27話「奥の手」
市内のとある路地には、1人走る雫の姿があった。
『雫、あなたが捕まったら世界が終わるかもしれない。だから、あなただけでも逃げなさい!』
『安心しろ、後でアカリと一緒に追いかける。心配すんな』
雫は、自分を逃がすために残った2人の言葉を思い返し、走りながら涙を拭う。
「お姉ちゃん、ソージくんっ……」
自分が捕まれば、世界が組織の手に落ちるかもしれないという重責。アカリとソージと過ごす何気無い日常を、また送りたいという希望。
様々な思いを抱えながら、雫は助けを求めて必死に走る。
「警察は……組織の手が及んでるかもしれないっ。スマホは壊されたから、ユイさんとも連絡が取れないっ。どうしよう、どうすればっ」
しかし、そんな彼女の思いを阻むように、大男が眼前に立ちはだかる。
「いやはや、驚いたっすよ。君にまで『付与』がかかってたんすね。逃げられた時はヒヤヒヤしましたよ」
「!?」
目の前に現れたディエスの存在に、雫の表情は絶望の色に染まる。
ディエスが追ってこれたということは、自分を逃がすために残ったアカリとソージが捕らえられたことを意味していたためだ。
「あ、もしかして、あの2人を心配してますか?大丈夫、生きてますよ。ソージくんの方はちょっと怪我してますけど、お姉さんの方は無傷っす。『付与』使いすぎて気絶しちゃってますけどね」
2人の生存に安堵すると同時に、雫は別方向へ逃げようと足を踏み出す。
「おっと、大人しくしてほしいっす。『結合』の異能を持つあなたが、一番重要なんで」
「くっ!」
だが、一瞬にして雫は組み伏せられた。ディエスとの距離は10メートル以上開いていたにも関わらずだ。
ランクAの異能による規格外の現象に、雫は再度驚愕する。
「だ、誰か、助け……」
「おっと」
ディエスは雫の首裏を小突き、気絶させる。
「ふぅ、危なかったっす。まだ工作員の配置が完了してないんで、誰かに聞かれたらやばかったっすわ」
無情にも、雫が発した助けは誰にも届く事はなかったーーー
「さてと、帰るとしま……」
「あの、何してんすか?」
ーーーただ一人を除いては。
◇
ニアの案内のもと、雫さんを見つけたのだが……。
「なんだこの状況?」
見つかった雫さんは大男に組み伏せられ、助けを求めていたのだ。
俺の姿を見た瞬間に大男が距離をとったため、雫さんは今、俺の腕の中にいる。
「気絶してるが、無事みたいだな」
「バイタル正常、外傷モ見当タリマセン。無事デス」
えっ、バイタルチェック機能あるの?ニア凄いな。
おっと、今は目の前の大男に集中だ。
「さてと。お前、何者だ?どうして雫さんを捕まえようとしたんだ?」
大男を睨みながら疑問をぶつける。
「ふっ、そんな演技はいらないっすよ。事情なんて、こちらが説明しなくても理解してるんじゃないですか?」
え、理解してませんけど?だから聞いたんだが……ドヤ顔でなに的外れなこと言ってんだこいつ?
「それにしても、ここであなたと会えるとは思わなかったっすわ」
え、どこかで会ったっけか?
こんな大男の知り合いは居なかったはずだが……。
「チエさんからは関わるなって言われてるんすけど、この状況じゃ仕方ないですもんね」
不敵な笑みを浮かべながら、大男が拳を構えた。なるほど、こちらの事情は関係ないわけね。
雫さんを気絶させたのは許せないし、そちらがやる気なら受けて立つとしよう。
「ニア、雫さんを見守ってやってくれ」
「了解シマシタ」
雫さんを道の隅へ寝かせ、その横へ鞄とニアを置く。
そして、俺も拳を構える。
「いくっすよ!」
素早い足運びとともに、いきなり眼と喉を突かれた。痛ってえ!問答無用かよ!
「陰陽術を使う暇は与えないっす。前みたいに、気が付いたら留置所なんて嫌っすからね」
気が付いたら留置所?何言ってんだこいつ?
訳のわからないことを言いながらも、的確に膝や鳩尾を突いてくる。
最初の構えからボクシングかと思ったが、違った。ジークンドーか!
「タフというより、ダメージが無効化されてるみたいっすね。それも陰陽術ってやつなんですか?」
「企業秘密だ!」
この前のシルクハットと違って、こいつは『陰陽術』を知ってるみたいだな。まぁいいか。
先ほどから死んでもおかしくないほど急所を突かれているが、『身代わり札』のおかげで無傷だ。
しかし、枚数には限界がある。やられっぱなしではいずれ負ける。
「こちらも反撃させ……ゴハッ」
「だから、反撃の暇は与えないっすよ」
首を掴まれ、アスファルトに叩きつけられた。背後には、重機ロボの鉄拳と同じくらいのクレーターが出来上がっている。
なんだこの馬鹿力!?化け物かよ!
「まさか……異能か!?」
観察すると、こいつも異能者だった!
『強化』。自身の身体能力と触れている物体の性質を強化できる異能か。
「あれ?今気づいたんすか?最初っから知ってると思ってたんすけど……ま、いいっすか」
大男はそう呟くと、首を掴んだまま俺を地面に押し付け、反対の腕で拳を放ってきた。
「おらぁ!」
だが、黙ってやられるつもりはない!首を掴む大男の腕を掴み返し、巴投げの要領で大男を蹴り飛ばす。
「結構力持ちっすね、そういう術があるんすか?」
「教えるわけねーだろ!」
『異能』も『陰陽術』も使えることは、秘密にしろとクロに言われているからな。
それ以前に、いきなり襲ってくるような不届き者に教える義理など、ない!
「攻撃の無効化に怪力ですか。報告では、空飛んだり斬撃飛ばしたりもできるって聞きましたし、厄介っすね」
困ったようなセリフを吐きながらも、大男の笑みは深まっていく。なにこいつ、バトルジャンキーか?
というか、『飛ぶ斬撃』や『散炎弾』も知ってるってことは、この前襲ってきたシルクハットの仲間か!
「それじゃあ、第2ラウンドといきますか!」
「ちょっ、まっ!」
大男は、こちらの意向など無視して容赦無く攻めてくる。
空手にムエタイに中国拳法!?技のデパートかよ!しかも、そのどれもがかなりのレベルだ。
「がっ、ぐはっ……」
「あれ?この程度なんすか?」
『強化』が覚えたてというのもあるが、神様が強化してくれた身体能力に『強化』の異能を重ね掛けしても、パワーはやっと互角。
その為、純粋な武術の熟練度で押し負けている。
「くそっ!」
「多少は武術の心得があるみたいっすけど、無駄っすよ!」
「がはっ」
俺が放つ拳も蹴りも、難なく躱され倍になって返ってくる。
その度に繰り出してくる技を習得してはいるが、その技は相手の体格と体重に馴染んだ動きなため、俺が使用すると僅かなズレが生じる。
動画で習得した技も同じだ。オリジナルには敵わないのである。
「ちくしょう。こんな事なら、ちゃんと練習しとけばよかった」
俺の身体に馴染んでいる技は、今のところ『男女平等拳』しかない。他の技の熟練度は、この大男に遠く及ばないのである。
「だったら、『溶解』!」
放ってきた拳をギリギリで躱し、腕を掴んで『溶解』を発動する。
「これは、メルトさんの『溶解』と同じっすか。陰陽術ってこんな事もできるんすね」
「なっ、溶けない!?」
服の袖が溶けただけで、大男の腕は無傷だ。
肉まで溶かすつもりで使ったのだが……強化で耐久性をあげてるのか!
「甘いっすよ。その程度の術じゃ、俺は傷つけられないっす」
「くそっ」
『溶解』はまだ全力で使っていない。
たぶん、本気で発動すればこいつを倒す事はできる。だが、そうなると骨や内臓まで溶かしてしまいそうだ。
雫さんを気絶させたのは許せないが、さすがに殺したくはない。
「……仕方ない、か」
「ん?」
俺の覚悟を察したのか、大男が少しだけ距離をとった。なかなか鋭いな。
「このままだと負けそうなんでな。奥の手を使う事にした」
「……どうやら、ハッタリじゃ無いみたいっすね」
当然だ、ハッタリなどではない。
周辺に人が居そうな場所で、『溶解』を完璧に調節できる。という2つの条件が必要だが、成功すれば勝利は約束されている。それほど強力な奥の手だ。
「先に言っておく。これが成功すれば、お前に勝ち目はない。負けて恥をかく前に、大人しく帰ってくれないか?」
「ふっ、むしろ望むところっすよ!」
「そうか……」
ならば、存分に味わってもらうとしよう。