51話「諦めたらそこで試合終了」
青年の家は1階の一部と2階の全てが宿泊フロアとなっており、1階にある残りのスペースはレクリエーションへ来ている生徒全員が入っても余裕があるほど大きな講堂と食堂が占めている。
「ふぁ〜、眠い」
朝7時。ダラダラと朝の支度を終えて朝礼のために講堂へ集まると、アウルちゃんと潤奈ちゃんが委員長のほうをチラチラと見つめていた。
「おはよう委員長。何かあったの?」
「おはよう結城くん。私にも身に覚えがなくて……2人に理由を聞いても何も教えてくれないんだよね」
委員長が困った表情でそう答えた。
側から見ている感じだと尊敬の眼差しに近い気がするので、喧嘩とかでは無いと思う。
とりあえず、放っておいて大丈夫だろう。
「みんなおはよう」
委員長との挨拶を皮切りにみんなとも挨拶を交わし、講堂で先生方の挨拶を聞き、宿泊レクリエーションの2日目が始まった。
2日目は昨日の午後と同じサバイバルレクリエーションの続きだが、その前に班ごとの朝食タイムがある。
朝礼後は食堂へ移動し、長い欠伸をしながら朝食をとる。
「眠い……」
結局、昨晩はほとんど寝ていない。先生の見回りを警戒しつつ、滝川の持ってきたボードゲームで深夜まで盛り上がったためだ。
まぁ、頭が少しぼーっとするだけで体に異常はまったくないけどね。これも神様に強化してもらった体の効果なのだろう。
ありがたやありがたや。
「そういえばみんな聞いたか?昨日の夜、駐車場に黒光りする巨人が現れたんだってよ!」
朝食中に滝川が興奮した面持ちで話しかけてきた。
「黒光りする巨人?」
「ああ、夜に窓開けて外の景色眺めてた奴らがいてな。そいつらが何気なく駐車場の方見たら、黒光りする巨人が駐車場の砂利とか片付けてたんだってさ!」
何だそれ?意味がわからない都市伝説だ。
「夢でも見たんだろ。意味不明すぎる」
「はいはい、滝川は朝から元気だね〜」
「でもよ、火の無いところに煙は立たないって言うだろ?あとで駐車場見に行こうぜ!」
石田と相原さんが話を流そうとするが、滝川の興奮は一向に冷めない。
「巨人なんてただの勘違いですよ!駐車場見に行くよりも、レクリエーションに集中しましょう!」
「そうなのです!絶対に巨人なんているはずが無いのです!」
「え、あ、はい……」
なぜか物凄く否定する潤奈ちゃんとアウルちゃんの勢いに負け、滝川は静かに朝食をとりはじめた。
◇
青年の家近くにある無人の山荘。
その一室では、妖艶な長髪の女性と黒いローブを纏った少女が真剣な面持ちで話し合いを続けていた。
「フェルム。まさか貴方まで倒されるとはね……」
イオは強行策に出たフェルムの失敗に落胆しつつ、彼女を倒した術師の実力に驚愕していた。
「水上家の次期当主がそれ程の実力者だったなんて……完全に舐めていたわ。五大陰陽一族の中でも水上家は戦闘が不得意な一族だと思っていたのだけれど、勘違いだったようね」
「水上家の他の術師は、わからない……でも、水上潤叶……彼女は、化け物」
フェルムは昨夜の襲撃時の光景を思い出し、震え上がる。
結論から言えば、水上潤叶の姿すら見る事が出来ず一方的に倒された形となった昨夜の戦い。
戦闘力のみに関して言えば、イギリス国内の魔術師の中でトップクラスの実力を持つフェルムだが、その心を折るには充分な一戦だった。
「私の術は結城幸助に破られるし、水上潤叶は貴方を倒せるほどの戦闘力を有している……手詰まりね」
イオは現状を整理し、完全な敗北を悟る。
結城幸助と仲のいい生徒を人質に取れば状況は変わるかもしれないが、その際に水上潤奈やアウルがどう関わってくるのかが判断できない。
さらに、一般人に出来る限り存在を知られてはならないという術師全体の不文律を破る事にも繋がる。
「私たち強硬派の敗北ね。結城幸助が『妖精種』を所持しているとすれば、アウル様を経由して穏健派の元へ戻るでしょう。しばらくは警備も厳重になるだろうけど、奪取する機会はまた訪れるはずよ」
「いやいや、諦めたらそこで試合終了でござるよ。今すぐにでも結城幸助に挑むべきでござる!」
「「!?」」
突然現れたクロムの存在に2人は驚愕する。
「クロム、あなた一体どこから……それよりも、今までどこで何をしていたの!?貴方が居ない間にこっちは……」
「まぁまぁ、落ち着くでござるよ」
驚愕しながらも口を開くイオの胸元へ、クロムは黒い球体を押し当てた。
「『製鉄の歴史』!」
フェルムは即座に『製鉄の歴史』を発動し、クロムを砂鉄の鎖で拘束する。
「うぐっ、があっ……!」
「イオに……何をしたの!?」
黒い球体から伸びる赤黒い血管のようなものに巻き付かれて苦しむイオの姿に、フェルムは焦りながらクロムを問い詰める。
「理由を話しなさい……返答次第では……」
殺気を孕んだ魔力は無意識にクロムを拘束している鎖を締め上げる。
「うげっ、苦しいでござるっ。こんなことをしなくてもちゃんと説明するでござるよ。昨日拾ってきた邪神の心臓をただ埋め込んだだけでござる。これで今までより強力な魔術を行使できるようになるのでござるよ。ただ……」
「ただ……?」
「邪神の力に精神が侵されて死ぬのでござる。もって1日といったところでござるな」
「殺す!」
フェルムは砂鉄で作り上げた鎖を全力で締め上げ、クロムを八つ裂きにした。しかし、バラバラにされたクロムの体は土へと変わる。
「偽物……!?」
姿を真似る術以外にクロムの術を見たことが無かったフェルムは、目の前の現象に驚愕を示す。
『正解でござる。それは分身でござるよ!ところで、拙者よりも今はイオ殿を気にした方が良いのではござらぬか?』
何処からともなく聞こえてくるクロムの言葉に苛立ちを覚えながらも、フェルムはイオの方へ振り向いた。すると、邪神の心臓から伸びる血管はイオを包むように巻きつき、漆黒のドレスのような様相と化していた。
「神へ、復讐を……」
「イオ……?」
うわ言のように物騒な言葉を呟くイオの姿に、フェルムは僅かな恐怖を覚える。
同時に、内包されている魔力が異質な何かへと変化しているのを感じ取った。
『よかったでござる。上手に暴走させられたようでござるな』
「『製鉄の歴史』!」
声の方向からクロムの位置を特定できなかったフェルムは、イオを傷つけないよう砂鉄を操作し、山荘ごと周囲一帯を吹き飛ばした。
『無駄でござる。もう近くに拙者は居ないでござるよ。それよりも、イオ殿をどうにかしなくて良いでござるか?』
「くっ……イオ!止まって!」
山荘の破片を踏みしめながら青年の家の方向へと歩くイオを、フェルムは呼び止める。
「邪魔をしないでフェルム……『あなたは待機していなさい』」
「!?」
イオの言葉の直後、フェルムは自身の身動きが取れなくなっている事実に気がつく。
「この感覚……『愚者の大軍』?」
フェルムは自身にかけられた魔術を理解し、困惑する。
本来、『愚者の大軍』は思考力の低い対象にしか効果を発揮できない魔術である。さらに、魔力の保有量が多い者に対してはその効果はさらに弱まってしまうという欠点も存在する。
思考力も低下しておらず保有魔力量も多いフェルムは、通常なら『愚者の大軍』の影響を受ける事は無い。
「一体……どうして……?」
『いやはや、素晴らしいでござる』
フェルムの疑問に答えるように、クロムは軽快な口調で言葉を続ける。
『"愚者の大軍"が、さらに高い次元ヘと進化したのでござるよ。ここまで強力な術になるとは思ってもみなかったのでござる!』
「『黙りなさい』」
『ぐっ……』
陽気に言葉を紡いでいたクロムは、イオの命令に抗えず口を噤む。
「これで邪魔はないわね」
邪神の心臓を宿した影響により目的を見失ったイオは、何かに惹かれるように青年の家へ向かって悠然と歩を進めるのだった。