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 S8 ラクトン採掘場
 洞窟の荒い岩肌に沿う僅かなランプの光。小さな円球状に灯るその点々とした光は、天井まで届く事は無い。頭上は暗い闇に覆われ、背後から滝の落ちる音だけが静かに耳奥へと響いた。だが、その滝の音も洞窟奥へと歩を進めるにつれ次第に音色を失っていく。モンスターの気配はまだ感じられない。今はまだこの微かな清流の囁きに耳を貸していても大丈夫だろう。右の岩肌に沿って奥へと進んでゆくエルツ。次第に天井は低くなってきているようだった。であれば、問題の部屋が近いという事だ。

「そろそろ使っておくか」

 エルツはパーソナルブックを取り出すと、ふと街で購入した一枚のカードを取り出した。Ixionと記されたそのカードを掲げ、静かに囁くエルツ。

Realize(リアライズ)

 具象化された薄い紫色の小瓶を手に取りエルツは、香水を一振りする。甘く魅惑的な香りが辺りに漂う中、香水をマテリアライズしたカードを再びパーソナルブックにしまう。静かに響くエルツのボイスコマンドが余韻を残す。
 今更ながらだが、一人でここへやって来た事が少し悔やまれた。どうせなら誰か誘ってくるべきだった。そんな物寂しさを覚えるのも束の間。
 目的の部屋が次第に近づいてくる。
 部屋が近づくにつれて再び耳鳴りが始まった。だがそれは先程までの心地良い滝の音とは掛け離れたものだった。ゴムキューブをすりあわせたような耳障りなその音色。若干の眩暈めまいさえ起こしながらゆっくりと部屋に近づき、そして今、問題の部屋へと侵入するエルツ。

「ここか……って、うぉ!?」

 低い天井をくぐり、そしてエルツは言葉を失う。噂には聞いていたが、そこは想像以上の光景が広がっていた。
 頭上に広がる暗闇の中でうごめく影。それは一匹や二匹という数ではない。天井を覆い尽くす程、真っ黒な羽を広げた黒コウモリの群れ。そうここが攻略BBSでも騒がれていた噂の「コウモリ部屋」だ。
 エルツの脳裏をふと死亡フラグという言葉がよぎる。
 このコウモリの種の恐ろしいところはその特殊能力にある。幾多の障害物をこの暗闇の中でも易々とかわしながらの飛行するその高い回避能力も然る事ながら、それを可能とさせる力こそ彼らの真骨頂、そう超音波である。コウモリはこの超音波を発する事で、その反射音を聴き分け周囲の状況を瞬時に把握している。まさに自然界の高性能ソナーとでも言うべきか。故に物理的な攻撃で彼らを捉える事は至難の技である。加えて、この超音波、この世界ではコウモリから直接この超音波を浴びさせられると、それはダメージとなる。この低いレベル帯において一匹一匹から受けるダメージはそう多くないものの、それもこれだけの大群となると話は変わってくる。
 このコウモリの大群を前に香水とやらの隠し効果をどこまで信じられるものか。正直、引き返す事さえ考えた。だが、ここまで来ていてその結果ではあまりに不甲斐ない。何のために入念な準備をしてきたのか。こうなったら覚悟を決めるべきだろう。今一歩踏み込むエルツ、同時にエルツが纏ったIxion<イクシオン>の香りにあてられてか一斉に騒ぎ飛び回るコウモリの群れ。その様子を前にただ呆然と立ち尽くすエルツ。そこはまさにここがARCADIA<理想郷>であるとは疑わしいまでの地獄絵図だった。

「うぉぉぉぉ!!」

 突然、狂ったように走り出すエルツ。エルツが取れ得る最善の方法はまさに一刻も早くこの空間から抜け出す事、それしか無かった。
 叫び声とも取れる雄叫びを上げながら、一直線に駆け抜け、コウモリ部屋の先の続く通路に転がり込むように倒れる。何故か止めていた息を大きく吸い込み、深呼吸する。背後ではコウモリ達が大きな鳴き声を上げ騒いでいたが、どうやら通路までは入ってこないらしい。ほっと一息つくエルツだったが、また帰りもこの部屋を通るという事実に気づき、エルツは一時的な記憶の消去に努めた。

「とんでもないとこだな」

 ここを狩場として提唱した奴を張り倒したい気持ちに駆られながらエルツは、静かに通路を奥へと進む。壁際に取り付けられていたランプの淡い光を頼りに、十数メートル進むとそこには攻略BBSに書かれていた通り、分岐点が姿を現した。左への下り道はランプは消灯しており、暗闇が続いていた。

「ここを右か……」

 漏らした呟きが静かに響く中、右への平坦な通路へと伸びる明かりを確認しエルツはさらに奥へと歩を進める。ここまで来れば目的の狩場はここからそう遠くないはずだ。平坦な道を歩いてすぐ緩やかな傾斜を下った先の分岐点をさらに左に曲がる。
 足の裏で受ける感触が固い岩盤から柔らかな土の感触へと変わった。狩場となる部屋はもう目前だった。剣を抜き構えるエルツ。視界の先では、その柔らかな土の上でミミズを追いかける小さな影が存在した。
 
――Tunnelerトンネラーだ――
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