不思議ちゃん頂上決戦
「あっ……」
山本さんが小さな声を上げて何もない空間を見つめている。
まただ。私は思わずため息をついた。
山本さんはいわゆる『不思議ちゃん』だ。壁のシミに話しかけたり、何もないところを目で追ったり、独り言もしょっちゅう。
私はそんな彼女が嫌いだ。
なぜなら私も不思議ちゃんだから。
「ダメよ、イタズラしちゃ。大人しくしてて、ね?」
私も負けじと宙に向かって話しかける。そしてちらりと山本さんの方を見やる。彼女も私を見ていた。
教室に不思議ちゃんは二人もいらない。
『そろそろ決着をつけなきゃ。そうでしょ?』
心の中で山本さんに宣戦布告をする。
こうして不思議ちゃんの座をかけた戦いが密かに幕を開けた。
「あっ……あそこ……」
隣の席の佐藤君を盗み見ながらポツリと呟く。
しかし佐藤君は本に夢中で何の反応もない。
「……えっ、危ない……」
今度は少し大きめに声を出す。
少し離れた席の子たちがちらりとこちらに目をやる。
もちろん佐藤君にも聞こえているはずだ。なのに佐藤君はこちらを見ようともしない。
本を読むのも良いけどもう少し女の子に気をかけなさいよと言ってあげたいくらいだ。
しかし私のせっかく作り上げたキャラを崩す訳にはいかない。
私はさらに口を開いた。
「あっ、危ないよ!」
「……どうしたの」
佐藤君は眉間にシワを寄せながらようやく顔をあげた。
きっと何もないところを見ながら声を上げる私を訝しんでいるのだろう。しめしめとほくそ笑みながら私は佐藤君の目をじっと見ながら言った。
「……ううん、なんでもないの」
山本さんは悔しいけど美人だ。
長いストレートの黒髪、大きな黒い瞳、そして白い肌、ミステリアスな雰囲気。まさに不思議ちゃんといった容姿である。ホラー映画に出ても見劣りしないだろう。見た目では山本さんに勝つことはできない。
しかし無敵に思える山本さんにも弱点はある。彼女はあまり派手な動きをしないのだ。その声はとても小さく、注意していないと彼女の独り言を聞き取ることはできない。
雰囲気を重視したのだろうが、甘い考えだ。この世界は声のデカイ者にこそ注目が集まる。
私はいつにもまして不思議発言を繰り返し、不思議ちゃんとしての地位を上げていった。
しかしある日、誰もいない教室で黄昏時の学校の雰囲気を楽しんでいると男の子たちの声が窓の外から聞こえてきた。
「ホント可哀想だよなお前」
「本当だよーマジ早く席替えしてほしい。隣嫌すぎる」
あの声は佐藤君。
佐藤君の隣は私、その逆には壁しかない。つまり彼は今私のことを話しているのだ。
私は窓に近付き、耳に全神経を集中させる。
彼は私をなんと評するのだろう。気味が悪いとか、怖いとか?
「マジあいつ痛いよな」
想定していなかった言葉に私は凍りついた。
しかし会話は滞りなく耳へ流れ込んでくる。
「ああ。しかもあいつ俺が反応するまでしゃべり続けるんだぜ」
「うわっ、マジかよ。あいつお前のこと好きなの?」
「やめろよ気持ち悪い。とにかく教室が平和なのは俺のおかげだから、感謝しろよ」
「反応しなかったらどうなるかな?」
「さぁ? 叫びだすんじゃん?」
二人はそう言って大笑いした。
笑い声が小さくなり、とうとう聞こえなくなっても頭の中であの声がなんども繰り返される。
しばし放心したあと、私はようやく気がついた。
みんなが私に抱いていた感情は畏怖や恐怖じゃなく、哀れみや苛つきだったんだ。
みんな何も言ってくれないから気付かなかった。
「……あら、あなたもお話に来たの?」
ふいに背後から声をかけられた。
振り返ると、あの山本さんがすぐ近くに立っている。誰もいない学校で夕日に照らされた山本さんの姿はそのまま映画のワンシーンにできそうなくらい綺麗だ。
いつもなら嫉妬でカラダが焼けそうになるところだが、今はそんな気力も出ない。
「たまたま残ってただけ、もう帰るよ」
私は山本さんから目を逸らしながらそう答える。
「でもまだみんな話したそうだよ。なにかあった?」
その言葉が私の心にグサリと刺さる。
私はキッと彼女を睨みつけた。
「みんなって何? 幽霊? もう私そういうのやめたの」
「えっ、やめたって? 見えてなかったの?」
山本さんはキョトンとした顔で私を見る。その顔、その言葉には腹が立って仕方なかった。
「随分とお芝居が上手なのね。私はもう演技に疲れたの。存在しないものを相手にするなんてもう真っ平」
「あっ、駄目」
山本さんがそう言うと同時に雷が落ちたような音を立てながら窓ガラスが粉々に砕け散った。
驚きで声が出ない私とは対照的に、山本さんは気味が悪いくらい冷静だ。
「怒らせちゃったわね。みんなあなたの事気に入ってたし」
「な……なんなの!? キャラのためにここまでする!?」
「ほんとに見えてないのね」
山本さんは眉を下げ、少しだけ悲しそうな顔をした。
しかしすぐ笑顔になりまた口を開く。しかしその目は私ではないなにかを見ていた。
「でも大丈夫。こんなにたくさんついてるんだもの、すぐ見えるようになるわ」
その時、なにかが私の髪を撫でた気がした。