68話「おそろしく速いアッパーカット」
「とりゃあ!」
「おお!いい感じっすね。もうナイフ術は終了でいいでしょう」
バイト初日。オフィスビルの地下にある訓練場で、護衛長であるディエスに『強化』の異能の使い方や様々な戦闘術を学んでいた。
「にしても化け物じみた上達速度っすね。この調子なら2週間くらいで自分の持つ技術は全てマスターできそうっす。それよりも……」
訓練場の隅で静かな敵意を放つクロとシロとリンを横目に、ディエスは言葉を続けた。
「彼らをどうにかできないっすか?敵意が凄すぎてこっちが集中できないんすけど」
「申し訳ないけど、どうにもできない」
なぜクロたちがこの場にいるのかというと、バイト先で以前戦った異能者と働くことになった事を知り、俺を心配してついてきたのである。
紅さんには「親が遠くにいて、バイト中は家で妹とペット達だけになるので連れてきてもいいですか?」と聞いたら快く了承してくれた。それどころか、バイト中は手の空いている職員がリン達の面倒を見てくれるらしい。
「やーん、超可愛い!名前はリンちゃんっていうの?アイス食べる?」
「きゃー、クロちゃんモフモフ〜、あとでキャットフード買ってきてあげるね〜」
「白いカラスって珍しいね、超カッコいい!すっごい大人しいし羽もスベスベじゃん」
そんなリンたちは、オフィスビルに控えている女性職員の方々に好き放題可愛がられながらディエスへ向けて敵意を放っている。
なんだこの状況?
ちなみに、ウルは霊体状態となって俺の周囲を漂いながら徘徊中だ。今日はなんだか大人しいな。
「さてと、そろそろ時間っすね。準備しますか」
「わかった。リン、クロ、シロ、バイトが終わるまで大人しくここで待ってるんだぞ」
「はーい」
「ニ、ニャー」
「カー……」
「すっごーい!クロちゃんとシロちゃん返事してるー!超可愛い〜!」
「リンちゃんもお利口さんだねー。チョコ食べる?」
クロたちが付いてくるのはバイトの邪魔にならない範囲までということで納得してもらっているため、ビルで大人しく待っていてもらう。
というか、女性職員さんたちが異常な熱量で張り付いているのでついてくることはできないだろう。
「じゃあスーツに着替えてから現場に行きましょうか。行くまでの道中で仕事内容を説明するんで」
「了解」
軽くシャワーを浴び、事前に用意されていたスーツに着替える。護衛の人たちに支給されているものと同じで動きやすく耐刃性に優れた素材でできている特注のスーツらしい。このスーツのお値段だけで俺の1ヶ月分のバイト代より遥かに高そうだ、汚さないように大切に着よう。
「仕事内容は大きく分けて2つ。職員の出勤や帰宅途中の護衛と店舗内の揉め事処理っす」
「今日は店舗内の揉め事処理だったっけか」
「そうっすね。自分は各店舗の見回りをしなきゃいけないんで、詳しくは現場の職員に教わってください」
「わかった」
ディエスには職場の後輩として敬語を使うべきなのだろうが、雫さんたちの一件で敬意を表したくはないのでタメ口で会話を続けている。微妙な関係性だ。
周りにほかの職員さんがいるときだけは敬語で話すようにするかな。
「私がこの店の警護主任です。さっそく業務手順を説明しますね」
「よろしくお願いします」
初日はすすきのの一等地に建つ高級キャバクラの護衛だ。ベテランらしき初老の黒服さんが色々と教えてくれるらしい。
店内は至る所に金ピカの装飾が施されており、天井にはどデカイシャンデリアがいくつもついている。なんだここ?異世界か?
「基本的には待機室で店内の防犯カメラの映像をチェックして、厄介そうなお客様は事前にマークします。実際にトラブルが起きた際はすぐに駆けつけて状況に応じた対応を行います」
「3番テーブル、トラブル発生です!」
「早速ですね。ついてきてください。対処法は実際に見せながら教えます」
「はい」
問題の起こっているテーブルへ行くと20代後半くらいの男性3人が接客が良くないだの酒が不味いだのと叫びながら暴れていた。
「お客様、どうかなさいましたか?」
初老の黒服さんは酒瓶を投げようとする男の手を掴み、暴れている男達に声をかけた。その隙にウェイターは接客していたキャバ嬢さんを避難させている。見事なコンビネーションだ。
「当店のサービスに何か至らない点でもございましたでしょうか?もしそうでしたらお話を聞かせていただきたいので、あちらの談話室までお越し頂いてもよろしいですか?」
「あ?うるせぇんだよジジイ!俺は女と話してたんだ。不味い酒出してくるさっきの女連れてこい!」
男達は聞く耳を持たない様子で初老の黒服さんに掴みかかっている。1対3は流石に厳しそうだ。加勢した方がいいかな。
「おいおい、この店はガキがボディーガードやってんのかよ。酒も飲めねぇガキが粋がってんじゃねぇぞこら!」
そんなことを考えていると、突然男の1人に頭からお酒を浴びせかけられた。
「それは俺の奢りだ!」
「「ギャハハハハ!!」」
「……」
髪は洗えばいいが、スーツがべちゃべちゃだ。借り物の、スーツが……。
「……お客様、だいぶ酔ってらっしゃるようですね」
「なんて言ったこのガキ?……ぐあっ」
「おい、どうし……がっ」
「ぐがっ」
「眠ってしまわれたみたいですね。酔いが回ったのかな?」
『男女平等拳・3連』!
男達は何が起こったかも分からぬまま意識を失い、ソファーへ腰をかけるようにして倒れていった。大成功、倒れる角度も計算通りだ。
スーツの恨み、思い知らせてやったぜ!
「今のは……いや、お客様を裏へお連れしなさい」
何が起きたか理解のできていないウェイターさん達に初老黒服さんが指示を出し、事態はすぐに終息した。
男女平等拳は防犯カメラのスロー再生でも映っているか分からないほどの速度で放ったため、誰にも気付かれてないはずだ。
おそろしく速いアッパーカット、相当な手練れでなきゃ見逃しちゃうね。
「結城さん。あとで話がありますので、お時間よろしいですか?」
「あ、はい」
初老黒服さんに真剣な表情でそう言われた。
あれ?気付かれてる?
◇
誰もいない幸助の家。その居間には一本の刀が結界に囲われた状態で置かれていた。
「………」
誰にも触れられていない日本刀の刀身が、静かに鞘から抜け始める。
「………」
刀は細いレイピアへと姿を変え、自身を囲うように張られた結界を何の抵抗もなくすり抜け、床へ落ちた。
「………」
レイピアは再び刀へと姿を戻し、まるで周囲を見渡すかのようにその刀身へ部屋の中の物を映し始める。
「………」
壁にかかった家の鍵をその刀身へ映した刀は、自身より体積も質量もはるかに小さい鍵の姿へと一瞬にして変化した。
「………」
誰もいない幸助の家。
その居間には、結界に囲われた鞘とその下に落ちている一本の鍵があった。