクラスメイトである。情に篤いが思慮に浅く、よく勘違いをする男で、気づかぬ内に問題の種を撒き散らす悪癖がある。

「だって寝て起きたら頭の中が嘘みたいに軽くなってるだろ」

 轟はこの男のことが苦手だった。翔太は極めて直情的であるため、彼の抱く哲学も至極表層的な問題として処理されがちで、その思想が轟の哲学嗜好と真っ向から対立するものだからである。何より天敵・坂東蛍子と同校の制服を着ているというだけで十二分に忌々しかった。

「眠れない夜と言いますが、しかし幽霊に睡眠は無いわけですよ。いつだって眠れない夜なの」

「貴様達、実は互いの声が聞こえてるんじゃないのか?」

「まぁ、返事をくれたのね」

 おい、俺を巻き込むな!と轟が手を合わせて有難がっている女幽霊に鋭く言った。

「また鳴いた!いつも無愛想なのに、今日はえらく威勢が良いなぁ」

 驚きと喜びをいっぺんに抱くような顔をしている翔太を一瞥し、轟は溜め息を吐いた。

「あら、うっかり浄化しかけてしまいました。この拝み癖は直さないといけませんね」

 幽霊は慌てた様子で両手を離し、苦笑いを浮かべている。どうやら幽霊にとって浄化と成仏は明確に違う概念らしいが、亡者ではない轟には差異のよく分からない価値観だった。

「たぶん、こう、眠ってる間に悩みがすーっと昇ってくんだろうな、天にさ。成仏するみたいな感じでさ」と翔太が言った。

「そういうのは俺でなくこの幽霊と話してくれ」

「ですよね、やはり直さないと危ないですよね」

「だから相槌じゃねぇよ!」

 轟は少し声を裏返しながら吼えた。それを見て、両隣の人間達はニコニコして話の先を続ける。時々轟はどうして人類がこの地上の覇権を握っているのか疑問に思うことがある。人は動物の言葉すらも分からないくせに何故偉そうにしていられるのだ?俺ならそんなことは出来ない。きっと彼らも、一度“動物の目”というものを気にするようになれば、大手を振って町を歩くなんてことは出来なくなることだろう。

「おっと、話が逸れてしまいましたね」

「いや、だから」

「そうなんだ、猫助よ。お前の前だとどうも口がよく動く」

「・・・もういい。で、結局その悩みってのはどんな悩みなんだ?」

「おぉ、聞いてくれるのですね。彼女の名前は坂東蛍子と言うのですが―」

「坂東蛍子!?」

 坂東蛍子が二回くしゃみをし、藤谷ましろがハンカチを取り出そうと自身の鞄に手を伸ばした。

「そう。坂東蛍子。俺のクラスメイトだ」

「貴様も坂東蛍子か!」


 この時、偶然道を通りかかった蛍子の父、憲純は、道の先に座っている男の口から娘の名が発せられた気がして、足を止めて眉を顰めた。もしかしたらあの男、娘に良からぬことを考えている不埒な輩ではないか。

「なぁ君、今彼は坂東蛍子と口にしなかったかい?」

「え、ええ。したと思います」

 電信柱の裏で、猫に話しかけている星隈翔太の奇行をこっそりと観察していた川内和馬(せんだいかずま)は、通りすがりの男に突然声をかけられ、心臓を軽やかに跳ねさせながらも何とか無難な返答を送った。和馬は隣のクラスの高嶺の花、坂東蛍子を見守ることを生活の潤いとしている男であるため、当然憲純が蛍子の父であることを知っており、改めて現状を洞察した結果自分が深刻な窮地に立たされているような錯覚を覚えた。大丈夫だ、落ち着け、と和馬は心の中で繰り返し唱えた。今日は何もしてない。

「たしかに、坂東蛍子と」

 和馬は憲純の疑惑を万が一にでも自分に向けさせないように、念を押すようにそう言った。そして、憧れの女性の名前を自分が口にしたことに少しドキリとし、もう一度「坂東蛍子」と噛み締めるように小さく呟いた。


 タクミはレミントンM700のスコープを覗き込んだままの姿勢で、電話の向こうにいる相手に状況を報告した。

「確認したホタルコのストーカーですが、彼女の父君と歓談しています」

「それ本当にストーカーか?まぁとりあえず引き続き監視しといてくれ」

「・・・ケンゾウ、何だか騒がしくないですか?」

「よく分からんが、ちょっとした通達があるからって職員全員集められてんだよ。そういうわけだから一旦切るぞ」

 剣臓(けんぞう)は会議室に設置されているモニターが点灯したことに気がつき、そちらに目をやった。液晶の向こうで長官が真剣な面持ちをこちらに向けている。夏の滑り台のように暑苦しい眼差しだった。まったく、久方ぶりの出勤だってのに忙しないったらありゃしねぇ。

「諸君も近頃エシュロンが誤った情報をたて続けに取得していることは知っていることだろうと思う。何せ核が何度も発射されかけているわけだからな」

 中央情報局の至る所から陽気な笑いが響く。剣臓はユーモアの違いを感じて頭を掻いた。

「その取得先なのだが、今回ある特定の人物からの携帯機器から飛び抜けて多く送信されていることが判明したため、その人物をブラックリストに入れて、受信をシャットアウトすることとなった。皆もこの名前の人物から齎された情報は、誤報と捉えてくれて構わない」

 要するに、無意識にこのアメリカ合衆国を破壊しかねない準テロリストの名前を周知させることで、誤った判断を予防しようということだろう。剣臓は髭の残った顎を撫でながら、肩の力を抜いて壁にもたれかかった。彼は普段は日本に派遣されているので、本部での情報管理に関してはあまり関わりがない。この話自体も自分には大して重要なものではない、と中年の男は高を括って心の守りを緩めた。

「各自メモをとっておくように!彼女は日本人だ!名前は坂東蛍子!繰り返す!坂・東・蛍・子!」

「蛍子ちゃん!?」

「一同、復唱!」

「BAN-DU-FOTARU-KO!」



「ゲホゴホゲホ!ハッあっゲホッェッゴホゴホ!」

「坂東さん!?」

「ガハッ!!ゴホゲホ!!」

 くしゃみが止まるどころか悪化し、とうとう決壊したダムのように口腔から咳を爆発させるようになった蛍子を前に、ましろはどうして良いか分からず目を白黒させながら、ねこじゃらしを追う猫のように手を空中でバタバタさせた。

「あ、あ、どうしよう!救急車!」

「ゴホ!ひゅー、ひゅー、フジヤマちゃんっゲホゲホ!」

「な、何!坂東さん!」

「わ、私のゴホ!ことっゲホ!名前で、呼んで・・・っゴフ!ゲホ!」

「え、えぇ!?こんな時に何を――」

「お願い!早く!ゲホホ!ゴホゴホッ!!ガフッ!」

「ほ、蛍子さん!!」

 ましろはギュっと目を瞑り、拳を握ってそう叫んだ。坂東蛍子は幸福な笑みを浮かべ、椅子の上から崩れ落ちた。

祝、書籍化。


【藤谷眞白前回登場回】

しゃっくりを止める―http://ncode.syosetu.com/n3039cc/

【轟前回登場回】

猫に弁当を作る―http://ncode.syosetu.com/n1322ca/

【松(女幽霊)前回登場回】

戦場の只中で眠る―http://ncode.syosetu.com/n5104cd/

【星隈翔太前回登場回】

電車にて立ち尽くす―http://ncode.syosetu.com/n5760ca/

【川内和馬前回登場回】

花を愛でる―http://ncode.syosetu.com/n7310cd/

【拓海前回登場回】

ロボットに命を授ける―http://ncode.syosetu.com/n3295cb/

【剣臓前回登場回】

レーザービームを撃つ―http://ncode.syosetu.com/n9146cb/

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