#3 刺客
足音が近付いてくる。
視線を向けると、そこには石像のような白い無表情の仮面を被った人間が亡霊の如く不気味に闇へ浮かび上がった。俺は肩を押さえながら立ち上がろうとしたが――その途端、矢の食い込んだ傷が激烈に痛み反射的に甲高い呻き声を上げてしまう。歯を食い縛り膝をついたまま睨み付ける俺を、奴はただじっと監視するかのように見詰め続けたまま微動だにしない。
不思議と、その表情のない仮面に余裕が見え隠れしているようにさえ思える。
「誰だ、てめえ……」
俺は力を振り絞り掠れた声で訊くものの、それに対しこの人間は何の反応もしなかった。
冷たい風が互いの間を駆けるように吹き抜ける。そうして、どれ程の時間が経った頃か――まるで氷塊に亀裂が入るかのように漸く仮面の下の口が動いた。
「……私は、この邸に雇われた道化役」
†
「何故、俺を殺そうとする?」
「私は奴隷の『管理』も任されているのですよ。我々人間にとって害獣である貴方を駆除しようとしている、ただそれだけのことです」
心の中で怒りの炎が強さを増す。
「……この世に害を齎しているのはどっちだ? それに俺は犬じゃねぇ、狼族だッ」
奴は、ふふふっと笑みを浮かべ――
「どちらでも構いません、どうせ貴方は私に殺され屍となるのですから。そんなこと関係ないでしょう?」
野郎、ナメやがって……!
ふと、ある疑念が湧いた。
何故この辺りには、こいつの気配だけしか感じない? 邸ではあれだけの人間たちが俺を捜していたというのに。普通なら他の仲間を呼ぶ、とかしていそうなものだが。
「どうして、この辺りには誰も来ていないのか? そう考えているようですね」
心の中を読み取ったように奴は言う。こいつ一体、何者なんだ。
……その時、矢が突き刺さったままの肩に激痛が襲った。俺は咄嗟に矢を掴み引き抜こうとするが僅かに動かすだけでも痛みが走る。しかし、そのまま何もしなくても苦しいのは同じだった。俺は矢を持ったまま目を閉じ気持ちを集中させると、気合いを解き放つが如く声を上げ――そして一気に背後へ引く!
いままで以上の痛みに、俺は喉が切れるような声で叫んだ。
傷口から血が溢れ背中を伝い足下に滴る。手にした、鈍く光る鏃から篦の中心まで血にまみれた矢を顔に近付けじっと見つめた。かなり深くまで入っていたことは嫌でも解らざるを得ない。
苛立ち紛れに地面へ叩き付けようとした時、俺はあることに気付いてしまった。
もう一度、矢羽の辺りに鼻を近付ける。そこに付着した、あるニオイ。乱れた脳の中でも、それをどこで嗅いだかはすぐに思い出せた。あんな場面だったんだ、忘れろという方が難しい。
俺の頭の中には、いま……あの血で染められた金ピカの時計のイメージが、はっきりと見えていた。
†
「ここの主人を殺ったのは、てめえか」
静かな口調の問いにも、奴は動揺した素振りも見せなかった。
仮面を着けているため表情が変わったのかさえ判らない。だが、まるでそう訊かれることも読んでいたかのような気が全身からは滲み出ている。やがて、溜息交じりの答えが聞こえた。
「随分と鼻が利くようですね」
「何故、殺した」
間髪を容れず問うも、それには沈黙しか返ってこない。
「何とか言え! 俺は、てめえに罪を着せられてんだッ」
俺は地面を拳で殴り怒鳴る。鬱積した怒りで身体中の血管が切れそうだった。
暫く間が空いた末、呟くような声が流れてくる。
「世の中、銭。それがすべての動機ですよ」