「す、すみません!」
それは鬱陶しいほど爽やかな、ある夏の日。彼、山田隆はいろんな意味で学校一の女の目の前にいた。
「・・・何?」
「はい、なんでもありません!」
「違うだろうが!」
隆の足をこれでもかと言うくらい踏みつける隣のサド男、高橋幸人は少々性格に難あり。ついでに頭の方もよろしくない。ただし、並外れた身体能力と整った顔立ちのおかげで女に困った様子はまったくない。
隆の方はというと、テストも平均75点、身長は165センチ、人見知りが激しく、走るのはあまり得意ではなくて、散歩好き。顔も良くもなく悪くもなく。目があって鼻があって口があって・・・まるでどこの架空世界にでもいそうな、初期の情報を延々と口にする役立たずな感じの村人A、つまり平々凡々なのだ。
その隆が悶絶しながら立つのは、女王池上あかねの眼前である。まあこっちから呼び出したんだからしょうがないとして。
彼女、あかねが女王と呼ばれるにはいくつか理由がある。まずひとつはその腕っ節であった。あかねは見目麗しく、数多の男を虜にした。中には彼女持ちもいたので、嫉妬に狂った女たちが彼女を集団で暴行しようとしたが、見事に返り討ちにされたという。噂では、彼女の素手は釘バットにも匹敵し、いったん捕まってしまうと後はされるがまま命の終わりを迎えるだけだとか。
そして彼女は学校始まって以来の秀才で、教師の希望の星なのだ。この田舎高校から現役東大生も夢じゃないのだから世も末だ。
こんな女王だからこそ、歯向かう者も口答えする者も、ましてや友と呼ばれる者もいなかった。あるのは恐怖と憧れ、尊敬という名の差別だった。そんな彼女の前に、隆は無理やり立たされていた。理由は簡単、数分前に拾ったハンカチから全てが始まる。
「なあ隆、今日英語あるんだけど・・・」
「宿題は自分でやるから身に付くんだよ」
「まだ何も言ってないだろ!」
「でもあってるでしょ?」
「・・・」
幸人は馬鹿な上にめんどくさがりであった。宿題を自分ですることは生まれてこのかたなく、隆に頼りっぱなしであった。隆もいつもは小言を言いながらも見せてはいたが、幸人のあまりの怠け具合にとうとう行動に出た。
「なんだよ!俺を捨てる気か?!今までの愛はなんだったんだよ!!」
「誤解を生むような発言は控えてください」
甘やかしすぎた、と後悔しても遅かった。幼馴染でいろいろと世話を焼いていたが、そろそろ自分の力でなんとかすることを覚えてもらわないと、幸人の将来も心配で隆自身が気苦労が多すぎて胃に穴でもあきそうだった。
「俺純日本人なんだよ!日本語で精一杯なのに他の言語にかまってる暇ねえんだよ!」
「高校生にあるまじき言葉だね。君は見た目は大人の中身は子どもの最悪なパターンだよ」
「とりあえず見せろ、じゃないとお前の背中に『俺はとんでもない阿呆です』って書いた紙を張り付けてやるぞ!一生の恥だぞ、末代まで言い伝えられるぞ!」
「君がね」
あきれてため息しか出ない隆の目の前に、いまどき珍しい真っ白なハンカチが道端に転がっていた。一人暴れる幸人を尻目に、隆はそれを拾い上げしばらく裏表を交互に見て酷く後悔した。本日二度目の盛大なため息だ。
「おまっ、そんなに俺のこと嫌いだったのかよ・・・このため息魔人!お前のせいで地球温暖化は進んでるんだよ!この優しくない男世界一!」
「君のほうがよっぽど酷いでしょうが」
隆は持っていたハンカチをどうしようか迷い、思わず立ち止まった。それに気づいた幸人は、ハンカチに書かれていた文字を読んだ。
「池上あかね・・・って、おいこれ!」
「あげるよ」
「俺のじゃねえよ!」
「俺のでもないから、幸人にあげるよ」
「お前のその考えいまいち理解できねえよ!」
「まあいいから」
「いらねえ!」
腕を目の前で思いっきり交差し、頑に拒否する幸人。それもそのはず、持ち主はあの池上あかね。隆さえも名前を聞いただけで背筋が凍る人物だ。
「最悪だ・・・」
「隆、これ返さないとヤバイんじゃね?」
「は?」
人事だと思って、と隆は幸人を睨んだがまったく気づかない。幸人の鈍感さに、隆はあきれてまたため息をついた。
「見つけたにもかかわらずそのまま放置だなんて、あの女王が許すと思うか?」
「黙っていれば・・・」
「なんか噂じゃ千里眼持ってるって話しだぞ」
「もはや人間じゃないだろ、それ」
隆はもとあった場所に返そうとしたが、やめた。隆の悪い癖が出てしまったのだ。
「・・・返してくるよ」
「ええ?!お前死ぬ気か?!」
「さっきと言ってること違うよ」
「お前・・・またか?」
「そのようですよ、幸ちゃん」
隆は人見知りするくせに、興味が湧いたものには容赦なく突っ込んでいく困った特攻隊長だった。そのせいで幸人も何度被害を被ったことか。特に幸人を『幸ちゃん』と呼んだときは確実であった。
「直前でやめるっつーても俺は許さないからな」
「わかってるよ、俺が途中でやめたことないでしょ?」
「その影には俺の並々ならぬ苦労があるんだよ!」
「大げさだね、宿題見せてあげないよ」
「嘘です!でしゃばりました!」
「ならよし。じゃあ行こうか」
「ええ?!今から?!」
「うん」
思い立ったら即行動、隆を止められる者はいない。幸人は何度目かの『隆をもう二度と世話しない』宣言を心の中でするのであった。
「何?あんたたち私に用があるんでしょ?」
「ありませ」
「あります!もうすっごい大変ですよ、これを成し遂げないと天変地異の世界の崩壊で宇宙はロボット対戦ですから!」
動揺のためか、幸人は隆の顔面を全力で覆った。もちろん息ができず、隆はあかねよりまずさきに幸人に殺されると思い、渾身の力で幸人に頭突きをくらわした。
「いだあ!!」
「俺の息の根を止めてどうするつもりだよ!犯罪者になりたいの?!」
「俺は善良な一般市民でこの生を全うするつもりだよ!」
「だったら少しは手加減を覚えることだね!幸人はいつか新聞紙に目を隠されて掲載されるだろうよ!」
「お前俺のこと馬鹿にしてんのか?!」
「とんでもない、幸人は大馬鹿の非常識筋肉だけ男だよ!」
「それを馬鹿にしてるってのがわからないのはわざとかー?!わざとだろー!!」
「静まれーい!!」
しまったと思っても後の祭り。隆たちは、恐れ多くも女王の前であろうことか言い争ってしまったのだ。この瞬間、二人は同時に「終わった」と小さくつぶやいた。
「あんたら何がしたいの?はっきり用事を言ってごらん!そこの筋肉、簡潔に説明しなさい!」
「はい!説明させていただきます!」
組み合っていた二人は一瞬にして整列し、敬礼ポーズになった。夏のせいなのか、このプレッシャーのせいなのかどうか定かではないが、二人の汗はまさに滝であった。
「10分ほど前、貴殿のハンカチーフを拾わせていただきまして、ここに参った所存であります!」
やればできるじゃないか、と隆は少しばかり感動していると、目の前にとんでもないことが起こった。
「・・・なんだ、ありがとう」
あの殺戮の女軍曹、もとい女王あかねが笑ったのだ。それはもう美しいの一言である。
「で、ハンカチは?」
「あ、お、俺が持ってます!」
隆はポケットに突っ込んだままのハンカチのしわをなるべく伸ばし、あかねに手渡した。そのとき、ほんの少しだけ指先をかすった。するとどうだろうか、あかねはたちまち赤くなっていった。
「あ、ありがとう!助かった、それじゃ!!」
彼女はそう言うと、一目散に逃げていった。あの女王が、笑った。しかも照れて赤くなった。隆はあかねの後姿が見えなくなるまで、呆然としていた。
「隆、まさか死んだ?!」
「そう簡単に死んでたまりますかっての」
隆はかすった手を握り締めた。そして幸人にこう言った。
「幸ちゃん、俺女王が好きかも」
聞こえているのかいないのか、幸人はぴくりとも動かなかった。そして、しばらくたって隆の額に手を当てながら眉間にしわを寄せた。
「・・・正気?」
「うん」
「へー・・・そう」
幸人はその後一言も発することなく隆に合掌し、哀れみの眼差しだけ置いてその場を静かに立ち去っていった。その様子に、隆はただ目を丸くするだった。
こうして隆は女王に恋する、無謀な村人Aに成り果てたのであった。
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