9話「平穏に生きたいだけなんだけどな」
あれから3日。
水上さんに告られると勘違いして負った傷は、すっかり癒えた。同時に、その話をするものは誰も居なくなった。
聞くところによると、中等部の頃から存在する闇の組織『水上さんファンクラブ』がこの件をもみ消したらしい。告白ではなかったと確認できた途端、彼等の完璧な情報操作によって、噂は跡形もなく消え去った。
もしも本当に告白だったら、消されていたのは俺の方だったのかもしれない……肝に命じておこう。
とりあえず。今日は早朝から重労働に励んでいたのだが、その最中に新たな発見があった。
「ふむ、最近の若者は逞しいのだな」
「いやいや、皆がこんなんじゃないぞ?」
祖父母が使っていた洗濯機が壊れ、本日新しいのが届いたのだ。新しいといっても実家のお下がりだが、充分使えるので問題ない。
そのため、古い洗濯機は回収業者に持っていってもらい、早速新しいのを設置しようとしたのだが……なにこれ、軽っ。発泡スチロールの塊かと思った。
「絶対これも、神様のお陰だよなぁ……」
「ん?神様?」
「いや、なんでも無いよ」
『身体能力は強化しておく』という神様の言葉を思い出す。絶対その効果によるものだ。
だとしても、40キロ近い洗濯機が発泡スチロール並みの軽さとか……神様、やりすぎっすよ。
「お主は本当に不思議だな。霊力を感じないのにあれ程の式神術を使えて、それほどの怪力まで持つとは」
黒猫が、テレビに食い入る白いカラスを見やりながら呟く。
結局、白いカラスはこの3日間消えなかった。というか、これからも消える気配が全くない。今も番組表を見ながら、今夜の音楽番組の視聴予約をしている。
「ほんと、俺も不思議に思うよ。平穏に生きたいだけなんだけどな」
こんなに色々できる能力を授けてもらったのはありがたいが、だからといってやりたいことは特にない。
有名になりたいとも全然思わない。ちやほや騒がれて自由を失うよりも、人目を気にせず漫画やラノベを漁り、充実したオタクライフを送るほうが性に合っているのだ。
「欲がないのだな。だが、平穏な生き方には好感が持てる」
「猫に言われるとは、光栄だよ」
そんな雑談を交えつつ、黒猫と朝食を済ませる。俺はハムエッグとインスタントの味噌汁だ。黄身は半熟トロトロ派である。
黒猫はというと、キャットフードだ。最初はブツブツ文句を言っていたが、食べてみると口に合ったようで、今は嬉しそうに頬張っている。1.5キロで4千円もするキャットフードだからな、気に入ってくれなきゃ困る。
「そうだ、儂は今日少し出かけてくる」
「お出かけ?猫の集会か?」
「それは毎週水曜だ。今日ではない」
冗談だったんだが、猫の集会ってほんとにあるのかよ。
「そうではなく、元居た住処の様子を見に行こうと思うのだ。お主のお陰でもう体調は万全なのでな」
「おいおい、また怪我とかするなよ?」
「大丈夫だ。前のような罠には、2度と掛からん。それさえなければ、儂が勝つ」
罠って……近所の畑とか荒らしてるんじゃないだろうな?でも、これも自然の摂理なのか?考えても仕方ないか。
「まぁ、気をつけろよ」
「うむ」
◇
場所は変わり、学校のお昼過ぎ。
午後の授業が始まる前に、水上さんが慌ただしく帰り仕度をして早退した。
「あれ?水上さん、早退?」
「らしいな、珍しいこともあるものだ」
石田は何も知らないらしい。というか、何も言わずに帰ったので誰も理由がわからないみたいだ。
「幸助のせいじゃねーの?水上さんに呼び出された時、なんか言ったんじゃ……ひっ!」
クラスの男子数名が、滝川を睨む。彼等は闇の組織の会員だ。このようにして噂を収束させたのか、怖っ。
「とりあえず、今日も勉強に励むとするかな」
本日も、平穏な1日が過ぎていった。
◇
「ね、猫神様!」
「む、水上潤叶か。祠を留守にしてすまなかったな」
市内のとある小さな山には、金色の獅子が降り立っていた。彼こそが、この地の守護者にして最強と名高き妖、猫神である。
そんな山中は、猫神の帰還を知った水上家の陰陽術師達で埋め尽くされていた。その中で、次期水上家当主である水上潤叶は、その場の誰よりも猫神の帰還を喜んでいる。
「猫神様、よくぞご無事で」
「龍海か、お前にも心配をかけたな」
術師達をかき分け現れたのは、水上家現当主の水上龍海である。
彼の目には深い隈ができており、どれほどの心労を抱えていたのかが見て取れる。
「龍海、儂の不在中何があった?」
「はい、実は……」
本人達は認めないが、今回の猫神様襲撃が火野山家によって行われた事。また、火野山家に属する寺院が謎の式神に襲われ、水上家にその疑いがかけられているという事。そして、それらの事件の真実を懸け、神前試合を挑まれた事を簡潔に話した。
「襲撃を行なった式神というのは、本当にお前達ではないのだな?」
「もちろんです。水上家で最も優れた式神術師は娘の潤叶ですが、今回の襲撃で襲われた気炎殿を倒せるほどの実力はありません。そのうえ、たった一体の偵察用の式神でなど、不可能です」
「気炎とは、あの爆鬼の主人か?」
「左様です」
「それが、偵察用の式神に倒されたと?」
「はい」
猫神は疑わしげな目で龍海を見つめた後、すぐさまハッとした表情に切り替わる。
「その式神の姿はわかるか?」
「私が式神の目を通してその襲撃を見ていました。戦っていたのは、白いカラスの姿をした式神です」
「!!」
戦いを見ていたという水上潤叶の報告を聞き、猫神は驚愕する。そして、困惑しながらもどこか納得した表情を見せる。
「猫神様、何か知っておられるのですか!?」
「うむ、その式神は……」
そこまで言いかけ、猫神は口を閉ざす。『平穏に生きたいだけなんだけどな』そんな彼の言葉を思い出したためだ。
「いや、すまない。気のせいだった」
「そう、ですか……」
気を落とす潤叶を見やり、猫神は疑問を口にする。
「その術師を探しているのか?」
「はい……このままでは、私たち水上家が神前試合で負けることになります。なので、その術師の方に協力を仰げればと思ったのですが……」
試合には、爆鬼を使役する気炎剛毅。その気炎と同等の力を持つとされる式神術師、三鶴城幽炎。そして、火野山家現当主である火野山業の3名が出場するのだと潤叶が説明した。
水上家は妖との共存を謳う派閥であり、猫神のように協力的な妖と友好関係を築くことで、人々を守っている。それ故に、戦闘経験は他派閥よりも遥かに少なく、あくまでも協力関係であるため、従魔術師のように妖を使役しているわけでもない。
対して、火野山家は戦闘に特化した派閥であり、人に仇なす妖を滅することでその地位を築き上げてきた。
そんな背景のある派閥同士が争えば、考えずとも結果は見えている。水上家に勝ち目はないのだ。
「ふむ……」
金の獅子はしばらく考え込み、結論を出した。